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錆びた光道  作者: lazilywalker
9/9

第九話 錆びた光道

真壁修司シリーズ。

山中で発見された、一人の男の遺体。

周辺では熊の目撃が相次いでおり、当初は熊による被害と思われた。

しかし、遺体に残された傷には、わずかな違和感があった。

熊、錆びた鉄、八百万円の借金、そして山の中に引かれた一本の線。

刑事・真壁修司が追うのは、まだ存在しない「道」を巡る事件。

なお本人は、事件と同じくらいコーヒー豆の配合にも悩んでいる。

 

大森耕作は、前と同じ椅子に座っていた。

 違うのは、机の上に置かれたものだった。

 一枚は山の図面。

 もう一枚は、農場から押収されたピッチフォークの写真。

 真壁修司は、そのどちらにも触れなかった。

「大森さん」

「……はい」

「もう一度聞きます」

 大森は黙っている。

「杉浦隆一さんが亡くなった日、あなたは杉浦さんと会いましたか」

「会ってません」

「杉浦さんの車と特徴の似た車が、あなたの農場へ向かうところを見られています」

「似た車でしょう」

「農場でも見られている」

「私の車じゃありません」

「杉浦さんは、山の図面を持って会社を出ています」

 大森は何も言わない。

「そして同じ計画の図面が、あなたの作業小屋から見つかった」

「……知らない」

「杉浦さんは来ていない?」

「来てません」

 真壁はピッチフォークの写真を見た。

「これも知らない?」

「うちの道具ですよ」

「あなたが使っていた?」

「農場にあるものです」

「誰でも使える?」

「そうです」

「そうでしょうね」

 真壁はあっさり認めた。

 大森が顔を上げる。

「農家にピッチフォークがある。それだけなら何も珍しくない」

 真壁は続けた。

「錆びていることも珍しくない」

 大森は黙っている。

「だから、これが見つかっただけであなたが杉浦さんを殺したとは言えない」

 三浦が真壁を見た。

 真壁は気にせず続けた。

「問題は、これだけじゃない」

     *

 農場から押収されたピッチフォークについて、鑑定が進められていた。

 杉浦の傷に残っていた微細な金属由来の異物。

 鉄を含む酸化物。

 ピッチフォークの金属部分。

 その状態。

 創の形状。

 複数の結果を重ねていくと、少なくともこの道具を凶器の候補から外す理由はなかった。

 だが真壁は、それを一つの鑑定結果だけで決着させるつもりはなかった。

 必要なのは、事件全体だった。

 杉浦はなぜ農場へ向かったのか。

 なぜ死んだのか。

 そして、なぜ遺体は熊のいる山で発見されたのか。

     *

「大森さん」

 真壁は図面を広げた。

「杉浦さんが欲しかったのは、この土地じゃない」

 大森の視線が図面へ落ちる。

「山でもない」

 真壁の指が公道から伸びる線をなぞった。

「道です」

 大森は動かなかった。

「この奥に、太陽光発電所の計画がある」

「……知りません」

「杉浦建設は造成工事に関わろうとしていた」

「私には関係ない」

「ありますよ」

 真壁の指が止まった。

「ここを通らなければ、工事用の車両を入れるのが難しい」

 大森の土地だった。

「杉浦さんは、この部分を手に入れたかった」

「だから?」

「あなたの八百万円の借金を整理する代わりに」

 大森が真壁を見る。

「売れと言った」

「……」

「違いますか」

「前にも話したでしょう」

「ええ」

 真壁はうなずいた。

「でも、前には聞いていないことがある」

「何です」

「杉浦さんが亡くなった日に、何を話したのか」

「会ってません」

「会っています」

 今度は真壁も引かなかった。

「杉浦さんは図面を持って会社を出た。あなたの農場へ向かった。そして、その図面があなたの作業小屋に残っている」

「だからって――」

「杉浦さんは『今日決める』と会社で話していた」

 大森の口が止まった。

「何を決めるつもりだったんでしょうね」

 沈黙。

 真壁は図面を大森の前へ押した。

「俺は最初、金の話だと思ってました」

「……」

「八百万円」

「……」

「でも違った」

 真壁は大森を見る。

「あなたにとって、八百万円より大事なものがあった」

     *

「……刑事さん」

 大森がようやく口を開いた。

「農業、やったことあります?」

「ありません」

「でしょうね」

「だから教えてください」

 大森は笑った。

 笑ったように見えただけかもしれない。

「あの人も同じですよ」

「杉浦さん?」

「図面を持ってきた」

 大森の言葉に、三浦のペンが止まった。

 真壁は動かなかった。

「亡くなった日ですか」

 大森は答えない。

 だが、もう否定もしなかった。

「杉浦さんは何と言ったんです」

「大丈夫だって」

「何が」

「道ですよ」

 大森は図面を指した。

「排水を造る。側溝も造る。水はちゃんと逃がす。計算してあるから問題ない」

 真壁は黙って聞いた。

「だから土地を渡せって」

「借金と引き換えに?」

「そうです」

「あなたは断った」

「何度も断った!」

 大森の声が初めて大きくなった。

「何度言っても聞かなかった」

「なぜそこまで嫌だったんです」

「言ったでしょう!」

 大森は机を叩いた。

「あそこを切ったら、水がこっちへ来る!」

「杉浦さんは対策すると言っていた」

「そんなもの信用できるか!」

 部屋が静かになった。

 大森の荒い息だけが聞こえる。

「親父の代に一度、水が来てるんです」

 声が低くなった。

「畑がやられた」

「……」

「山が受けてくれてるんですよ。木があって、土があって、それで今は何とか持ってる」

 大森は図面を睨んだ。

「そこを切って道にする?」

 真壁は何も言わない。

「水は側溝を通ります。計算してます。大丈夫です」

 大森は杉浦の口調を真似るように言った。

「図面じゃ水は流れんでしょう」

 第五話で聞いた言葉だった。

「山じゃ流れるんですよ」

     *

「その日も、その話になった?」

 真壁が聞いた。

 長い沈黙。

 やがて大森がうなずいた。

「……杉浦さんは来ました」

 三浦が静かに記録する。

「何時ごろです」

「昼過ぎ」

「一人で?」

「一人です」

「何をしに」

「最後の話だって」

「最後?」

「もう条件は変えない。土地を渡せば借金は整理する。それで終わりにしようって」

「あなたは?」

「断った」

「杉浦さんは」

「怒りましたよ」

 大森は目を閉じた。

「あんたのためでもあるんだって」

「どういう意味です」

「借金がなくなる。農場を続けられる。山の一部くらい何だって」

 大森の手が震えていた。

「一部じゃない」

「あなたには?」

「あの山があるから、ここでやれるんです」

「杉浦さんには分からなかった?」

「分かろうともしなかった」

     *

 その日のやり取りを、大森は途切れ途切れに話した。

 杉浦は図面を広げた。

 大森は拒否した。

 杉浦は工事の安全性を説明した。

 大森は水害の危険を訴えた。

 互いに譲らなかった。

「あんたは雨の日に、この山を見たことがあるのか」

 大森はそう言ったという。

 杉浦は答えた。

「だから排水を造るんだ。ちゃんと計算して造る」

「水は計算どおりには流れん!」

 口論になった。

 その先で、大森の言葉が止まった。

 真壁は待った。

 急かさなかった。

「……気がついたら」

 大森が言った。

「杉浦さんが倒れてた」

 真壁は静かに聞いた。

「何があったんです」

「分からない」

「大森さん」

「本当に……」

 大森は顔を両手で覆った。

「殺すつもりなんかなかった」

 部屋の空気が変わった。

「近くにあった道具を手にした」

 それ以上の細かな説明を、真壁は求めなかった。

「ピッチフォークですか」

 大森は答えなかった。

 それで十分だった。

     *

「それから、どうしました」

 大森は長い間、口を開かなかった。

「怖くなった」

 やがて、それだけ言った。

「警察を呼ばなかった」

「呼べるわけないでしょう」

「それで?」

「……熊のことを思い出した」

 三浦の顔が上がる。

「最近、山に出ていた熊?」

 大森がうなずいた。

「ニュースにもなってた。近所でも話してた」

 真壁は黙っている。

「熊に襲われたように見えれば……」

 声が消えた。

「そう思った?」

 大森はうなずいた。

 その後、大森は杉浦の死を熊によるものに見せかけようとした。

 だが、思惑どおりにはならなかった。

 熊は人間の都合など知らない。

 遺体に残された傷も。

 その奥に残った微細な異物も。

 杉浦が最後に持っていた図面も。

 すべてを消してはくれなかった。

「杉浦さんの車は?」

 真壁が聞いた。

 大森は答えた。

 携帯電話についても話した。

 その供述については、一つずつ裏付けを取る必要がある。

 真壁はそこで話を止めた。

 供述したから終わりではない。

 むしろ、ここから確認が始まる。

     *

 取り調べを終え、三浦と真壁は廊下へ出た。

 三浦が大きく息を吐いた。

「終わりましたね」

「まだだ」

「え?」

「供述の裏を取る」

「ああ……そういう意味ですか」

「車も携帯も確認する。鑑定も最終結果を待つ」

「はい」

「大森が言ったから事実になるわけじゃない」

 三浦が苦笑する。

「最後までそれですね」

「何が」

「決めつけるな」

「当たり前だ」

 二人は廊下を歩いた。

「でも、道でしたね」

 三浦が言った。

「何が」

「全部の始まり」

 真壁は答えなかった。

 杉浦にとって、あの細長い山林は道路用地だった。

 そこを抜ければ、太陽光発電所の工事へつながる。

 造成工事。

 道路工事。

 排水工事。

 仕事が生まれる。

 利益が生まれる。

 一方、大森にとって同じ場所は、農場を守る山の一部だった。

 道ができれば水の流れが変わるかもしれない。

 農場が失われるかもしれない。

 どちらの予測が正しかったのか。

 それは、もう分からない。

 道は造られなかった。

 ただ、その道を巡って人が死んだ。

     *

 数日後。

 捜査本部には、鑑定結果と裏付け捜査の報告が集まり始めていた。

 大森の供述と符合するもの。

 確認できないもの。

 さらに調べる必要があるもの。

 事件は、少しずつ形を固めていった。

 三浦が書類を置いた。

「真壁さん」

「なんだ」

「今度こそ、一段落ですね」

「そうだな」

「珍しく認めましたね」

「いつまでも同じ事件やってられるか」

「じゃあコーヒーでも飲みます?」

 真壁が三浦を見る。

「お前から言うようになったか」

「教育の成果です」

「誰の」

「真壁さんの」

「悪い教育をしたな」

     *

 給湯室。

 真壁は二種類の豆を並べた。

 キリマンジャロ。

 マンデリン。

 三浦が横から覗く。

「またそれですか」

「ああ」

「事件より長引いてません?」

「そうかもしれん」

「まだ六対四?」

「今日は五対五」

「マンデリン深め?」

「少し抑えた」

「キリマンジャロは?」

「中煎り」

 三浦が腕を組んだ。

「完璧じゃないですか」

「飲んでから言え」

 豆を挽く。

 湯を沸かす。

 ゆっくり落とす。

 香りが給湯室に広がった。

 真壁は一口飲んだ。

 三浦が待つ。

「どうです?」

 真壁は黙っている。

「真壁さん?」

「……違うな」

 三浦が天井を見た。

「まだ駄目なんですか」

「マンデリンじゃないのかもしれん」

 三浦の表情が変わる。

「犯人が?」

「豆が」

「紛らわしいんですよ」

 真壁はもう一口飲んだ。

「やっぱりサントスにするべきだったか」

「……帰っていいですか?」

「いいぞ」

 三浦が本当に給湯室を出ていく。

「お疲れさまでした」

「ああ」

 一人残った真壁は、カップを見た。

 悪くはない。

 むしろ、かなりいい。

 ただ、何かが違う。

 キリマンジャロを生かすのか。

 マンデリンを生かすのか。

 それとも、初めから組み合わせが違っていたのか。

 真壁は窓の外を見た。

 遠くの空が夕日に染まっている。

 山の向こうへ光が落ちていく。

 その光を電気に変え、金に変えるために計画された一本の道。

 結局、その道が造られるのかどうか。

 それは真壁の知るところではない。

 警察の仕事でもない。

 真壁の仕事は、人が死んだ理由を調べるところまでだ。

 机の上には、農場から押収された古いピッチフォークの写真が残っている。

 赤黒く錆びた鉄。

 そして図面には、まだ存在しない一本の道。

 錆びた鉄と、光へ続く道。

 真壁は残ったコーヒーを飲み干した。

 事件について考えることは、もうほとんど残っていなかった。

 だが――。

「……サントスか」

 コーヒーについては、まだあった。

――『錆びた光道』 了

本作品はフィクションです。


作中には実在する国名・都市名・地名・制度などが登場しますが、物語および登場人物、事件、組織の描写は創作であり、実在する人物・団体・企業・事件とは関係ありません。


また、警察・捜査・出入国管理・海外の治安機関などに関する描写についても、物語上の演出を含んでおり、実際の制度や運用とは異なる場合があります。


なお、本作品には殺人事件、遺体、犯罪、捜査などに関する描写が含まれます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は「熊に襲われたように見える遺体」から始まり、錆びた鉄、借金、山林、そして一本の道へとつながっていく話を書いてみました。


この物語で描きたかったのは、同じ土地でも立場によってまったく違って見える、という部分です。


杉浦にとって、その山は太陽光発電の予定地へつながる「道」。

大森にとっては、水の流れを受け止め、農場を守ってきた「山」でした。


どちらの水害予測が正しかったのかは、物語の中でも答えを出していません。道は実際には造られなかったからです。


そして真壁修司については、事件より長く悩んでいた問題が一つ残りました。


**キリマンジャロとマンデリンで本当にいいのか。**


次に彼が登場するとき、サントスになっているかもしれません。


事件は解決しましたが、コーヒーだけはまだ解決していません。


お読みいただき、ありがとうございました。

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