奇跡の収穫
スキルを流した瞬間、数値が飛び込んできた。
ラングフォード——58%。
(上がってる)
秋の朝は空気が違う。夏の湿気が抜けて、土の匂いが澄んでいる。
窓から畑を見た。
遠くでゴードンが動いている。それだけで今日が何の日か分かった。
「ガレット」
廊下に出たら、もうガレットがそこにいた。書類を抱えている。
「は、若様。おはようございます」
「今日から始まりますか」
「ゴードン殿より昨日、今朝から収穫に入ると——」
「分かりました」
俺は上着を羽織った。
畑に出ると、すでに数人が動いていた。
ゴードン、ヨム、タルコ。それと見慣れた顔が三人、見慣れない顔が二人。
夏の間に人が増えていた。噂を聞いて戻ってきた者、ダルサ村から手伝いに来た者——気がついたら人手が春の倍になっていた。
刈り取りの音がしていた。穂が束になり、積まれていく。乾いた茎の音と、人の動く気配だけがある静かな朝だった。
「ゴードン」
ゴードンが振り向いた。
「若様」
「どうですか」
「……見てください」
ゴードンが大麦の穂を持ち上げた。
重かった。明らかに重かった。五年ぶりの実りが、その一穂に詰まっているみたいだった。
「数値的にも問題ないですか」
「数値より——実物の方が分かります」
「そうですね」
(確かにそうだ。スキルは収穫予測を出せるが、こうして実際に穂を持たせてもらうのとは別の話だ)
「今年の見込みは」
「過去最高になると思います。五年前の最後の収穫より、三割は上回る」
俺は穂を見た。
重くて、黄色くて、粒が揃っていた。
「そうですか」
「……そうです」
ゴードンがまた穂に目を落とした。それ以上は言わなかった。
マリスが走ってきた。
「領主様! 今の聞こえました? 過去最高ですよ!?」
「聞こえてましたよ」
「嬉しくないんですか!」
「嬉しいかどうかはよく分からないですが——予想の範囲内です。魔素58%あれば大麦はこのくらい育ちます」
「いや、それは分かるんですけど」
マリスが穂を見た。
「……きれいですね」
「きれいですね」
「それだけですか」
「それだけです」
マリスが「もうちょっとなんかあるでしょ」という顔をした。
(何かあるかといえば——まあ、悪くはない。悪くないとしか言えないが。それは言わなくていいことだ)
収穫作業は午前から続いた。
俺は館に戻って書類仕事をしていた。
秋の数値整理、来年の播種区画の見込み、借金返済の見通し——スキルが出す情報を順番に並べていくだけの作業だ。面倒くさいが、今年中に片付けておかないと来年が面倒くさくなる。
昼前にガレットが来た。
「若様、一つご報告が」
「何ですか」
「今朝の収穫の速報ですが——第一区画の計量が終わりまして」
「数値は」
「予定より十五パーセント上回っております」
俺は書類から目を上げた。
「上回った」
「はい。土壌が予想以上に回復していたかと」
(予想以上か。スキルの作物成長予測がそこまで精度が高くなかったのか、それとも今年の天候が良かったのか)
「全区画まとまったら報告してください」
「……はい。ただ、若様」
「何ですか」
「今年の数値が周辺にも——少し早いかもしれませんが、ラングフォードの収穫の話が街の方に出始めているようでして」
「街で話題になってるんですか」
「ええ。市場で——ゴードン殿の耳に入ったとのことで。隣のファルガ村の商人が来ていて、今年のヴァンダール領の収穫がどうだったか、聞いて回っていたようです」
「ファルガ村は他の領地ですか」
「テルミス王国内ですが、別の中領主の管轄です。我々とは以前から商人が行き来しております」
俺は少し間を置いた。
「……それ、噂になりますね」
「なりますね」
(シュタール王国の商人が来た時も同じことを思ったが、あれは国境を越えた話だった。今度は王国内部で話が広まっているということか)
「まあ、いいです。ひとまず収穫の集計を優先してください」
「……御意に」
夕方、ゴードンが館に来た。
珍しかった。午前中の作業を終えてそのまま来たらしく、土がついていた。
「若様、少し」
「どうぞ」
ゴードンが部屋に入って、俺の向かいに立った。
しばらく何も言わなかった。
「ゴードン」
「……はい」
「何か問題でも」
「問題というより——」
ゴードンが一度目を窓の外に向けた。
「今日、ヨムが泣いてました」
「ヨムが」
「作業中に、です。第一区画の端——今年初めて種を入れた区画です。刈り取った穂を束ねているところで急に。隠そうとしてましたが——分かりました」
俺は書類を置いた。置いて、そのまま手を止めた。
「ヨムはここで生まれました。ずっとこの畑を見てきた。五年間、種が入らないのも見てた」
「そうですか」
「若様に言いたかったことは——それだけです」
ゴードンが手元を一度見た。土のついた手だった。二十年以上この畑で働いた手だ。
頭を下げた。それだけで出て行こうとした。
「ゴードン」
俺が呼び止めた。
「は」
「今年はよかったです」
ゴードンが少し止まった。
「……ええ」
そのまま出て行った。
(ヨムが泣いた、か)
しばらく、スキルを流す気にならなかった。
窓の外を見た。畑の方はもう暗い。
それからスキルを流した。
ラングフォード——58%。ダルサ村——41%。住民数は着任時の三割から、今や着任時より多い。
数値は合理的に正しい。水路を直せば魔素が動く。魔素が動けば作物が育つ。作物が育てば人が戻る。人が戻れば税収が出る。
その通りになった。
(ただ——ヨムが穂を刈り取って泣いたのは、数値の話じゃないな)
五年間、この土地で種が入らなかった。その間、ここで生きていた人がいた。
(まあ、俺が感傷になってもしょうがない。数値を見ていればいいだけの話だ)
でも少し——悪くなかった。
翌日の朝、ガレットが報告に来た。
「若様、全区画の速報がまとまりました」
「どうぞ」
書類を受け取った。
大麦——春に蒔いた区画の全収量。予測値との比較。来年への見込み。
俺は数値を順番に追った。
「……過去最高というのは本当でしたね」
「はい。五年前の最終収穫年の記録が残っておりますが、そちらと比較しても三十二パーセントの増になります」
「三十二パーセント上回った」
「はい。土壌回復の効果が思ったより大きかったかと」
「来年は区画を広げられますか」
「ゴードン殿の見立てでは——はい。今年の収量があれば種もち分が残ります。拡張の余地もございます」
俺は書類を閉じた。
「借金の返済見通しは」
「今年の収量で試算しますと——来年末には完済できる見込みです」
「分かりました」
ガレットが少し間を置いた。
「……若様、この数値は——王国内ではかなりの話題になるかと思われますが」
「なりますね。五年連続凶作の領地が過去最高の収穫を出したら、そうなる」
「はい。監察官ベルナルド殿の報告書もありますし——」
「あの報告書、どう書いたか分からないですが」
「『想定と異なる急速な回復が見られる』という文言が入っていると——内政局の筋から聞こえております」
「へえ」
(筋から聞こえてくるんですね。ガレットは色々なところにアンテナを張っている)
「まあ、話題になるのは仕方ないです。なってから考えます」
「……御意に」
午後、マリスが書類を持って来た。
「領主様、収穫の報告書をまとめました」
「ありがとうございます」
「……過去最高、すごいですよね」
「そうですね」
「もっと喜んでいいですよ! 五年ぶりの豊作ですよ!」
「喜んでいます」
「顔に出てないです」
「そういうものです」
マリスが書類を置いた。
「それにしても——街の人たちの顔が違いましたよ。今日の市場、普通に賑やかでした。久しぶりに見る賑やかさで、こっちがなんかじんとしちゃいました」
「賑やかでしたか」
「はい! 収穫物を出す人、買い付けに来た人——ダルサ村から来てる人もいて。去年とは全然違う」
「そうですか」
マリスがまた「もっと何か言ってください」という目をした。
「……まあ」
「まあ、じゃないですよ!」
「まあ、良かったです」
「少しだけ増えましたね」
(うるさい。良かったと思っているのは本当だ。ただそれを大げさに言うのが面倒なだけだ)
翌々日、また別の話が来た。
今度はガレットが夕方に来た。顔が少し違った。
「若様、一点ご報告が」
「何ですか」
「……少し、以前とは別の話になります」
俺は書類を置いた。
「どうぞ」
「ラングフォードの収穫の話が、王国内で広まっております——それは先日申し上げた通りですが。今日、新たに——ファルガ村の商人を介して、ケルカス商会から問い合わせがございました」
「ケルカス商会」
「テルミス王国内でも大手の商会です。王都を拠点に、北部の農産物の取引を主に手がけております」
「その商会から問い合わせが」
「はい。ラングフォードの収穫物の商談について、近いうちに担当者を送りたい——と」
俺は少し間を置いた。
「商談というのは、売りたい側から来るものだと思っていましたが」
「通常はそうです。ただ、今回は先方から来る形で。それだけ今年の収量が目立ったということかと」
「……いつ来るんですか」
「来月の初頭には、と」
(来月初頭。それまでに全区画の集計と来年見込みをまとめないといけない。面倒くさ)
「分かりました。来てもらいましょう」
「……それだけでよろしいですか」
「他に何か必要ですか」
「いえ——承知いたしました」
ガレットが一礼した。出て行きかけて、止まった。
「若様」
「何ですか」
「……大手の商会が先方から来る、というのは——それ自体が、今のヴァンダール領をどう見ているかの答えでございます」
「詰み領地とは見ていない、ということですね」
「はい。そういうことかと」
「そうですか」
ガレットがまた一礼して出て行った。
(詰み領地とは見ていない、か)
俺はスキルを流した。
ラングフォード——58%。今年の収穫が終わり、来年の種が確保できている。水路は全通している。住民は増えた。
数値は正しい。
(でも面倒くさいことになってきたな)
収穫が良かったら商会が来る。商会が来たら何かが変わる。何かが変わったらまた次の面倒くさいことが来る。
(まあ——来てから考えます)
窓を開けた。
秋の夜の空気が入ってきた。
どこかで収穫後の土の匂いがしていた。




