表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2001年、未来への旅 角川書店の社長秘書に転生した2026の転売厨、無慈悲なる改革の断行を進言してしまう  作者: 1stペンギン
――この物語はフィクションです――

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/5

第二話 次のヒットを偶然にしない仕組み

 午後三時。


 役員会議室の前で、俺は死んだ顔をしていた。


 いや、一回死んでいるのかもしれないので、この表現は正確ではない。


 正確に言うなら、若い女の身体で平成十三年の出版社役員会に突っ込まれる、元転売厨の顔をしていた。


 鏡で見た篠宮玲子の顔は、整っている。


 冷たい。

 賢そう。

 感情がなさそう。

 人を数字で刺しそう。


 問題は、中身が俺であることだった。


 Amazonの出品管理画面と、ゆうパックの止まった追跡番号に人生を削られていた男である。

 社会的信用は薄い。

 睡眠時間も薄い。

 倫理観は、もっと薄い。


 そんな俺が、角川書店の社長秘書として、役員会で改革案を話す。


 無理だろ。


「篠宮君」


 隣に立つ社長が言った。


「はい」


 返事は冷静だった。


 腹の中では、普通に吐きそうだった。


「緊張しているのか」


「していません」


 嘘だった。


「手が震えている」


「寒いだけです」


「⋯⋯五月だぞ?」


「空調が効きすぎています」


 社長は少し笑った。


 この人、たぶん分かっていて聞いている。


 嫌な上司だ。


 ただ、悪い上司ではない。


「篠宮君」


「はい」


「今日は、全員が君を軽く見る」


「承知しております」


「怒る者もいる」


「想定内です」


「潰しに来る者もいる」


「……想定内です」


 本当は想定外だった。


 転生初日に社内政治は重すぎる。


 だが、篠宮玲子の口は勝手に動く。


 この女は、たぶん強い。


 問題は、中身が俺であることだけだ。


「なら、数字で話せ」


 社長は扉に手をかけた。


「感情で殴るな。数字で刺せ」


 やめろ。


 ちょっと格好いいことを言うな。


 逃げづらくなる。


 扉が開いた。


     *


 役員会議室には、紙の匂いがした。


 煙草。

 コーヒー。

 古い革椅子。

 整髪料。

 そして、面倒な大人たちの気配。


 長い机の左右に、役員たちが並んでいた。


 編集。

 営業。

 経理。

 宣伝。

 映像。

 雑誌。

 文庫。


 全員、俺より年上。


 全員、俺より偉い。


 全員、篠宮玲子を「社長の横にいる女」として見ている。


 改革案を出す人間としては見ていない。


 まあ、そうだろう。


 俺だって、いきなり社長秘書が「出版を在庫産業から権利運用産業へ」などと言い出したら、距離を置く。


 怖いから。


「では始めよう」


 社長が席についた。


「本日の議題は、メディアミックス推進案の再検討だ」


 編集担当らしき役員が、紙をめくりながら頷いた。


「前回の案をもとに、各部門で調整を進めております」


「その前に、篠宮君から説明してもらう」


 空気が止まった。


 紙をめくる音が消えた。


 視線が一斉にこちらへ向く。


 やめろ。

 全員で見るな。


 中身は今朝まで六畳ワンルームの段ボールの隙間で寝ていた男なんだぞ。


「篠宮君が?」


 経理担当役員が、露骨に眉をひそめた。


「社長室の秘書が、事業計画を?」


 そう思うよな。


 俺もそう思う。


 だが、篠宮玲子の顔は便利だった。


 無表情で立ち上がるだけで、なぜかそれらしく見える。


「社長室の篠宮です」


 俺は資料を配った。


 手は震えていない。


 たぶん。


「本日は、現行のメディアミックス推進案に不足している観点について、ご説明します」


「不足?」


 編集担当役員が言った。


「ずいぶん大きく出るね」


「はい」


 俺は頷いた。


「大きく不足しています」


 会議室の温度が下がった。


 まずい。


 篠宮玲子の声で淡々と言うと、ただの嫌味になる。


 しかし、もう始めてしまった。


 引き返すには遅い。


「結論から申し上げます」


 俺は一枚目の資料をめくった。


「当社は、すでに強い作品を複数持っています。問題は、強い作品を持っていることに安心し、その強さを再現する仕組みを持っていないことです」


 誰かが鼻で笑った。


「作品のヒットを仕組みで作れるなら、誰も苦労しない」


「はい」


 俺は即答した。


「ですから、苦労しましょう」


 沈黙。


 しまった。


 今のは少し煽りすぎた。


 だが、社長だけが小さく笑っている。


 味方なのか敵なのか分からない。


「まず、過去の成功例です」


 俺は資料に並べた作品名を指で押さえた。


「ロードス島戦記。スレイヤーズ。新世紀エヴァンゲリオン」


 会議室の空気が、少しだけ変わった。


 この名前には重みがある。


 出版だけではない。


 アニメ。

 ゲーム。

 雑誌。

 コミックス。

 文庫。

 ファンの熱。


 この会社がすでに持っている武器だ。


 同時に、俺にとっても、ただの商品名ではなかった。


 小学生の頃、友達の兄貴の部屋にあった古い文庫。

 中古ショップの棚で、背表紙だけ妙に焼けていたファンタジー。

 ネットで高騰した限定版。

 深夜に再放送を見て、そのまま朝まで考察サイトを巡った作品。


 俺はそれらを、何度も値札として見た。


 相場として見た。

 在庫として見た。

 利益率として見た。


 けれど最初から、そうだったわけではない。


 最初は、ただ面白かった。


 たぶん、誰にとってもそうだったはずだ。


 作品は、最初から商材として生まれるわけじゃない。


 誰かの夜を少しだけ延ばすために生まれる。


 誰かの明日を少しだけマシにするために、ページの中で息をしている。


「これらは、すべて強い作品です」


 俺は言った。


「ですが、強かった理由が、作品単位で十分に記録されていません」


「記録ならある」


 雑誌担当役員が言った。


「売上資料も、広告資料も、アニメ化の資料もある」


「あります」


 俺は頷いた。


「ですが、つながっていません」


 俺は赤ペンで資料の余白に線を引いた。


「ロードスは歴史です。スレイヤーズは奇跡です。エヴァは例外です」


 会議室に、また沈黙が落ちた。


「ですが、会社に必要なのは、歴史でも、奇跡でも、例外でもありません」


 俺は顔を上げた。


「次のヒットを、偶然にしない仕組みです」


 言葉にした瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。


 未来の俺は、偶然の取りこぼしで飯を食っていた。


 公式が読み違えた需要。

 足りなかった初版。

 間に合わなかった再販。

 届かなかった特典。

 買えなかった読者の焦り。


 そこに値段をつけた。


 そういう生き方をしていた。


 だからこそ、知っている。


 欲しいものが買えない悔しさは、熱の裏返しだ。


 怒っている読者は、最初から敵だったわけじゃない。


 欲しかったのだ。


 ただ、それだけだったのだ。


「具体的には?」


 営業担当役員が言った。


 食いついた。


 俺は資料を二枚目に進める。


「作品別統合台帳を作ります」


「また台帳か」


 誰かが呟いた。


 聞こえているぞ。


 だが無視する。


「作品ごとに、初版部数、実売、返品、重版時期、広告費、フェア展開、映像化権、ゲーム化権、グッズ化、契約期限、担当者、読者反応を紐づけます」


「読者反応とは?」


「読者アンケート、書店の予約動向、雑誌掲載時の反響、ファンサイト、掲示板、イベントでの反応です」


「掲示板?」


 宣伝担当役員が怪訝な顔をした。


「そんなものまで見るのかね」


「見ます」


 俺は言った。


「読者の熱は、会社が見ていない場所にも発生します」


 未来を知っているから分かる。


 公式が黙っている間に、ファンがまとめる。

 公式が迷っている間に、非公式市場が値段を決める。

 公式が見ていないところで、熱狂も失望も広がっていく。


 二〇〇一年の彼らには、まだ実感がない。


 だが、芽はある。


 掲示板。

 個人サイト。

 同人イベント。

 書店POP。

 ファンレター。

 雑誌の読者投稿。


 速度が遅いだけで、熱はすでにある。


「測っていない需要を、存在しないものとして扱わないでください」


 俺は言った。


 声が、少し熱を持つ。


「欲しい人がいるのに、棚にない。話題になっているのに、増刷が遅い。映像化で読者が増えたのに、既刊がそろっていない。そういう状態は、売れなかったのではありません」


 一度、言葉を切る。


 会議室の向こうに、知らない誰かの顔が見えた気がした。


 発売日に書店を回って、見つからなくて、諦めた誰か。


 予約できずに、画面の前で更新を続けた誰か。


 転売価格を見て、黙ってタブを閉じた誰か。


「売る準備が、できていなかっただけです」


 営業担当役員が、わずかに頷いた。


 編集担当役員は渋い顔のままだ。


 対立が見える。


 編集は作品を守りたい。

 営業は機会を逃したくない。

 経理は在庫を持ちたくない。

 宣伝は予算が足りない。

 映像はタイミングを合わせたい。


 全員、その立場では正しい。


 だから厄介なのだ。


 悪人がいれば楽なのに。


 この部屋にいる人間たちは、たぶん全員、この会社の作品が好きなのだ。


 好きだから慎重になる。

 好きだから守ろうとする。

 好きだから、失敗を恐れる。


 それでも、届かなければ意味がない。


 作品は、読者に届いて初めて作品になる。


「では、今ある作品で何を見る」


 社長が言った。


 来た。


 ここだ。


 俺は資料の三枚目を開いた。


「まず、フルメタル・パニック!です」


 富士見ファンタジア文庫。


 学園。

 ミリタリー。

 ロボット。

 ラブコメ。


 混ざりすぎている。


 だが、混ざっているからこそ強い。


「この作品は、文庫だけで見るべきではありません」


 俺は言った。


「アニメ化、模型、関連書籍、雑誌連動、読者層の拡張まで含めて管理すべきです」


「ずいぶん買っているな」


 文庫担当役員が言った。


「好きなのかね」


「観測対象として優秀です」


 好きとは言っていない。


 言っていないが、たぶん好きだ。


 未来で俺は、何度もそうやって誤魔化してきた。


 好きな作品を、好きだと言わずに、相場で語った。

 面白かった記憶を、利益率で上書きした。


 そうしていれば、自分が何を売っているのか考えなくて済んだからだ。


「次に、ケロロ軍曹」


 何人かが首を傾げた。


 空気が変わる。


 分かる。


 この時点では、まだ“変なカエル漫画”に見えているのだろう。


 だが俺は知っている。


 これは伸びる。


 漫画だけでは終わらない。


 アニメ。

 玩具。

 子ども。

 親。

 映画。

 キャラクター商品。


 見えている層を間違えると、取り逃がす。


「これは、読者層を狭く見ないでください」


 俺は言った。


「今の読者だけで判断すると、展開を誤ります。児童、ファミリー、キャラクター商品まで広がる可能性があります」


「カエルだぞ」


 誰かが言った。


「はい」


 俺は頷いた。


「カエルです」


 会議室に微妙な空気が流れた。


「ですが、売れるカエルです」


 誰かが咳き込んだ。


 社長が肩を震わせている。


 笑うな。


 こっちは真面目だ。


「そして、もうひとつ」


 俺は資料をめくった。


「ゲーム、アニメ、出版を同時に走らせる企画があるなら、必ず作品別統合管理の対象にしてください」


 映像担当役員の表情が動いた。


 ある。


 何かある。


 まだ表に出ていない企画。


 ゲームとアニメと出版を同時に走らせるような、面倒で、危険で、成功すれば大きい企画。


 俺は断定しない。


 未来を知っているとは言えない。


 だから、一般論として刺す。


「同時展開型の企画は、成功すれば大きい。一方で、失敗したときに原因が見えにくい。どの媒体が牽引したのか、どこで失速したのか、何が読者を増やし、何が離脱させたのか」


 俺は赤ペンで大きく書いた。


> 属人運用禁止




「担当者の腕で乗り切るべきではありません。会社の仕組みで支えるべきです」


 映像担当役員は黙った。


 完全に当たった顔だった。


 よし。


 いや、よくない。


 当てすぎると怪しまれる。


 俺は一度、資料を閉じた。


「改革案は三段階です」


 声を落とす。


 熱を引っ込める。


 篠宮玲子に戻る。


「第一段階。過去の成功例を作品単位で棚卸しします。ロードス、スレイヤーズ、エヴァ。何がどこで売れ、どの媒体が熱を増幅し、どこで取り逃がしたのか」


「第二段階。現在進行中の作品を観測対象にします。フルメタル・パニック!、ケロロ軍曹、その他アニメ化候補。初版、重版、予約、書店反応、雑誌反響を毎月追います」


「第三段階。新規大型企画は、最初から統合台帳に乗せます。ゲーム、アニメ、出版、グッズ、宣伝を別々に走らせない」


 俺は役員たちを見渡した。


「角川は、すでに弾を持っています」


 言葉を切る。


「問題は、弾倉を管理していないことです」


 会議室が静かになった。


 決まった。


 そう思った瞬間、経理担当役員が口を開いた。


「理屈は分かった」


 低い声だった。


「だが、誰がやる?」


 来た。


 現実。


「編集者は忙しい。営業も忙しい。宣伝も映像も人が足りない。新しい台帳を作る? 毎月追う? 誰が入力し、誰が確認し、誰が責任を持つ?」


 正論だった。


 ものすごく正論だった。


 改革案は、だいたいここで死ぬ。


 誰がやるのか。


 金はあるのか。


 効果はあるのか。


 現場が回るのか。


 未来でも同じだ。


 システムを入れましょう。

 データを取りましょう。

 見える化しましょう。


 そして誰も入力しない。


 終わり。


 俺は知っている。


 だからこそ、答えは用意していた。


「最初から全社ではやりません」


 俺は言った。


「三作品に絞ります」


「三作品?」


「はい。過去の成功例を一つ。現在進行中を一つ。今後の大型企画を一つ」


 社長が目を細めた。


「試験運用か」


「はい」


 俺は頷いた。


「最初の目的は利益を増やすことではありません。見えていない損失を見えるようにすることです」


「また損失か」


「はい」


 俺は経理担当役員を見た。


「改革とは、最初に利益を増やす行為ではありません。最初に言い訳を減らす行為です」


 言った瞬間、自分でも思った。


 これは嫌われる。


 絶対に嫌われる。


 だが、会議室は黙った。


 誰かが反論しようとして、やめた。


 刺さった。


 たぶん、刺さってしまった。


 社長がゆっくりと口を開いた。


「篠宮君」


「はい」


「君がやれ」


 終わった。


 やっぱりそうなる。


「社長室直轄で、試験運用案をまとめろ。対象作品は各部門と調整。来月の役員会で中間報告」


 来月。


 役員会。


 中間報告。


 単語の圧が強い。


 俺は中身が転売厨なんだぞ。


 大企業の社内改革プロジェクト責任者ではない。


 しかも女体化初日だ。


 せめて一日くれ。


 いや、一週間くれ。


 あと、この身体の生活情報を確認させてくれ。


 家どこだよ。

 家族いるのかよ。

 恋人とかいたらどうするんだよ。

 通帳は。

 携帯は。

 化粧の落とし方は。


 問題が多すぎる。


 だが、篠宮玲子の身体は立ち上がっていた。


 背筋を伸ばし、資料を胸に抱え、冷たい声で言う。


「承知いたしました」


 承知するな。


 何回目だ。


「では、各部門は篠宮君に協力するように」


 社長の一言で、会議は終わった。


 いや、終わったのは会議ではない。


 俺の平穏だった。


     *


 役員会議室を出た瞬間、足から力が抜けた。


 壁に手をつく。


 ヒールが怖い。


 廊下が長い。


 身体が軽いのに、情報が重すぎる。


「篠宮さん」


 声をかけてきたのは、営業局の三浦だった。


 さっき資料を持ってきた若手社員だ。


「すごかったですね」


「何がですか」


「いや、全部です」


「具体性に欠けます」


「あ、すみません」


 三浦は苦笑した。


 この人、たぶん悪い人ではない。


 そして、現場に近い。


 使える。


 いや、人を使えるとか考えるな。


 転売厨の悪い癖だ。


「三浦さん」


「はい」


「書店別の消化率と追加注文の記録、三年分ありますか」


「三年分ですか?」


「可能なら五年分」


「鬼ですか」


「秘書です」


「秘書ってそういう仕事でしたっけ」


「今日から増えました」


 三浦は少し困った顔をしたあと、なぜか笑った。


「分かりました。探します」


「ありがとうございます」


「いえ。なんか、面白くなりそうなので」


 面白くない。


 俺は全然面白くない。


 だが、三浦のその顔を見て、少しだけ分かった。


 若手は飢えている。


 上が決めたことを回すだけではない、何かが変わる気配に。


 現場には、たぶん不満がある。


 作品が届かないことへの不満。

 部門間で話が通じないことへの不満。

 数字があるのに使われないことへの不満。


 そして、たぶん。


 自分たちの好きな作品が、社内の都合で小さく扱われることへの不満。


「篠宮さん」


 三浦が言った。


「さっきの、ケロロ軍曹の話、本気ですか」


「本気です」


「カエルですよ」


「カエルです」


「売れますかね」


「売れます」


 言い切ってから、少しだけ口を閉じる。


 未来知識を断言しすぎるな。


「……売れる可能性を、狭く見ない方がいい作品です」


「なるほど」


 三浦は頷いた。


「じゃあ、フルメタは?」


「文庫だけで終わらせると損です」


「エヴァは?」


「例外です」


「スレイヤーズは?」


「奇跡です」


「ロードスは?」


「歴史です」


 三浦は吹き出した。


「篠宮さん、意外と面白いですね」


「褒めていませんね」


「褒めてます」


「でしたら、判断を保留します」


 そう言ってから、俺は気づいた。


 少しだけ、自然に返せている。


 篠宮玲子という女の口調に、俺が馴染み始めている。


 怖い。


 だが、今はそれどころではない。


 俺にはやることがある。


 この身体の家を調べる。

 この時代の角川書店の組織を調べる。

 対象作品を選ぶ。

 台帳の項目を作る。

 各部門から資料を奪う。

 社長に中間報告する。


 そして何より。


 この時代のAmazonを、まだ「外資の変な本屋」として見ている連中に、いつか分からせなければならない。


 あれは本屋で終わらない。


 公式が需要を観測しなければ、公式の外で市場が育つ。


 そして市場は、優しくない。


 廊下の窓から、二〇〇一年の東京が見えた。


 まだスマートフォンのない街。

 まだSNS炎上のない街。

 まだ動画配信に時間を奪われていない街。

 まだ、書店の棚が文化の入口だった時代。


 この街の本屋には、まだ未来の読者がいる。


 部活帰りに文庫を一冊だけ買う中学生。

 給料日前に新刊を諦める会社員。

 アニメを見て、原作を探しに来る誰か。

 棚の前で、知らない物語と初めて目が合う誰か。


 その誰かに届かなかった作品を、俺は未来で高く売っていた。


 最低だ。


 でも、最低だったからこそ分かる。


 届かなかった作品には、届くべき相手がいた。


「……やるしかないか」


 小さく呟いた声は、冷たく整った女の声だった。


 だが、その奥にある諦めの悪さだけは、間違いなく俺のものだった。


 その日の夕方。


 社長室の机に、俺は最初の試験運用案を書き始めた。


◯作品別統合管理試験運用案

 対象候補

 一つ、過去成功例

 二つ、現在進行作品 

 三つ、次世代複合企画




 そして最後に、赤ペンで一行を足す。


◎次のヒットを、偶然にしない。




 書き終えたところで、俺はペンを置いた。


 紙の上の文字が、少しだけ滲んで見えた。


 泣いているわけではない。


 たぶん、疲れているだけだ。


 篠宮玲子の身体も、俺の精神も、今日一日で酷使されすぎている。


 そういうことにしておく。


「いや、まず家どこだよ……」


 その問題に気づいたのは、定時を過ぎてからだった。

面白かったら、ブックマーク登録と評価をお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ