二十五戒目「告別」
「……はい、7渡し。上がり」
「はぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ワレ、なにまた上がっとんねん!」
「どう考えても仕込んでるとしか……」
「お前……何十分も切っといて仕込めるわけないだろう……」
「むむぅ〜! リセットしてもう一回やりますよ!」
「えっと、確か三十二回目だな、その台詞」
「10捨て二枚、上がり」
「…………もう無理……。頭おかしいんじゃね……?」
「そうですね……。休憩にしましょうか……」
「……まだやるのかよ……」
もう既に八時を回っていた。あれからずっと大富豪しかやっていない。数時間、トランプと睨み合っていたのだった。まぁ、その健闘も虚しく大富豪になれたのは一人しかいないわけだが。
「腹減った……」
「…………」
「……」
闘う意志があっても空腹には敵わない。
俺は仕方なく立ち上がった。
「……俺が作るよ」
「おっ? 飯作れんのか?」
…………。
「……たまに親が仕事で帰ってこない時もあるからな……」
俺は逃げるようにキッチンへ向かった。生憎、ここからキッチンは少し離れている。
そういえばとおちゃんたちは知らないのを忘れていた。口が滑るところだった。瑠璃人は虹さん繋がりで知っている。それもあって黙っていた。……もしかしたら、みんなにばれているかもしれない。
とりあえず、何を作ろうか。
「……もしや……」
最近ここに帰るのが少なくなっている。冷蔵庫は……。
「大丈夫か……? 腐ってたりとか……」
必然的な不安がにじり寄る。腫れ物に触るようだ。でも、それをなんとか押さえ込んで、手をかけた。
時だった。
「!」
手が離れない。
「…………」
それはそうだ。
「あっ……」
「……流さん……」
そこに、真乃の手が重なっていた。
「まっ、まままま、真乃っ!」
「? どうしたんですか?」
「えっ……? ……!」
なっ、なに緊張してるんだ……! 落ち着いて深呼吸……じゃなくて!
どう考えても俺は焦っている。それは以前にも同じことがあったからだ。忘れかけていた記憶が水のように溢れ出てくる。そしてあの時の映像の一秒一秒がこの瞬間に詰め込まれていた。恥ずかしい……。
「……覚えていますか?」
「な、何を……?」
「……仕返し」
「……え?」
真乃がその手を無理矢理剥がし、引っ張る。いきなり自分の方へ。
「ちょっ、と待て!」
「お返しですよ」
そして、首の辺りに頭をうずくまらせる。ほんのちょっとの出来事だが、理解するのには十分すぎた。
俺の顔がうずくまる。
「……流さん……顔、赤いですね。真っ赤っかです」
「当たり前だ! だって……その……」
それ以上は恥ずかしすぎて言えなかった。おそらく真乃から見れば、俺なんか何かの小動物に見えるだろう。頭から湯気が立っているだろう。
二回目だった。
「あの時、流さんはこうやってました」
「……!」
「だから“お返し”です」
「真乃……」
あれは悪戯心が芽生えただけで、真乃の赤面した顔が見たかっただけで……。意識なんかしてなくて……。
真乃の心の音がしている。
赤ちゃんが泣き止まない時にビニール袋をぐしゃぐしゃ音立てると泣き止む、というのを聞いたことがある。それは、その音が胎内にいた時の音と似ているから母親の胎内にいると思い込み、安心するからだという。もしかしたら、今それが起きているかもしれない。変な意味じゃなく。
「不思議だな……。落ち着いてくるよ……」
「ふふ、そう言われるとなんだか恥ずかしいです」
「……」
さすがに恥ずかしさが積もってきた。
「……み、みんなは?」
「……買い物です。その中、からっぽでしたから」
「……?」
途端に騒々しかった空間が余韻を残しつつ、変に静まり返る。……そこに真乃と俺しかいない。
そして変な緊張感も残していた。
「奈多弓さん」
「なんや?」
「前橋君だけでなく、どうして僕もなんですか……?」
「……不満かぃ?」
「いや、なんとなくです」
嫌みとかそういうわけではない。僕は三人とは間接的にしか面識はない。だから少し抵抗があるのでは……、と思っただけだ。
僕らは最寄りのスーパーに既にいた。僕がカートを押し、二人が食材を入れる。特に前橋君は遠征に行っていた。なので奈多弓さんと僕が常に一緒だった。そこにも多少の疑問がある。
しかし、彼女は眉をしかめる。
「理由なんかあらへんよ?」
「え?」
「ただ、買いもん行きたいなぁ思うて、連れてきただけやねん。そこに理由なんか必要?」
「……はぁ……」
なぜか妙に納得させられる。
奈多弓さんはその後も野菜やら肉やらを入れていく。それだけで一杯に溢れそうだ。食材的にはカレーかシチューのようだ。僕はとろける派が好きだ。……あれ?
「なんか楽しそうやなぁ!」
「あ、えっと……僕、ちょっと変ですね」
僕が……興奮する? こんな感覚は久しい。
「変やないで。ワイだってそうやもん」
「……僕は感情表現が疎いんです」
「それは使っていないだけ」
「……?」
急に態度が変化したような……。しかし、それをもって会話は終わりを告げた。
沈黙が続きながら、レジに着いた。適当に済ませると前橋君は向こう側に荷物を置いていく。僕は貰ったビニール袋に収めていった。実は結構得意だったりする。途中で彼に褒められたのが少し嬉しかった。
「……んな、行くで」
それを合図にスーパーから出て行った。
「……遅いな……」
「えっ、えぇ……」
針の音が唯一、無音をかき消してくれる。
「……きっと、たくさん買い物してるんだと思います……」
「そんなにいらなかったのにな……」
「そうですね。……あはははは……」
そしてギクシャクが空間を覆っていた。
真乃と二人きりは本当に久しぶりで、何を話したらいいか分からなかった。あっちもそれを感じているせいかもっと話しづらい。
棗さんたちが帰ってくるのを待つことにしよう。けど、真乃と話したい……。
伝えてみて。
「……?」
今のは?
言ってみて。
誰の言葉? 周りは真乃しかいなかった。
待っていたから。
誰を?
ずっと前から……
…………
……
「……ゅぅ……、流さん、聞いてますか?」
「……? ……あぁ、聞いてるよ」
今のは何だ? 女の人の声で、凛々しく少し低い。大人らしいのになぜか幼さがあった。必死になって頭の中を探すが、次第に薄れていく。遂には消えてなくなった。
それらとは裏腹に自然と口から出れた。
「……ありがとう」
「……え?」
「今までありがとう」
真乃は少し驚きを隠せずに狼狽する。だが、冷静を取り戻すと、満面の笑みを返してくれた。
「……いえいえ。当然の事をしてきただけです」
「……だけどどうして真乃は……」
「うぉらぁぁぁぁぁぁっ!」
何か言おうとしたその瞬間、三人が帰ってきた。かなり五月蝿い。こちらに来て興奮状態はさらに上がる。宝くじに当たったかのような騒ぎようだ。
とおちゃんと瑠璃人が買ってきたものをどっさり下ろす。中身はテーブルをおおよそ占めてしまうほどあった。その費用は誰が支払ったんだ?
「もう遅いですよっ!」
「すまんっ! 今すぐ支度したる!」
「ところで陸奥実、東條とラブラブクッキングしたか!」
「……え?」
思いがけない火の粉が降り懸かる。隙をついて、とおちゃんの顎に思いっ切りねじり込んだ。動かなくなった。
「さて、今のうちにどんどん作ってしまおう」
「そ、そうですね……」
「恐ろしや……むつっみぃ……、がくっ」
料理はテキパキとスムーズに進み、テーブルに置かれる。もう小一時間かかっている。それでも短かく感じた。
部屋に充満する香ばしさと円やかさが匂わせる。食欲を注がせる。
僕は日頃の腕を振るわせていた。
「……できました!」
「あぁ〜、やっと終わったなぁ!」
「お腹減りましたよ……。早く戴きましょうよ!」
「そうだな。……とおちゃん、夕飯できたよ」
今微かに反応したような……。
「……よっしゃあぁぁぁぁあぁぁっっ! さすがは……ぐはぁぁっ!」
今折れる音がしたような……。
「あんさん、なんで手伝わなかったん! こちとら大変やったんやで!」
「死刑です死刑!」
「それはあいつのせい…………ぎゃああぁぁぁぁっ! 助けてぇぇぇ!」
なんという理不尽だろう。それでも罷り通すあの二人はつくづく最強のコンビだ。そう思わざるを得ない一面だった。
とりあえず一通り懲らしめた後、人が変わったように自分の席に戻る。そして合掌。
「いただきますっ!」
「いただきやす!」
「い、いただきます……」
この人たちはなんでこんなにテンション高いんだろう?
ひとまず、食べることにした。
………………
…………
……
美味しかった。半分くらいが手作りじゃないにしろ、格別だ。まるで一足早いクリスマスのようだ。作った時間と食べ尽くした時間は二倍くらい差があった。もちろん、後者の方が長い。というより、ほとんどが会話の時間だった。面白く、怖く、楽しく、愉快で最高の瞬間だった。久しぶりに笑顔を見れた。
こんな時間がずっと続けばいいのに……。
「ごちそうさまでした」
「……あぁ〜食った食った!」
「そうやねぇ……。さすがに食べ過ぎてしもうたわ……」
「みんなは休んでていい。適当に片づけるから」
「いや! そいつはオレにやらせてもらおう! 男としてな!」
前橋君が相当な量の食器たちをあっと言う間に運んだ。そして水を流すあの音が聞こえてきた。食器が打ち付け合うのも。
「ふふっ、とおやんは単純やなぁ」
「そうですね。それが彼のいいところです」
ふとして時計を見てみると、短針が“十”を指そうとするところだった。…………。
僕の中で黒いものが生み出される。
「誰かぁ〜! 助けてくれぇぇ!」
「! どうした!」
「間違えて洗剤飲んじった〜!」
「どんな間違え方ですかっ! ……まったく」
「とりあえず危ないと思います」
「そうやね。むっちゃんと真乃やん、いってやっといて」
二人は顔を見合わせ、あちらに急行した。するとなぜか悲鳴が拡大していた。
それよりも僕には、奈多弓さんが二人を“態と”行かせたようにも思える。
「二人してアホやなぁ……」
「……あなたは行かなくていいんですか?」
「大事やろ。プロなんやからな」
少々呆れ笑いする。僕もそれに合わせた。
「…………」
「……」
「…………」
「?」
僕を凝視してくる。どこかに埃でもって付いてるかと体をはたく。しかし、それでも視てきた。
そこへ三人が戻ってくる。
「……ちょっと失礼するわ……」
彼女は入れ替わるように部屋を出ていった。僕も含めて見送った。
「どうしたんでしょう?」
「トイレに決まってるだろ」
「瑠璃人、何か言ってたか?」
僕にフるのか……。僕は適当に前橋君の言うとおりだということにした。特に不振がられることなく会話が進んでいく。あれはおそらく……。
同じように理由を添えて部屋を出ていく。その先には案の定、彼女が待っていた。廊下は心なしか暗く、余計に不気味に見えてしまう。後ろをさりげなく向くと、形に沿って光が漏れている。
「…………」
「……さすがやな」
「何がですか?」
「何でもない。気にせんといて」
一体僕に何の用だろう? 険しい表情から察するに、少なくともいい話ではなさそうだ。
僕らは奥の方のトイレの前まで行った。途中、話し掛けたような気がしたが、意識がそちらになかった。あまりに微かな声だった。中にいる人たちにはとても拾えないくらい。こんなに近くにいる僕ですら……。
そして着くやいなや、今度は面と向かってくる。
「むっちゃん、本当に人殺してしもうたんか……?」
「……!」
“人殺し”。この場に、いやどの場にも相応しくない単語が零れた。
「……どうなん?」
「……それは……」
天から地へ堕ちた気分だ。
言いづらかった。彼がやったのは否定できない。実質、自分でもやったと述べていた。奈多弓さんがどういう経緯で知ったのかはさて置き、僕の一言がどのような影響を与えてしまうのかが怖い。もちろん渋っていては自ずと答えを公表するようなもの。
まさしく同じだった。
「……お願い……どうなの……?」
「……」
僕に詰め寄る。胸元を握りしめ、見上げて目を潤わせて。普段の彼女からは想像できない苦しげな顔だった。
どうして彼女は知りたがるのだろう? 友達だから? ただ信じられないから? どれも違う。
僕には自分の一生を捧げてでも何とかしたい“決意”を感じ取れた。彼女の眼はそう訴えている。だから嘘は……つけない。けれど……。
「……わかりません」
「……え?」
「僕には未だにわからないことがあるのです。どうして陸奥実君が自らの手を穢したのかを……」
「……それでよ……」
「とおさん」
「ん? なんだ? ……あぁ、わりぃわりぃ」
とおちゃんはばつが悪そうに頭を掻いた。時計を見ると、十時四十五分を過ぎようとしていた。さすがに長かったか。
「そろそろか?」
「おぅ、帰るぜぃ。なぁに心配すんなよ! ちょっとの辛抱だろ?」
…………。
「あぁ、ほんの数週間だ。あっと言う間だよ」
「……」
現実は甘くない。俺はきっと何十年、いやもしかしたら……。今更後悔やらなんやらの負の念はない。俺は罪の重さを背負い続け、生きていかなければならないのだ。そして、虹さんに謎を解いてもらいたい。この世に存在する“参加者”を救うことに繋がるからだ。それが俺に対する“贖罪”。
「玄関まで送るよ」
「ありがとうです」
「あのトイレ組も連れてかなきゃな」
居間を出て進んでいくと、棗さんがトイレのドアに寄っかかっていた。俺らに気づくと跳ねるように近づく。
「もしかして、お開きかぃ?」
「夜遅いし、疲れただろうから……」
「そうかぃ……」
がっくり肩を落とす。もしかしてまだ騒ぎたかったのか? 事情はどうあれ、さすがに近所迷惑だ。
瑠璃人が出てきた。
「瑠璃人……」
俺の顔を見て、くすっと笑う。
「……さて、帰りますか。陸奥実君は寂しがり屋さんなので心が痛みますが……」
「誰が寂しがり屋だ」
とりあえず小突く。相変わらず憎まれ口は減らないようだ。
玄関まで行き着く。靴を履き、向き合った。段差のついたみんなの背がもどかしくなる。
「それじゃあな!」
「またなぁ!」
「さよならです」
「また明日!」
「……あぁ! またな!」
…………ガチャン
…………
……
「…………ふぅ」
いつもながら、見送るのは胸が傷くなる。それはちょっとしか離れていないのに全く異なる環境だからだ。身を締め付ける程に襲いかかる静けさ、空しさ。どこかの人の俳句を思い立たせる。
やがて四人の騒がしさは薄れていき、遂には消えた。しっかりと味わってから居間に戻った。
誰もいない。当たり前だ。でも、ほんの数時間前の映像が残像となって再生する。豪快な笑い声、強烈な悲鳴、爽やかな関西弁、大人びた口調やらなんやらがここに残っていた。それを思い出すだけで今でも笑いだしてしまう。
「一時間ちょっと……か……」
きっと、あっという間じゃない。たとえどちらかが不成立しても絶対なる孤独に包まれる。いや、片方は完全に確定している。それが早いか遅いかの違いだけだ。手の施しようがない。
……まさか、自分でも考えられなかった。こんな紙切れにこんなに人生をめちゃめちゃにされるなんて。深く考えすぎた? 最初から気にしなければよかった? じゃあ……。
「……どうすればいいんだよ……!」
結果的にこうなる。そして答は……。
「…………ふぅ」
自分の部屋に向かい、机の引き出しを漁る。既に開封された手紙を見つけ、開く。
「……[2019年九月十六日、午前十二時に亡くなられます。ですが、それを回避する方法がございます。
一、素直に諦める。
二、現在の自分の年齢分だけ関係が全くない他人を抹殺する。
三、最も親しい友人を一人だけ抹殺する。]……」
生き延びるには殺すしかない、という結論に達する。さもないと自分に死が降り懸かる。
あまりに理不尽で自分勝手なものだ。いきなり自分が死ぬと宣告しておいて、殺人沙汰を引き起こさせるなんて。俺は別に何も悪いことはしていないのに……。
……いや、
…………ある。
「……俺だけ……」
……とても想像したくない……。
「……生き延びたからか……?」
そうじゃないことを信じたい。けど……。
「みんなが死んだのに、俺だけぬけぬけと生き延びてたからか……!」
「…………」
「いいんですか? 置いてきてしまって」
「自分から行ったんやで? 待ってたら邪魔なだけや」
「でも、あいつはホントにドンカンだよ。マンガの主人公じゃねぇんだからよ……」
「もしそうなら、ワイらは盗み聞きしようとする脇役やな」
「脇役でもなんでもいいですから、ここから離れませんか? 怪しまれますよ」
「……いいんだよバカヤロー……! もしかしたらノリでそのまま……ぶほあぁっ!」
「確かに出歯亀やし……、外で待ってよな」
「ですね。ほら、前橋君、行きますよ……!」
「最近殴られてばっか……」
……
「遂に……か……」
「そうやな。いろいろ忙しかったんやから……」
「……もしかして、あなた方は気付いて……」
「当然だろ? ……あのさ、話変わるけど、クラスで流行った“陸奥実&東條カップル説”あったよな?」
「あっ! 言うたらアカンでっ!」
「? えぇ。確か、付き合ってるとか……でしたね」
「新戸君、聞かんといて!」
「あれ、実はな……」
「とおやあぁぁぁぁぁん!」
……奈多弓が勝手に流行らせたんだよ
「……? どういうことですか……?」
「それは絶対秘密言うたのに……」
「二人とも自分に素直じゃねぇもんだから、噂流したんだよ。つまり、周りで何気なくあいつらの気持ちを矯正させたわけだ。……悪く言うとな」
「……そうだったんですか」
「……あんさんたち、絶対二人に内緒やで? 真乃やんですら知らないんやから……」
「でも強ち、本人達は嫌そうではなかったですよね。照れてましたし……」
「それほどお互いに意識はあったってことだろうな。あぁ〜! オレも青春してえぇぇぇぇっ!」
「あはははは……、そうなったら僕もさり気なく応援しますよ」
「アンタ、自分の立場わかっとんのかぃ?」
「? どういうことです?」
「新戸君のファンクラブあるそうやで?」
「……え?」
……ガタッ
「あっ……」
「! 誰だっ!」
突然の物音。俺は素早くそちらへ身を返した。ちょうど居間の方のドアにいた。
「真乃!」
「えっ? あぁあぁ、えっっと、そうです」
「なんでここにいるっ!」
無意識に怒鳴り付けてしまう。
「ふぇっ……、あ、あっあの、忘れ物を取りに……」
「そんなことじゃないっ!」
俺、どうしたんだ……? まだ修正は利く。今すぐに謝るんだ! 真乃は……。
「俺が聞きたいのは……」
何を言おうとしているんだ……? 俺は……なんで……何の関係のない真乃を……。
「どうやって……入ってきた……?」
疑っているんだ?
「そ、それは……」
真乃、どうして顔を歪めるんだ? 正直に鍵が開いてたって言ってくれよ。どうして目を伏せる?
「鍵が閉まってなかったんで……」
「……そうか……」
そうだ。俺は鍵を閉めなかったのではなく、閉められなかった。外界とを断ち切ることが出来なかった。いや、半分は諦めていたかもしれないが。
とにかく、謝るんだ。変な言い方だが、真乃は無害だ。今なら酷いこと言ってすまなかったって言える。
しかし、実際は真逆だった。
「ならばさらにおかしい……!」
「え……?」
「俺は扉という扉を全て締め切った。玄関から通路の、果てはトイレまでもな。動かしたなら嫌でも音は発生する。なのに、一切聞こえなかった……」
「…………」
先程から、いや、ずっと前から不思議に感じてた。ごくたまに、真乃はいきなり居間に現れることがある。どうせ色々したんだと気にしなかったのだが、この時だけはそれができなかった。もしかしたら、怒鳴っているのはそれのせい……? 違う。
今思えば、夏休み入ってから数日後、三人が家に押しかけることがあった。その時も真乃が同様にしていたのだが、玄関が破壊されていた。いや、そうではない。
“綺麗に外されていた”……。
「どういうことなんだ? ま……、え……」
「…………」
俺の複雑な思考回路は一瞬にして砂と化した。
真ん丸の中に俺がいる。微動だにしていない俺がいる。その表情は呆気に取られた真っ白だった。それがしばらく平行する。意識が白紙に描かれるように色付けられていった。
恐怖という名の黒に……。
優しく、妖しく微笑んだ。……俺は恐れていたんだ、きっと……。
「流さんは今までのがあって、かなり疲れていると思います。なので、ゆっくり休んで下さい……」
「…………」
そう言われると、成すがままにされてしまった。動けない俺を介護するかのようにベッドに寝付かせる。身体的に不具合はない。無駄がなく無理をさせない。
茶色の瞳が真っ直ぐ俺を見下ろしている。いや、俺の眼をただ見つめている。
「……ゆっくりお休み下さい……」
まるで決められた台詞を言うように吐き捨てる。そして人差し指を立てた。
「今日は、…………ですか?」
「……? 何だって?」
よく聞こえない。まるで自分に言い聞かせているようだった。
焦らさ、ないで……? これ……どこかで……?
「……今日は、何日ですか?」
「……えっ……?」
……思い出した……? 真乃に……殺された夢……。
入院時代、真乃と二人きりになったときのだ……。ま、まさか……!
「流さん……」
「あっ……」
今度こそ真乃に……
殺される!
「うわぁぁぁぁあぁあぁあぁぁぁっっ!」
「きゃあっ!」
「来るなっ! 来るなあぁぁぁぁぁぁっ!」
「まっ、待って流さぁん!」
「! あぁぁぁぁっ!」
「きゃあぁぁぁぁ!」
ドガァッ!
「…………うっ……、…………」
……
「……! ……くそっ!」
…………
……
「! おいっ陸奥実! お前、どこ行く……」
「はあっ、はぁっ、っっ!」
「……なんかやばくね?」
「……! 今の時間は……!」
「十一時五十二分やねんけど……?」
「いけません! すぐに捕まえないと……!」
「任せろっ!」
「奈多弓さんは東條さんを! 僕は追いますっ!」
「わかった!」
「…………ょうしました」
「ご苦労様。あとは任せてちょうだい……」
「…………はい」
「…………」
「どうでしたか?」
「あの子、やっぱり使えるわぁ……。玩具にしたいわねぇ……」
「…………。……始めますか?」
「えぇ、フィナーレよ! 彼と私、どちらが上か……。……うふふふふふ…………」
「もしもし、虹にぃ!」
「……ん〜、どうした?」
「今何してますっ!」
「尋問中だよ」
「よかった! 今、陸奥実君が逃走しています!」
「! なんだって! 陸奥実君はこれを計算して……」
「それはありません! 彼の容体は明らかに異様でした」
「……わかった。経緯は後だ! 今すぐ捕まえる!」
「残り五分もありません! 急いでください!」
「……んんっ……」
「ま、真乃やん! 真乃やん!」
「……っっ……」
「大事かぃ!」
「……はい、なんとか……」
目を開けたそこは部屋だった。なっちゃんに抱き上げられている。そして私は思い知らされる。
彼はここにいない。頬を撫でてくれた漆黒の髪、体を包んでくれた温かい手、苦しく鼓動する心、何もいなくなっていた。その分だけ胸が張り裂けそうになって、切なくて、苦しくて……。
気付いてくれなかった。
「流さん……」
さっきなっちゃんが慌てた様子で頭をよく撫でてくれる。傷かった。
私は肩を借りてなんとか立ち上がる。ふと写真立てが目に入った。居間の隅っこにある本棚にある。それを手に取る。私たち四人が写っていた。
「あはは……。無愛想やな……」
「でも……」
笑っている。
きっと写真に不慣れなんだろう。唯一、一緒に撮れたモノなのだから。
裏に留めてあるホックをずらし、中身を取り出す。それをポケットに入れる。
時計は10と11の間くらい。間に合うだろうか……?
「……流さん」
「あっ、待って真乃やん!」
私は飛び出した。
走る。捜す。どこにいるかわからない彼を。ひたすらに、ひたすらに。普段そんなには気にしていない運動不足がここで際立ってきた。苦しい。しかも、焦りと不安が混じり合って心臓に負担をかける。それでも諦めるわけにはいかない。私は流さんを助けてあげたい。流さんの事が好きだから……! そして……。
「流さん……!」
「むっちゃん!」
私となっちゃんは途中で二つに分かれた。
さらに駆け抜ける。一人を頭に巡らせて。周りになんか気を配っていられない。なりふり構っていられない!
「あっ、あれは……!」
私は運命と出会えた。間違いない!
立ち止まった瞬間にとめどなく流れ出す汗が景色を広げてくれた。証明してくれた。ここは……真ん中だ。
彼はこちらに走ってきてくれた。
「流さん!」
「真乃! 危なあぁぁいっ!」
「……えっ……?」
気付いたら私は大通りの歩道にいて、道路から流さんが走ってくる。でもその動きはスローモーションで、時間が止まっているくらいに遅い。その時、私はやっとどういう状況なのかを理解できた。頭の中で何かが聞こえてきた。
私……死ぬんだ……。それを流さんが……。
突如として聞こえる規則正しく、乱れることのない針の音。次第に体にまで満たしていった。こういう時って走馬灯みたいに思い出が駆け巡るんじゃないのかな……? ちっとも自覚がない……。
……49……50…………
ほんのちょこっとしかズレていかなかった周りが速さを取り戻してきた。でも私は何も出来ない。金縛りにあったかのように動けない。流さんの動きを見ていなければならない。
……チッ……チッ……
あっ……ダメです……
チッ……チッ……
……来てはいけません……
……チッ……チッ
ダメっ……!
……チッ……チッ……
「流さんっ! だめえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!」
……チッ……
あの手が私を突き飛ばしてくれた。その代わりにその持ち主がそこに存在する。かと思ったら……、
鉄の箱が赤く散りながら連れていった。
チッ……
「いやあぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁ!」
私はそこにいた。
向こうからやってくるランプは赤い一線を放ちながら鳴っている。そして遂に止まった。周りには人っ子一人いない。そこにいるのは赤く染まった私と彼らだけ。
白の箱に赤い線を引っ張ってあるところで縦と交わる。そこから緑の服を着た連中は彼を青で包み、箱に入れた。その途中、隙間から変な方向を指差す腕が見えた。間もなく連中は乗り込んで、ゆっくりと走り去っていく。
ゆっくりと……。




