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二十四戒目「終演・中」

「誰もいない……。どうなっている……」


 病院の裏口から侵入した。鍵がなぜか掛かっていなかった。

 俺は何回もここに来たことがあるが、こんなに静まり返っているのは初めてだ。薄暗い。奥の方で点々と一定距離に赤く光っている。道標を成していて頼りになりそうだ。ゆっくり歩き始めた。


「今にも出てきそうだな」


 今更怖がってどうする。どうせ俺の“期限”は今日までじゃないか。恐怖とは生きたい願望だ。

 ランプと手に触れる壁を頼りに道を進んでいく。確か、俺のいた部屋は0626号室だったな。

 ……この病院、呆れるほどに広い。同じ一階でもそれぞれから上がると違うところに行ってしまうのだ。しかも俺は裏口という未知の扉から来てしまった。迷子になるのはほぼ必然的だ。

 いや、よく考えるんだ。裏口はよく非常口として兼用されることもある。つまり、入口から遠い位置にあるということだ。逆に言えば、すぐに二階へ上がれる位置にいるということだ。


「真っ直ぐ歩いていけば階段にありつけるはずだ」


 決して走らずに歩いていくと、案の定、赤が階段を指し示すかのように設置されているところに着いた。


「ここから行けるはずだ」


 多少の不安を押し殺しつつ上っていく。二階はすぐに着いてしまうが、考えなければ。移動中にもあらゆる思考を張り巡らさないと……。

 美浦の情報が欲しい。病院の看護師なのだからリストくらいはあるだろう。出会った当初はさほど気にしなかったのだが、今になって疑問が浮き彫りになった。

 どうして美浦は俺の前に姿を現したのか。俺を刺したのは紛れも無く彼女だ。彼女自身も特徴を見られないように真っ黒のサングラスやマスクをしていた。それは対象が俺だからだと思っていた。……違う。


「ふぅ」


 唯一一緒にいた真乃たちに覚られないようにするためだったのだ。


「…………くそっ!」


 つまり、あれは俺を殺すためではない。俺と接触する機会を設けるためにやったのだ。しかも殺してしまっても損にはならない。“解放”ヘの道を一歩進むのだから。……しかし、そうすると疑問がまた出る。それは……。



……



「……はっ」


 いけない。


「ここは……」


 考えに耽ってどこにいるかわからなくなった。動きは最小限に……と思ったら、いつの間にか達成してしまっていた。


「……無意識ってすごいんだな……」


 俺はドアノブに手を掛け、捻って中に入った。



……



「…………」


 思わず目を疑った。

 カーテンで光の通り道を覆っている。まばゆく、鮮やかでとても直視できなかった。洞穴から抜け出てきたようだった。同じ空間なのにこんなに対照的に違うなんて……。

 しかし、どことなく懐かしかった。


「なんて眩しいんだろう……」


 ……とそんなことよりも。


「…………ない」


 ここに来た目的を探す。しかし、一足遅かったのか、どこにも見当たらなかった。まぁ、携帯は暗証番号かけてあるし、財布も一、二万くらいとポイントカードくらいだけだ。


「…………」


 ……被害は甚大だ。通報したいところだが、自分が牢屋に放り込まれてしまう。


「……ならば……」


 今度は痕跡を調べてみよう。少なくとも何かがあるに違いない。俺はありとあらゆる、そして考えられるだけの巧妙な場所も全て探した。ベッドの下や隙間、機具類などだ。できれば、俺の意識が無かった時のちょっとした手掛かりでもあれば……。


「……ん?」


 それらしき何かがあった。


「…………」


 客用に重ねて用意してあった円椅子の隙間だ。ほんの少しだけ白い角が見える。盲点だった。

 椅子を持ち上げてみる。……。


「…………これは……」


 脳に刻み込まれたそれが滲み出るように中を満たしていく。一杯になった時、記憶として嫌でも思い出されるのだ。


「…………一体誰のだ……?」






 ほの暗い。昨日の一緒に逃げた時より不気味さが増し、より足を前に出すのを躊躇わせる。受付のところの明かりが消えかかっていて、尚一層際立たせる。ちょうど、スロープのある位置にある赤いランプが僅かに照らしてくれるだけ。懐中電灯を使ってもよかったが、人がいないこの空間では明らかに不似合いだ。相手が誰もいないと思っているうちがチャンスなのだ。

 ……しかし、その前に気になることがいくつかある。


「……ここは一体何が起こったんでしょうか……? バミューダトライアングルみたいです」


「俺にもわからない」


 突如として消えてしまった病院内の人たち。医療関係者ならまだしも、患者までも謎の失踪を遂げている。痕跡一つ残さずに。


「……神隠しですかね」


「それも特大級のな」


「……」


 そしてもう一つ。


「……星さん。あなた、何か知ってませんか? なんとなく気にかかるのですけど……」


「……」


 星さんは美浦と関係性があるのかどうかだ。美浦のことを多少なりとも知っているから、少なくともないことはないだろう。

 皮肉にも彼は僕を助けてくれた。もし、僕が彼について何か気付いたとしても、先手を打たれている。もっとも、恩で返すかどうかは僕の勝手だが。


「……俺にだって、上の連中が何を考えているかわからないんだ。ただの“コマ”だ。それに……」


「それに?」


「助けてあげた恩人に対して言うことか?」


「……無愛想なクセに……」


 それ以上は言えなかった。


「それでどうするんだ?」


「……そうですね。とりあえず、裏口ありましたので確認しましょう」


「? 鼠はどうするんだ?」


「負傷する可能性があるので、二階以上から飛び降りることはできません。つまり、こちらが鼠の存在を知れば、いくらでも対処ができるということです」


「なるほど」


 しかし、問題はいなかった時の場合だ。その時はどうしようもない。論理的に説いたつもりでも中身は運だけの問題。僕はいる方に全てを賭けたのだ。

 僕らは裏口へ向かった。その間は一切の沈黙。行く前に耳を澄ましておくようにお願いしたからだ。しかし、自分と隣の足音しか聞こえなかった。

 集中しているうちに目的地に着いた。途中で枝分かれがあり、二階へ続く階段だったが、目的を優先させた。


「……」


 行き止まりに穴をあけたようなところだ。その穴がドアのわけだが。平面を二つに分ける赤いのが目の前にいる。


「ガラスは割れてませんね……」


「となると、開いてたか開けたかだ」


 星さんが一旦外に出た瞬間、ガラスが一斉に割れる音が響いた。甲高くてうるさい。しかも尋常じゃないほど。慌てて戻ってきた。


「どうしたんです?」


「ビール箱を落としてしまった」


「…………」


 かなり抜けてる……。というよりも、置く方も置く方だが。


「それだけじゃない。鍵穴を調べてきたんだ。……どうやら開いてたようだ」


「……空き巣の経験からしてですか?」


「…………」


「じゃ、じゃあ本格的に捜しますか」


「……そうだな。一旦受付に戻るぞ」


「あっ、ちょっといいですか……。……よし、行きますか」


 では気を取り直して考えよう。

 こんな大きな所で出会う確率はおそらく、一桁以下だろう。だから逆にこちらから訴えかける必要がある。だが、しすぎると逃げられてしまう。その為にも今のあれにちょっとした事を施したのだ。……それはいいとして。

 つまり、ターゲットを逃がしてはいけない上に、捕まえるという作業を今日中に手早く行わなければならない。難易度は高い。しかもこちらの存在が気付かれていればいるほど困難だ。


「…………どうする……?」


 受付に戻った。ここからが勝負所だ。






「…………」


 まずい。……非常にまずい。遂に誰か来たようだ。


「……」


 もし、美浦のアジトがここならば、来た人間は当然掃除の為としか思えない。複数人は確実にいる。そいつらは任務遂行の為なら、手段は選びはしないだろう。そんな連中から逃れることができるのだろうか?


「……相手はプロだろうな。以前みたくはできない」


 あたかも自分がやったように呟く。幸か不幸か、当時の記憶はなかった。

 手に持っているのは安っぽいナイフ。尖っていなく、柄はプラスチックで拵えてある。


「…………やるしかない……か……。真実を確かめるためにも……」


 この瞬間から俺は殺人鬼に戻ったのだ。無実の殺人鬼に……。


「時間はない。確実に仕留めるんだ……」


 見つけたやつをポケットに無造作に突っ込む。そして、右手には唯一の武器を握り締める。不思議と手に馴染んでいて、身体の一部と化したような感触だった。

 ドアを目の前にして、ゆっくりと引いた。


「…………」


 頭だけ廊下に出して左右を確認する。中から差し込まれた光がある程度助けてくれたものの、奥の方は暗くてよくわからない。


「……!」


 ふと気付いた。急いで退く。

 相手は先程の通り、俺を完全に消すために来た。ならば準備は怠らないはずだ。暗いところでも見えるように暗視スコープの類を持っているかもしれない。向こうが見えるのにこちらが見えないという非常に不利な状況下にいることになる。


「暫くはここにいた方が……。……?」


 そういえば、引っ掛かったんだよな……。


「…………!」


 外に仕掛けたモノは外からでも内からでも発動するように細工をしておいた。ばれないようにしたものの、病院にあるのは明らかに不自然だ。だが、割れた音は確かにした。あんなお粗末な罠に、しかもプロが果たして引っ掛かるだろうか。考えられるのは二つ。

 ただの間抜けかそれぐらいの別の連中かだ。


「…………」


 もう少しここで考えてみよう。

 間抜けはいいとして、仮に別の連中だったら誰なのか。どちらにしても俺を追っていることに代わりはあるまい。美浦以外で俺を追っている連中……。


「……まさか……」


 警察? いや、そちらの方が自然だ。ということはつまり……。


「虹さんたちか……」


 美浦か虹さんたちか。どちらにしても状況は最悪だ。……いや、できれば虹さんたちの方がまだ……いい。


「よし、道はまだある……!」


 希望とは裏腹に、結末がどうなるのか知りたい自分がいた。






「どうする?」


「…………」


 あらゆる思考を張り巡らし、僕の中の全てに問いかける。その中で唯一のものは……。


「…………星さん」


「……なんだ?」


「裏口から0626号室へ向かうには、最短距離でどう行けますか?」


「行く途中にあったあれを上って暫く進めば着ける。あと反対側の階段もあるがな」


 星さんは受付にあったペンと紙で地図を示してくれた。長方形のような形から枝分かれしていて、短い横棒の中点に階段がある。外れに裏口、他にも三つくらいありそうだ。


「他に出入口は三つあるんですね?」


「あぁ。あそこを含めてな」


 星さんは僕たちが入ってきた入口を指差した。


「……それを聞いてどうする?」


「……そうですね……」


 僕は袋からぐるぐる巻きにされた太い針金と、白い布で縛り繋げた紐を渡した。


「家から持ってきました。それを使って残りの二つを留めて下さい」


「……よく持って来れたな。それと、これは?」


「ここに戻る間にベッドのシーツやらをもらいました。留める間にそれは垂らしてきてください。途中で無くなったら補充もしてくださいね」


「いつの間に……。……俺は奴隷か」


「……早くして下さいよ! 僕もしなきゃいけないことがあるんですっ!」


 野良犬を追い払うように行かせた。さて、僕も用意しようか……。



……



 暫くして、星さんが帰ってきた。僕は僕なりにいろいろしていて大変だった。だけど、これで巧くいくかどうか……。


「おい」


「……どうかしましたか?」


「とりあえず一周させたが、やけに臭いぞ」


「まぁ……気にしない方がいいですよ」


 やけに臭いを気にしているのが、なんだか幼く見える。


「さて星さん、ライター持ってますか? 持っていたら貸して下さい」


「!」


 ちょっと渋っていたが、かなり高そうなジッポを貸してくれた。薄い黄金色に光るそれに刻まれた獅子が印象的だ。お気に入りのようだ。

 そして今度は僕が大人らしさを見せる番。作戦開始だ。

 僕らは受付の奥の方の部屋で待機した。


「念のためにこれを渡します」


 星さんに渡したものは、ちょっとしたコネでもらったガスマスクだ。僕の分もしっかりある。


「よっと!」


 布の先っぽを取る。蓋を勢いよく開けると同時に、ぼんやりと橙が灯った。これをすると自分の命に関わるかもしれない。それでもしなければ……。

 意を決して橙を近付けた。ちりちりと焼けていき、乗り移った。着火。急いで遠くに投げる。導火線とも言うべき白い布は表現通りに道に沿って燃え渡った。黒い煙を発し始めていた。

 炎は導火線を伝ってどこかへ向かう。


「これはまさか……!」


「あなたにここを一周させたのはこの為ですよ」


 一階は長方形の単純な造りになっている。非常口やらは離れているが、結局はそれの枝分かれに過ぎない。つまり、縛りに行けばここに戻ってこれるのだ。これが何を意味しているかというと……。


「まさしく、“炙り出し”だな」


「僕の頭の中ではこれしかありませんでした。……そして」


 僕はひたすら耳を澄ませる。もし、彼が僕の考え通りだったら……。






「……ふぅ」


 いつにもなく緊張する。どこから襲われてもおかしくないのだ。だから神経を研ぎ澄ましておく必要がある。普段こういうことはしないから余計に疲れてしまうのだ。それに美浦に関しての情報も探さなくてはいけない。まるでスパイゲームをしているようだ。

 歩いていくと、病室とは少し違う部屋が迎えてくれた。かなり厳重そうだ。


「…………ありそうだ……」


 金庫のように分厚いドアだ。そのくせにダイアルでなく、一般の鍵になっている。しかもノブもちゃんとある。一体なんの為なんだかわからない。


「開いてる……なんてことはないよな……」


 試しに捻ってみると……。


「…………」


 何の抵抗もなく捻れた。


「! なんだこれ……!」


 しかし、押せない。確かに開いているはずなのだが……。


「くぅぅっ!」


 全力で押してやっと体を横にしてぎりぎり入れるくらいになった。汗出てきた……。

 確かに、全部金属でできていれば重いに決まっている。でも尋常ではない……。ある意味、防犯である。

 やっとの思いで入ってみると、案の定だった。


「段ボールだらけ……」


 整理されているとは思えない杜撰な部屋だ。ただ重ねてあるだけではないか。

 この部屋は病室と同じくらいの部屋だ。窓はなく、さらに薄暗い。電気を付けても逆に浮き彫りに見えるくらい。段ボールの塊は左右二カ所に分けられていて、左側が圧倒的に多い。


「右から片付けよう」


 ということで右から手を伸ばしていった。

 少ないといっても、二十以上はくだらない。一番上から見ていこう。


「さて……、…………?」


 初っ端の一枚目の題目はこう書いてある。


[“N”宛]


 ……“N”? 続きを読んでみる。


[“N”へ

もしこれをあなたが見ているのなら、私はこの世界にいないでしょう。でも悲しまないでください。あなたは物事を純粋に受け止め、諦めない力を持っています。何回でも挑戦して目醒めさせてください。あなたは不可を可にできるのです。

しかし、これを見つけた時点では間に合わないかと思います。私がいないのですから。次の時はどうか私の代わりに、あるいは一緒に手伝ってください。]


「…………」


 これは察するに、筆者が“N”という人物に送った遺書みたいだ。一見、“N”にメッセージを綴ったようだが、内容が深い。

 筆者は自分の死を予期して書いた。つまり、命を取られるのに十分に値する人物だ。そして彼(彼女)の信用できる人間、“N”。イニシャルならば普通は“R・M”のように二つのアルファベットを使う。もしかしたら“N”は愛称かもしれないし、暗号かもしれない。


「他にも調べてみよう。“N”がわかるかも………ん?」


 二枚目を取ろうとする前に目が無性に痒い。周りが少し煙たく、息苦しい。急いで床に伏せた。


「なんだ? これ……」


 煙たかったのがだんだんと黒みを含んでいく。そして何よりも焦げ臭かった。ま、まさか……。


「か、火事か!」


 まさか奴らは俺を病院と共に焼き尽くす気なのか。あるいは窒息死とかで……? なんて大胆なんだ!


「おっ落ち着け! ……落ち着け……」


 こういう時こそ落ち着かなければならない。

 相手が俺ごと病院を焼き尽くすというのが魂胆なら、まだ先はある。知られてはまずい物が凝縮しているに違いない。そして、ここにあるのが値するだろう。つまり、これらを誰かに渡せれば……。

 しかし、時間は長くない。酸素が足りなくなるかもしれない。


「…………よし」


 俺はさらに漁ることにした。できるだけ迅速に。






「おかしいですね」


「どうした?」


「……まさか……!」


 僕の考え通りなら、彼は急いで窓から飛び降りるかと思ったのだが……。彼はまだ中にいるつもりなのか? だとしたら……まずい。

 目の前は橙に染まっている。


「彼は命を賭してまで僕たちをおびき寄せている可能性があります」


「…………このままだと本当に大火事になりかねないぞ」


「それに関しては大丈夫です」


 問題なのは彼の生存と罠に態と嵌まるタイミングだ。今、考えているのも惜しいくらいだ。下手をすれば、柩で久しぶりの対面だ。そして、彼は準備が調っている。いくらでも対処できる体制にあるのだ。


「…………」


「早くしないとお互いに危ない」


 全くもっての正論だ。


「ですが……」


「炎は二階まで燃え上がっているはずだ。だからあいつは逃げれないだろう? 袋の鼠じゃないか! そうするのがお前の策略じゃないのか!」


「…………」


 実際、危険なのは彼だけではない。中に居続ける僕らもなのだ。本当だったら星さんは外で待たせたかった。僕が身を差し出してまで解決しなきゃいけない事件だったから……。


「……すみませんね」


「……? 何がだ?」


「あなたにまで危害を加えてしまって……」


「…………それはあいつを捕まえてからにするんだな」


「違いますよ。あなたが死ぬ前に言わないと採算合わないですから」


「……早くしろ」


「わかりました」


 僕は背後に設置されている四角い箱に手を伸ばす。ここの予備電源だ。随分と熱が篭っている。僕は黒い出っ張りを上にあげた。かなり不安だ。もし作動しなかったら……。



……バチンッ……



 しかし、あっさりと予想を裏切ってくれた。


「……なるほどな」


「少ししたらすぐ行きますよ!」






「…………水?」


 突如として部屋を包み込む水滴たち。天井にいくつか付いている金属から吹き出していた。瞬く間に全身が重くなった。ほんの一瞬だけあの時の湿りが思い浮かぶ。しかし、ほどなくして沈澱していった。

 その前に大変なことになっている。


「濡れちゃまずい……!」


 部屋に積まれた紙たちが水を吸ってしまう!

 しかし、全然手遅れだった。どうやら、段ボールは防水加工されていなく、ふやけてしまっていた。もちろん中身も駄目だった。生き残りは……。


「持って帰りたいが、諦めよう」


 目の前にいたら怒鳴り付けてやりたい。いてほしくないが。

 そんなことよりも、この行為を理解できない。どちらも消却したいのなら、ほっとけばいいだけだ。なのに強行手段を台なしにさせた……。

 考えなければならないのは、俺を殺すのが目的なのか否かなのだ。つまり、直接手を下すか捕まえるかのどちらかということ。一体何の理由でかはわからないが、どちらにも言えることが二つある。


「……行こう」


 ここに留まっていても時間の無駄だということ。

 俺は中腰になって部屋から出た。上は真っ黒になっていて見える見えないの問題ではない。かといって中腰になってみても、視界はあまりよくなかった。下手したら……。

 そしてもう一つ。


「…………ふぅ」


 直接出会うことだ。

 相手は何らかの理由で直接殺しに来る。俺との接触は避けられないだろう。だから逆に利用して、迎え撃ってやる。これで。

 しかし、俺の元来の目的が違うことにやっと気付いた。それは美浦の情報だ。あくまでもそれが知りたいわけであって、敵を殲滅するのは違う。


「…………ひとまず、様子見ってことにするか」


 しかし、修正はきかなかった。

 俺は右手で逆に持って慎重に歩いていった。







「行きますよ! マスクはしっかり着けてください!」


「くそっ! ほとんど真っ暗だ!」


 正しく恵みの雨。熱を吸い取ってくれる。

 防火用のスプリンクラーを作動させたのだ。すぐに動かしてしまうとただのボヤで終わってしまう。だから、ある程度炎を成長させる必要があったのだ。身を削ってまでも。そしてもう一つの狙いは……。


「下の明かりを辿ってください!」


「わかった!」


 このためだ。暗闇に乗じて一気に接近できるのだ。もっとも、彼はどこにいるかは、もう予測できないが。

 頭の中に地図を描きながら走っていくと、明かりが一つ分間を空けていた。曲がり角だった。つまりは二階へ行けるはず。案の定、明かりは上に向かっていた。僕らは壁伝いに二段飛ばしで上り切った。

 明かりは三つに分かれていた。


「…………」


「もたもたする暇はない! 俺は右に行くっ!」


「わかりました! 真ん中行きます!」


 僕らは二手に別れた。星さんの背中はあっという間に黒に混じっていった。

 恵みの雨が僕の頭を叩き、顔を伝って中に染み込んでいく。


「……」


 僕はゆっくり歩くことにした。


「…………」


 靴も思い切り吸い込んでいる。みずみずしさが篭った音がシャワーの音と調和して、あの日のことを思い出させる。もっとも、状況がまるで違うが。

 僕が彼を変えてみせる。


「絶対に堕とさせやしませんよ……!」



……ザクッ……



「…………?」



…………



……



 痛い。


「う……………」



……



……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……ピチャ……



「うわあぁああぁぁあぁぁあぁぁぁっっ!」


 いっ痛い! 何が起こった! 刺された! どこを……誰に……!


「…………あっ……」


「…………」


 まさか……陸奥実君……?


「お前……まさか……」


 震えていた。


「瑠璃人か……?」


「…………」


「瑠璃人……!」


 僕の足は勝手に力を失った。体は完全に倒れず、誰かに支えられている。

 虹にぃもこんな気持ちだったのだろうか……。


「何でお前がここに……」


「…………決まってるっじゃないですか……」


 あなたを捜しに来たんですよ……。

 傷みは徐々に体中に染み渡り、やがて頭が落ち着いていく。刺された所から水に溶け込んでいくのを感じる。僕は仰向けにされた。

 なんて一瞬なんだろう。たった一回だけ刺されるだけでこんなに痛いし、全て見えなくなってくる。

 久しぶりの再会が本当に棺になるのか……?

 皮肉だ。


「大人しく……しろよ……! 血……止めるから……」


「……無理ですよ……。だってこんなに出てるじゃないですか……」


 僕は死ぬのか……。その間際に一つだけ思い出したことがある。

 “最も親しい友人を殺せば、所有者は救われる”……。陸奥実君は遂に救われることになるんだ。僕を生贄にして。

 でも、嬉しい。逆に言えば、陸奥実君は僕を“親友”として認めてくれたんだ。だから僕を殺してくれた……。なんだか気持ち悪い考えだ。これじゃそういう人みたいじゃないか。

 ……。彼の気持ちはどうなのかはわからないが、僕は勝手に思い込んで行くことにする。


「……陸奥実君」


「……くそ! 水のせいで血が止まらない!」


「あはは……」


 策士策に溺れる。


「陸奥実君……」


「何だよ……! 喋るな……」


「……あの……」


 その前に陸奥実君に一つ聞きたい……。とても言いにくいことだけど……。


「……僕のことを“親友”と思ってるのですか……?」


「…………」


 陸奥実君は押し黙ってしまった。

 でもそれは僅かだった。


「当然だろ……」


 照れ臭そうに呟いた。…………ありがとう。


「これで僕も少しだけ非情になれます……」


「…………?」



ガンッ!






「……来ましたね」


「大事か? 怪我は?」


「えっと、頭がくらくらします……」


「……救急車呼ぶか?」


「徹さんがいるから大事に至らないと思います」


「……俺は結局、何もできなかったな」


「そんなことはありません! 僕を助けてくれたじゃないですか」


「…………」


「これで貸しが二つになりましたね」


「貸しを作った覚えはない」


「なんで僕の周りには照れ屋さんばかりなのでしょうか……」


「……とりあえず、一件落着だな」


「と言いたいところなのですが、これからが勝負ですよ」


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