第三話 錆
真壁修司シリーズ。
山中で発見された、一人の男の遺体。
周辺では熊の目撃が相次いでおり、当初は熊による被害と思われた。
しかし、遺体に残された傷には、わずかな違和感があった。
熊、錆びた鉄、八百万円の借金、そして山の中に引かれた一本の線。
刑事・真壁修司が追うのは、まだ存在しない「道」を巡る事件。
なお本人は、事件と同じくらいコーヒー豆の配合にも悩んでいる。
杉浦建設の本社は、県道沿いにあった。
三階建ての建物の隣に資材置き場があり、その奥には重機が並んでいる。
油圧ショベル。
ダンプ。
小型のロードローラー。
鋼材やコンクリート製品も積まれていた。
三浦が車を降りながら言った。
「鉄だらけですね」
「そうだな」
「傷から鉄が出たんですよね」
真壁は三浦を見る。
「だから?」
「いや、何か関係あるかなって」
「この会社にある鉄製品を全部鑑定に出すか?」
「無理ですね」
「だったら今は忘れろ」
「はい」
正面玄関には、まだ杉浦隆一の死亡を知らせるものはなかった。
ただ、社員たちの表情は明らかに普段とは違っていた。
*
「社長が殺されたって、本当なんですか」
応接室で、専務の男が聞いた。
六十を少し過ぎたくらい。
杉浦とは会社創業時からの付き合いだという。
「現時点で詳しいことはお話しできません」
真壁が答えた。
「熊じゃなかったんですか」
「それも含めて調べています」
専務は深く息を吐いた。
「なんで社長が、あんな山に……」
「心当たりは?」
「ありません」
「杉浦さんは山へよく行きましたか」
「仕事なら行きますよ。うちは土建屋ですから」
「私用では?」
「さあ……山菜採りが趣味なんて話は聞いたことないですね」
三浦が手帳に書き込む。
真壁は聞いた。
「亡くなった日の予定は?」
「午前中はここにいました」
「午後は?」
「外へ出ました」
「どこへ」
「それが分からないんです」
「予定表には?」
「何も」
「一人で?」
「はい」
「珍しい?」
専務が少し考えた。
「いや。社長はよく一人で出ます」
「営業ですか」
「営業もありますし、現場を見ることもあります。土地の話も自分で行くことがありました」
「土地?」
「造成とか開発とか。うちは建物だけじゃありませんから」
真壁の目がわずかに動いた。
「最近、どこかの土地を買おうとしていましたか」
「そこまでは私も……。社長個人で話を進めることもありましたから」
「個人で?」
「ええ」
真壁は三浦を見た。
三浦が小さくうなずいた。
*
会社側の同意を得て、任意で確認できる資料を見せてもらう。
取引先。
工事案件。
土地関係。
杉浦個人が会社に保管していた書類。
量が多い。
三浦が机の上のファイルを見てため息をついた。
「これ全部ですか」
「全部だ」
「今日中には無理ですよ」
「誰が今日中にやれと言った」
「真壁さんなら言いそうなので」
「言わん」
「意外です」
「雑に百枚見るくらいなら、一枚ちゃんと見ろ」
真壁は一冊のファイルを開いた。
杉浦は仕事熱心だったらしい。
書き込みが多い。
土地の面積。
工事費。
所有者。
地番。
道路幅。
見積額。
何でも残している。
「土建屋ですねえ」
三浦が言った。
「何を見てそう思った」
「土地を見る目が、俺たちと違う」
「例えば?」
三浦が一枚の図面を指した。
「俺なら山は山ですよ。でも、この人は斜面の角度とか道路からの距離とか、そんなことばっかり書いてる」
「仕事だからな」
「でしょうね」
真壁はその言葉を聞きながら、別のファイルを開いた。
*
夕方。
捜査本部へ戻ると、法医から詳しい連絡が入っていた。
三浦が報告書を持ってくる。
「真壁さん。出ました」
「何が」
「昨日の異物です」
真壁は書類を受け取った。
「鉄を含む微粒子。それと酸化物……」
「錆ですか?」
「可能性の一つだ」
「じゃあ錆びた凶器?」
「飛ぶな」
三浦が口を閉じる。
「鉄が酸化したものが付着していた。それ以上でも以下でもない」
「でも新品の包丁じゃなさそうですよね」
「そういう方向は考えられる」
「古い鉄の道具とか?」
「かもしれない」
「農具とか」
真壁が顔を上げた。
「なんで農具なんだ」
「山で見つかったから」
「山に落ちてる鉄製品が全部農具なら楽なんだけどな」
「例えば、何があります?」
「工具。建設資材。古い機械。柵。ワイヤー。いくらでもある」
三浦が杉浦建設から持ち帰った資料を見る。
「しかも被害者は土建屋」
「ああ」
「鉄なんて、どこにでもある」
「そういうことだ」
錆。
手掛かりには違いない。
だが、それだけでは何も指さない。
真壁は報告書を机に置いた。
*
翌日から、杉浦の人間関係を洗う作業が本格化した。
まず会社。
社員。
元社員。
下請け。
取引先。
土地所有者。
工事を巡って揉めた相手。
会社経営者である以上、関係者はいくらでも出てくる。
しかし杉浦には、それとは別の顔があった。
「真壁さん」
三浦が一枚のコピーを持ってきた。
「借用書です」
「誰の」
「地元の自動車修理工場の社長」
「金額」
「三百万」
「会社から?」
「杉浦個人です」
「返済は」
「残り百二十万」
「揉めてる?」
「今のところは」
「次」
「こっちは元下請けの人。五百万」
「返済状況」
「かなり遅れてます」
「次」
「飲食店経営。二百万」
「次」
「農家。四百万」
真壁が手を出した。
「全部よこせ」
三浦が束を渡す。
杉浦隆一は、複数の人間に個人的に金を貸していた。
金額も違う。
理由も違う。
事業資金。
設備の修理。
急な支払い。
経営不振。
「闇金ですかね」
三浦が言った。
「利息は?」
「法外って感じじゃないです」
「取り立ては」
「今のところ、そういう証言はありません」
「じゃあ決めつけるな」
「でも多いですよ」
「多いな」
妙なのは、杉浦の評判だった。
金を借りた者の何人かに事情を聞いたが、杉浦を悪く言わない者も多い。
「あの人が貸してくれなかったら店を閉めてた」
「銀行に断られたところを助けてもらった」
「返済が遅れたときも少し待ってくれた」
そんな話まで出てくる。
一方で、
「金の話になると別人だった」
「土地を持っているか何度も聞かれた」
「担保になるものはないかと言われた」
という証言もある。
善人なのか。
計算高いのか。
真壁には、まだ分からない。
たぶん、どちらでもあるのだろう。
*
午後十時を過ぎた。
捜査本部に残っている人間も減った。
三浦は机に突っ伏しかけている。
真壁は給湯室へ行った。
豆を取り出す。
マンデリン。
昨日より挽き目を少し変える。
湯を沸かす。
そこへ三浦が入ってきた。
「まだ飲むんですか」
「飲む」
「寝られなくなりますよ」
「お前は?」
「俺は缶コーヒーで」
「好きにしろ」
三浦が自動販売機へ向かう。
真壁は豆に湯を落とした。
膨らむ。
香りが立つ。
一口。
「……違うな」
「またですか」
「深い」
「昨日も言ってませんでした?」
「言った」
「じゃあなんで同じ豆なんです?」
「確認だ」
「何の」
「本当に深いのか」
三浦は缶コーヒーを開けた。
「深かった?」
「深かった」
「でしょうね」
真壁はマンデリンを飲みながら、借用書の一覧を眺めた。
三浦も隣から覗く。
「多いですね」
「ああ」
「この中にいますかね」
「何が」
「杉浦を殺した人」
真壁は答えなかった。
一覧を指で追う。
三百万。
五百万。
二百万。
四百万。
六百五十万。
一千万。
「これだけ借りてる人間がいれば、恨んでる奴もいるでしょう」
三浦が言った。
「逆だ」
「え?」
「借りたから恨むとは限らん」
「返せって言われたら?」
「それでもだ」
真壁は紙を置いた。
「金だけで決めるな」
「はい」
「借金が動機なら、候補はいくらでもいる」
三浦が一覧を見る。
「じゃあ、どうするんです?」
「違いを探す」
「違い?」
「杉浦が、誰に何を求めていたかだ」
*
三日目。
杉浦の個人資料を整理していた捜査員から連絡が入った。
「真壁さん、ちょっといいですか」
「どうした」
「借用書関係なんですが」
一枚の紙が差し出された。
借主の名前。
金額。
返済記録。
ここまでは他と同じだった。
だが、余白に杉浦本人の筆跡と思われるメモがある。
三浦が読み上げる。
「……地番?」
真壁は紙を受け取った。
数字と地名。
土地を示す記載だった。
「借金の資料ですよね?」
「ああ」
「なんで土地の地番が?」
「さあな」
「担保?」
「確認する」
借主の職業を見る。
農場経営。
借入額は八百万円。
三浦が言った。
「八百万……結構ありますね」
「もっと借りてる奴もいる」
「そうですね」
真壁は地番をもう一度見た。
借金そのものは珍しくない。
杉浦から金を借りていた人間は他にもいる。
八百万円という金額だけなら、農場主一人を特別視する理由にはならない。
しかし――。
他の借用書にはないものが、ここにはあった。
土地の地番。
「三浦」
「はい」
「登記を確認しろ」
「この土地ですか?」
「ああ」
「何かあると思います?」
真壁は答えなかった。
代わりに、冷めかけたマンデリンを飲んだ。
やはり深い。
「真壁さん?」
「土地を見てからだ」
三浦が出ていく。
真壁は借用書を机の上に置いた。
杉浦隆一は土建屋だった。
土地を見る人間だった。
山を見れば斜面を見る。
空き地を見れば道路を見る。
そして、金を貸した相手の資料にまで土地の地番を書き残していた。
単なる担保なのか。
それとも――。
真壁はもう一度、その数字を見た。
事件が起きてから初めて、金とは違うものが見え始めていた。
――第三話 了
本作品はフィクションです。
作中には実在する国名・都市名・地名・制度などが登場しますが、物語および登場人物、事件、組織の描写は創作であり、実在する人物・団体・企業・事件とは関係ありません。
また、警察・捜査・出入国管理・海外の治安機関などに関する描写についても、物語上の演出を含んでおり、実際の制度や運用とは異なる場合があります。
なお、本作品には殺人事件、遺体、犯罪、捜査などに関する描写が含まれます。
お読み頂きありがとう御座います。
続きは明日、3話投稿予定です。
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