表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/20

20. 後悔と泥沼(ジョーヌ視点)


追いかけられていないことなど分かっているのに、一向に恐怖心がぬぐえない。


家へと向かう道を急ぎながら、私はぼそりと呟く。


「なんだったんだろう…」


優しくしてくれた不思議なお客さん。穏やかで落ち着いていて、一緒にいてとても居心地がいい人だった。


だから彼女がプレゼント選びに自分を頼ってくれたのは嬉しかったし、店を回っている間の時間は夢のように楽しかったのだ。


だけど…。


『では、捨てればいいんじゃないですの?』


なんでもないことのように、今の生活や家族を捨てればいいと言いきった彼女が怖かった。いつも通り、落ち着いた諭すような口調がひどく恐ろしかった。


改めて思い返せば、不思議なほど偶然が続いていたように思う。


花屋で出会い、それからレストラン、そして休日のショッピングモール。まるで私の居場所や行動範囲を知り尽くしているかのように、彼女はさりげなく私の日常に入り込んできた。


『私のことを何度か羨ましいと思ったでしょう? 劣等感を抱いたでしょう?』


心を読まれているのではないかと思うほど、察しのいい人だった。数時間前はそれを好意的に思えていたはずなのに、今は気味悪く感じてしまう。


「あの人は…何者なの…?」


そう呟くけれど、答えなど出てくるはずもない。


バイト先も家も、家族のことも知られた私とは反対に、私は彼女のことをほとんどなにも知らないのだから。



数日が経つと、私は少しずつ平静さを取り戻して、もしやあれは詐欺かなにかだったのだろうかと考えるようになった。


そうだと仮定すると、いつも怒らずに根気強く私の話を聞いてくれていたのにも説明がつくし、社会を知らない高校生を騙すことなど、きっと容易いことだろう。


どうして自分を狙ったのかは分からないが、あの日の会話にそれらしい理由づけができたことで、ようやく彼女に対する、よく分からない恐怖心を和らげることができた。


「…詐欺だったなら、ちゃんと断ればよかったな。逃げるのは傷つけちゃったかも」


たとえ相手が自分を騙すために近付いて来たのだとしても、優しくしてもらったのは事実だ。


家に呼んだのだって自分がそう駄々をこねたからだし、買い物の時だってテンションが上がって随分と親し気に振舞ってしまった気がする。


赤の他人相手にぐいぐいと距離を詰めて、心を許してしまったのは自分なのだ。自業自得とも言えるだろう。


もしちゃんと目を見て断れていれば。


「私はそんなつもりはありません」と線引きをして、他人同士の距離感のまま、それでも時折顔を合わせたら軽く世間話をする。そんな間柄になれていただろうか…。


「…って、ストップ! 詐欺ならこれ以上関わっちゃ駄目でしょ私!」


「割のいい仕事があるから一緒にやろうぜ☆」なんて怪しさ満点の勧誘をされてもなお、こんなことを考えてしまう自分に呆れてしまう。


まぁ、それほどまでに、彼女が魅力的だったということなのだろう。ミステリアスで、掴みどころがなくて、どこか危険な雰囲気もあって。


魔性の女というのは、きっと彼女のような人のことを言うのだろうなぁと思う。


私には縁遠い存在だ。だからもうこれ以上は関わらない。


よし、とそう心に決めて、バイトに向かうための支度を始める。


バイトの制服を引き出しから取り出し、財布と鍵と…と持ち物を違う鞄に入れ替えていると、スマホの着信音が鳴った。母からだ。


今は仕事中のはずなのにどうしたのだろうと不思議に思いながら電話に出れば、「薫!」と切羽詰まった声がマイク越しに聞こえてきた。


はるが倒れたってさっき連絡がきて!」


一瞬、なにを言われたのか理解が落ち着かなかった。


じわじわとその意味を理解して、目の前が真っ暗になったような気がした。



実感がわかなくて、まるで映画を見ているようだった。


真っ白な病院のベッドに寝かされた弟は、どれだけ呼びかけてもぴくりとも動かない。ただ死人のように眠り続けている。


「目立った外傷もなく、頭を強く打った形跡もありません。脳波も計測しましたが、特に異常は見つかりませんでした」


弟の体を調べ尽くした医者は、原因不明だと最終的に結論づけた。指や足先からどんどん自分の体が冷えていくのが分かる。


「最近、寝不足が続いている様子はありませんでしたか?」


医者が母に尋ねる。


なかった。今朝もいつも通り、元気そうだった。


私は心の中でそう答える。


「では、心理的ストレスなどを抱えた様子は?」


なかった。いつも通り、楽しそうに学校に向かっていた。


「なにか心当たりなどはございますか?」


そんなもの、なにもない。


仕事で忙しい両親に代わって弟たちの面倒を見ていたのは自分だった。だからなにか違和感があれば、私が真っ先に気がついたはずだ。


…だけど、ここ最近、晴たちを見るのを面倒に思っていた自覚はあった。


バイトも家事も手を抜いたつもりはないけれど、弟たちの勉強を見てあげたり、学校での出来事を聞いてあげたり、そういうことはあまりしていなかったかもしれない。


私のせいだ。ぎゅっと拳を強く握る。


ベッドに横たわった晴を見て、どっと後悔が押し寄せて、心臓がバクバクと嫌な音を立て始めた。


私がちゃんとしていなかったから。私が我が儘を言って、この子たちのことを見てあげられなかったから。私が、彼らのことをないがしろにしたから。


『貴方のせいではなくて、すべて周りの人間や環境のせい』


あの人の声が聞こえる。


違う、私のせいだ、と反論する。


『貴方が思い悩む必要などなに一つございません』


私のせい、なはずだ。


自分の心がぐらぐらと揺れ動いているのが分かった。


死にたくなるほどの自己嫌悪。そして、それから逃れるために「私は悪くない」と必死に弁明する浅ましい思考が頭の片隅にあった。


違う、私が悪いんだ。自分自身に言い聞かせる。


だけど、思考はぐらぐらと揺れる。


「…ねぇ、薫。薫から見て最近の晴はどうだった?」


医者に説明を受けていた母が、私の方を振り返ってそう尋ねてくる。


がしゃん、となにかが壊れた音がした。


「薫!」


気づいた時には、私は病室を逃げ出していた。


周りの人間のことなど気にもせず、病院の廊下を全速力で走る。


目の奥が熱くなって、喉がヒリヒリと痛んだ。視界が歪んで、世界がぼやける。自分が泣いているのだと理解した。


分かってる。母はきっとただ単純に、他者から見た弟の様子を知りたかっただけなのだろう。


自分は違和感を感じなかったけど、家族の他の人間から見たらどうだったのか知りたかっただけ。


でも、思ってしまったのだ。どうしてそれを私に聞くの?と。


私が晴たちの面倒を一番見ていたから? それだって…私の仕事じゃない!!


お母さんとお父さんの仕事でしょ?! いつも、いつも、いつもいつも! 我慢した! 必死にやった! なのになんで責められなきゃいけないの!!


頭がグルグルする。蓋をしていたはずの不平不満がどんどんあふれてくる。


『では、捨てればいいんじゃないですの?』


嫌いだ。お母さんも、お父さんも晴たちも。皆、みんな、大嫌い。


私のことなんて誰も気にしてないんだ。私の努力なんて気づかないんだ。


なら、なら…こっちだって…。


「きゃあっ!」


勢いよく曲がり角を曲がった瞬間に、ドンッと全身に衝撃が走る。


尻もちをついてうつ向けていた顔を上げれば、知らない制服を着た少女が、自分と同じように床に座り込んでいた。


ぶつかって驚いた衝撃でぽろりと涙がこぼれ、それを見た少女がぎょっとした顔をする。


「い、痛かったかしら?! ごめんなさい、私ったらちゃんと前を見ていなくて…!」


「いえ…こちらこそ、すみません…」


あわあわと慌てた様子で差し伸べられた手を握り、少し痛む足を動かして立ち上がる。


「本当にごめんなさい。痛いところはない?」


「…貴方こそ」


目の前の少女は骨折をしているのか、左手を三角巾で巻いて首から吊るしている。明らかにぶつかって平気じゃないのは彼女の方だ。


しかし、少女は明るく笑って「ああ、これ?」と右手で左腕を指さす。


「少しドジをしてしまって、階段から落ちてしまったの。骨は折れたみたいなんだけど、見た目ほどひどくはないのよ」


骨折なんだから結構な大怪我だろうに、「やってしまったわ」なんてお茶目に笑う彼女になんだか毒気が抜かれる。


「薫! どこに行ったの…!」


しかし、すぐ後ろから母の声がして体が強張った。


曲がり角だからこちらの姿はまだ見えていないみたいだけど、このままでは見つかるのは時間の問題だろう。


頭は冷えてきたけど、今はまだ会いたくはない。逃げないと…と思うのに、何故か体が思うように動かなった。


どうしよう、と焦りを覚えたその時。


「追われているの?」


「え?」


「こっち! 来て!」


パッと手を取られて引っ張られる。え、と前を向けば、少女が陽だまりのような明るい笑顔を浮かべていた。


「私、鬼ごっこ得意なの! 見つからないように一緒に逃げてあげるわ!」


そう言いながら走る彼女はキラキラしていて、繋がれた手はとても温かかった。一緒に走っていると鉛のように重かった体が軽くなっていく。


彼女と逃げながら、まるで泥沼から引っ張り出されたみたい、なんて変なことを私は思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ