八戒目「決戦」
透明の器に輝く白い妖精。その頂上は淡い赤で染め上げている。それがスプーンで削り取られ雪崩を引き起こす。そして妖精は黒い穴へ放り込まれ、熱を奪いながら消えていく。
その作業を何回繰り返したことか。いや、数えることすらできない。今は一心不乱に繰り返すことが大切だった。
なぜならそれが大食いだから。
「さぁ始まりました“男地上決戦”! 果たして両者はこの一時間にどんなドラマを見せてくれるのでしょうか!」
真乃の饒舌は大したものだ。明らかにナレーション慣れしているのがよくわかる。将来の夢は絶対にアナウンサーだろう。
それにしても、普段食べれば美味しいかき氷をこんなに早く食べてしまうのは勿体無い気がする。味なんかわかったものではない。口に残るのは冷たさと氷の食感だけだ。
「さて、今回のかき氷勝負はどこがポイントになりますかね? 奈多弓さん! 前橋さん!」
「うーん、ワイはシロップ思うんやけど……。それぞれ成分がちゃうと思うし、何より好みのものチョイスしたらえぇんとちゃうかな?」
今は手元が忙しいので真乃たちの行動は見れない。ただ、聞いてるしかなかった。
それにしてもめちゃめちゃ分析してるな……。ちなみに俺はイチゴにしてもらった。
……シャリシャリ。
「私もそう思います」
……これはとおちゃんの声なのか? 工事現場の親方からIT企業のエリート社員になるくらい変わっている。わかりづらいか。
……シャクシャク。
「ですが、今回のキーポイントは“我慢”かと思います」
「と言いますと?」
「一つ目に冷たさです。かき氷は無情にもチャレンジャーの体温を奪い続けます。それによって食べる気も失せてきますし、何より体力を消耗してしまいます。これは持久走と喩えても過言ではありません。」
持久走か……。俺はあまり得意な方ではない。でもちょっと無理矢理すぎないか? まぁ、理屈は合ってるかもしれないが。
……ムシャムシャ。
「二つ目に尿意です。これは私の予想ですが、氷を食べているとはいえ元は水です。つまり水分を絶えず摂取しているのです。さらに一時間という長丁場。トイレにチカい人なら駆け込みたくなります」
な、なんだと! それはまるっきり俺に当てはまる事じゃないか!
「なるほど! では、両者がそれで苦しむ可能性は……」
「十分ありますね」
オォオォォォォ……!
間違いない。本場のコメンテーターだ!
それは置いといて、確かに理論上ありそうな状況だ。その考えに当てはめると、シロップはチョイスミスかもしれない。シロップだって一応は液体。少なからず水分を取ることになる。
そしてとおちゃん、いや前橋コメンテーターが言うように、尿意を早く来すのなら控えた方がいい。
一旦速度を落とす。そして貴重な体力を少し使い、隣を観察すると……、
シロップが全くかかってない!
なっ、なにぃ!
するとおじさんは目で睨んでくる。その目にはある意思表示が込められている気がした。
ふっ、今頃気づいたか青二才め!
マズい。今ので体力を余計に使ってしまった。
……それにしても生のかき氷は絶対美味しくないな……きっと。だが、さすがにディフェンディングチャンピオンなだけのことはある。勝利に対して執念を感じる。だが……!
俺は睨み返す。
俺はこのままのスタイルでいかせてもらう!
と表したつもり。でもちゃんと伝わったようだ。
な、なんだと!
おじさんはスプーンの速度を失ったどころかそれ自体を落としてしまった。そしてすぐに拾い上げる。かなり驚いているのがわかる。
俺は再び食べることに集中する。
「おぉっとチャンピオン! 手が滑ってスプーンを落としてしまいましたが、奈多弓さん、あれは……?」
「おそらく重圧や……。見たところ二人は“会話”ができとる。それでチャレンジャーは“あれ”を見たんや……」
今、多分棗さんはチャンピオンのかき氷に指差していると思う。
俺は構わず頬張り続ける。
「あれは……? あぁっと! チャンピオン、シロップをかけてません!」
「そうや! シロップも液体。チャレンジャーはそれが尿意に繋がることを察したんや……。ところが……」
今度は俺か。それでも食べ続ける姿勢は崩さない。
「あぁっと、チャレンジャー! シロップを無視するがの如く貪っているぅぅ!」
「まさか、そこら辺の気障な高校生あろう者が大食い歴何十年の大ベテランにハンデをつけるわけあらへん! しかし、逆にそこを突かれたなら誰だって動揺は隠せへん……」
オオォォォォォ!
「なっ、何ということでしょうか! 私たち素人にはただひたすら食べているようにしか見えないのに、裏では火花の散る激戦をしていたとは! さすがは“男”です!
さぁ、残り三十四分! まだまだ続きます!」
まだそんなに残っているのか……。恐ろしく時間の経過が遅い。
もうかなり食べた。白と赤の妖精はいくら減らしても新しく復活する。いや、もう妖精でなくて妖怪になりかけている。ないはずの顔が浮かび上がり、俺を嘲笑っているように見える。
体中の感覚という感覚が鈍りすぎていて何をしているのかよくわからなくなってきた。舌と歯は冷えすぎて何も感じない。ただ動いているだけだ。もはや暑い寒いの世界ではなくなっていた。
しかしそれでも、
食う、
喰う、
食う!
喰う!
「ふぅ……! ふぅ……! ふぅ……!」
テーブルに積み上げられた俺のオブジェがガタガタ揺れる。それと連動して頭の中の警鐘が鳴り響く。まるでハンマーで殴られたようだ。……痛い! スプーンが止まりそうだ!
その時何かが倒れた音がする。隣から聞こえた。一旦ストップして見てみると……、
「ぐぅ……! ふぅ……!」
チャンピオンが肘をついてもがき苦しんでいる。体が痙攣するように震え、スプーンが器と細かく衝突する。間違いない。これは……、
チャンスだ。
「うがぁぁぁぁ!」
残りは二十分切った。差を付けるならここしかない!
「あぁーっと! チャレンジャー、スピードを上げましたぁぁ!」
ワアァアアァァァァァ!
一心不乱に白い妖怪たちを流し込む。妖怪たちが堕ちながら悲鳴を上げているように聞こえる。食べ終えた器がさらにオブジェを積み上げていく。それはまさしく血と汗といろいろの結晶だろう。
まだまだいける。スプーンが我が体の一部のように感じる。羅漢の如き動きは我ながらすごいと思う。頭は以前にも増してひどく響く。
「……ふぅ?」
いきなり体中に駆け巡る電流。その電流は俺の体の痺れだった。うっ、動かない……!
ちょうどお代わりして復活した妖怪たち。その山頂に垂直に突き刺さった勝利という名のスプーン。頭はひどい。意識が朦朧としている。雪山に遭難してさらに貧血になった気分だ。
「おっと、チャレンジャーのスプーンが止まりました!」
「マズいですね。あと十二分も残っていますよ」
「ふむっ、勝負をかけるのがちと早かったの! まずいぞい!」
確かに、相当体に応えた。だがチャンピオンとは引き離せたはず。その証拠に……。
「おらあぁぁぁぁぁぁ!」
ワアァァアァァァァ!
「あぁぁっとぉ! チャンピオンがギアを入れてきましたぁぁぁ!」
チャンピオンは文字通り、口に流し込んでいた。しかもかき氷はかなり溶けて、ほとんど原型を留めていない。……まさか……!
まだまだ甘いんだよ青二才! ちょっと弱みを見せただけでこれとはな! でもその純粋さは悪くねぇ!
あれは芝居だったのか……!
チャンピオンが液体と個体の混ざった妖精たちを食べ尽くす。その所業、千手観音の如し。俺も対抗しなくては……!
だが俺の手は動いてくれなかった。
全身を凍らす寒さと今更こみ上げてくる尿意が手を動かすことを許さない。トイレに行っておけばよかった。
「あぁぁっとチャレンジャー! 完全に止まってしまいましたぁぁ! 残り八分、このまま逆転になってしまうのでしょうかぁぁ!」
もう誰もが諦めているのだろうか? あんな若僧がチャンピオンに勝てるわけはないと。俺は負ける……? まける? マケル?
……でも私、欲しいんですよ……
「!」
不意に浮かんだ記憶。それはあの時のものだった。彼女があんなに欲しそうな表情を見たのは初めてだった。
もしかして素直に頼むのが恥ずかしくて……?
もういいや……。契約がどうのこうのなんかどうでもいい。俺は真乃に……!
「ぐがぁぁぁぁ……!」
動いてくれ! 俺の右手よ! そして奮い立たせるんだ! 総ての意識を、神経を奮い立たせるんだぁぁ!
「あ、あぁぁぁっと! なんということでしょう! 完全停止していたチャレンジャーがスプーンを抜き取り、ゆっくり食べ始めましたぁぁぁ!」
ワァアァァァァァァァ!
ばっばかな! やつは完全に堕ちたハズでは……!
チャンピオンが目で話をしてくる。でもそんな余裕はこれっぽっちもなかった。
意識はゆらゆらと揺らぎ、手元は痙攣する。でもしっかりとゆっくりと口に運んでいく。唯一脳裏に浮かぶあれがどうにか保たせているのだ。
しかし、それ以外にも何かが……。
「がんばれぇぇぇ!」
「そうだ! 諦めるなぁぁ!」
「まだいけるわよぉぉ!」
むっつっみ! むっつっみ! むっつっみ! むっつっみ!
場内エール……?
「あぁあぁっと! 場内を通り越し、場外まで轟く陸奥実コールゥゥゥ!」
こんなのは初体験だった。それのおかげでまた……頑張れます!
「まだ加速していきます! チャレンジャーの、いや、陸奥実 流が極限状態に追い込まれても支えるモノは何なのでしょうか! プライドか! 至福の勝利か! 私たちには理解できません!」
「何という潜在力やぁ……! ワイにもわからへん!」
「要は精神論なんですよ。何事も諦めず挫けず貪欲に求めれば、自ずと答は出てくるのです」
「ラストスパートじゃあぁぁぁ! 二人とも気張らんかぁあぁぁい!」
観客がカウントダウンを大合唱する。
ラスト十秒。そしてそれは死闘に終止符を打つカウントダウンだ。
八秒。長かった。一時間をこんなに長く思うことはない。
六秒。最初はやけになっていたが、こんなに充実感溢れる一日はない。
三秒。これで。
二秒。もう。
一秒。終わりだ。
ビビィイィィィィィ!
「しゅうりょおぉぉぉぉぉ!」
ワアァアァァァァァァァ!
鈍いブザー音を一瞬にして掻き消す大歓声。その瞬間、オブジェが係りの女の子の手によって運ばれていった。やっと死闘は終わりを告げたのだと改めて悟った。
「短いようで長かったこの一時間! まずは両雄に大きな拍手をお願いします!」
ウワァアァァアアァァァァァ!
拍手というよりも地鳴りだ。地面をも揺るがすほどだ。しかしマイクの甲高い音により一瞬にして消え去った。
「では、集計は少しかかりますので一旦休憩に入ります。トイレに行く方は近くの公共トイレや民家のトイレをお借りしてください」
その瞬間、先陣を切って駆けだしていったのが二人いた。
「……ふっ。青二才が、いや、久々に本気を出させてもらったよ、チャレンジャー」
「えっ、まぁ……、あはは……」
俺らは俺ら専門のトイレにいた。既に係員から場所は事前に聞いてある。本当に二つしかなかった。
そして今、肩を並べているということである。ちなみに俺らの目的の説明はしないでおく。お食事中の方は申し訳ありません。
「なぁ、チャレンジャー。一つだけ聞きたいことがある」
「……何ですか?」
こういうやり取りは意外に嫌いじゃなかったりする。
「なぜラストはあんなに飛ばせたんだ?」
俺は手を洗いに行く。チャンピオンもそれに付いて来た。ここの水道は手を入れると水が出てくるオート式だった。
意外にシミ一つ無いほどきれい。
「俺はただ……」
「それでは集計が終わりましたので、皆さんお戻りください。繰り返します……」
放送によって阻まれてしまった。チャンピオンは俺を見ると優しく微笑みかけ、トイレから立ち去った。
俺も顔に水をかけて、さっぱりしてから出ていった。
ステージは静かだった。いや、その表現では生易しい。セミ一匹鳴いていない、物音一つない無音という表現の方が合っている。その静けさは自分の心臓の鼓動さえも耳に入ってしまうほどだ。
そんな全くの静寂な中、ステージ中央にスタンドマイクがポツンと立っている。そこへ実況席から市長さんが歩いてきた。
小さなメモ用紙を開く。
「それでは結果発表です。市長さん、お願いします」
それを切欠に辺りは暗闇に閉ざされた。周りは夜の光のみだ。
なんかこういうのは体育祭を思い出させてくれる。今はそれに近い心境だ。尤も、ここまでは大袈裟ではないが。
「では、発表します……。“男地上決戦”勝者は……!」
市長さんの言葉が夜空に伝わっていく。波が流れていくように。
かき氷の頭痛も全く同じだった。押し寄せては引いていく痛みがする。チャンピオンも同様だろう。
そしてやっと息を吸い込む音がマイクで拡大された。
「陸奥実 流! 勝者、陸奥実りゅうぅうぅぅ!」
…………
俺が……勝った、のか? チャンピオンに……勝ったのか?
ワァァアァアァァァァァ! ピューピューィィン! アァアァァァ!
信じられない。こんな高校生ごときがチャンピオンに勝てるなんて……。溢れんばかりの達成感と充実感と嬉しさと苦しさ何かとか、いろいろごちゃ混ぜになっていた。
もうわからなかった。でも嬉しい。すごく嬉しい!
辺りはさらに拍手喝采の雨にさらされた。
「逆転に次ぐ逆転! 彼らは僅か一時間に熱いドラマを演じてくれました……。勇気、根性、希望、愛……、それらを私たちの胸の奥に刻み込んでくれました……! 私は言いたい! 彼らを……最高の“男”だと!」
ワァアァアァァァァァァ!
再び沸き起こった。
そしてすぐに、肩に何かが当たった。それは意志を持っている衝撃だった。
「完敗だよ、チャレンジャー……。いや、新チャンピオン! 俺の負けだ」
そこには屈託ない笑顔で笑いかけてくれるチャンピオンだった。ちょっと涙腺が緩くなった。
「ち、チャンピオン……!」
ゆっくりと右手を差し伸べる。俺はそのゴツくて肉厚で、とてつもなく熱い手を握った。それによって観客たちはさらにヒートアップした。
おそらく、この握手は未来永劫忘れない熱い思い出となるだろう。
「今、前チャンピオンと新チャンピオンが熱い手を交わします! そし……ここで……んと……」
あら……?
ちょっと体のバランスがおかしい。いや、それだけではない。景色がグニャリと曲がりくねり、色が失われていく。しかも砂嵐のような耳鳴りまでする。立っているのも苦しくなってきた。
「チャン…………ルトの贈……す! 贈……は前橋コ……テーターと奈多弓こめんてー……」
ついに意識までも失っていく。そしてある境目を達した瞬間から、
「っあ……」
なぜか記憶がない。




