十戒目「擬態」
「はぁ……。全く、かなり人使いの荒いこと」
堅い椅子に座りながら一人グチる。生憎、隣には友人がいるのでグチっても大丈夫だ。だが、一番楽かと思われたデスクワークが苦痛に感じてしまうとは。肩は凝る、目は疲れる、腰が痛むと三拍子が揃ってしまったのだ。
少し厳つい友人は苦笑いした。
「全くだな。人使いが荒いことで有名だから仕方ない」
「でも、あの人は能力は飛び抜けているし、人望が厚いよ。だから俺らはあの人の下でやりたいんだ」
さて、刑事の話は終わりにして仕事に戻ろう。ノートパソコンの横で湯気を上らせるコップを手に取り、すする。昼は眠くなるのでブラックにしている。
俺はキーボードを打っていった。
[報告書
八月十五日に事件が発生した模様。詳細は下記する。
一、中年男性(身元不明)が―――――マンションの近辺の裏道で死亡。
二、中年男性は……]
[八月十五日、五十歳くらいの中年男性が路上で死亡した。男性は―――マンションの裏通りに車を停め、徒歩で行くところを刺殺された。その裏通りは灯りが少なく、かつ人通りがほとんどない。そのせいか犯人は未だに解明せず……]
「…………ふぅ」
思わなかった。つい二日前に殺人事件、それもうちの近くで起こっていようとは。だが、不幸中の幸いか当時俺はかき氷を食べていた。
いくら関係ない事件だとしても、近辺では気持ちが悪い。しかも手口が恐ろしく似ている。これが同一犯なのかどうかははっきり判る。
「……ふぅ……」
それにしても、もう院内生活も飽きた。
あの二週間のうちの九日目までは我慢できた。けどさすがに、中庭だけの散歩は辛いものだ。それ以外、無論外出も禁止。結局今しているようにベッドでゴロゴロするか散歩するかのどちらかだけなのである。
でもなぜか今頃になって気付いたのは不思議だ。
「今日は真乃たちは来ないようだしな……」
現在は八月十八日、一時四十三分。真乃が来たのは一昨日で昨日は適当に一日中談笑。疲れてしまってテレビや新聞も見る気にならなかった。そしてたった今、新聞を読んだわけである。
「……そして事件が起こったとなると……」
そのタイミングでノック音がした。
俺はベッドからゆっくりと降りてスリッパを履く。そして音のする方へ向かった。
腹を壊したせいか、あの古傷まで痛む。もうかき氷は食べないようにしよう。
ドアのノブに手をかけ引っ張った。
「どちら様ですか……」
「どーも」
なんかどこかで見たことあるような、ないような……。
とりあえず見間違いと判断して、ドアを閉め直す。
「待って待って! なんで閉めるんだい! 開けてくれよ!」
「…………あっ」
五分の二くらい思い出した。
ちょっと土色っぽいコートにテンガロンハットっぽい帽子、それらにパイプ煙草をくわえてるイメージのある職業の方だ。いや、別に実際に着ているわけではない。普通のYシャツに藍色のスーツズボンだ。
もう一度開けてみる。
「やぁ、こんにちは陸奥実君」
「……すみません、やっぱりどちら様ですか?」
「えっ? いや、ちょっとヒドいなぁ!」
だからあくまでもイメージだけだ。こんなに若々しくてクチの軽そうな人がイメージ通りのわけがない。それに高校生と見間違えられそうだ。いや、厳密にはあった。
なぜか前髪だけ四方八方に跳ねていてあとは真っ直ぐの真っ黒で、力が有り余ってそうな弱々しい顔つき。だがそれらをカバーする背の高さ。180センチは余裕で越えている。
「冗談ですよ、虹さん」
「あはは……。冗談でよかったよ」
彼は新戸 虹さん。うちのクラスメートの兄で刑事をやっている。あるひょんなきっかけで知り合ったのだが、思い出したくもない。
それにしても不思議なものだ。こんな平社員みたいな雰囲気を出しているのに、刑事とは……。人を見かけで判断するなということか。
「今日は弟さんはいないんですか?」
「あっあぁ。今日の事は話してないよ……」
その弟が実に少し気が合わないやつだから、ちょっとホッとする。でも、“話してない”とはどういうことだ?
そこは聞き流さずに突っ込んでみる。まぁ、おそらくは……。
「話してないとはどういうことですか?」
虹さんは手提げの革鞄からバインダーとシャーペンを取り出した。予想的中。
「見舞いついでにコレさ」
「もともとはソレついでの見舞いですよね」
「またまたぁ。まぁ、とりあえず、立ち話もなんだから座ろうか」
それは俺の台詞なんだが……。
虹さんに例の椅子を差し出した後にベッドに座り込んだ。なんだか上目線で申し訳ない気がするが仕方ないだろう。本人も気にしてないようだ。
虹さんは流れるようにペンを動かしていく。余程の欄があるのだろうか。
「さて、いくつか質問してくけど、それに該当するなら“ハイ”、しないなら“イイエ”、あまり言いたくないことなら“シュワッチ!” って答えてね」
「……悪いですけど、“シュワッチ!” は“イエナイ”に変えて答えますよ」
なんでそこでヒーローのかけ声なのかがわからない。
それにしても、虹さんの質問形式は変わっている。普通なら具体的に質問して、それに対して回答者が具体的に答える。だが、これは具体的な質問は出題者のみ。回答者はイエスかノーで答えればいいのだ。だが逆に言えば、完全に割り切らなければならない。それに、虹さんは聞き込みの専門家らしく、大抵の嘘は見破れるという。
「じゃあ早速ね……、“ここ最近、異変を感じる”」
「……うーん……」
なんとも微妙だ。異変が起きているといえば起きているが確信が持てない。しかし、嘘は絶対にいけないのが暗黙の了解だ。
「……“ハイ”」
「うんうん、なるほど。では、“その異変を具体的に理解できる”?」
「“ハイ”」
「ふんふん……」
いつもは弱々しい虹さんも、仕事になればそれなりに逞しく見える。一応警官だから。ちなみに虹さんは柔道は黒帯、剣道は免許皆伝らしい。
それから、結構な量を受け答えしていく。“アイスクリームとかき氷どちらが好きか”と全く関係なさそうなものから、“当時は自宅にいたか”など、一番始めに聞くべきことまで消化していった。
「ラスト二つだから頑張ってね」
「はい」
少し疲れたかもしれない。
虹さんは間を空けて言った。
「……“二週間前くらいの入院は後ろから刺された左脇腹の傷のせいだ”」
「……!」
なんでそんなことまで知っているんだ……? いや、それは驚く点ではない。他の看護士に話を聞けばわかる。
正直“イエナイ”と答えたいが、それだと結果的に答は同じだ。
「“ハイ”……」
「そうか……。痛かっただろう?」
「はい。あんな痛みは初めてで……ぅ」
あれを思い出したら少し気持ちが悪い。頭も痛くなってきた。吐き気まで……。まずい、頭にまがまがしく映ってきている。
そっと頭をさする感触がする。
「大事かい? ごめん。思い出させちゃったね……」
申し訳なさそうに言った。仕方がないんだ、仕事なんだから。
俺は倒れかかった体を左腕でなんとか支える。急に体が重りにつけられたようになって、重い。
「ぃや……、平気で、す……。ラスト、お願いします……」
「……いや、止めておくよ。とりあえず今は無理しないで横になってよ」
虹さんの鍛え抜かれた両手が俺を包み、ゆっくりと下ろす。ある意味強制的だった。でもその腕は俺を不思議な気分にさせる。
「今日の仕事はこれでおしまい。ご苦労様」
「あ、あの……、あと一つは……?」
「あぁ、これは陸奥実君の体に悪いからしないでおくよ」
それが一体何なんだ? 無性に気になる。
虹さんはニッコリ笑ったあと、鞄から某メーカーのペットボトルの清涼飲料水をくれた。まだ気分の優れない俺としては最高にいいものだった。虹さんも喉を枯らしていたようで、喇叭飲みしている。
「ふはぁ! ……やっぱりこれだよね! 社会人にジュースは辛いよ」
「虹さんも歳ですね……。ジュースはもう受け付けないんですか?」
「うーん。どうもダメになったようで……ってこれでもまだ二十六だぞ!」
全く、俺より十も上なのにイジられるとは……。まぁ、この人の人柄が幼いからでもあるが。どっかの誰かさんとは大違いだ。
とりあえず久しぶりに会ったので、体調を取り戻しながらいろいろと話した。友達の兄と仲良くしているやつも珍しいかもしれない。そして二人だけの時間というのもいいものであると実感したのだった。
一体どれくらい話しただろうか。
虹さんの話は意外に面白いから、時間の進みがあっという間だ。それを思いながら外を見ると藍に染まりかけていた。
「……そろそろ行くよ」
「あっ、はい……」
ついさっきまで陽気に語っていた虹さんもそれに気づき、支度を始める。俺は虹さんの使った椅子を無理せず片付けた。その間は終始無言だった。
「虹さん」
「? なんだい?」
支度が済んだ直後に呼び止める。鞄を片手にかけて振り向いた。
「その、ですね……」
口から出ようとする言葉が喉の奥に引っかかり、巧く出ない。いや、噛み締めて出させない。それとは裏腹に手が震える。
「どうしたの?」
心配そうに窺う虹さん。でも、今の俺は素直になれなかった。いや、なりたくなかった。
「なんでもないです。今日はありがとうございました。弟さんにも宜しく伝えてください」
「あ、あぁ、伝えておくよ。それじゃ、さよなら」
やはり素直になることは今の歳では難しすぎる。
俺は廊下へと向かう背中をじっと見ていた。あの頃の懐かしい記憶を思い浮かべながら。そして、それらが一瞬にして儚く散ってしまう虚しさを噛み締めながら。
「疲れたなぁ……。でもこれで、陸奥実君はシロだな」
今の会話、表情、反射的行動、どれを観察しても常人の反応だった。ある一部を除いて。
そもそも、陸奥実君が人を殺すわけがない。彼は人の命の重さを十分知っている。しかも……。
とりあえず、シロでよかった。
「虹にぃ!」
廊下の奥の方の待合い席にいた。自分の弟の瑠璃人だ。
「なんでここにいるんだい? 陸奥実君のお見舞いかい?」
瑠璃人はにっこり笑う。
瑠璃人は自分と違って少し大人っぽい。さらりとした黒髪にシャープな顔つき、メガネの奥の瞳はほとんど黒に近い茶色で埋め尽くされている。背はそんなでもないがこんな冷めた優等生っぽい青年が自分の弟とは思えない。でも、根はとてもいいやつなんだ。強情だけど。
「いえ、虹にぃのお迎えです。帰りましょう?」
「あぁ。ありがとうな、瑠璃」
瑠璃人の頭を撫でてやる。信じられないほど髪が抵抗なくすり抜けていく。瑠璃人はそれがたまらなく好きらしい。
自分らは廊下を歩き出した。途中、何人かの一般人とすれ違う。その度に軽い会釈と挨拶を交わすのだった。
それのしばらく後に瑠璃人が手を引っ張った。
「そういえば、陸奥実君はどうなのですか? シロなのですか?」
瑠璃人は陸奥実君にかなり興味を抱いている。彼と同じクラスになった時かららしい。その証拠に“どこに興味があるんだ?” と聞いてみたら、“全部!” と即答されてしまった。
「大丈夫だ。彼は完全にシロだよ」
「……そう」
「?」
意外な反応。残念そうにも見えた。
そしてそれからも沈黙が始まった。しかし、自分らが階段に差し掛かった時に瑠璃人がひとりごちた。
「陸奥……がク……かったなら、そ……タ……て僕の……チャにしようと思ったのに……」
「……えっ?」
「あぁ、いや、なんでもないです。……あはは……」
瑠璃人は勢いよく二段飛ばしで階段を降りていった。自分もそれにならって降りていった。途中、足が滑って頭を打ちそうになったのは言うまでもない。




