四戒目「唐突」
七月二十九日、十二時十五分。
結局、五日間も図書館にこもりつづけ宿題を終わらせた。ただし、俺は終わっていない。真乃と棗さんに教えっきりで自分のには手をつけられなかったのだ。
「休みかぁ……」
今思えば初めての夏休みだ。家族のいない夏休み。一週間くらいなら堪えられるが、1ヶ月以上はきついかもしれない。バイトとか趣味とかで時間を潰すしかない。
でも夏休みは終わってほしくない。休みたいからというのも一理あるが、そんなのよりも大きい理由があった。
[あなたは死にます。]
手紙だ。
本当に死ぬかどうかはもちろん分かりはしない。分かったときは即ち死んでいる。無性に腹が立ってくる。何が狙いだ?
一体何なんだ、こいつは!
信じなければそれで終わりだし、異変もない。けど何かが引っかかるのだ。奥歯に骨が突っかかって取れない感じ。
最早ベッドで唸るしかない。
ピンポーン!
非常に不愉快だ。実際に味わってみないとこの苛つきはわからないだろう。
ピンポーン!
さっきから何だ? この音は。
ピンポーン!
誰かが呼んでいる。
この時間帯では何も用はない。だから訪ねられることはないはずなのだが……。
ピピピピピピピピピピピピピピンピピピピピピピピピピンピピピンポーン!
ベルが壊れるし速すぎだ! 明らかにゲームのし過ぎの傾向ありだ。
……わかった。今の連射で全てがわかった。
その途端、何かが噴き出す鈍い音がした。ガスバーナーに近い。そしてガタンとものうるさく響いた。
「騒々しいな。何かあったのか?」
ベッドから起き上がって玄関に向かう。途中の居間で明らかな異変が起きていた。
「……二つ質問がある」
目の前の物体は首を傾げる。
「まず、何の用だ?」
物体はどこから持ってきたのかわからないカンペを俺に見せた。
喋ればいいものを……。
しかもなぜか英語で書いてあった。
日本語で書けばいいものを……!
俺はそれを訳した。
「“遊びに来ました。なので私たちと遊ばなければなりません”。絶対かよ!」
“絶対王政”みたいなむちゃくちゃさだ。
もう正体を明かしてもいいだろう。真乃だ。おそらく容易に想像できただろう。
そして二つ目の最大の疑問をする。
「どうやって侵入した?」
真乃は玄関の方に指差した。おそるおそる行ってみると、ヤバいことになっていた。
「ドアが……ない」
玄関が綺麗に青い空に変わっていた。そこに写る女性はかなり神秘的でミステリアスだ。夏空にぴったりな麦藁帽子をかぶり、微笑んだ。
「こんにちは、陸奥実君」
「…………」
いつもの彼女じゃない。俺は呆然と立ち尽くしていた。ってそうじゃないそうじゃない。何で扉がこうなって……。
するといきなり後ろから突進された。あまりの勢いに吹っ飛ばされ、一メートルくらいに渡って体が擦れた。痛い。
「なぁに惚れ込んでんだよ! 東條に言いつけんぞ?」
「いたたたた……それより遊びに行くってどういうことだよ?」
俺はとおちゃんの手を借りて立ち上がる。
「ん? そりゃあ暇だからな。お前も暇だろ?」
「答えになってないし、暇じゃない」
「何を優等生ぶっちゃって! ほら行くぞ!」
まるで俺を銀行強盗が金を盗むかのように持ち上げる。じたばたと反抗するが、さすがは陸上部。いとも簡単に抑え込む。結局素直に降参するしかなかった。
そんなことよりも。
「せめてご飯食べてからにしろよ! 今十二時半だぞ!」
「何! ごちそうしてくれるのか!」
……しまった。やつらはこれを狙っていたんだ。気付いた時には三人が俺を囲み、目を光らせていた。
しぶしぶ居間にお呼びして昨晩のシチューをお持ちして差し上げた。
「ごちそう様! んめかったぞ!」
「ホンマやなぁ! あの絶妙なトロリ加減、口の中に広がる野菜のハーモニーは隠し味のソースによってさらに昇華されている!」
「そうですね。私もあんなに美味しいのは久々でしたよ」
お前らはどこかの主婦か? しかも棗さんに至ってはグルメレポーターか?
でもこちらとしてはすごく嬉しかった。自分の作ったものを周りの人に評価してもらうことは滅多にない。でもまさか、真乃たちは思わないだろう。
これは俺の作ったシチューだということに。
「ところで、どこに行くんだ? まさか、広いところで鬼ごっことか缶けりではないよな」
無理矢理連れ出してしかもこんな炎天下の中でそれだったら、どうしてくれよう?
「よく分かったな! 橋の近くの土手で鬼ごっこしようと思ってたんだ」
とおちゃんが肩を回しながら言った。
……まさかそんな事になろうとは……。
俺を包むセミの嘲笑がドアの事件を消し去っていった。
「ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ!」
とりあえず、落ち着こう。
まだ死にたくはない。まだ……死にたくない!
何でこんなことになったんだろう? ちゃんと仕事もこなしているし、人間関係も決して悪くはない。なのに……なぜ!
「やるしかない……、やるしか、方法はないのよ……!」
私のバッグの中に入っているそれが唯一、私の生きる道をくれるものだった。そしてあたかも“それ”は私の本能の分身のようだった。
歩いていくと、見えてくるのは土手に挟まれた河だった。
私は落ち着かせるために急ぎ足で土手へと向かう。河のせせらぎに身を任せれば自然と落ち着くだろう。
「……はっ!」
心臓が一度だけ跳ね上がった。それを合図に顔から幾つもの滴が垂れていく。
そう、向こう岸には元気にはしゃぐ青年たちが二、三人いるからだ。彼らがまるで天使が跳ねているように見える。
だがそれよりも印象的だったのが、土手に仰向けている彼だ。まるで三人から孤立しているように見えた。
「……やるしかない」
私は夕陽に染まるそれを握りしめ、バッグに入れた後、歩いていった。
「さて、どうしたものかな……」
一体何時間遊んだだろうか。缶けり、鬼ごっこ、陰鬼、プロレスなど子どもじみた遊びに没頭してしまった。我ながら、まだまだガキなんだと改めて思う。でもプロレスって……?
俺はセミの鳴き声を聴き入っていた。それにたたずむ夕陽がどこか懐かしい気分にさせてくれる。まさしく童心忘るることなかれだ。
俺の下にはやけに楽しんでいる人たち。左手には向こう側へと繋がる橋があった。右にはずっと続く道。河は向こうの人の顔が辛うじて判別できるくらい幅がある。
「むっちゃん、捕まえてまうで!」
「おっと!」
鬼ごっこしてるのちょっと忘れていた。確かにあれはいかにも捕まえてくれって言ってるようなものか。
俺は棗さんと向き合う。そしてお互いに隙をうかがった。一触即発。動けない。
だが、あえて俺は少し動いた。右に。
「そっちか!」
棗さんは簡単に引っかかってくれた。
俺はすぐに左に切り返す。つまり、最初のモーションはフェイクだ。そのまま左へ走ろうとするが反射的に反応した手が行く手を阻む。
だが、それは背中を反らすことで逃げられた。
「ちぃ! やるなぁ!」
イントネーションの違うそれがやけに爽快だ。
俺はそのまま橋の方へ逃げていった。ここまでくれば大事だろう。
「みんなぁ、どこにいるんやぁ〜!」
棗さんが一人で暴走している。あの大人びた雰囲気からは全く想像できない。
それにしても真乃ととおちゃんはどこにもいなかった。一体どこに隠れているんだ? ふとして河の方に目が入った。
「……竹、か?」
なぜか竹の棒が垂直で浮かんでいる。しかも流れに従うことなく留まっている。……そこまでするのか?
そしてそこの周辺の陸にやけにボーボーに生えた雑草群。明らかに風景とマッチしていない。
「……水遁の術に隠れ身の術。忍者か! 遊びにそこまでするのか?」
それを見つけられない棗さんも棗さんだが。
ふとしてまた何か違和感を感じた。
「……あれ?」
夕日に黄昏る少年がかなり神秘的で爽やかだ。本当に私はやっていいのだろうか? 思わず踏みとどまる。
幸か不幸か、橋は人っ子一人いないし車が通る気配もない。しかも少年はそちらに夢中で気づいていない。まさに大チャンスだった。
「……やるのよ……私……!」
私はバッグから堂々とそれを取り出し、体の後ろに隠した。右手が不自然に震えている。彼はまだ気付かない。
あと約十メートル。彼が苦笑いしたのが見えた。
あと八メートル。もういける。ぶるぶると震える足がしっかりと地面を蹴りだし、スピードが出る。
あと五メートル。彼が気付いた。それはもう遅かった。
「なっ!」
彼がびっくりした隙に、決行した。
「がはっ、……ぁっ!」
何が、起こった? 体は不思議と煮えたぎるように熱い。特に右のわき腹が熱かった。焼けた鉄を押さえつけられるくらいに。
目の前には苦しそうに息をするマスクの女性。長い金髪がゆっくりと揺らぎ、黒いサングラスの奥の潤んだ瞳が波打っている。
時間がスローモーションで過ぎていった。そしてそれのお陰で理解できた。
「うぅっごふぅ……!」
ナイフを肉に突き刺し、抉るようなグロテスクな音が唯一聞こえる。まさしくその通りでわき腹に……。
口から溢れ出すそれは口から顎に伝って、穢す。
「……ふぅ!」
不思議と気持ちいい。
俺は何かを出しながら倒れた。かもしれない。
「死に、た……くない、……まだぁ……」
体は寒いのに頭が熱い。この感覚はどこかで……。
……もう、いいや。どうせたす……からない……いやだ、……まだだ、せめて、メッセー……、
「……と、三人……する……」
俺はとうとう掴んでいた意識を放してしまった。




