第八話 道
真壁修司シリーズ。
山中で発見された、一人の男の遺体。
周辺では熊の目撃が相次いでおり、当初は熊による被害と思われた。
しかし、遺体に残された傷には、わずかな違和感があった。
熊、錆びた鉄、八百万円の借金、そして山の中に引かれた一本の線。
刑事・真壁修司が追うのは、まだ存在しない「道」を巡る事件。
なお本人は、事件と同じくらいコーヒー豆の配合にも悩んでいる。
杉浦隆一が死亡した日の足取りを洗い直す作業は、三日目に入っていた。
同じ映像を見る。
同じ証言を聞く。
同じ地図を見る。
三浦はモニターの前で目をこすった。
「変わりませんね」
「何が」
「杉浦の車です。会社を出て、県道を山側へ向かってる。そこまでは分かる。でも、その先がない」
真壁は机の上で資料をめくっていた。
「カメラがないからな」
「山って不便ですね」
「犯人に言え」
「まだ犯人が誰か分かってません」
「だったら見つけろ」
「簡単に言いますね」
真壁は返事をしなかった。
杉浦が会社を出たのは十一時四十分ごろ。
山間部へ向かう車が複数の防犯カメラに残っている。
午後一時過ぎには、大森の農場へ向かう道で、杉浦のものと似た車を見たという証言がある。
だが、それだけだ。
大森は会っていないと言っている。
杉浦の車も見つかっていない。
携帯電話もない。
そして、杉浦が大森の農場へ入ったことを直接示すものもなかった。
「真壁さん」
三浦が言った。
「大森が車をどこかへ隠したんじゃないですか」
「かもしれん」
「携帯も処分した」
「かもしれん」
「死体を山へ運んだ」
「かもしれん」
「全部つながるでしょう」
真壁が顔を上げた。
「お前が今言った言葉、全部同じだぞ」
「何がです?」
「かもしれん」
三浦が黙る。
「『かもしれない』を十個並べても、事実にはならん」
「……はい」
「一個でいい。事実を持ってこい」
*
その一個は、思いもしなかったところから出てきた。
杉浦建設の事務員だった。
「社長の鞄ですか?」
三浦が尋ねると、女性はしばらく考えた。
「亡くなった日に持って出た鞄ですよね」
「はい」
「中身までは分かりませんけど……」
「何か覚えてます?」
「コピーを頼まれました」
真壁が顔を上げた。
「何のコピーです」
「図面です」
「どこの?」
「山だったと思います」
「太陽光発電の?」
女性が驚いた。
「ああ、そうです。そんなことが書いてありました」
「何枚?」
「三枚か四枚」
「原本は?」
「社長に返しました」
「コピーは?」
「それも社長が持っていきました」
「そのとき、何か言ってませんでしたか」
女性は首をかしげた。
「今日決める、とか……」
「今日?」
「そんなことを言ってた気がします」
「誰と会うとは?」
「そこまでは」
「時間は」
「お昼前です。社長が出かける少し前」
真壁と三浦が目を合わせた。
*
大森の証言をもう一度確認した。
杉浦が死亡した日。
会っていない。
電話もしていない。
来てもいない。
そこは変わらない。
だが、杉浦は山の図面を持って会社を出ていた。
しかも「今日決める」と話していた可能性がある。
「大森以外の土地所有者は?」
真壁が聞いた。
「確認してます」
「杉浦と会った奴は」
「今のところいません」
「発電会社は?」
「その日は面会なし」
「他に道路予定地の地権者は?」
「このルートだと、大森の土地が一番問題になります」
真壁は図面を広げた。
一本の線。
公道から大森の山を抜け、発電予定地へ続く。
三浦が言った。
「やっぱり大森に会いに行ったんじゃ」
「可能性は高くなった」
「なら――」
「まだだ」
「まだですか」
「まだだ」
三浦は天井を見上げた。
*
午後になって、別の報告が入った。
大森の農場へ定期的に肥料を納めている業者だった。
死亡当日の午後、農場の近くまで配送に行っている。
「大森さんとは会いました?」
「いや、その日は置いて帰りました」
「いつも?」
「頼まれればそうします」
「農場に誰かいました?」
配送員は考えた。
「人は見てないですね」
「車は?」
「車?」
「大森さんの軽トラック以外に」
配送員の表情が変わった。
「ああ……」
三浦が身を乗り出した。
「何かありました?」
「黒い車があったような」
「セダン?」
「たぶん」
「どこに?」
「作業小屋の横だったかな」
「時間は?」
「伝票がありますよ」
確認すると、配送時刻は午後一時四十六分。
三浦が杉浦の車の写真を見せる。
「この車ですか」
「そこまでは分からないなあ」
「ナンバーは?」
「見てない」
「メーカーは?」
「車詳しくないから」
断定はできない。
しかし、杉浦の車と同じ特徴の車が、大森の農場にあった可能性が出てきた。
*
真壁は会議室で資料を並べた。
杉浦が図面を持って会社を出た。
山側へ車を走らせた。
大森の農場へ向かう道路で、似た車が目撃された。
さらに農場でも、同じ時間帯に黒いセダンが目撃されている。
大森は杉浦が来ていないと言っている。
真壁は腕を組んだ。
「嘘をついてる可能性が出てきたな」
三浦が言った。
「やっと言いましたね」
「何を」
「大森が怪しいって」
「前から怪しいとは言ってる」
「捜索は?」
「その話を詰める」
*
必要な手続きが進められた。
大森に杉浦との土地を巡る対立があったこと。
杉浦が死亡当日、問題の土地に関する図面を持って出ていたこと。
杉浦の車と特徴の似た車両が農場付近で複数回目撃されていること。
大森が杉浦との面会を否定していること。
そして遺体に残った、錆を含む可能性のある金属由来の微細な異物。
それらを積み上げた上で、農場などについて捜索差押えの手続きが取られた。
真壁は最後まで資料を確認した。
三浦が聞いた。
「今度こそ行けますね」
「ああ」
「何を探します?」
「最初から決めつけるな」
「でも凶器でしょう」
「凶器だけじゃない」
真壁は言った。
「杉浦が、ここに来たという痕跡だ」
*
翌朝。
大森の農場に複数の捜査員が入った。
大森は黙って書類を見ていた。
「……とうとう来ましたか」
真壁は何も答えなかった。
農場には、予想どおり鉄製の道具が大量にあった。
鍬。
鎌。
スコップ。
剪定用具。
古い工具。
機械部品。
針金。
使われなくなった農機具。
錆びたものなど珍しくもない。
三浦が小声で言った。
「真壁さんの言ったとおりですね」
「何が」
「錆びた鉄なんて、いくらでもある」
「だから言っただろ」
作業小屋も確認する。
古い道具が壁に並んでいる。
どれも長く使われてきたものばかりだ。
その中の一本を、捜査員が手に取った。
「真壁さん」
呼ばれて近づく。
長い木製の柄。
先端には複数の鉄製の爪。
古いピッチフォークだった。
鉄の部分には錆が浮いている。
三浦の表情が変わった。
「これ……」
真壁は近づいた。
だが触れない。
「持って帰れ」
三浦が聞いた。
「凶器ですか?」
「それを決めるのは俺じゃない」
適切に記録し、鑑定へ回す。
農場には似たような古い道具が他にもある。
見た目だけで答えを出すことはできない。
*
別の捜査員が作業小屋から出てきた。
「真壁さん」
「今度は何だ」
「これを」
透明な袋に入れられていたのは、丸められた紙だった。
広げる。
三浦が息を呑んだ。
「図面……」
山の図面だった。
公道。
大森の土地。
その奥の太陽光発電予定地。
一本の線が引かれている。
杉浦建設から見つかったものと、同じ計画の資料だった。
「どうしてこれがここに……」
三浦が呟いた。
真壁は大森を見た。
大森は少し離れた場所に立っている。
顔から表情が消えていた。
「大森さん」
真壁が呼んだ。
「杉浦さんは、ここへ来てないんですよね」
大森は答えなかった。
「この図面は、どうしてここにあるんです」
雨は降っていない。
風も弱い。
農場は静かだった。
長い沈黙のあと、大森が言った。
「……知りません」
真壁はそれ以上聞かなかった。
*
鑑定には時間がかかる。
押収した道具が凶器なのか。
傷に残っていた微細な異物と関係があるのか。
それは専門家が調べる。
真壁たちは別の仕事を続けた。
三浦が地図を机に広げた。
「ここまで来ると、やっぱり全部この道ですね」
「何が」
「借金も、山も、大森と杉浦が揉めた理由も」
真壁は図面を見た。
「俺たちは最初、土地の値段ばかり見てた」
「はい」
「違ったんだ」
「何がです?」
「杉浦は土建屋だ」
真壁の指が公道に触れる。
そこから細長い土地をなぞる。
「山を見てたんじゃない」
指が大森の土地を抜ける。
その先。
太陽光発電の予定地で止まった。
「道を見てたんだ」
三浦は黙って図面を見る。
「杉浦にとっては、ここを抜ければ工事ができる」
「大森にとっては?」
真壁の指が戻る。
山から農場へ。
「水が来る」
二人は同じ図面を見ていた。
一本の線。
杉浦にとっては利益へ続く道。
大森にとっては、自分の農場へ水を導くかもしれない道。
同じ線だった。
「どっちが正しかったんでしょう」
三浦が聞いた。
「知らん」
「排水工事をちゃんとすれば大丈夫だったかもしれない」
「ああ」
「大森の言うとおり、想定外の水が出たかもしれない」
「ああ」
「分からないんですね」
「造ってないからな」
真壁は図面を畳んだ。
「だが、杉浦は造ろうとした」
「大森は止めようとした」
「そういうことだ」
*
夕方。
鑑定を担当する部署から一本の電話が入った。
真壁はしばらく黙って聞いていた。
「分かった」
電話を切る。
三浦がすぐに来た。
「ピッチフォークですか?」
「ああ」
「どうでした?」
真壁は報告のメモを机に置いた。
「まだ最終じゃない」
「でも何か出た?」
「出た」
三浦の表情が変わる。
真壁は上着を取った。
「大森に、もう一度話を聞く」
「今度は何を?」
真壁は机の上に置かれた二枚の写真を見た。
一枚は杉浦の傷。
もう一枚は、農場から押収した古いピッチフォーク。
「道の話だ」
「凶器じゃなく?」
「ああ」
真壁はドアへ向かった。
「人を殺したのが何かは、鑑定が教えてくれる」
ドアを開ける。
「俺が聞きたいのは――」
少しだけ振り返った。
「なぜ、そこまでして止めたかったのかだ」
杉浦隆一が造ろうとした道は、まだ山には存在しない。
それでも、その道はすでに一人の人生を終わらせ、もう一人の人生を変えようとしていた。
光へ続くはずだった道。
その入口に残されていたのは、光ではない。
古い鉄に浮いた、赤黒い錆だった。
――第八話 了
本作品はフィクションです。
作中には実在する国名・都市名・地名・制度などが登場しますが、物語および登場人物、事件、組織の描写は創作であり、実在する人物・団体・企業・事件とは関係ありません。
また、警察・捜査・出入国管理・海外の治安機関などに関する描写についても、物語上の演出を含んでおり、実際の制度や運用とは異なる場合があります。
なお、本作品には殺人事件、遺体、犯罪、捜査などに関する描写が含まれます。
お読み頂きありがとう御座います。
感想や評価、ブックマークをいただけると励みになります。




