九戒目「映像」
「おはよう、陸奥実さん。また、入院ですね」
かなり年上の女の看護士さんに偶然会った。自販機の前で。ちなみに、“看護婦”さんとは呼ばず、誰にでも“看護士”さんと呼ぶのが一般的になってきている。
「またお世話になります……」
俺はある種の有名人になっていた。昨日の件のおかげなのか、せいなのか。あれはどうやら相当インパクトがあったようだ。ただし、その代償がこの有り様だが。
でも、あと一週間くらいで忘れるだろう。
俺は看護士さんと別れた後、飲み物を買って戻っていく。
この病院、今思うと相当広い。まぁ、ほとんどの科が所属しているものだから、必然的に場所も大きくなる。だが地元の人さえ迷う病院だ。ここに来て約一年の俺では迷路だ。自分の部屋の位置だけ覚えるのできつい。
「さすがにもうあれは勘弁してほしいな」
歩きながらボヤいてみる。確かにあんなことを毎年やってたら身が保たない。その度に入院して迷路に……いや、それはないかもしれない。
「忘れてたよ……」
俺はとても嫌な事を思い出してしまった。やはりあれのインパクトは強い。
とりあえず久しぶりに思考をそちらに傾ける。
「あれは一体何が目的だ……?」
まずはそこからだろう。
行動には理由が付き物だ。理性的でも感情的でもとりあえず理由になる。そうでなければ本能で動く動物と変わらないのだ。つまり、当然“手紙”にもある……ハズだ。
いや、そもそもこれは誰が送ってきたんだ? ゆう……は絶対ないから人間としか考えられない。
話を戻そう。
「明らかに俺にさせたいようだな」
そうでなければあんなイカレた方法は出してこない。
そして、俺に殺させて何がしたい? いや、俺だけでなく同様な連中も含めて。ガラス張りの待合室で俺たちを嘲笑いたいのか? それとも別の……?
「おっ」
遂に着いてしまった。以前もお世話になった0626号室。ちなみに部屋の数が六百二十六個あるわけではない。左二桁が科の番号で、三桁目が階数、四桁目が部屋である。部屋に関しては二桁になることもあるので、全部で五桁だ。まさしく学校の生徒番号と同じシステムである。
俺はその部屋におそるおそる入った。
「……退院日数、わずか一日」
おそらく、ギネスに申請できるほどの早さだろう。
相変わらずクーラーが風を吹き出しながら部屋を冷やす。そのせいで窓のカーテンが少しだけ揺れていた。真っ白な部屋に差し込む光がそのカーテンにより、一緒に揺れている。
「……ふぅ」
しっかりと洗ってあるシーツ。ベッドに静かに寝転んだ。その前に某炭酸飲料をベッドの脇の丸椅子に置く。時計は一時半を大きくずらしている。
午前中、目が覚めたらいきなりここだった。そして、あの医者がいた。名前は神地さん……だったような気がする。
四日。それが言い渡された病院滞在日数だった。
「さて……」
ついさっき買ってきたジュースを手に取る。容器の周りに僅かに水滴が張り付いている。開ける前にそれを指で拭き取ると、水滴が指に溜まり玉を作った。容器の方は太い線が描かれている。ちょっぴり冷たかった。
やっとキャップを開ける気分になった。しかし、指が摘んだ時、軽快な響きが部屋を走る。それは俺の思考を遮断するようなノック音だった。
「……どうぞ」
名残惜しむように元の位置に戻した。早くしないと炭酸が……。
ゆっくりとドアが開く。すると、意外な人物がそこにいた。
「流さん……」
「……!」
真乃だった。一瞬、美浦さんかと思ったり。
真乃は普段と不似合いに暗い。何か嫌なことでもあったのだろうか?
「どうした? そんな暗くなって」
暗いというよりも落ち込んでいるとも、申し訳なさそうとも取れる。
とりあえずさっきのやつを別のところに置いて、真乃に椅子を差し出した。今回はちょっと動いても大丈夫だ。そして俺はベッドに足を垂らして座る。
真乃は同時に背もたれのない四つ足の椅子にちょこんと座った。そしてすぐに頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「? 何がだ?」
一体何に対しての謝罪だ?
「流さんが病み上がりして間もないのに、あんな無理をさせてしまって……」
そういうことか。
ちょっと意外。真乃が体の事に気にかけてくれるなんて。やはり、そこらへんは女の子なのだろうか。
さすがに悪戯心は湧かなかった。
「気にするな。いつものこと……えっ?」
真乃が俯く。……?
「……ぅ、……ぁぅっ、ぅぅっ……、ぇっ、ぅ……」
泣いてるのか……? それとも嘘泣き……?
「……ぅ、ごめん、なさい……! ごめんっなさい……」
本気泣きだった……。雫がポロポロと落ちているのがわかる。
どうしたものか。まさかこんなに泣くとは思わなかった。その雫と時々漏れる嗚咽が俺の罪悪感を引き立てる。こんなに……。
ちょっと展開が早い気がするが、仕方がない。
「……全く、世話のやけるやつだな」
「えっ……?」
俺はその雫を漉くってやった。そしてニッコリと笑った……つもり。多分上手く笑えていない。
真乃はびっくりして遠退いてしまった。確かにいきなりやれば、誰だって驚く。
「だから、気にするなって言ったろう? それに俺自身が楽しんでたんだから、誰が真乃を責めるんだ?」
ちょっと腹は壊したが、あの時に比べたらなんてことはない。
それを切欠に真乃は茹で蛸のように火照った。どうやら泣くことより他のことに気持ちが傾いたに違いない。
ピタッと止んだ。
「……流さん……、あの……」
「はい、話終わり。それで何の用だ? まさかそれが用か?」
「えっ? あ、あぁ…」
もう鬱陶しいので無理やり話を進める。こんなのを続けたら一日が終わってしまう。……鼻がかゆい。
真乃は頭をくしゃくしゃにして唸っている。消化不良なのか。でも、さっと髪を整えて深呼吸する。
「私としたことが、入り乱れてしまいましたね」
「まぁ、いいよ。で、話を戻すぞ。何か用か?」
「はい、実は聞きたいことがあるんです……」
真乃はやっと元に戻ったようだ。今度は大丈夫だろう。
しかし、それから少し間が空いた。とても言いにくいことなのだろうか? その間は変な空気だった。空気に動きを感じないというか、流れが止まったというか。
真乃の目つきが険しくなった。
「その眼、コンタクトしてますか?」
「……? あぁ、してる。それがどうした? そんな大したことじゃないだろう?」
真乃が立ち上がって俺の前に立ちはだかる。顔が少し高くなった。
茶色の瞳は真っ直ぐ俺を見下ろしている。いや、俺の眼をただ見つめている。
「それは、…………ですか?」
「……? 何だって?」
よく聞こえない。まるで自分に言い聞かせているようだった。
焦らさないではっきり……。
「……それは、カラーですか?」
「……えっ……?」
何を言って……?
「もしかして、カラーコンタクトって知りませんか?」
いや、知っているどころか今している。ちなみに、俺のこれはかなり特殊な素材でできていて、十日間くらいなら付けっぱなしでも大丈夫なのだ。もちろん特注です。高かったです。じゃなくて、問題はそこではない。
なぜ真乃がそれを知っている?
俺は自分の家では寝るとき以外でも常備しているし、人前では尚更だ。そして二週間くらい入院した時だって、医者には“コンタクトを付けている”としか伝えていない。付け換える時も男子トイレの個室で、携帯を鏡代わりにしてやった。つまり、秘密の漏洩はない……と思う。
とりあえず落ち着こう。今ここで狼狽したら、それこそ“Yes”になってしまう。
「……なんでそう思う?」
返答によってもそれが答になってしまうかもしれないので、神経を使う。
「あれれ……? 流さん、こちらが質問しているのですが……?」
この手には乗らないか。
どうする? この秘密は知られてはいけない。気味悪がられるのは百も承知だし、何よりも自分だって気味が悪い。赤が強い茶色なんてまるで吸血鬼じゃないか。
冗談はさておき。もう最終手段だ。それは、
「いいや。そんな大層なものじゃない」
嘘をつくこと。
「そうですか……、そうですか……」
「……あぁ。悪かったな。ご期待に応えられなくて……。……?」
真乃は俺を無視するかのように、延々と呟いている。今日はとことんおかしい。
その時、頭の中でいきなり何かが響き渡った。それは危険を報せる警報だった。つまり、何かがやばいということだ。ということは真乃が……?
とりあえず、様子を見て……。
そう思った矢先、真乃は俺を押し倒した。あまりに唐突で、何が起こったかを理解するのに数秒かかった。しかしいざ行動に移そうとするが、動かなかった。いや、動かせなかった。
「ま、真乃……!」
「……」
そう。真乃が馬乗りしていたからだった。両膝で腕を巧く押さえつけている。
ま、まだ心の準備が……、じゃなくて!
真乃の顔が急接近した。顔と顔の隙間は十センチなかった。それによって肥大化する瞳が驚きを隠せない顔を映しだしている。
「流さんにも知られたくない事ってありますか……?」
「ちょっと待て、痛い! 真乃、落ち着けよ……! どうしたんだ!」
肩にかかる強烈な圧力。真乃が肩を掴んでいる。これは女の子の力じゃない。アームレスリング級だ!
「ふふふ……。流さんってクールな反面、かなりお茶目で可愛いですね……」
何のホメコトバにもなっていない。なぜなら、不気味に微笑んでいるからである。まるでこれから起こることを楽しむかのように、そして哀れむかのように……。
そして気がつくと、強烈な痛みがなくなっていた。だが、両手にはそれぞれ銀色を持っていた。
ちょっと待て! それは話にならないぞ!
「何する気だ! 早まるな!」
もう叫ぶかのように呼びかける。そして助けを呼んだ。だが、誰かいる気配が全くない。
「流さん。我慢できません……。あなたを壊していいですか……?」
「くぅ……! 離してくれ!」
その想いは届かなかった。それどころか二つの輪っかを腕と共に、ベッドの柵にひっかける。つまり両手は完全に動かない。乱暴に動かすと鉄同士が擦れるが、同時に手首まで傷つけてしまった。
「あなたを壊してあげます。そして私もあなたと一緒に壊れます」
「ばっ、馬鹿! 早まるなよ! 落ち着け! や、やめ……止めろおぉおぉぉぉ!」
両手で銀色に光るそれを握り締め、ゆっくりと……、
あの古傷に……。
…………
「うわぁあぁあぁぁぁぁ!」
「きゃぁっ!」
はぁっ、はぁっ……、はぁっ……、はぁっ……。
肩が重い。腕が痛い。脇腹が軋む……。
ここは……? って真乃!
反射的に真乃と距離を置いた。長すぎる栗色の髪を床に散らし、尻餅をついている。どこからどう見ても頬を殴っても、やはり真乃だった。
「流さん、いくらなんでもヒドすぎますよ! 人を突き飛ばしておいて……!」
とりあえず、謝りながら手を貸した。軽い圧力が手に掛かる。
「夢……だったのか……?」
「あっ、そういえば相当唸っていましたよ。もしかして、怖い夢でも?」
いろんな意味で怖かった。だって目の前のやつが……。
でも、この調子はいつもの真乃だ。ということはあれはやはり夢……? 少々リアル過ぎるが、あれは夢であったと確証づけることにする。
「ふぅ……。ところで、いつぐらいから寝ていた?」
「えっと、私が来たのは二時十分くらいですけど、その時からはずっと寝てましたよ」
今の時間は二時三十二分十五秒を切ったところだ。ここに来たときは一時四十七分だったから、時間的なズレはない。
俺はホッと胸を撫で下ろすのだった。
「そうだ。今日、真乃は一人なのか?」
と思いきや。
「はい、実は聞きたいことがあるんです……」
その一言で俺は凍り付いた。いや、まさか……? でも……。とりあえず話を進めてみよう。あの夢と同じように。
「その眼、コンタクトしてますか?」
「……あ、あぁ、してる。それが……どうした?」
真乃が立ち上がって俺の前に立ちはだかる。顔が少し高くなった。
茶色の瞳は真っ直ぐ俺を見下ろしている。いや、俺の眼をただ見つめている。
ここまで全く同じだと逆に気持ちが悪いな……。
「それは、…………ですか?」
「……? 何だって?」
ここまで同じなのか。誰かが見ていたら手抜きだと思われてしまいそうだ。
だから頼む。あれを聞かないでくれ……!
「……それは、カラーですか?」
……同じ。同じだ。まるでビデオを巻き戻し、再生したかのようだ。しかし、なぜかインパクトが弱い気もする。あっさりとしていた。
それは大きく違うことが一つあるからだった。そう、この“結末”を知っていることだ。だから、俺の知っている“結末”と違うことをすればいいのだ。
すなわち……、
「……よく気づいたな。判ったのは真乃が初めてだよ……」
嘘をつかなければいい。秘密を打ち明けることになるが、命に比べれば……。
「本当ですか! ちょっと嬉しいですねぇ!」
この通り、全く違うシナリオ。
真乃は俺の偽物の瞳をじっと見つめる。
「あの、ついでのお願いなんですけど、それを外して見せてくれませんか……?」
そこまで?
でも、そこまでする必要はない……。
真乃が俺に熱烈な視線を送っている。それを避けるだけで精一杯だった。そしてついに根負けする俺であった。
本当に閲覧料を取りたいくらいだ。いや、もう貰っているか。
「……わかったよ。じゃあ、声かけるまで後ろ向いててくれ。……恥ずかしいから」
「はい!」
真乃は素早く背を向けてくれた。なんと素直な女の子なんでしょう。
俺は仕方なく外すことに。コンタクトは専用の容器に入れ、近くの椅子の上に置いておいた。
「いいぞ。あまりじろじろ見ないでくれ」
「はいっ!」
真乃は素早く振り向いた。そして本当にじろじろ見ずに、一直線に瞳をのぞき込んでいた。それはそれで恥ずかしいものだ。
果たしてどんな想いで見ているのだろうか? 異端の眼? 好奇の眼? どちらにせよ、口外してほしくなかった。
「すごいです……」
「真乃、近すぎだよ……あっ……」
なぜか分からないが後ろに倒れてしまった。押されて……はいない。
そして真乃の顔が急接近した。顔と顔の隙間は十センチなかった。それによって肥大化する瞳が驚きを隠せない顔を映しだしている。つまり、同じ……?
「綺麗です……、流さん」
「あっ……!」
古傷から痛みがすると思ったら、真乃がそこを掴んでいた。包帯を巻いてあるし傷口は塞がっているが、チクチク痛む。それによって汗が滲み出てくる。
「真乃、痛い! 止めて!」
「……!」
我に返ったように離れてくれた。
俺は一瞬、また殺されるのではと心配した。いや、怖かった。
真乃がそこを優しい手つきで撫でてくれる。……ちょっとだけ痛みが和らいだ気がした。
「すみません。私、スイッチ入っちゃうとイジメたくなっちゃうんです……。流さんの眼が綺麗だから……」
それは別に構わな……くはないが、俺に責任転嫁したよな? しかも天性の……。これから気をつけておかないと何されるかわからない。
真乃の意外な性格。そして俺がバラしてしまった秘密。不釣り合いだけど、おあいこだろう。
「あ、流さんまた眼が……! イジメていいですか?」
「却下。速やかに退去しなさい」
ところで、あの夢は一体なんだったんだろう?
そんな大切な事を真乃との会話で薄れていった。そしてこれが幸か不幸か今はわからなかった。




