七戒目「余暇」
「あのぉ〜、すみません……」
「……はい、何でしょう?」
俺がいるのは病院だ。
先日、東條から学校に連絡があった。なんでも、陸奥実が通り魔に遭ったとか。全く、あれほど事件に巻き込まれるなと口をとがらせたのに……。でも、大事で何よりだ。
「あの、陸奥実 流って子が入院されてると伺ったんですが……。私はその子の担任の岡本という者です」
「あっ、そうですか……。ですが、陸奥実さんは今日の午前に退院されましたよ」
「そうなんですか。いやぁ、よかったです。無事に退院できて。」
そうか。既に退院してたのか。そういえば東條にそれを教えてもらうのを忘れていた。我ながら、駄目だな。
俺は受け付けの人に一言かけて病院を出て行った。
自動ドアが開いた瞬間、熱風が体を焼き付ける。中はクーラー、外は直射日光。この一歩でガラリと環境が入れ替わる。最後、クーラーを堪能してから欲を断ち切った。
「仕方ない。本人に直接会うか」
黒塗りされた車の鍵を外し、乗り込んだ。中は外より暑い。すぐにエンジンをかけ、クーラーをつける。
「マンションだったな……」
アクセルを思いっきり踏んで加速していった。
「陸奥実、そっちはいいか!」
「大丈夫だよ」
全く、病み上がりの人間を労働させるとは。
体中から悲鳴があがっていた。つまりは筋肉痛。当然だ。二週間も入院して、いきなりブルーシートとその他荷物を運ばされればそうなる。
でも、嫌々やっているわけではない。
セミやら鈴虫やらが共に歌い、気分を改めて夏に染める。そして顎に伝う汗がその歌と混じり合い、爽快な心地にさせてくれた。
そんな中、夜空に一筋の光が駆け上がっていき、
満開の花を咲かせた。
そう。今は花火大会なのだ!
以前、鬼ごっこをしたあの土手で開催される花火大会。しかもかなり有名で遠くの都道府県からも見に来るほどのものである。ちなみに昨年は雨で中止だった。だから実質、俺は初めてなのだ。
「よし、杭打つぞ!」
そして俺らはそのポジション取り。花火をよりいい角度で見たいのだ。そしてとおちゃんが厳選してくれたのが、この土手の斜面だったのだ。ここは丁度真っ正面で見れるし、屋台も近くで使い勝手がいい。さすがは自称“場所取り名人”。
「それにしても遅いな」
現在は八月十五日、七時二十九分だ。花火大会開催まであと三十分近くしかない。ちなみに、今の花火は三十分前の花火らしい。アバウトな時報だし、なんとも贅沢な。
「全くだ! と言いたいところだが、女子には女子なりにいろいろ忙しいんだよ」
「いろいろって?」
「いろいろだ!」
よくわからないが、とおちゃんが言うからそうなのだろう。俺は目の前の仕事を始めた。
しかし、とおちゃんは何をそわそわしているのだろう?
その時、後ろから分厚い木の板を転がす音がした。それは下駄であることは容易に理解できた。そして二人して振り返ってみる。
「お待たせしました!」
「すまんなぁ! 待ちくたびれてしもぅたか?」
そこには棗さんと真乃が並んでいた。ここは斜面なので、見下ろしている。
いや、それよりもびっくりなのが容姿だった。
「おぉ……!」
「……すごいな」
二人とも浴衣姿だった。真乃は空のような色と栗色の髪が見事にマッチしている。トゲがなく実に可愛らしい。
それと対照的に棗さんは藍色だった。もともと大人っぽい綺麗さが相乗効果でさらに醸し出す。
俺らは釘付けにされたのだった。
「なっ、なぁ……、そんなに見られたら、恥ずかしいやんか……!」
「いやいや、めちゃくちゃいいから恥ずかしがるなよ」
そしてとおちゃんはどこから持ってきたのか、三段重ねのブロックに足を乗せた。
「これぞ夏の風物詩! 画竜点睛! 花火、かき氷、浴衣姿の美女がいりゃあ、この前橋 透気は南極にいても熱くなるぜぇ!」
二人は声を揃えて合わせてやった。……二人は優しい。
俺はあえてツッコミはしない。いや、ツッコむと巻き込まれそうで怖い。いや、軽くヒイていた。
とりあえず、とおちゃんの作戦通り食料を調達しにいく。本人はここでお留守番だ。曰わく、花火の最中に買いに行くのは初心者のする事らしい。さすがは自称“ミスターファイヤーワーク”。
屋台はあの橋にまるで商店街のように並んでいた。ここはもう車両禁止区域なので道路を突っ切っても大丈夫だ。
「きゃっ!」
「あぁ、すまない」
「ぐぉっ!」
「すみませーん!」
ものすごい人だ。場所という場所に詰めて歩くスペースがほとんどない。つまり接触は避けられない。
人をかき分けながら進んでいくと、屋台が見えた。そこには赤い文字で“かき氷”と書かれている。
「おい真乃、棗さん! 聞こえるか! あったぞ!」
「……ん……聞こえ……」
「大事やで!」
人の様々な声が入り混じり、ノイズと化している。距離的に真乃はかなり遠くに、棗さんは……隣にいた。棗さん、真乃と一緒じゃ……?
ちょっと真乃が心配になってきた。いくら悪戯小僧でも女の子だ。
「真乃! 真乃!」
「…………」
返事がない。もしかして……、しまった……!
俺としたことが、なんで気付かなかった! 下手したら誘拐されることだってあるんだ!
「棗さん、今のうちに並んでいてくれ! 真乃を捜してくる!」
「わかった! まかしときぃ!」
棗さんはその姿からは想像できない俊敏さであっという間に屋台に着いた。俺も早くしよう。
「真乃! どこだ!」
ひたすら呼んだ。両手で人をどかしながら。ひたすら見渡した。真乃の顔を浮かべながら。ひたすら走った。汗を流しながら。
しかし見つからない。
「真乃! まのぉぉぉ!」
「私は、ここにいますよ」
いきなり腕に伝わる柔らかい温もり。
「……えっ……!」
その時俺らだけ、いや、俺だけ時間が止まった。
周りの人は平然と歩いていく。子連れの親は笑い合いながら、カップルは一緒に綿飴を食べながら。
でも、その時だけその感触以外に接触がなかった。
それはさらにちょっとだけ強くなる。
「私は、ここにいます……」
「ま、真乃……!」
腕に腕が絡み合い、寄せる。栗色の髪がゆらゆらと舞っていた。
とりあえず、空いている左でわしゃわしゃと頭を撫でてやった。
「……俺から離れるなよ」
「……はい」
俺らは目的地へ歩いていった。
途中、また離れそうになったので絡められた右腕をさらに寄せる。真乃は小さい。俺の肩くらいしかなかった。その肩にコツコツと当たる。
ふとして目が合った。真乃は優しく微笑んだ。
心臓は破裂寸前だった。聞こえてるかもしれないほど。それを言おうとした時、真乃が足を止めた。俺も止める。
「流さん」
「ど、どうした?」
唇が震える。
「も、もう、だ、大丈夫ですから……、その……」
「?」
腕に伝わる一定した振動。かなり微動だが確かに感じれる。そしてそれは真乃が言う度に速度を速めていく。頭が熱すぎてぼやけた脳でもその正体は分かった。
「駄目だ。また離れるとまずいだろう?」
「で、でも、あぁ、あのですね! あの……」
自分からやっておいて意外と……?
久々に俺の悪戯心に火がついた。
「ほら、あそこだ。行くぞ」
「う、うわぁ! 流さん!」
もう抱きついてるとしか言いようがないほど引き寄せる。絡まれていた腕を無理やりひっぺはがし、肩を抱えてやる。ちょっとやりすぎかもしれない。
真乃はちょっとだけ俺の服を掴み、寄りかかる。まるで子猫のように俺の体にうずくまっていた。
あと少しだ。棗さんも手を振ってこちらを確認している。
「むっちゃぁぁぁん!」
「棗さん、悪い! 少々手間取ったよ!」
そしてやっとこかき氷屋に帰還できた。
「どこにいたん?」
「あぁ、あそこらへんでウロウロしてたよ」
と言っても、指差したところは人がうめつくされているところだった。まさか、真乃の方から俺を見つけたとは口が裂けても言えない。
「んで、その抱えてる荷物はなんや?」
そういえば忘れてた。これはちょっとまずい。巧い理由を頭の中で検索する。
「これは真乃の足取りがよくなかったからだよ。肩を貸そうにも身長差あるし……」
これなら大丈夫だろう。案の定、棗さんが追求することはなかった。しかし、俺を見る目がちょっと違うような……。
とりあえず、真乃を解放した。真乃は本当に足元が不安だった。
「むっちゃん、まさかあんた、手ぇ出しとらんよな?」
「え?」
それはつまり……。
「だから、真乃やんと」
「言うな言うなぁ! 大きい声で言うなよ!」
まさかそっちにいくとは……。それはそれでまずい。いや、まずすぎる。しかしあの緊張の余韻が続いていて、いい案が浮かばない。仕方ない……。
俺は真乃の両肩をつかみ、耳元で囁く。もうこれしかない。
「真乃、俺の身の潔白を証明してくれ……! お前にしかできないんだ……!」
そう、本人の口から語らせるしかない。俺のオーバーヒートした脳がなんとか出した答だった。
しかし、真乃は逆に俺の両肩をつかみ返した。そして真乃の口から身を凍らせる一言が出てきた。
「手数料取りますよ……」
この瞬間、真乃の策略の全てが分かった。つまり、ここでミッション終了。
「真乃、お前……!」
俺の体から湧き出るように汗が滲む。そしてまた心臓が速くなっていく。しかし、今回は何の気持ちも湧いてこない。俺はずっと掌の上で踊らされてきたのだから。
「大丈夫ですよ。潔白はきちんと証明します。手数料は……、そうですねぇ……」
別の意味で時が止まった。
「大分遅くなった」
車であちこち行ってたらこんな時間になってしまった。車のステレオがたった今、七時五十二分を表示した。
マンションの近くの細い路地に車を停めた。
「……そういえば今日花火大会だったなぁ」
花火大会。去年はできなかったから、今年こそっと思ったんだが……。
とりあえず陸奥実に一言かける程度にしよう。
車から降りて鍵をかける。道は薄暗かった。街灯がポツリポツリと周辺を照らすだけでその間には光がない。とりあえず進もう。
このT字路を左に曲がれば門にありつけるはずだ。しかし、分岐点までが遠かった。遠すぎた。足も重い。クーラーに当たりすぎたか。
「そこのあんた」
「……はい?」
途中の道の脇にうずくまっている男が声をかけた。顔は暗くてよく見えないが、声からして中年くらいだろう。
男は独り言を言いながら立ち上がる。よく聞こえない。しかし、なぜこんなところにいるんだ?
「あんた、歳いくつだ?」
なんかこの男はマズい気がする。なんというか不気味だ。しかもどんどん近付いてくる。
ここは素直に言うしかない。
「……五十三ですが」
「……そうか。呼び止めて悪かったな」
男は素っ気なく脇にしゃがみこんだ。一体何なんだ?
俺はできるだけ男の気にふれずに立ち去った。つもりなのだが、足が動かない。振り返ってみると、
「!」
「あは、あはあははは……」
男がいた。いや、それだけじゃない。
腹に違和感が……。
そう思った瞬間、そこから体中に電気が駆け巡った。そして口に何かを貼られ……息ができない!
「んぅんんんんぅぅぅぅ!」
電気は激痛に変わり全身の自由を奪い去った。そのままうつ伏せて倒れ込む。
痛い! 痛い! しかしどうなっている!
腹からは水が流れてくるような感覚がする。それと同時に何かも出てくる。それを理解してしまった時には叫びまくった。
男はなぜか俺のもがきを黙って見ている。
「んぐぅぅぅぅぅあぁぁぁぁぁ!」
「悪いなぁ……! あと十秒待ってくれよぅ……。五分間見ないと駄目だからな」
もはや何だかわからない。激痛と恐怖でパニック状態だった。ただ男が何かを振り上げたのは目に入った。
止めろ! 止めてくれぇぇぇぇぇ!
「よし! じゃあショータイムだぁ!」
「むがあぁぁぁあぁあぁぁぁ!」
「あっははははっはあはあはははっあぁぁっははははははぁ!」
ザクッザク、ブシュッガキィメシャァ! ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ……!
「みんなぁ! エンジョイしてますかぁぁ!」
イェアァァァァァァ!
「さぁ、間もなく始まります! 合い言葉はぁ!」
男に二言はねぇぇぇぇぇ!
すごいよ真乃。お前に限界はないよ。降参だ。もうどうにでもしてくれ。
もうセミの合唱も聞こえない。聞こえるのはマイクと人の大歓声だけだった。
俺は今、橋を降りた広大な河原にいる。そこは俺らが取ったポジションとは反対、つまり橋を乗り越えて奥の方にいるのである。
しかもそれだけではない。
いつの間に建てたのか、鉄パイプで組み立てられた特設会場があった。
ついでに現在位置を詳しく説明すると、その特設会場の席に座っている。少し離れた隣にはかき氷屋のおじさんが腕を組んで座っていた。
頭上には神々しく輝く看板。そこには“男地上決戦”とライトで描かれている。
「レディースアーンドジェントルメン! お待たせしました! “男地上決戦”!」
ワァアァァァアァァァァ!
観客たちは特設会場の周りをうめつくしている。一度火が噴けば、地鳴りと化して俺らを襲うのだ。ただし、しっかりと金網が張られているのでその点は大丈夫。
しかし、なんでこんなにたくさん集まっているんだ? 花火大会はどうした?
「実況は私、東條 真乃がお送りします! そしてこちらは私の友人兼コメンテーターである前橋 透気と奈多弓 棗です!」
ワアァアァァァァァァァ!
特設会場の隣にある小さなテントに実況席が設置されている。そこにいつの間にか棗さんととおちゃんがいた。
「そしてスペシャルコメンテーターはなんと市長さんです!」
ウォォォオォォ……!
初めて見るが、実に市長っぽい。ライトを跳ね返す頭、のほほんとした表情。何気に赤いハイビスカスのポロシャツが似合っている。
というか、どういうコネで呼んだんだ?
「それでは市長さんに“男地上決戦”について伺います! いやぁ、市長さん、わざわざ来てくれてありがとうございます!」
「いやはや、どうせ家で寝てるくらいだから逆に感謝したいくらいだよ」
マジですか? かなり爆弾発言してないですか?
「ありがとうございました! それでは本題に参りましょう! 今回の勝負は、“大食い”対決です! そして料理は……!」
俺らの隣には綺麗に立方体にカットされた氷が置かれた。浴衣姿の女の子たちがそれを専用の機械で細かく砕いていく。それは器に盛られた。
これはまさか……。
「かき氷だあぁぁぁぁぁっ!」
ワァアァアァァァァァ!
あの取引をしたがためになってしまった悲劇。でも仕方がなかった。
「流さんが大食い大会で優勝してくれれば、潔白を証明してあげます」
「……お前、その優勝賞品狙ってるだろ?」
「……バレましたか。でも私、欲しいんですよ……」
要するに、契約は優勝ではなく賞品だ。それの条件が優勝だから根本的にはさして変わらない。
しかし、大食いといったらかなりシビアな分野だ。
「大丈夫ですよ。ルールは絶対サシですから」
真乃曰く、年に三回のこの大食い大会は通称“男地上決戦”とも呼ばれ、数々の名勝負を繰り広げたとか。勝負は絶対に一対一、勝ち抜き戦らしい。
「そして、今のディフェンディングチャンピオンはあのかき氷屋のおじさんなんですよ」
「なるほど、つまりジャンルはかき氷か」
……やるしかない。自分の未来を守るために。やるしかない。自分の潔白を証明するために。
とりあえず、今だけは誤解は解いてもらった。もし負けるようなことがあれば……だが。
「流さん、これだけは勘違いしないで下さい」
「……なんだ?」
真乃は紅潮して俺を解放した。そういえばずっと肩をつかまれているのとつかんでいるのを忘れていた。俺も離す。
「あの時の温もりと私の鼓動は嘘じゃありませんから……。流さんのも……嘘じゃありませんよね……?」
「えっ……?」
「……尚、シロップは何でもOK! 飲み物、辛いものは全て禁止です!」
俺はまさかここまで壮大になるとは思わなかった。だってテレビ生中継までされているのだから。レポーターが何人も観客席から押し寄せ、テレビカメラが俺らを映す。
もうどうにでもなってやる!
「それでは準備が整ったところで、レディー、ゴォォォォ!」
俺らは同時に武器を片手にかじりついた。




