十九戒目「現実・下」
「……んぅ…………ん?」
目が覚めた。
いつの間にか眠っていたようだ。体がまだ寝たりなさそうに重い。
しかも、なぜかお尻が痛かった。硬い。まるで学校の椅子に無理矢理座れさせられるようだ。そして、手足は縛られている。どうやら針金のようだ。目を開けても暗い。目を塞がれているらしい。つまり、身動き一つ取れない状況下である。
それらを理解するのに数分を要した。しかし、なぜ自分がこんな状況になっているのかはさっぱりだった。
「……誰かいるのか?」
………………
返事がない。
誰かが息を潜めている感じもない。人は居ないようだ。そして、この目隠しの隙間からでも何も見えないということは、灯りは消されている。
俺はできる限りに足を上げ、床を蹴る。そこから気持ちのいい音が反響する。しかし、そんなには広くないようだ。
「……くそ」
何でこうなった?
俺の覚えている限りでは、どこかに入った瞬間に眠くなって……。意識が飛んだ。つまり、眠らされたということか。ならば何の為に……?
その時、やけに重々しい轟音がした。微かに引きずっている。
「…………てるみたいですよ」
「……、……ゃあ外しなさい」
女性の声が約二つ、近づいてきた。その時間からやはり、広くはないことを裏付ける。
狸寝入りすればもっと情報が入るかもしれない。しかし、ある一人が的確に目隠しに手を掛け、剥ぎ取った。目を開ければ見える状態。だがやるわけにはいかない。
「……点けて」
そう決心した途端に光に照らされた。真っ暗からいきなり眩しくなり、反射的に渋らせてしまった。
「この子、やっぱり……」
「今から十秒以内に起きなさい。さもないと、撃つわ」
……撃つ?
「十、九、八、……」
相手は拳銃を持っているのか!
「四、三、二」
「わかった。起きる」
俺は仕方なく観念した。
しかし、状況は最悪だった。いや、認めたくなかった。
「あなたは……!」
「……お久しぶりね」
いつの間にか肩までしかなくなった金髪に端麗な顔、そして何より、エメラルドグリーンに染められた瞳。全ては彼女のものだった。
「…………!」
「あら、陸奥実君じゃない? どうしたの?」
「ふざけないでくださいっ!」
美浦さんは冷笑を浮かべていた。共に、黒い物体を連れ添いに渡す。
その直後、目の前がぼやけて頭が痛みを訴えた。なんだ? ……頭が割れるように痛い!
「さっきまでの威勢はどこにいったのかしらね? ……くすくす……」
「……はぁ……、う、うるさい……! っぐっ……!」
「……ふふ……」
笑っていやがって……!
意識を保つだけで精一杯だ。何かを盛られたようだ。気持ち悪い、体が浮く。頭の中が脈打っているのを感じてしまう。
しかし、その分なぜか冷静さとか何やらが湧きだしていた。様子を窺っている今がチャンスなんだ。痛みを堪えて、言う。
「……なっ、なんであなたが……、こんなことっを……?」
「! 陽、あれって確か……」
「えぇ、この子の精神力がすごいだけよ。尤も、それもあと少しだけど……」
“あれ”……? 薬物か……? 連れ添いの驚きようからして、強力らしい……。
「まぁいいわ。どうせ死ぬわ。“手紙”でね……」
「! どういうことっだ……!」
「あら、もう忘れたの? あなた死ぬじゃない。九月十六日に……」
「……!」
何を血迷ったことを……!
「かなり驚いてるようだけど、あなたは信じてたじゃない?」
「……あれは違うっ!」
「あら? 違うのなら何なのよ?」
「……っ……!」
俺の誕生日になった瞬間、訪れる“死”。美浦さんに言ったり自分で考えてたりとかしていたが、やはり心のどこかで思っている。
こんな馬鹿げた話があるわけない、と。第一、この話は根本的に疑問だった。……なぜなら……。
……いや待て。興奮するな! 落ち着け、落ち着け! 美浦さんは動揺を誘っているんだ。俺の判断力を奪うために。
バレないように深呼吸を繰り返す。知らず知らず垂らしていた汗は引き、心臓もある程度緩和していく。頭痛も少しずつ治まっていく気がする。……よし。
「確かに、信じていましたよ……。ですが、確証が……」
「いや、あるわ」
「えっ?」
まるで断ち切るかのような否定。美浦さんは勝ち誇った表情だった。
すると隣にいた女性がタイミングよく、一枚の紙を見せてきた。
「この方、誰かわかる?」
それは一枚丸々、男性の写真だった。ちょっと怖そうな人だが、真面目そうで何より誰かに似ている。見覚えはなかった。いや、忘れているだけかもしれない。
話によれば、この人は手紙の犠牲者だという。そんな手に引っかかるわけはない。
「でっち上げだ!」
「そうかしら? 名前は岡本 和美、年齢は二十二」
「だから……! 岡本、和美……? 」
岡本……、岡本……!
「……ふざけるのもいい加減にしろ! つい二週間くらい前にうちに来たんだ! しかも犠牲者だと? 有り得ない!」
さっきから神経を逆撫でしやがって……! 何から何まで苛立ってくる。第一、俺を誘拐した理由は何なんだ? 何か得があるのか?
「いいでしょう。それなら、話してあげるわ。真相をね……」
「真相だって?」
「えぇ」
何を狙っているのかがわからない。いや、あるいは意味を持っていないのかもしれない。
とにかく、拘束されている以上は変に挑発しないほうがいい。気が変わって殺されてしまう。
話は始まった。
「彼は陸奥実君よりずっと前に手紙を受け取っていた。私たちのように郵便受けに直接……」
「……」
「最初は同じだったようね。随分とくしゃくしゃになってたわ……」
「……!」
一つ目。
「八月二十五日、突然の行方不明になり、翌日の夕方にどこかの川の畔にいたそうよ。血まみれの死体でね……。気の毒に、お父さんの背中を追いすぎたのかしら? ……うふふふふふふ……」
「あんた、腐ってる……!」
今までで一番最悪で不謹慎だ。
俺は目を怒らして睨む。敵意と憎しみを込めたつもりだ。だが、美浦さんはそれを相手にせずに、逆に俺を観察する。まるでショーケースのおもちゃを見るように。気持ち悪くて仕方なかった。それは束の間だった。
「それで、もう少し詳しく調べたのよ。そしたら……面白かったわぁ」
「?」
「彼、父親殺しだったのね」
…………
……
……父親……殺し……?
「あんた、何言って……」
「八月十五日、午後八時十分頃、父親がメッタ刺しに遭い、死亡。……これは知ってるわね?」
覚えていないはずがない。だって先生のご遺族が自ら打ち明けてくれたのだから……。
「彼は“方法”を父親に実行したのよ」
「……?」
「つまり、直接手を下したってことね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……! いくらなんでも無理やりすぎる! 先生をメッタ刺しにした犯人が和美さんなんて……! それに、それなら警察だってとっくに逮捕してるはずだ!」
「“灯台下暗し”ってやつね。まさか、通り魔が息子だったなんて予想できるはずがないもの」
「……いや、まさか……?」
有り得るはずがないと確信していたのにもかかわらず、逆のことしか思い浮かばない。
和美さんはどことなく苛ついていた。もしかすると焦っていたかもしれない。先生を殺したのは俺だとなぜか決めつけていて、俺は当たり前だと思い込んでいた。しかし、いくら現場が家に近くて俺に会ったというだけで犯人(本当は違うが)とするのは早計だ。
和美さんは俺に罪を被せようとした……? いや、落ち着け! よく考えろ! 美浦さんは和美さんは死んだと言った。ならば根本的に矛盾しているではないか。
やはり、フェイク。
「それ、嘘ですよね?」
「……なぜかしら?」
一瞬眉間が鋭く動くのを見逃さない。
「仮にそれらが真実とすると、和美さんは亡くなっているじゃないですか。“手紙”を持っているなら、それに殺されたのは矛盾しています。だからこれ全ては嘘だ!」
「……」
そして持っていなかったとしても、美浦さんの話は嘘になる。この事は言わなくてもわかっているだろう。案の定、黙り込んでいた。
しかし、沈黙を破ったのも美浦さんだった。しかもなぜか笑いを零す。
「……言ったでしょ? これは真相だって……。あなたは予想以上にできるわね。……さて、次は私の番かしら?」
負け犬の遠吠えに聞こえる。
美浦さんは冷笑を馳せていた。
「彼の“方法”は“自分の家族を一人だけ抹殺する”。それ以外にもあったけれど、これが一番当てはまると思うわ」
「……それで」
「……やっぱりあなたでも気付かないのかしら? ……うふふふ……」
「? 意味が分からない」
今のでわかったのは一つだけだ。それなのに“気付かない”と言う。全くもって意味が分からない。
しかし、話はすぐに進んでしまった。
「時間はあげないわ。なくなってきたからね。簡単に言うと、“方法に失敗が生じたから”なのよ」
「“方法”に、失敗……?」
仮に和美さんが本当にしたとすると、単純に条件に満たなかったからということになる。しかし、身内を抹殺したのに失敗した、という矛盾がまた発生する。さっきから矛盾ばかりだ。
「じゃあ矛盾を解決するから、聞いていなさい」
「……!」
まさか……?
「彼と父親はもちろん家族関係にある。でもそれは、あくまでもお互いが認識し合って初めて“家族”になるのよ。……わかる?」
「……何が、言いたいんですか……?」
「彼らの間にはそれを認識する暇がなかった。つまり、彼は闇討ちをしたことになる。本人は気付くわけないわ。それはきっと死んだ後でもわからないでしょうね……」
「…………」
和美さんは先生を襲った。夜間に。それはおそらく身元を示さないためだったのだろう。でも、それが逆に妨げとなってしまった。最終的に被害者と加害者の関係に尽きてしまう。つまり、“お互いが家族ではなかった”ため、失敗……。
あまりに出来すぎた、そして強引すぎる。しかし不備はないし、寧ろ可能性が出てくる。
じゃああの怒りは何だったんだ! 自分の父親が殺されたことに、犯人が見つからないことに腹立たしくて八つ当たりしたんじゃないのか! あの行動、言葉、涙は演技だったのか……!
「……くそ! 遅すぎる! 何もかもが……!」
哀れじゃないか……。手紙の存在はおろか、全て罷り通ってしまった。そして……。
「今度はあなたの番よ」
いつの間にか用意された注射。先ほどのやつだろうか、容器越しに見える景色が濁っている。手足は拘束され、時間は失い、気力なんか燃え尽きてしまった。
ちゃんと中の溶液を出して具合を確かめる。ゆっくりと綺麗なアーチを描く。きっとどうにかされるんだろうな……。この人の都合のいいように操られるのだろう。
ふとある事を思い出す。最後の鼬っ屁ってやつだ。
「真犯人は、みうら…………」
「……虹にぃ、早く! 早くしてください!」
「わかってる! 仲間にも要請した! 鼠一匹逃がしはしない!」
僕は今、パトカーに乗っている。虹にぃにお願いしてやってもらった。何時間か前から出動したのだ。
この時点で既に二日間以上経っていた。誘拐された時点で虹にぃにお願いしていれば……。僕は馬鹿だ! まさか、あっちから切られるなんて思いもしなかった。間違いなくターゲットは気付いたのだ。せめて、名前だけでも……。
パトカーは甲高くサイレンを鳴らしながらかっ飛ばしていく。
「なんで早くしなかったんだ!」
「すみません……!」
「まったく! それで、次は!」
「そこの信号を左です!」
やや乱暴に急カーブする。右に体が寄るがすぐ直った。黒い棒がフロントガラスを濾しとり、飛び散る雨をすり落としていく。
陸奥実君の現在位置は明らかだ。携帯の機能で判明していた。陸奥実君に渡しておいたのが不幸中の幸いだ。電池まで取られなくてよかった。
とにかく急がないと……。
「殺させはしない!」
着いたのはその約三十分後。そんなに大きくないしっかりした廃墟だった。街からかなり離れて位置し、人影もない。車もなかった。それはそうだ。
林の中なのだから。
他のパトカーも続々と到着し、武装した警官が出てきた。その物騒とした中に見知ったのがいた。
「あ、あなた方は……」
「新戸君!」
「おぉ!」
「奇遇やなぁ!」
あの三人組だった。一体なぜ……?
「どうしてあなた方が……?」
「あぁ? とりあえず、いろいろあったんだよ」
「そんなことより、流さんはこの中にいるんですか!」
陸奥実君を心配していたのは僕だけではなかった。当然だ。今日は……火曜日。
容赦なく打ちつける雨は異様に冷えていて、気持ちが悪い。寒気が足元から這い上がってくるようだった。
それを察してか、別の警官が無言でやってきた。そして僕に目配せをする。すべきことはわかっている。
「はい、間違いありません! ですが、僕らはここで見守りましょう。素人の出る幕ではありません……」
僕たちは面識のない警官とパトカーに戻る。生い茂った草を踏む度にみずみずしい感触を覚える。やけに鬱陶しい。
そして乗り込んだ。警官は目で礼を言う。
その意味はそれだけではないとわかっていた。伊達に虹にぃにくっついていたわけではない。
そして程なくして、虹にぃが先陣を切り、警官たちが中になだれ込んでいった。僕たちはただ祈るしかなかった。
「流さん……!」
気がつけば数十分後、虹にぃが真っ先に戻ってきた。護衛の警官が窓を開ける。僕はそれに身を乗り出した。
「陸奥実君は! どうなんですか虹にぃ!」
他の三人もそれに乗じた。
虹にぃは強張っていた。
「陸奥実君の身柄は確保した」
「本当っすか! じゃあ今にでも……」
「駄目だ」
いつもの虹にぃの声ではなかった。職務に専念している声だった。せめて一目でも会いたい、誰もがそう思っている。だが見せたくない。虹にぃはそう意味を含めて言ったのだ。つまり……。
僕はとっさに前にいる人に指さした。
「あの人が呼んでいますよ?」
「え?」
そっちに向いた。その一瞬を見逃さない。
僕は開いた窓をすり抜けるように外に出た。そして一気に走った。鈍い虹にぃが気づいたときにはもう遅い。三人も出ようとしたが、一人しか来れなかった。陸奥実君の隣の女子だった。
「僕は大丈夫ですが、東條さんは……」
「大丈夫ですよ! 私は強いですから!」
物理的に強くても精神的に……。
全身に浴びながら僕らは中に入った。一歩毎に濡れた音がする。体と同調して程度がわからなくなっていた。
中はまるでどこかのホテルみたいだ。しかしそんな華やかなものでは全くない。酷い臭いが散乱し、辺りは茶色か黒か灰色。形容しにくい。衛生的にもよくなさそうだ。
近くにいた警官に教えてもらい、そこへ向かった。途中、虹にぃの許可について聞かれたが、適当に誤魔化しておいた。そんなのはどうでもいい。
話していくうちに扉に直面した。
「ここだ……。調べてる人もいるから邪魔はダメだぞ」
「わかっています。これでも心得ていますから」
「そうか、……いいぞ」
目の前の扉は重々しく開かれた。なぜか真新しい。かなり重いようで僕らも手伝った。
「……うっ」
「……何ですか、これ……?」
まず襲ってきたのは、強烈な臭いだった。目眩がする。入った時のやつの根源のようだ。そして眩しいほどの白。ここは完全に診療室だった。誰かがここを定期的に使っていた可能性が高い。
検察官たちが様々な道具を駆使して調べていた。そこに犯人らしき人影はいない。
「俺らがここに入ったときは既に蛻の殻だった。隠れた様子もない」
「逃げ足の早い……」
あまり広くはない部屋の奥の一隅に検察官が集まっていた。中は窺えない。そちらへ向かった。
「大丈夫だ。君を保護しに来たんだ。心配しなくていい」
「………………」
返事はない。おおよその予想はついている。
「どいてください! どいて!」
東條さんと連携して人混みをかき分ける。数秒もしなかった。そして……。
「…………! 流さん!」
「陸奥実君!」
「…………」
そこにはタオルにくるまれた陸奥実君がいた。壁にもたれ、体中に力が入っていなく、何よりも目に光がなかった。こちらに気づく様子もなくただうずくまっている。それは僕の予想していた二番目に最悪なシナリオだった。
陸奥実君はとても小さく震えていた。
「…………ぅ、……め、て……」
「……!」
「流さん! しっかりしてください!」
東條さんが触れた瞬間に検察官に遮られた。
「君! 今の彼に触れてはならん!」
「! どうしてです……」
東條さんの明らかな敵対。しかし、それはあっという間になくなった。陸奥実君がさらに震えだした。
「うぁぁぁぁぁぁ! ……あぁぁ……なぁぁ……」
「見るな!」
東條さんの目を遮る。それは賢明な判断だった。
陸奥実君は……、壊されてしまった。今までの彼ではない……。
「もぅ、許してよぉ……! ぅっ、……あぅっ……っぅぐっ……」
「陸奥実君……」
「そ、そんな……」
彼女は警官に寄りかかりながら、崩れ落ちた。喉に引っかかるような声もする。僕は彼を見つめた。
僕は今まで彼に言ってきた。あなたの堕ちる姿が見たい、と。あくまでも冗談だった。でも目の前に彼がいて、冗談の通りになっている。あまりにも残酷で、儚い。
人生で初めてだ。こんな思いをするのは。わからないわけではない。知らないわけではない。
自然と流れ落ちた。陸奥実君の傷ついた体に。
「……任務は完了しました」
「ご苦労様。ちょっと疲れたでしょう?」
「はい……。まさか燕があんなに頑張るとは思いませんでした。……あと、今お出ししたのが、ご要望の“燕の巣スープ”です」
「……どれどれ? ……うん、美味しいわね」
「それでは失礼します。…………とその前に」
「? どうしたの?」
「これでよかったのですか?」
「……?」
「―――――が黙ってはいませんよ? 実質、これで相当な時間稼ぎはできますが……」
「大丈夫よ。私の方が一枚も二枚も上手なんだから……。んぅ〜おいし!」




