五戒目「病院」
「……父さん! 母さん! 兄さん! 姉さん! 何してんだよ……、起きろよ!」
四つのベッドにそれぞれ白い布がかけられている。
最悪だった。大切なものを一気に四人も失ってしまうことの苦しさ、そしてぽっかりと空いた空虚感。
逃げたかった。これから孤独になるだろう世界から。
「うわぁぁあぁぁぁぁ!」
「……ぁぁ……?」
夢? 夢だったか……。
「あっ、つつ……!」
脇腹から全身にかけめぐる電気的な激痛。それのせいで朦朧とする意識を叩き起こされた。
冴えてきた。
とにかく白が目立つ部屋、厭に体を冷やさないほどのクーラー。そして腹には包帯、体中に変なチューブやら線がくっついていた。隣で一定的に響く電子音は虚しさを強調する。
ここは病院らしい。
そして次第に思い出してきた。いきなり通り魔に遭ったことを。
ふと目が合った。
「今、何時何分何曜日、地球が何回回った時だ?」
「ふぇ……? ええ、えっと……」
かなりしどろもどろしている。ちょっと可愛かった。
「今は七月三十日、十一時四十二分、地球が何回か回った時です」
「……本当か? ちょっと最後は怪しいが、まぁいいか」
ちなみに俺もわからない。
涙目になりながら伸びる真乃。それと一緒に欠伸もした。そして目をこする。
「寝てないのか?」
「いえ、これから寝ますよ」
「……寝るな寝るな」
全く、相変わらずだ。
でも今からということは、それまでは寝てなかったのか?
俺が言おうとした時、真乃の人差し指が押さえつけた。
「気にしないで下さいね」
「!」
鼓動がその時強く打った。そしてそれを切欠にみるみる顔が熱くなっていく。でもそれと裏腹に当初を思い出していた。
本当にいくら感謝してもし足りない。
「あれ、流さん、紅くなってませんか?」
「えっ? あっ、いや、その……」
マズい。このままでは真乃が“いじりモード”に入ってしまう。
俺は頭を冷やし、瞬時に脱出路を作り出す。
「そ、そういえば、棗さんととおちゃんは……?」
「……っ……あっ、二人ですか? 今飲み物を買いに行かせ……行ってくれてます」
なぜ今、言い直したんだ? しかも密かに舌打ちもしたよな?
でも二人はいやな気分で買い物はしていないと思う。なぜかと言われても答えられないが。
「もう大丈夫だ。大分良くなってきたよ」
「あっ、そうですか。じゃあ帰りますね」
「……」
真乃は素っ気なく立ち上がると帰る支度を済ませる。そして一礼すると、ドアノブに手をかけた。
待て待て。なぜそうなる?
俺は精一杯振り絞って一言言うしかなかった。
「すみません。やっぱり大丈夫じゃないです。居て下さい。」
「……仕方ないですねぇ。全く流さんは柄になく寂しがり屋さんなんですね!」
あぁ、そうさ。流さんは寂しがり屋なんですよ……。ちくしょおぉ……。
そもそもこいつはお見舞いに来たんだよな? 患者をむやみやたらにけなしに来てるだけじゃないか? そう思うと胃に穴が……!
その時、ブシュッ! と何かが弾ける音がした。しかも痛い。
「いかん、傷が……!」
「すみませぇ〜ん! 誰か来てくださぁ〜い!」
「……ぅっ……」
なんだこのベタな展開は。いや、冗談抜きでやばくなってきた。意識が……遠退いて……いく……。
「……ふぅ、死ぬかと思った」
とっさにナースコールをかけたおかげで一命は取り留めた。危なかった。向こうに花畑が……。きっとそこが生死の境界線だったんだ。人生二度目の流血沙汰だ。新聞の見出しに[興奮しすぎて死亡]なんて書かれた日には表を歩けない。いや、天国か。
真乃は今、本気で謝っている。こんな感じに。
「すみません! 調子に乗りすぎました! 本当にすみません!」
実に危なかったが、まぁいいだろう。面白いものも今見れたし。
「いや気にするなよ。死にはしなかったし」
「そうですか。じゃあ止めます。……それでですね……」
全くこの娘は、なんて素直なんだろうか……。実に腹が立ってくるよ。
だが真乃は一変して少し険しい表情を見せた。真剣な話をするのは容易に想像できた。
「どうして刺されたんですか?」
「? なんでそんなこと聞くんだ?」
「あっ、別に気になっただけですよ」
「……そうだな、うーん……」
嫌な事だが考えてみよう。
どう考えても俺は面識がない。しかも恨みを買うような事もしてないしされていない。いや、もしかしたら、相手には何かあるのかもしれない。例えば、亡くなった親に対しての恨みを息子で晴らすとか……。いや、それならばただの通り魔の方がまだ納得はいく。
やはりただの凶行だろうか……。
ふとして俺の頭の中に何かがよぎった。それは気を失う前に微かに聞こえたワードだ。
「確か、“三人”って言ってたような……」
「“三人”ですか……。まるで選ばれてるようですね」
ということは、俺は何かに選ばれたわけだ。とても笑い話にならない。
「選ばれる……か。“三人”……“選ばれる”……はっ!」
「何か心当たりがあるんですか?」
「…………喉乾いた……」
「そういえば遅いですね。一体どうしたのでしょう?」
俺はその後、適当に相づちを打っていった。
それにしても危なかった。とっさに話題を転換できてよかった。
ちょっと整理してみよう。俺を刺した犯人は女性だった。しかも恐ろしく興奮状態で異常だ。
そして捨て台詞の“三人”と真乃が言った“選ばれる”。おそらく前者の意味は状況から判断して、“あと三人”か“三人目”のどちらかだろう。いや、この際どちらでも意味合いはほぼ同じだ。
なぜなら犯人は“手紙を持ってる可能性がある”ということなのだから。
つまり、犯人は死から免れる為に俺を襲ったということだ。
となると……。
「……さん……流さん!」
「なっ! なんだよ……!」
いきなりはびっくりするからやめてほしい。
「話、聞いてましたか?」
…………聞いていない。急に頭が混乱してきた。
「聞いてないならいいです」
「……いや、もう一度言ってくれ」
「もういいですよ。大したことじゃありませんし……。それより!」
近くにあるスタンダードな丸いちゃぶ台を思いっ切り叩いた。その衝撃でお茶碗やらコップやらが揺れる。……どこから持ってきた?
「何か食べましょう!」
「……はい?」
思考が完全に停止する。
「だから、ラーメンでも餃子でも、チャーハンでも食べましょうよ!」
待て待て。なんで全部中華系なんだ? 確かに食べたいけど。
「俺は一応怪我人だぞ。出掛けるのは無理がある。だから……」
「じゃあ出前取ります!」
どんだけ食べたいんだよ……。
そんな事を思っている俺をよそに、真乃は携帯を開いていた。病院は携帯禁止だぞ!
しかもチラシなどを持っていない。ということは、電話帳に入れてるのか? 恐るべし、東條 真乃。
「醤油と餃子それぞれ五つで餃子は大きめに……」
微かだが内容が聞こえてしまった。おそらく“醤油ラーメンと餃子がそれぞれ五つ”だろう。しかも餃子のサイズにケチつけるとはつくづく恐るべし、東條 真乃。さらに、とおちゃんと棗さんにもおごるなんて。
いや、それよりも……。
「あと一セットは誰が食べるんだ? 他にも誰かいるのか?」
「いえ、私が二セット食べるんです」
「……最近ボケが多すぎだ。ツッコむ側のことも考えてくれ」
「いや、流さんと漫才してるわけではありませんから……」
なぜか真乃は顔を紅くした。何か変なこと言ったか?
そしてそのタイミングで何かが轟く。肝心なのは“響く”ではなく、“轟く”だ。
そう。病院の廊下を走り抜ける騒音だ。そういうのは体育館でやってくれ。
全く最近の若者は……。
「おらぁ! 買ってきたぜぇ!」
「あっ! 陸奥実君、起きとるで!」
全く、この若者が……! 少しはマナーを守ってほしい。目の前にいるヤツも含めて。
まぁ、絶対この二人だとは思ったが。なんでこんなにプアマナーなんだ?
そう思ってると今度は看護士さんたちがドアから睨みつけている。すみません。こいつらはただ極度に空気が読めないだけなんです。
二人は俺の苦労さを全く気にせず立ちはだかった。ちょっと無理して体を起こす。
「無理せんでえぇよ! そのまま寝とき!」
「いや、大丈夫だ。それより……」
とおちゃんが抱えているダンボール箱は何なんだ? 大きく“水”と書かれている。
「とりあえず、ジュースはキツいだろ? だから水だ」
「いや、そうじゃなくて……」
なんで一本じゃなくてダンボール箱なんだ?
あぁ、ツッコミは疲れる。
「えっとやな。たまたまスーパーまで行っとったら、なんと“特売”やったんやぁ! そこら辺のやつよりマシやろ?」
「……確かに」
そこは学生兼“主婦”としては大いに納得だ。棗さんは一人暮らしはできるだろう。ちなみに特売は来週までだそうだ。
「……すみませーん。出前の者ですが!」
「来ましたねぇ! 代金は既に払ってあります。いただきましょう!」
みんな一斉にラーメンを頬張った。戦闘準備早すぎ。
俺も一口……美味い。
「ではこれで」
「はい。ありがとうございました」
新米そうな出前の人は静かに出て行った。
「……ふぅ」
やっとゆったりできる時間になった。なんか疲れた。と思いきやそこへ、白衣を着た男の医者がノックして入ってきた。
「陸奥実君だね?」
「はい」
真乃たちはできるだけ目立たなくして見ていた。
医者は服を脱がせ、半裸状態にする。
「まさに運が良かった。あと数センチずれていたら、君の肝臓は片方失っていたよ」
「……本当ですね。でも、かなり痛いです」
医者の前では無理は言わない。無理をして死んでいくパターンがよくあるのを知っていたからだ。
医者は少し笑うと、頭を撫でてくれた。
「全治二週間くらいだね。命に別状はないから安心しなさい。但し、無理な行動、我慢、あと食事は控えるように」
医者は真乃を見ながら言った。真乃は舌を出している。ある意味、俺を襲った犯人だな。
「では、これで」
「あ、ありがとうございました!」
今度はにっこり笑うと、音を立てないように扉を開けて出て行った。
この時代にあんなに感じのいい医者は果たしているだろうか。未経験なのに平気でメスを握ったり、投与する薬を間違えたりするやつもいる時代だ。
だが今の頭を撫でてもらった感触。あれからは温かい何かを感じた。そしてどこか懐かしい感じがしたのは気のせいだろうか。
クーラーは相変わらず一定温度を保って冷やしている。




