十七戒目「分岐」
「……先輩、さっきからどうしたんですか? 恋の悩みですか?」
「そんなわけないでしょ。……まぁ、悩みは確かにあるけど……」
「それなら、私が協力しますよ!」
「ふふっ、気持ちだけは貰っておくわ」
楠波は頬を膨らませていじけてしまった。どうやら本当に手伝いたかったようだった。私はてっきりおちょくっているのかと……。
だけど、どちらにせよ私の台詞は変わらないと思う。いや、変わらない。“普通”の人にはとても相談にならない話なのだから……。
「先輩、休み時間終わっちゃいますよ。早く行きましょうよ!」
「はいはい、楠波は元気でいいわね。ちょっと分けてほしいくらい」
「ちょっとと言わず、全部あげますよ!」
それは丁重に断っておいた。
今日はとてもいい感じがする。九月は残暑が続くが、まるで火で炙った石に水をかけたように一気に変わっていく。あの猛暑に比べれば月と鼈だ。そして蝉の鳴き方も僅かに、でも確実に変化し始めている。
私は今は秋だと体で感じたのだった。
「……陸奥実君、ちょっといいですか?」
「あっあぁ。ちょっと待ってろ……、はい上がり」
二枚に重なったトランプが陸奥実君の勝利を告げる。他の五人はそれを呆然と眺めていた。そして打って変わってブーイングの嵐が打ちつける。ちなみにA二枚だった。
「全く、そういうのを“負け犬の遠吠え”というんだ。じゃあ後はやっててくれ。……行くぞ」
「は、はい……」
「むつみぃぃぃ! 絶対地獄にたたき落としてやるからなぁ!」
そんな荒々しい中とりあえず、教室をさっさと出た。
僕ら二人は別空間に出た。あの騒がしい雰囲気がドア一枚でシャットアウトされる。多少は漏れているものの、振動が殺され耳に届くまでには微動になっている。さすがにパワフルだ。
廊下は右手の一組方向には誰もいなく、逆の八組方向には数人しかいない。
「たかがトランプなのに熱くなった」
「……いいじゃないですか。僕は改めて陸奥実君の頭脳明晰ぶりを拝見しましたよ」
大富豪。またの名を大貧民。
トランプゲームの一つでポピュラーなゲーム。あまりに有名なためにローカルルールが存在している。例えば“11”、通称は“イレブンバック”。名称でも複数存在しているのに、効果も複数ある。どこかの地方では、バック、つまり“3”が強くなるかそのままかを選べる。違うところでは、強制的にバックしなければならないという。
また、“11”は禁止上がりに分類されることもある。禁止上がりとはご存知の通り、その数字で上がると強制的に大貧民されるというものだ。ここでは主に“ジョーカー破りのスペードの3”、“やぎりの8”、“11”、“2”、“ジョーカー”がそれに入っている。
「まぁ、大富豪は相手を推理できるゲームだから面白いな。今度やるか?」
「その機会があればぜひ」
柄にもなく熱く語る陸奥実君はクールな普段に比べ数段幼く見えた。意外な一面が見れてよかった。それと嬉しかった。
「ひとまず、あそこに行きましょうか」
「そうだな。あと二十分くらいで昼休みが終わってしまう」
僕らは少し早めに階段へ向かった。そんなにかからない。目の前にあるから。
それを登り始めた。
適当に話を進めていく僕ら。特に不自然もなく上がっていく。しかし、こんなことは初めてだった。この時間がこんなに……。
急に何かを思い出したらしく、話題を切り替えた。
「ところで、瑠璃人は大事なのか?」
「? 何がですか?」
一旦足を止めた。
「あの……、命が狙われてるっていうのだよ」
……。
丁度五階まであと二、三段くらいの時だった。陸奥実君が……?
瑠璃人は五階まであと数段というところで止まった。いや、何かに目を釘付けにされて意識がこちらに向いていない気もする。瑠璃人が初めて見せる反応だった。
「? どうした? 何か変なものでも見たのか?」
「……あっ、いえ。陸奥実君は相変わらず綺麗だな、と思っただけです」
「……とにかく、早く行くぞ」
不審に(かなり引き気味に)思いながら、再び行動を起こした。五階から屋上へ向かう階段にさしかかる。何かそわそわしている瑠璃人と並ぶようにペースを合わせた。質問に答えてもらうためだった。ふとして目が合うが、無言で返された。
あまり話題にしてほしくないのか、それともすでに解決済みなのかはわからない。だが、明らかに取っ掛かりを感じるのは確かで、いまいち解せなかった。
そんなことを考えていると、ドアに直面した。着いたようだ。
「……開くのか?」
「はい。既に鍵ははずしてありますから入れますよ」
屋上へのドアは職員室にある鍵がないと開かない。しかも生徒はいかなる理由でも立入禁止である。つまり、犯罪である。
罪悪感と共に取っ手をゆっくり捻り、押してみる。老朽化しているのか、耳に障る金属音は下の方まで聞こえるかと思うくらいだった。なので一気に押し退けた。
「……すごい。すごいですね……」
「あぁ。予想してたのとは違う」
空。辺り一面に広がる空。真っ青な空。白い綿飴が浮いている空。まるでそれに包まれているようだった。そして意外に風が少し強い。端っこには落ちないための柵が高く作られている。
中心の方へ歩いていく。その間、瑠璃人の漆黒の髪が激しく舞っていた。そして辿り着くと何となく優越感に浸れた気分になれた。そして、浮遊感を覚えた。……感慨に耽っている場合ではない。
「それで、言いたいことってなんだ? 人をこんなところに呼んでおいて……」
「それにしても、わくわくしてたじゃありませんか。本当は楽しみにしてたのではないですか?」
「……用件はなんだ?」
ある休み時間、瑠璃人が俺に“大事な話がある”と吹き込んできたのだ。あっちが話しかけるのは珍しいが、俺がそれに乗ろうと思ったのも珍しかった。
最初は例の件かと思ったが、先ほどの会話からして違うらしい。まさか、呼んだだけとはあるまい。
瑠璃人はにっこり笑った。
「いや、ただ呼んだだけですよ」
「………………」
……思ったそばから言いやがって……! ……ならば用はない。
「すみません! お願いですから帰らないで下さい! ほんの冗談ですよ!」
「次は絶対に帰るからな……!」
腸の底から沸き上がる血をどうにかして留めた。最近はすぐにいらいらしてしまう。
とりあえず、気持ちを落ち着けてから話を聞くことにした。血が緩やかになっきて、気持ちいいかもしれない。
「すみません。冗談が過ぎました。では話しますね」
「あぁ」
俺らは下へ戻る塔に戻っていった。いくら柵があるからといって、安心できない。むしろ高すぎて怖かった。だが、景色は見ておきたいので、中でなく塔の壁により掛かりながらと話すことにする。
俺はふとして柵の向こう側を見下ろしてみた。たまたまいた先生やら生徒やらがとても小さく見える。すぐに見るのをやめた。
瑠璃人が肩をたたいた。少し謝って、聞く体制になる。
「僕らにはあまり関係ないことですが、念のための話です」
「……」
「……虹にぃから聞いた変な噂です」
「……? 噂?」
真剣に聞いていたのに、噂話だったのか。俺は基本的に噂は噂とでしか受け取っていない。信憑性に欠けるものはあまり好きではない。だが、“念のため”聞いておこう。
瑠璃人は俺の顔色を窺ってから話を再開させた。
「このところよく、殺傷事件が多く発生しています。昨年の二倍くらいらしいです」
「……それは多すぎだな……。世の中は物騒になったものだ」
「年寄り臭い台詞言わないで下さい」
それは置いといて。
「年齢層はバラバラ、その過程も同様です。中には自殺に見せかけるものまであったようです」
「……それが一体……、何なんだ?」
つい、本音が出てしまった。さっさと言ってほしい。しかしなんだろう? この重苦しい空気は? 本人はわからないだろうけど、何というかねばねばしたというかどろっとしたというか、体にまとわりつくような変なものがあった。
その原因はあっさり吐き捨てられた。
「それは……、“手紙”です」
「……!」
手紙……? 手紙って……あれのことか……?
「……かなり内容の悪い手紙のようですが、犯人を取り調べると数名がそれを口にしたそうです」
「…………」
警察に存在がバレた。
存在が知られてはまずい代物だ。しかも警察とあまり関係のない瑠璃人がここまで知っているとなると、浸透度は高い。ただし、俺ら一般市民にはもちろん流れていないから、情報操作がされていると見て間違いない。
「……それはどういうことが書かれているんだ?」
「あれ? 興味あるんですか? 僕はてっきりどうでもいいと……」
「いいから答えろ」
全くこいつは人の揚げ足ばかり取って……!
瑠璃人は含み笑いを添えて返した。
「とりあえず、殺人を唆すことらしいですよ。僕は全て虹にぃから聞いた話なのでよくわかりませんが……」
「……そうか」
どうやら満更でもないようだ。しかしなぜ今の時期になって発生してきたんだ? 頭をフル回転して……。
「……そろそろ帰りましょう」
「え?」
瑠璃人は俺を置き去りにするかのようにそそくさと中へ入っていってしまった。相変わらず急なやつだ。
俺もそれについていく。
「ちなみに、朝からずっとチャイム鳴りませんでしたよね?」
「…………」
俺が考えるのは手紙の方でなく、授業に遅れた理由だった。
「絶対に次こそは勝ってみせますよ!」
「…………」
まさかあそこで“革命”されるとは思わなかった。
俺の最後の一枚は“A”。それで上がりのはずだったのに、棗さんが革命を起こしたのだ。天国から奈落の底にたたき落とされたような、積み木を崩されたような敗北感を……じゃなくて。
俺らは帰っている途中のはず……なのに。
「ブランコって意外に楽しめますねぇ〜!」
「俺は背中を押すだけで楽しくないんだがな……、よっと!」
なぜか公園で戯れていた。
辺りは一色だった。太陽が丸く橙に光を放ち、物や俺らによって遮られる。そこは暗黒の領域だった。二つ以上できている。ブランコの放物線運動で領域は移動し、伸び縮みするが一方のみ。
あの憎き太陽はいつの間にか風情を匂わせる気障なやつに変わっていた。
「流さん、強いです。もう少し弱く押して下さい!」
「……一応手加減してたんだが……、わかった」
真乃の小さい背中が近づいて手に触れさせる。タイミングを見計らって掌全体に力を込めて押す。すると真乃を乗せたブランコは金属を擦れ合わせながら前に揺らぐ。今回は程よく高い。
それ以降も同じくらいに保って押す。時折、態と強くしたりしてじゃれあっていた。そして橙が藍くらいに変わってくる頃、真乃は多少興奮しながら足で運動を止まらせ、降りた。
「……どうした? そろそろか?」
「流さん、今日は何日ですか?」
突拍子にもほどがある。
真乃は空にある境界線を見ていた。
「えっと、テストが二日だったから……五日だ」
「そうですか……五日ですか……」
「何かあるのか?」
「いえ、特にありませんよ。ただ気になっただけです」
真乃はため息混じりに呟いた。
本来ならここで会話を引かせるのだが、やけに気になる点がある。俺は思い切って続けることにした。
「何が気になったんだ?」
「え?」
思った通り、目を見開いた。それがなぜか白々しく、態とらしくも見える。
「何に気になったんだ」
まるで噛みつくように言葉を尖らせる。真乃は肩を竦めて俺から目線を逸らした。その顔には多少なりとも怯えがある。確かにこれでは尋問だ。
「……悪い。変な質問だったな。……気にしないでくれ」
「……いや、いいんです」
真乃はブランコの近くに置いていた二つの鞄を持ってきた。片方を俺に渡す。底に砂埃が付いていたが、軽くはたいて落とした。
「最近流さんにはひどいことばかりしていますから、私に怒ったりしても仕方ありません」
「……あれは罰ゲームだろう? 真乃が悪いわけじゃないし、そもそも怒ったりしていない」
あれは人生最大の汚点だが、自分が悪い。……思い出すのはよそう。
「ほら、暗くなってきたから帰るぞ」
「……はい」
すっかり染め上げられた藍を背に、公園を出ていった。
そういえば、何時間遊んだのだろう?
今日学校が終わったのが三時半過ぎ、そこから真乃と帰る途中で寄り道した。滑り台やら鉄棒やらがあるごく普通の公園に。そこでついさっきまで遊んでいたのか? でも、こんなになるまで遊んだのはなかなか久しい。
すっかり暗くなった道を肩を並べて歩く影。電柱にぶら下がっている電灯も灯り始め、ところどころで俺らを見下ろす。通る度に真乃の顔が照らされていた。
「流さん」
まるで独り言のよう。
「何だ?」
「……な人っていますか?」
「? 何だって?」
「あぁっ、いっいえ、いいですいいです! 気にしないで下さい! ……えへへ……」
「?」
舌を出してちょっと笑った。
今日はつくづく変な真乃だ。こんなことは珍しい。真乃は言うところははっきり言う質だからだ。言葉を濁らせたり曖昧化させるのは何かを考えているか、言いたくないかのどちからかだ。
そんな変な空気を引き連れたまま話が進み、遂に例の分かれ道に着いてしまった。
「……あっ、私はこっちですから……」
「あぁ。大丈夫か? 結構暗くなってるぞ?」
「大丈夫です! 小学生じゃないですから! では流さん、また明日!」
彼女は走って分かれていった。俺はその背中を少しの間見つめ、歩いていった。
「陸奥実君……」




