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2001年、未来への旅 角川書店の社長秘書に転生した2026の転売厨、無慈悲なる改革の断行を進言してしまう  作者: 1stペンギン
――この物語はフィクションです――

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17/33

第十七話 初七日の憂鬱(前編) 夏の終わりに開園した、海の名を冠する新しい夢の国


 初動七日表は、初日から破綻した。


 いや、正確には破綻していない。


 破綻していないが、現場の顔が死んだ。


 月曜日。


 社長室の机に置かれた試作一枚。


 名前は、初動七日表。


 地味。


 非常に地味。


 だが、この地味な紙で、紙の流れを変える。


 そう思っていた。


 思っていたのだが。


「篠宮さん」


 三浦が社長室に入ってきた。


 顔が悪い。


 かなり悪い。


「はい」


「初七日って呼ばれてます」


「……はい?」


「営業の一部で」


「初動七日表です」


「分かってます。でも長いので、初七日」


 俺は一瞬、言葉を失った。


 初七日。


 それは違う。


 かなり違う。


 発売後七日間の初動観測であって、死者の供養ではない。


 いや、売れなかったことにされた作品の供養という意味では、完全に違うとも言い切れない。


 よくない。


 連想が悪すぎる。


「やめてください」


「私に言われても」


「三浦さんが止めてください」


「無理です。もう真鍋さんも言ってました」


「真鍋さんまで」


「『初七日で作品を成仏させるな』って」


 言いそう。


 非常に言いそう。


 俺は額を押さえた。


 せっかく現場で使える地味な名前にしたのに、現場で勝手に葬送感を付与されている。


「初動七日表です」


「はい」


「略称は、七日表で」


「たぶん無理です」


「なぜ」


「初七日の方が覚えやすいので」


 最悪だ。


 改革は、名前から崩れる。


     *


 会議室に入ると、すでに空気が重かった。


 久我営業局長。


 榊原取次担当。


 大町書店営業課長。


 三浦。


 佐伯。


 真鍋。


 岸本。


 川辺。


 社長。


 そして俺。


 机の中央には、初動七日表の試作版が置かれている。


 たった一枚。


 たった一枚なのに、会議室全員を憂鬱にする紙である。


 紙の帝国、怖い。


「では、初七日の件だが」


 久我が言った。


「初動七日表です」


 俺は即座に訂正した。


「同じだろう」


「違います」


「現場では初七日の方が通りがいい」


「通さないでください」


 久我は鼻で笑った。


「冗談だ」


 本当か。


 本当に冗談か。


 この人の冗談は現場で定着する危険がある。


「篠宮さん」


 佐伯が紙を指で叩いた。


「まず、編集所感欄が狭いです」


「一行で」


「無理です」


「最小限に」


「作品を続ける上で壊してはいけない点を一行で書けと?」


「……二行で」


「無理です」


 真鍋が横から言った。


「篠宮さん、編集所感を入れるなら、最低でも余白が必要です」


「余白を増やすと一枚に収まりません」


「一枚にこだわると、書くべきことが落ちます」


 刺さった。


 紙一枚にまとめたい。


 現場負荷を増やしたくない。


 だが、一枚にするために必要な情報を削るなら、本末転倒だ。


「では、裏面を」


「増えましたね」


 三浦が言った。


「増えました」


「初日に増えましたね」


「……はい」


 初動七日表、初日に裏面が発生。


 改革とは、増やさないために増えるものらしい。


「営業側からも」


 三浦が手を挙げる。


「店員所感欄ですが、自由記述だけだと書店によって差が出ます」


「選択項目を入れますか」


「はい。棚位置、併売、POP有無、欠品、問い合わせ、女性客反応、男性客反応、くらいは丸をつける形にしたいです」


「項目が増えます」


「でも自由記述だけより楽です」


 なるほど。


 現場負荷を下げるために項目を増やす。


 矛盾しているが、正しい。


「川辺さん」


 俺は制作管理を見る。


「重版可能日欄はどうでしょう」


「足りません」


 即答だった。


「どこが」


「紙の手配、印刷所、製本、帯、倉庫。それぞれ締切が違います。一つの日付では誤解されます」


「では」


「最短重版可能日と、現実的重版可能日を分けてください」


「二つに?」


「はい。最短は理論値です。現実は別です」


 重い。


 制作管理の言葉は、毎回重い。


 だが必要だ。


 未来の俺は、在庫あり・なししか見ていなかった。


 その裏で、紙を押さえ、印刷所を押さえ、製本し、倉庫へ入れ、取次へ流す人間がいる。


 それを見ずに、なぜ在庫がないのかと怒っていた。


 過去の自分を殴りたい。


 いや、未来の自分か。


 ややこしい。


「取次側は」


 榊原が眼鏡を押し上げた。


「七日で出せる数字と、出せない数字があります」


「はい」


「追加注文は拾える。ただし、店頭実売ではありません」


「承知しております」


「それを混同すると危険です」


「表に明記します」


 俺は紙に書いた。


 追加注文=店頭実売ではない。


 地味。


 だが重要。


「書店側は」


 大町が言った。


「店員所感は、営業が聞くならできます。ただ、書店に紙を書かせるのは避けたい」


「営業側で聞き取りですね」


「はい。書店さんに新しい手間を押し付けると嫌われます」


 久我が頷いた。


「当然だ」


 そう。


 当然だ。


 改革のために書店を疲れさせるな。


 書店は出版社の実験台ではない。


「宣伝は」


 岸本が紙を見ている。


「販促修正欄に、“すぐ直せるもの”と“次回反映”を分けたいです」


「具体的には」


「公式ページ文言、営業向け一言メモはすぐ。帯やPOPは次回。広告はほぼ無理」


「現実的ですね」


「現実に殴られていますので」


「私の言葉が感染しています」


「便利なので」


 便利な言葉は、社内で感染する。


 危険である。


     *


 結局、初動七日表は初日で改訂された。


 一枚から、表裏一枚へ。


 名前は、まだ初動七日表。


 だが、社内の一部では初七日と呼ばれている。


 止めたい。


 止めたいが、止まらない気がする。


 なぜなら、その名前には妙な真実味がある。


 売れなかったことにされた作品を、発売七日で成仏させるな。


 むしろ、そこで生きているか確認しろ。


 そう考えると、完全に間違いとも言えない。


 嫌だ。


 認めたくない。


「篠宮君」


 会議後、社長が言った。


「はい」


「名前は諦めろ」


「嫌です」


「現場が呼ぶ名が、現場の名だ」


「初七日は縁起が悪すぎます」


「縁起が悪いくらいが忘れない」


「社長」


「冗談だ」


 本当か。


 本当に冗談か。


 この人も危険だ。


 社長は改訂版の紙を見た。


「だが、悪くない」


「初日に増えました」


「増えたが、削るための増加だ」


「三浦さんが聞いたら嫌な顔をします」


「もうしていた」


「はい」


 社長は少し笑った。


「最初の運用で必ず失敗する」


「はい」


「そこで潰れる仕組みは、その程度だ」


 社長は紙を机に置いた。


「潰れないように直せ」


「承知いたしました」


     *


 八月。


 初動七日表は、じわじわと社内に侵食した。


 最初の三作品。


 まるマ既刊併売。


 ビーンズ創刊先行。


 夏休み文庫フェア連動作品。


 表は毎回、どこか壊れた。


 店員所感が長すぎる。


 追加注文と実売を混同しかける。


 重版可能日の意味が部署ごとに違う。


 編集所感が詩になる。


 佐伯の文章は短いが、たまに熱い。


 三浦は項目を削る。


 川辺は日付を二つに分ける。


 岸本は販促修正を分類する。


 大町は書店に余計な紙を書かせない。


 榊原は取次で見える数字と見えない数字を線引きする。


 久我は文句を言いながら、三作品から増やすなと釘を刺す。


 そして社長は、何も言わずに全部見る。


 会社が変わった、とはまだ言えない。


 だが、会議の言葉は少し変わった。


 売れていない、の前に。


「届いているのか」


 が入るようになった。


 余っている、の前に。


「見つかっているのか」


 が入るようになった。


 重版するか、の前に。


「できるのか」


 が入るようになった。


 地味だった。


 とても地味だった。


 だが、地味な変化ほど、後から効く。


     *


 最初に引っかかったのは、まるマだった。


 八月の第二週。


 大町から、協力店の聞き取りメモが上がってきた。


 店名は、横浜の大型書店。


 女性向け文庫の棚が強く、コミック売場との行き来も多い店だった。


 初動七日表。


 現場呼称、初七日。


 認めていない。


 断じて認めていない。


 だが、その店員所感欄に、短い字でこうあった。



 二巻は手に取られる。

 一巻がないので戻される。



 俺は、その一行を見て固まった。


「三浦さん」


「はい」


「これです」


「どれですか」


「死んでいません」


 三浦が紙を覗き込む。


「……ああ」


 彼の顔が変わった。


 営業の顔だった。


「売れてないんじゃなくて、一巻がない」


「はい」


「二巻を見て、興味を持って、一巻を探して、ないから戻してる」


「はい」


「これ、初七日っぽいですね」


「初動七日表です」


「今そこですか」


 今そこだった。


 だが、それどころではない。


 これは、まさに見たかった詰まりだった。


 読者は来ている。


 棚の前で足は止まっている。


 二巻は見られている。


 だが、一巻がない。


 入口がない。


 扉があるのに、鍵穴が塞がっている。


「大町さんに確認を」


「もう電話します」


 三浦はすぐに受話器を取った。


 俺はその横で、初動七日表の空欄を見つめていた。


 売れていない。


 そう処理されていたかもしれない。


 だが、違う。


 これは売れていないのではない。


 読者が入口で止まっている。


 その違いを、紙が拾った。


 たった一行で。


     *


 午後には、大町から追加の連絡が来た。


『一巻、入れます』


 電話口の大町は、いつもより少し声が早かった。


『店側も気にしていました。二巻だけ残って見えるのはもったいないと。追加で一巻を入れて、平台の端に二冊並べます』


「平台ですか」


『大きくは無理です。端です』


「端で十分です」


『あと、書店員さんが一言添えたいそうです』


「一言」



『水洗トイレから異世界へ。まずは一巻から』



 俺は黙った。


 雑。


 かなり雑。


 だが、強い。


「佐伯さんに怒られますかね」


 大町が言った。


「判断を保留します」


『便利ですね』


「ただ」


『はい』


「棚では強いと思います」


『ですよね』


 電話を切ると、三浦が俺を見ていた。


「どうしました」


「篠宮さん、ちょっと嬉しそうです」


「そうですか」


「はい」


「不覚です」


「不覚なんだ」


 不覚だった。


 だが、嬉しかった。


 一巻がない。


 ただそれだけの話かもしれない。


 だが、その“ただそれだけ”で読者は帰る。


 そして帰った読者は、売上にはならない。


 売上にならなければ、需要は存在しなかったことになる。


 初動七日表は、その小さな不在を拾った。


 魔王はまだ死んでいなかった。


 成仏させるには早すぎる。


     *


 その日の夕方、佐伯が社長室に来た。


 手には赤ペン。


 顔は静か。


 怖い。


「篠宮さん」


「はい」


「大町さんから聞きました」


「一巻の件ですか」


「はい」


「書店員さんの一言については、現場判断として」


「悪くありません」


「……悪くないのですか」


「水洗トイレは強いです」


 佐伯は真顔だった。


 この人が真顔で水洗トイレと言うと、妙な迫力がある。


「ただし、公式の文言にはしません」


「承知しております」


「棚の言葉と、公式の言葉は違います」


「はい」


 佐伯は、初動七日表の余白に赤ペンで一行書いた。


 棚で効く雑さと、公式が背負う言葉は分ける。


「これ、裏面に入れてください」


「また増えました」


「必要です」


「はい」


 俺は頷いた。


 初動七日表は、また少し重くなった。


 だが、この重さは悪くない。


 現場が紙を変えている。


 変わらない紙は、使われない紙だ。


     *


 数日後。


 横浜の店から、追加の所感が来た。


 一巻二巻を並べたところ、動きが出た。


 大きな数字ではない。


 爆発でもない。


 重版を叫ぶような話でもない。


 ただ、二冊まとめて手に取る客が増えた。


 友達同士で棚前に立つ女子高生がいた。


 ひとりが二巻を持ち、もうひとりが一巻を探した。


 書店員が「最初はこっちです」と一巻を差した。


 その一組は、一巻を買った。


 たったそれだけ。


 たった一冊。


 だが、初動七日表の余白には、その一冊が残った。


 売れた一冊ではない。


 帰らなかった一冊。


 届いた一冊。


 俺は、その報告を見てしばらく黙っていた。


「篠宮さん」


 三浦が言った。


「泣きます?」


「泣きません」


「顔が」


「通常運転です」


「嘘ですね」


 嘘だった。


 泣きはしない。


 だが、胸の奥で何かが鳴っていた。


 限定版の相場が跳ねた時とは違う。


 仕入れが成功した時とも違う。


 未来の俺が知っていた快感とは違う。


 一冊が、帰らなかった。


 読者が入口で戻らなかった。


 それだけのことが、こんなに重いとは思わなかった。


     *


 そして、九月四日。


 火曜日。


 夏は過ぎた、という顔をしながら、まだ暑かった。


 朝の社長室に、新聞と切り抜きが置かれていた。



 東京ディズニーシー、開園。


 海の名を冠した、新しい夢の国。


 浦安に、もう一つの巨大な物語装置が開く。



 俺は紙面を見て、しばらく黙った。


 ディズニーシー。


 未来の俺は知っている。


 そこは単なる遊園地ではない。


 物語を歩かせる場所だ。


 海。


 港。


 火山。


 異国。


 冒険。


 ショー。


 匂い。


 音楽。


 食べ物。


 水面。


 建物。


 全部が、導線として設計されている。


 人を歩かせる。


 立ち止まらせる。


 見上げさせる。


 並ばせる。


 食べさせる。


 買わせる。


 記憶させる。


 帰宅後に語らせる。


 それは、巨大な体験編集だった。


「篠宮君」


 社長が言った。


「はい」


「顔が仕事だ」


「これは仕事です」


「東京ディズニーシーが?」


「体験導線の塊です」


「また始まったな」


 社長は面白そうに言った。


「説明してみろ」


 俺は新聞を机に置いた。


「書店は、棚で物語と出会わせる場所です」


「はい」


「映画館は、暗闇で物語に落とす場所です」


「はい」


「新しい海の夢の国は、歩きながら物語を浴びせる場所です」


「物語を浴びせる」


「はい。入口から帰り道まで、体験が連続している。どこを見るか、どこで食べるか、どこで写真を撮るか、どこで土産を買うか。全部が設計されています」


 社長は黙って聞いている。


「出版社は、書店に本を置けば終わりだと思いがちです」


「耳が痛いな」


「ですが、読者は本だけを買っているわけではありません。表紙を見る。帯を見る。棚を見る。POPを見る。友人と話す。映画を見る。祭りへ行く。携帯でメールする。書店袋を持って帰る」


 俺は言った。


「そこまで含めて、読者の体験です」


「君は、出版をテーマパークにしたいのか」


「違います」


 即答した。


「本は、歩けません」


「当然だ」


「だから、読者が歩く道に置く必要があります」


 社長の目が少し動いた。


「夏休みの映画館から書店。夏祭りの屋台からまるマの感想。横浜の書店で戻らなかった一冊。九月の新しい夢の国から、海と冒険と異世界への欲望」


 俺は新聞を見る。


「月の人魚姫。海。月。宇宙。今いる場所ではないどこかへ行きたい読者」


 社長は笑った。


「つなげるなあ」


「つながっています」


「強引では?」


「少し」


「認めるのか」


「はい」


 全部が綺麗につながるわけではない。


 だが、読者の生活の中では、意外なものがつながる。


 映画。


 祭り。


 新しいテーマパーク。


 文庫棚。


 携帯メール。


 プリクラ。


 夏休みの終わり。


 新学期。


 それらは、出版社の部門表には載っていない。


 だが、読者の中では同じ季節に存在する。


「篠宮君」


「はい」


「初動七日表に、体験導線も入れる気か」


「入れません」


 即答した。


 社長が少し驚いた顔をした。


「珍しいな」


「入れると現場が死にます」


「学んだな」


「殴られましたので」


 俺は新聞を閉じた。


「ただし、別紙で考えます」


「増えたな」


「別紙です」


「増えたな」


「……はい」


 社長は笑った。


     *


 午後。


 三浦が社長室に来た。


 顔が警戒している。


「篠宮さん」


「はい」


「また紙を作ろうとしてますね」


「なぜ分かる」


「顔です」


 最近、顔で読まれすぎる。


 顔面管理が破綻している。


「初動七日表には入れません」


「本当ですか」


「はい」


「では何ですか」


「読者導線メモです」


 三浦が天を仰いだ。


「増えた」


「メモです」


「紙です」


「一枚です」


「その言葉、信用できなくなってきました」


 正しい。


「三浦さん」


「はい」


「東京ディズニーシーが開園しました」


「知ってます。朝からニュースでやってます」


「行きますか」


「急に?」


「美咲さんは行きたがるでしょうか」


「それは航さんに聞いてください」


「航はたぶん行きたがります」


「篠宮さんは?」


「私は」


 少し考えた。


 東京ディズニーシー。


 海の夢の国。


 体験導線の塊。


 未来では知っている場所。


 だが、二〇〇一年の今は、開いたばかりの新しい場所。


 行けば、きっと仕事の顔になる。


 全部観測してしまう。


 入口。


 地図。


 ショップ。


 行列。


 土産袋。


 若い客。


 家族連れ。


 カップル。


 全部。


 だが、同時に。


 航と行ったらどうなるのか、少しだけ考えてしまった。


 それが、よくない。


 非常によくない。


「業務外なら」


 俺は言った。


「少し興味があります」


 三浦が笑った。


「今の、航さんに言った方がいいですよ」


「なぜ」


「たぶん喜ぶので」


「判断を保留します」


「便利ですね」


     *


 夜。


 部屋に帰ると、航からメールが来ていた。



 ニュース見た?

 ディズニーシー開園だって。

 美咲が行きたいって大騒ぎしてるけど、

 さっちゃんは興味ある?



 俺はしばらく画面を見つめた。


 興味。


 仕事としては、かなりある。


 体験導線として。


 巨大な物語装置として。


 海と冒険と異世界の入口として。


 だが、返信にそれを書くと、完全に仕事になる。


 俺は少し迷って、打った。



 業務外なら。実は、少し興味があります。 怜子


 

 送信。


 数秒。


 返ってきた。「早過ぎ」、そう呟く。



 じゃあ業務外で行こう。

 美咲も連れて。

 仕事の顔したらポップコーン没収。



 俺は思わず笑った。


 ポップコーン没収。


 意味が分からない。


 だが、効きそうだ。


 もう一通来た。


 あと、初七日って名前、怖いから変えなよ。


 なぜ知っている。


 社内用語が外に漏れている。


 たぶん俺が言った。


 疲れると口が軽い。


 俺は返信した。



 初動七日表です。

 初七日ではありません。 怜子



 航からもすぐ返信。



 でも初七日の方が覚えやすい。



 敵が増えた。


     *


 俺は机に座った。


 初動七日表の改訂版を開く。


 表裏一枚。


 少しだけ項目が増えた。


 少しだけ現実的になった。


 少しだけ重くなった。


 そして、少しだけ汚れていた。


 赤ペン。


 鉛筆。


 電話メモ。


 大町の聞き取り。


 佐伯の一行。


 川辺の日付。


 三浦の削除線。


 最初に作った綺麗な紙ではない。


 現場で傷がついた紙だった。


 紙の上には、作品の最初の七日間が入る。


 売れたか。


 足りたか。


 届いたか。


 見つかったか。


 続けられるか。


 無理に伸ばして壊さないか。


 そこに、作品の生死を決めるつもりはない。


 むしろ逆だ。


 生きているのに、死んだことにしないための紙。


 初七日。


 縁起が悪い。


 だが、少しだけ本質を突いている。


 俺はメモ帳を開いた。



 初動七日表、初日に改訂。

 現場は必ず紙を変える。

 変わらない紙は、使われない紙。


 七日で裁かない。

 七日で成仏させない。

 七日で詰まりを見つける。


 横浜。

 二巻は手に取られる。

 一巻がないので戻される。

 入口がなければ、読者は帰る。

 戻らなかった一冊を、忘れない。


 もう一行。


 海の夢の国、開園。

 物語は本の中だけではない。

 人を歩かせる物語がある。

 出版は、読者が歩く道を見なければならない。



 さらに、少し迷ってから書いた。



 業務外で行く。

 〜〜……たぶん。



 書いてから、顔が熱くなった。


 これは業務メモではない。


 だが、最近の俺のメモ帳は、もう業務だけではなくなっている。


 航。


 美咲。


 小早川。


 佐伯。


 三浦。


 社長。


 仕事。


 生活。


 改革。


 焼きそばソース。


 全部が同じ紙に乗り始めている。


 それでいいのかは分からない。


 だが、分けきれないものを無理に分けると、たぶん何かを見落とす。


 平成十三年、九月。


 初動七日表は、初日に憂鬱を生みながら、それでも運用を始めた。


 八月の棚では、一巻がないだけで帰りかけた読者がいた。


 夏を過ぎた浦安には、海の名を冠した新しい夢の国が開いた。


 紙の帝国の中で、俺は思う。


 物語は、棚に並ぶだけではない。


 映画館の暗闇にも落ちる。


 祭りの屋台にもにじむ。


 海の夢の国では、人を歩かせる。


 なら出版社は。


 本を置くだけで、届いたつもりになってはいけない。


 読者が歩く道を見ろ。


 作品が詰まる場所を見ろ。


 入口で帰りそうな一冊を見ろ。


 そして、七日で死んだことにするな。


 俺は初動七日表を閉じた。


 それは、もう綺麗な紙ではなかった。


 会議室で作った正しい紙でもなかった。


 書店の棚で傷がつき、営業の電話で折れ、編集の赤ペンで修正され、制作の現実で重くなった紙。


 ようやく、使われる紙になり始めていた。


 まだ、改革は端緒に差し掛かったばかりだった。

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