十九戒目「現実・上」
「よし、それでは全員準備に取りかかってくれ。細かな質問は私にしてくれ」
「あ、あの……いいでしょうか?」
「ん? どうした?」
「あの……、燕の巣がかなり高いところにあるんですが……。どうしたらいいでしょうか?」
「構わない。もし手だてがないなら、強行していい。私たちが欲しいのは巣ではないのからな。あとで直してあげればよいだけだ」
「分かりました。ありがとうございました」
「うむ。頑張って」
「あ、―――さん、ちょっとお話があるのですが、よろしいでしょうか?」
「どうした? また質問か?」
「いえ、実は燕にはかなり種類があるようで、もしかしたら間違いの可能性があると……」
「何? つまり、私たちが食べたい燕ではないということ?」
「……いかにも……」
「……仕方ない。先ほどの者と連携を取り、状況を随時報告」
「……手段は?」
「問わない。ただし、燕には絶対に危害を加えてはならない。不測の事態になったら機会を窺って即撤収。……いい?」
「了解しました」
「…………燕の巣が食べたいのなら、高級レストランに行けばいいのに……」
空が泣いている。
幾千幾万の涙が地に降り注ぐ。風はほとんどないので真っ直ぐ伝っていった。不時着時の音が途絶えることなく連続している。テレビの砂嵐に近い。
久々に感じる休み。この頃は時間の流れが緩やかに感じる。悪い意味ではない。でも、それが逆に怖いというのもあった。
「…………ふぅ」
そういえば、前にも似たような場面のような気がする。いや、なかった気もする。つまりは意味をそんなに含んではいないということだ。忘れてしまおう。
七日。昨日の夕方はまだ晴れていたというのに、残念だ。でも時には必要なのだろう。
「今日は家でじっとしてろってことか……」
ふとして、机の上にあるものが見えた。いつぞやかに撮った写真。木製の写真立てに納められている。三人の変な顔に囲まれている笑顔。今思い出すだけで笑えてくる。 俺は、コンタクトを容器に入れて側に置いた。
「たまには、これで過ごすか。意外と疲れるし……」
まさか見られてるわけでもない。ここは絶対不可侵空間なのだ。しかし暇だ。
「……やっぱり寝るか……」
ヴヴヴヴ……ヴヴヴヴ……ヴヴヴヴ……ヴヴ……
携帯がバイブした。居間の方からものうるさく鳴る。それが唯一身近に感じるものだった。
そちらに行くと、テーブルに置いてあった。そして丁度止まった。メールらしい。
「誰からだ……? 棗さんか……?」
適当にいじって開いてみると、欄の一番上に名前が表示される。俺はそれを見て嬉しくなった。
「美浦さんからじゃないか……! やっと繋がったんだ……!」
急いで内容を確認する。
「………………行こう……」
無駄をすることなく身支度を済ませ、家を出ていった。もちろんコンタクトも鍵も余すことなく掛けていく。
[実は例の事についての話なんだけど……来てくれないかしら? 直接会って話がしたいの。場所はいつものところで、時間は十時から四時の間に来て。仕事の合間に話すわ。]
出来れば今日は休みたかった。そうすれば、陸奥実君との時間が増えたのに。あの婦長のせいね。でも愚痴っても仕方がない。一昨日まで休んでいたのだから。
「今日来てくれるかしら……?」
多少なりとも不安がある。期限も僅かになってしまってその恐怖から身が縮み込んでいるのでは……と。私の期限は当分先。最低、手紙によって死ぬことはない。尤も、ガセでなかったらの話だ。
「先輩……」
「? どうしたの?」
楠波が隣にいるのを忘れかけていた。そして私たちが病院食を運んでいるのにも。
「彼に連絡したんですか?」
「……したわ。今は電源切ってるから返事はわからないけどね」
「ついに先輩も結婚への道のりが……」
いけない。楠波の超強力な妄想が始まった。日が経つごとに鍛えられていくこれは限界を知らなかった。ちなみにずっと前は、私と楠波が……止めておこう。
とりあえず、頭を叩いておく。
「キャッ! 何するんですかぁ〜!」
「相変わらず想像力豊かね。ほら、前見ないと……」
「ぅうわっ!」
案の定、ずっこけた。お皿やコップなどの食器たちが宙を舞い……光り輝き……回転しながら……。
ガシャァァパキィィィパリイィィィ……!
テンポよく割れていった。
院内騒然。松葉杖をついて歩く老人、点滴片手に座る女性、母親と手を繋ぐ少女、傘を手に持つ青年たちがこちらを観ていた。全員一つの想いが込められている。私もそのうちの一人になりたかった。
数秒後、どこからともなく聞こえてくる。スリッパを擦らし、ぶつかる音……。もちろん彼女だった。
「まっ、まずいですよ! なんとかしな……先輩?」
楠波の振り向いた先に私はいなかった。
「えっ! 先輩がいない! 私を見捨てましたねぇ〜!」
「さて坂菜さん、今すぐにいきましょうね?」
「うわぁぁぁ! せんぱぁぁい! 助けてくださいぃぃぃ!」
許してね楠波。私は迎えに行かなきゃいけないの。
私は楠波たちから目を背けるように立ち去った。
「待ち合わせはここだったよな……」
入り口入ってすぐ脇にある長椅子。そこがいつもの場所だった。中まで入って探していると日が暮れてしまう。夏休みあたりはそうするように決めたのだ。
持ってきておいた傘を何度か開いて粒を落とす。なるべく中に飛び散らないように外に向かってやった。そして先端からねじり、ボタンで留める。湿っていた。
「……ふぅ」
病院というのは意外に退屈だ。携帯はもちろん、周りに被害の出るようなものは一切禁止。それはどの施設でも言えることだが。
唯一の暇つぶしは読書だ。でも、忘れたのは言うまでもない。結局、ガラス越しに外の景色を見ることしかなかった。
「…………」
一本の線のような雨は芝生へと消える。遮られることなく。それがいくつ繰り返しているのかを数えるのは至難だ。というより無理だ。
でも何気に暇をつぶせる。
「あら、何してるの?」
「……あっ……」
そこへ私服姿の美浦さんがやってきた。軽く会釈を交わす。
「いえ、暇つぶしですよ」
「へぇ……」
深く追求されると逆に恥ずかしい。
「仕事は終わったんですか?」
「えぇ。後輩にやってもらってるの。快く引き受けてくれたわ」
「そうですか」
わざわざ無理をしてくれてまで話したいことなのか。感謝の気持ちとは裏腹に緊張が走った。それを読みとってのことだろうか、先に外に向かった。俺もついていく。
相変わらず降り続いている。ところどころに暗く薄く広がる雲から。その冷えた空気が体中を包んでいる。
「さて陸奥実君、どこか行く?」
「いや、特にありませんが……」
「じゃあランチにしましょっか。今車出すから待ってて」
「はい」
美浦さんはビニール傘を差して雨の中に消えていった。
ふとして、ポケットが微震を訴えているのに気がついた。取り出してみる。
「瑠璃人? 珍しいな、あいつから来るなんて……」
今日はどうやら珍しい事が集約されているようだ。
ちょっとドキドキしながらメールを確認した。
[陸奥実君、もし危険と感じたなら僕の携帯に繋いでおいてください。]
「?」
意味が分からない。なぜそうする必要があるんだろう? そして一体何を根拠にしかもこのタイミングで警告するんだ? 瑠璃人は相変わらずだ。
しかし、何を考えているかわかるやつじゃないが、人の忠告は無視しない方がいい。すぐに返事をした。
[何を考えているのかわからないが、ありがとな。心に留めておくよ。]
しかし、返事をしたと同時にまたメールが着た。しかも同じ人からだった。
[できればこのメールを見てからずっと繋いでいてください。理由はお話しできませんが、念のためにお願いします。]
「……?」
明らかに異常。先ほどの通り、何を根拠に考えているのかわからない。瑠璃人はずっと俺を見ているわけではないし、聞いているわけでもない。メールでは重要性が上手く伝わってこないので捉えづらい。仮に、これから俺の身に何かが起こるからと考えても信憑性に欠ける。
「……! そうだった。忘れてた」
ふっと思い出し、今までの考えを全て消去する。何となく背徳感を感じてしまう。
「……通話料金が嵩むだろうけど……仕方ない。あいつの顔を立ててやるか」
電話帳で瑠璃人のを探し、ボタンを押す。呼び出し音が鳴り始めた。
一応話せるかと耳に当てた瞬間、白い車が目の前に止まった。反射的に閉じてポケットにしまう。中で黒いサングラスをかけた美浦さんがいた。何気に似合っている。
「乗って」
見た目、某高級車に似ている。いや、それだった。異様に光る銀色のマークが物語っている。
ドアを開けて助手席に座った。ちょっとふかふかしてて気持ちいい。あとシートベルトもしっかりする。万全だ。
「なかなかかっこいいでしょう? こういうの好きなのよ」
「えぇ、すごいです。二つの意味で緊張しますよ」
「あら、もしかしてお姉さんとドライブは恥ずかしい?」
「まぁ……ノーコメントで」
「うふふ……それじゃ行きましょう」
車はやや低音で走り出した。
スピードはそんなに出ていないが、アクセルを踏み込めば制限速度の二倍はすぐ出るだろう。メーターの表示に見たこともない“2”を見つけてしまった頃には、心臓が早くなる。
途中で信号に突っかかった。
「どう? 乗り心地は?」
「かなりいいです」
「ちょっとカタくなってるわ。リラックス、リラックス!」
少し無理がある。
でも言われるように深呼吸を繰り返してみる。すると、仄かに鼻に残るものがあった。何というか、香草に近い。変にきつくないいい香りだ。
「いいですね。居眠りできますよ」
「そう? 私は眠気覚ましにやってるんだけど……」
「居眠り運転防止ですか?」
「えぇ。こう見えて結構事故ってたのよ」
ここ最近は特に居眠りと飲酒運転が多発している。飲酒に限っては何年か前から厳しくなったが、それでも起きている。
「仕方ないのよね。人間だって完璧じゃないもの……」
「…………」
赤信号。車は不安なく止まった。しかし、横断歩道を踏み出してしまった。美浦さんはにっこりした。いかにも。
「あ、あの、ところで、話したいことってなんですか?」
「?」
「ほら、メールでくれたじゃないですか」
「……忘れてたわ」
思わずずっこけそうになった。それが目的で呼び出したんじゃないのか?
信号が青を示し、再び発進した。
「嘘よ。そうね……、あなたって気になったことない?」
「? 何をです?」
「手紙の内容よ。あれを読み返すうちにおかしな点を見つけたの」
手紙に? 確かに、様々な疑問はあるのだが……。
「“方法の一番”って意味分からないのよ」
「方法の一番……? って確か……」
俺の記憶が正しければ、“素直に諦める”だった気がする。確かに考えてみればおかしい。他のでは他人を条件下で殺さなければ助からない。でも、これの場合……あれ?
「気付いたわね」
「……これだと、何もせずに諦めれば死なないことになりますね」
「そうね」
つまり、最初から“一番”を選んでいれば、こんなに騒ぎ立てる必要はない。……理解できた。
「だけど引っかからない? そんなのなら、みんなそっちを選ぶわよね? 何もしなければいいわけなのだから」
「……」
人を殺めてしまうよりもどのくらい楽なのだろう。諦めれば死なない。だが俺には、そこへ誘導しているようにも感じる。
そもそも“何に対して諦める”のかがわからない。文脈に沿ると、“人を殺すのを諦める”と受け取れる。
「意味がない……。どちらを選んでも助かってしまう……?」
じゃあこの手紙は何の為に存在しているんだ? ……いや、待てよ? 違う。仮に“一番”を選ばずに実行したとすると、諦めたことにならない。最後まで粘り続けて失敗したら……
アウトだ。
「一体“一番”は何をさせたいんでしょう?」
「さあ……」
意外に反応は薄かった。だからか、話題を切り替えた。
「あなたはどうするの?」
「……え?」
「もう一週間近くしかないのよ? あなたの期限は……」
「……」
自分でこう言うのもなんだが、死が近づいているという実感が湧かない。死に対する恐怖は持っている。しかし、そんな手紙だのなんだので死ぬという自覚がない。
「とりあえず、焦らずに行こうかと思います」
「ふふ……、呆れた……」
「あはは……。自分でも思います」
まだ時間はある。それが短いかどうかはわからない。でも、絶望ではない。頼れる仲間もいる。もしかしたら、それが実感を鈍らせているのかもしれない。
「……なるほど……」
陸奥実君は関係しているのでなく、大元の一部だったのか。そしてこれがバレていないことから、お互いにほぼ完全に信頼し合っている。
でも、用心に越したことはない。万が一になったら救出できなくなる。僕にとってこれは命の綱だ。
「…………」
明らかに異常だ。自分の命を護るために人を殺すなんて馬鹿げている。そんなものがあるはずない。
陸奥実君が関係しているとは正直思いたくはなかったが、現実はそうなっている。僕もどうすれば助けられるのかずっと考えていた。わからない、わからなかった。殺す以外に方法は……ない……。
でもそれ以前に僕は最低な事をしている。
「…………っ……!」
「……瑠璃人、何してるんだい?」
「!」
「携帯とにらめっこして、だいぶ苛ついているようだけど……」
「虹にぃ……」
……気づかなかった。
「部屋に籠もりっぱなしでどうしたんだい? もう昼ご飯はできてるぞ」
「……はい……、今すぐ行きます……」
陸奥実君を餌にしてやろうなんて馬鹿げている。それでも陸奥実君は受け入れてくれた。その瞬間、僕は最低な人間になったのだ。
僕は虹にぃを部屋から出たのを見計らって、携帯を机に置いて行った。
「…………んゅ……」
「…………」
「……なに悦になってるのよ? 早く起こしなさい」
「だって彼、私のタイプなんだもん……! ホントに高校生? 可愛い……!」
「いいから早く起こしなさい!」
「わかりました。……ねぇ、起きてよ……」
「……っ……」




