商会が来た
来客の朝は、何もいいことがない。
館の廊下が急に綺麗になっていた。ガレットが手配したらしい。
(面倒くさ)
ケルカス商会の担当者が来るのは、昼前だという話だった。
俺は朝から書類を片付けていた。
収穫の最終集計、来年の種まき区画の見込み、借金返済のスケジュール——今年の秋で整理しておくべきことを順番に並べていたら、マリスが部屋に飛び込んできた。
「領主様、来ました!」
「誰が」
「ケルカス商会です! 馬車が二台!」
「二台」
「しかも立派な馬車で! あと、担当者の方がすごく身なりのいい人で!」
「……そうですか」
俺は書類を閉じた。
「どこに通しましたか」
「応接室です。ガレットさんが対応中です。領主様はそのまま来てください、って」
「分かりました」
立ち上がって、上着の前を閉じた。
「ちゃんと交渉してくださいよ!」
「します」
「本当に?」
(何を想定して聞いているのか分からないが)
「します。来い」
応接室に入ったら、男が一人立っていた。
三十代くらいだった。濃紺の上着、磨かれた革靴。商会の人間らしい、整った身なりだった。
目が動く人だった。俺が入った瞬間、一度俺の全身を見てから、顔に戻った。
「ヴァンダール卿、ヴィントと申します。ケルカス商会の北部担当でございます」
「ライル・ヴァンダールです。ようこそ」
「本日はお時間をいただきありがとうございます。収穫の件で、ぜひお話を」
「はい。どうぞ座ってください」
俺も座った。ガレットが壁際に立った。マリスが斜め後ろに控えた。
(視線が多い)
「まず——今年の御領地の収量のお話を伺えますか」
「収量でしたら、書類があります。ガレット」
「はい」
ガレットが書類を一枚ずつ卓上に置いた。
今年の収穫記録。区画別の収量。五年前との比較。来年の播種予定区画。魔素濃度の推移。水路修復の記録。
全部だった。
ヴィントが書類を手に取った。一枚目を見た。
止まった。
「……これは」
「収穫記録です。区画別に並べてあります」
「ええ、はい——」
ヴィントが二枚目を取った。また止まった。
「魔素の数値まで」
「領主スキルで取れる数値はそのまま記録してあります」
「……過去五年分の比較も」
「五年前の記録がガレットのところにありましたので、合わせて」
ヴィントが書類を持つ手が、少し止まった。
「ヴァンダール卿、お聞きしてもいいですか」
「どうぞ」
「この数値を……全部、見せていただけるということですか」
「今見ていただいているのがそうです」
「いえ、その——商会に持ち帰ることも」
「構いませんよ。写しが必要でしたらガレットに頼んでください」
ヴィントがまた書類に目を落とした。
一枚、また一枚と見ていく。マリスが俺の後ろで何かそわそわしているのが気配で分かった。
(落ち着け。俺は普通にしてるから)
しばらくしてから、ヴィントが書類を揃えた。
「……少々、確認させていただいてもよろしいですか」
「どうぞ」
「大麦の収量ですが——これは今年一年分の数値で、ダルサ村の分は含まれていませんか」
「うちの領内の分だけです。ダルサ村は別の管轄になりますので」
「ということは——この数値が、ラングフォード単体の」
「はい」
「……五年前比、三十二パーセント増」
「そうです」
ヴィントがまた少し黙った。
考えているというより——計算しているような顔だった。前世でいえば、会議中に数字を頭で弾いている同僚の顔に近い。
「水路の修復記録も拝見しましたが——これを、着任から半年で」
「一年弱ですね。春播種までに幹線を全通させないといけなかったので」
「なるほど……」
ヴィントが書類の端を指先で押さえた。
「ヴァンダール卿、率直にお聞きします」
「どうぞ」
「これだけの数値が揃っているのは——何か意図がおありで?」
「いえ」
「え」
「手元にあるものを出しただけです。交渉の材料にするつもりはないですが——分かった方が話が早いと思って」
ヴィントが静かに俺を見た。
(なんか変なことを言ったか)
後ろでマリスが「……え」と小声で言うのが聞こえた。
ガレットは壁際で目を伏せていた。
ヴィントは少し間を置いてから、口を開いた。
「……失礼ながら、卿は交渉に慣れておいでですか」
「慣れていないです」
「では今のは、本当に」
「本当に手元にあるものを出しただけです」
「……なるほど」
ヴィントが書類を卓上に戻した。
それから少し背筋を伸ばした。
「では、こちらからご提案させていただきます」
「はい」
「大麦の買い付けについてですが——今年の収量であれば、標準買い付け価格から十二パーセント上乗せでご提案したいと思います」
「十二パーセント上乗せ」
「はい。土壌回復の実績と、魔素数値の安定から——来年以降の増産も見込めると判断しております。安定供給が見込めるなら、こちらとしても長期で付き合いたい」
俺は少し考えた。
「来年の収量見込みは、今年より一割は上がると思います。区画を広げますので」
「……一割」
「はい。水路が全通しているので、ダルサ村の分も出せるかどうかは来年春の状況次第ですが」
「ダルサ村も——」
「隣村です。水路が繋がっているので、状況次第では合わせて取引できる可能性があります」
ヴィントがまた書類を手に取った。
「……ダルサ村の分まで含めると、規模が」
「そこは確約できないので、あくまで可能性の話として」
「いえ、十分です。その可能性があるなら——十五パーセント上乗せで出せます」
俺は少し止まった。
「十五」
「はい。先方との長期契約前提でよろしければ」
「……何年の契約ですか」
「最低三年、更新制で。収量が落ちた場合は再交渉の余地も含めます」
俺は書類を一枚手に取った。
来年の区画見込みを確認した。
(三年か。問題はないが、三年後の数値がどうなってるかはスキルでも全部は読めない。でも水路は全通しているし、今の魔素の推移なら大きく崩れることはないはずだ)
「条件として、収量が今年の一割を下回った場合の取り決めを入れてください」
「価格調整条項、ということですね」
「そう言うのですか。そういうものを入れてもらえれば、三年でも問題ないです」
ヴィントが小さくメモを取った。
「……ちなみに、他の商会にも同様の話をされる予定は」
「今のところないですが、断っていません」
「では今日、仮合意を——」
「今日でいいですよ。どうせまた来てもらうのが手間ですし」
ヴィントが顔を上げた。
後ろでまた何か気配がした。
マリスが息を呑んだ音だった。
(なんで)
「……仮合意、ということでよろしいですか」
「はい。書類はガレットに頼んでください」
「承知いたしました」
ヴィントがガレットの方に向き直った。二人で書類の確認に入った。
俺は席を立って窓の方へ行った。
秋の午前、外は晴れている。畑の方にゴードンが見えた。
(なんとかなった)
休憩のお茶が出た。
ヴィントが茶を受け取って、少し落ち着いた顔をした。
「ヴァンダール卿、一つ伺っていいですか」
「どうぞ」
「今年の収穫に至るまでの経緯を——商会の資料用に、概要だけでも」
「水路を直しただけです」
「……それだけ、でしょうか」
「あとは魔素の数値を見ながら優先順位を付けて、詰まりを取ったという話です。スキルで場所が分かったので」
「領主スキルで」
「はい。どこが詰まっているか分かるので、そこを順番に」
ヴィントが茶を一口飲んだ。
「……資料に書くと、シンプルすぎて信じてもらえないかもしれません」
「そうですか。事実なんですが」
「いえ——それが逆に説得力があるんですよね、実は」
「どういうことですか」
「複雑なことをしていない、という事実が——数値の安定性を裏付けるんです。複雑なことをしていれば、それが崩れたとき再現できない。でもこれは、崩れにくい」
俺は少し考えた。
(……言われてみると、そうかもしれない)
「なるほど」
「卿はそれを意識していらっしゃいましたか」
「いえ、面倒くさかったので最短でやっただけです」
ヴィントが少し笑った。
初めて見る顔だった。商会の人間らしい、作った笑顔とは少し違った。
「……そういうことでしたか」
もう一件、話が出た。
加工品の取引についてだった。
「今年の収穫量があれば——大麦の一部を麦芽加工して取引することも可能でしょうか」
「加工ですか」
「醸造所との仲介も弊社で扱っておりまして。原料そのままより価格が上がります」
「加工の手間はうちには今ないですが」
「そこは弊社で加工業者を手配できます。収穫物をそのまま渡していただければ」
「うちは何もしなくていいですか」
「数量の確保と品質管理だけお願いできれば」
俺は少し考えた。
「品質管理の基準を書類で出してもらえれば検討します。ガレットが確認できれば」
「もちろんです。後日お送りします」
「分かりました」
ヴィントが手元のメモを見た。
「本日の仮合意のまとめですが——大麦の買い付け、十五パーセント上乗せ、三年更新制。価格調整条項あり。麦芽加工については後日書類送付の上で再確認、ということでよろしいですか」
「はい。問題ないです」
ヴィントが書類を揃えた。
「ありがとうございました。これほど話が早く進んだのは——正直、想定外でした」
「そうですか。手持ちのものを全部出したら早かったので」
「……全部出すというのが、想定外でした」
「そういうものですか」
「通常は、交渉の余地を残して順番に出すものでして」
「それは面倒くさいですね」
ヴィントがまた笑った。
客を見送って、応接室に戻った。
マリスが立っていた。
顔が固まっていた。
「……成立した」
「しましたね」
「え……え? 本当に? 十五パーセント上乗せで?」
「はい」
「何も——何も交渉してなかったじゃないですか! 書類出して、聞かれたことに答えただけで!」
俺は席に座った。
「してましたけど」
「どこで!?」
「ダルサ村の話を出した時と、来年の区画の話と、加工品の基準書類を要求した時です」
マリスが「……あ」という顔をした。
「……それが交渉でしたか」
「そうです」
「え、でも——全部データ見せちゃったじゃないですか。交渉って、手の内を明かさないものでは」
「明かした方が相手も判断しやすいんですよ。向こうが判断しやすければ、こっちに有利な条件を自分で出してきます」
マリスが少し考えた。
「……それは、なんで分かるんですか」
「前の仕事でそういうことをやっていたので」
「前の……?」
(言いすぎた。前世の話は普通は出さない)
「まあ、経験です」
「…………領主様、もしかして、すごく交渉が上手いですか」
「面倒くさいのが嫌なので、最短で終わるようにしているだけです」
マリスが「それが交渉が上手いってことでは」という顔をした。
言い返さなかった。
ガレットが書類を持ってきた。
「若様、本日の仮合意内容の控えです」
「ありがとうございます」
「……ヴィント殿が帰り際に、『ここまで準備が整っている領地は王都でも珍しい』とおっしゃっておりました」
「そうですか」
「はい。書類の精度が、ということかと」
俺は控えを一枚めくった。
「ガレットが記録していたものですから」
「……いえ、若様が数値を出し続けた結果でございます」
ガレットが少し間を置いた。
「……なるほど。そういうお手並みでしたか」
「特に手並みがあったわけでもないですが」
「いえ——承知いたしました」
ガレットが一礼して下がった。
マリスがまだ「……すごい人だったのかな、私の上司」という顔でこちらを見ていた。
(うるさい。顔に出てる)
昼を過ぎて、収穫の追加集計が上がってきた。
来年の区画拡張の見込みを書類に起こしながら、スキルを流した。
ラングフォード——58%。ダルサ村——44%。
来春の播種前にもう少し上がるはずだ。ケルカス商会の話を進めるなら、ダルサ村との連携も実際に動かせるかどうかを確認した方がいい。来週ダルサ村へ行く理由ができた。
(面倒くさいが、早めにやった方がいい案件か)
窓の外では秋の空気が続いていた。
夕方になったところで、ガレットがまた来た。
顔が少し違った。
「若様、急な報告が」
「何ですか」
「使者が参りまして」
「どこの」
「……シュタール王国の、王城からでございます」
俺は書類を置いた。
「シュタール王国」
「はい。国王ドランク陛下が——ヴァンダール領を直々に訪問したいと、使者が申しております」
部屋の中が少し静かになった。
マリスが固まっていた。
俺は少し考えた。
(……え、なんで国王が来るの)
「いつ来るんですか」
「来月初頭にも、と」
「来月初頭は」
「今の段階では日程は確定していないとのことで、まずご意向を伺いたいと」
俺は天井を見た。
(国王が来る。隣国の。うちに。なんで。面倒くさ)
「……分かりました。使者に『日程はご都合に合わせます』と伝えてください」
「承知いたしました」
「ガレット」
「は」
「国王が来る場合、何か準備が必要ですか」
「通常であれば、相応の——」
「面倒くさいことがありますか」
「……はい。少々」
俺はため息をついた。
「まあ——来てから考えます」
マリスが「それでいいんですか!?」という顔をしていた。
(いいとは言っていない。ただ今日考えるのは面倒くさい)
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