国王が来るの?
翌朝、マリスが部屋に飛び込んできた。
開口一番は「国王ですよ!?」だった。
(起きてから五分も経っていない)
書類を広げたばかりの机の前で、俺はマリスを見た。
「おはようございます」
「おはようございますじゃないですよ! シュタール国王ですよ! 来るって言ってましたよ! 昨日から気になってて全然眠れなかったんですけど!」
「そうですか」
「そうですかで済ませないでください! 国王ですよ! テルミスの隣国の! 正式な国王陛下が、この、辺境の——」
「ヴァンダール領に」
「そうです! なんで領主様はそんなに平然としてるんですか!」
平然としているつもりはなかった。
ただ、起きた事実はどうしようもない。
「来るって言ってるなら、来るんじゃないですか」
「……それで終わりですか」
「断れないし」
マリスが「それはそうですけど!」という顔をした。
ガレットが入ってきたのは、その数分後だった。
書類を小脇に抱えていた。一晩でまとめてきたような量だった。
「若様、おはようございます」
「おはようございます。何ですか、それ」
「昨夜、接遇の手順をまとめました」
「一晩で」
「はい。一通り必要なものを洗い出しておきました」
俺は書類を受け取った。
表紙には「国賓来訪対応覚書」と書いてあった。
(几帳面すぎる)
「……ありがとうございます」
「お目通しいただけますか」
「後で」
「若様」
「分かりました、今見ます」
俺は一枚目をめくった。
書類には色々書いてあった。
迎賓の式次第、宿泊の手配、護衛の人数の確認、食事の品目、来客用の部屋の整備——
「ガレット」
「は」
「うちに来客用の部屋はありますか」
「館の東翼に三室ございます。現在は倉庫代わりになっておりますが、整備すれば使用可能かと」
「整備できますか」
「一週間あれば」
「いつ来るか分かりません」
「……承知しております。ただ、日程が確定するまでは準備を進めておくべきかと」
俺はまた書類に目を落とした。
来客用食事の品目のところに、細かい注意書きがあった。
「ガレット、シュタール王国の食の禁忌はありますか」
「国王陛下については不明でございます。使者に確認をとるべきでしょう」
「確認してください」
「承知いたしました」
マリスがまだ立っていた。
「……その対応で合ってるんですか」
「何が」
「い、いや——もっと大変なことになるかと思ってたので」
「なりますよ」
「え」
「なりますけど、今から全部考えても仕方ないです。できることからやります」
マリスが「それは……そうですね」という顔をした。
午前中は書類を片付けながら、ガレットと準備の話を続けた。
東翼の整備。使者への返書。護衛が来る場合の馬の扱い。
「若様、一つよろしいでしょうか」
「なんですか」
「お迎えの際の、礼装でございますが」
俺は少し止まった。
「礼装」
「はい。国王陛下をお迎えする際には——」
「あの、いつも着てるやつじゃ駄目ですか」
ガレットが一拍置いた。
「……いつも着ていらっしゃるものは、少々——その——」
「シワがありますか」
「はい。少々」
「まあ、礼装を引っ張り出してきます」
「それが賢明かと存じます」
(どこにしまったか覚えていない)
「ガレット」
「は」
「礼装、どこにありますか」
「……若様の寝室の衣装棚の最上段でございます」
「ありがとうございます」
ガレットが何も言わなかった。何も言わないまま、次の書類を卓に置いた。
昼になった。
マリスが外から戻ってきた。赤い顔をしていた。
「領主様! 村の人たちが噂を聞いたって!」
「何の」
「国王が来るっていう! ゴードンさんが『本当か』って館まで来てました!」
「どこから漏れたんですか」
「使者と一緒に来た随行の方が馬屋で話してたらしくて」
俺はため息をついた。
「ガレット」
「恐らく、噂はすでに村全体に広まっているかと」
「早いですね」
「村は狭うございますので」
「……まあいいですか」
「問題はないかと存じます。ただ、住民の方々が見物に集まる可能性がございます」
「それは仕方ないです」
マリスが「仕方ないで済むんですか」という顔をしていた。
(済む、というか、止めようがない)
午後、俺はスキルを流した。
ラングフォード——58%。変わらない。
来月の区画拡張の見込みを頭の中で整理した。国王が来る日程が重なったら面倒くさいが、それは来てから考えることにする。
窓の外では、ゴードンが畑の方に歩いていくのが見えた。
(国王が来ても、畑の管理は変わらない)
それはそれで助かった。農作業の季節感には国王の都合は関係ない。
夕方近くに、ガレットが部屋に来た。
今度は書類ではなく、薄い冊子を持っていた。
「若様、一つご確認を」
「なんですか」
「接遇の手引きでございます。テルミス王国の国賓応対について、王都の書庫から取り寄せてあった資料でして」
「あったんですか、そういうもの」
「はい。もっとも、辺境領主が外国の国王を迎えるという事例は——あまり記載がございませんで」
「そうですか」
「参考程度、ということで」
俺は冊子を受け取った。
開いてみた。
細かい字で、礼の手順、席次の決め方、返礼の品の選定、会話の禁忌——
「ガレット」
「は」
「これ全部やりますか」
「できる範囲で、ということかと」
「お茶でも出せばいいですか」
ガレットが止まった。
一秒くらい止まってから、静かに答えた。
「……はい。まずそれが大切かと」
「ですよね」
冊子を閉じた。
マリスがまた来た。
「接遇の手引き、私も確認しました!」
「そうですか」
「席次の決め方が複雑で! 国賓の場合、まず主賓を——」
「マリス」
「は、はい」
「その話は、日程が確定してからにしましょう」
「……でも準備が」
「ガレットが進めてます」
「ガレットさんだけで大丈夫ですか!?」
「大丈夫ですよ。ガレットは有能なので」
ガレットが廊下から「お言葉をいただいても、私一人では人手が」と静かに言った。
「……マリス、ガレットの手伝いをしてください」
「はい! ちゃんとやります!」
マリスが廊下に走っていった。
部屋が静かになった。
(なんか解決した気がする)
次の日も、その次の日も、ガレットが書類を持ってきた。
東翼の整備の進捗。使者への返書の草稿。馬の手配。食事の品目について、シュタール側に禁忌がないことの確認——
俺は書類を確認して、判断が必要なものだけ答えた。
「東翼の二室で足りますか」
「国王陛下と護衛の方々で、恐らく十分かと」
「何人来ますか」
「使者の報告では、護衛は五名とのことでございます。随行の文官が二名」
「八人」
「はい」
「食事はどうしますか」
「村の料理人に頼むか——王都から腕のいい者を呼ぶか、どちらかかと」
俺は少し考えた。
「村でいいです。うちで作ったものを出した方が話が早い」
「……それは——はい。そのようにいたします」
「何か問題ありますか」
「いえ——若様らしい、と思っただけでございます」
(褒められた気がしないが、まあいいか)
三日後に、日程が届いた。
使者が書状を持って来た。
ガレットが受け取って、俺の部屋に持ってきた。
「若様、日程が確定いたしました」
「いつですか」
「……十日後でございます」
俺は止まった。
「十日」
「はい」
「早いですね」
「はい」
マリスが隣で「十日!?」と叫んだ。
「十日あれば大丈夫ですか」
「……東翼の整備は間に合います。食事の手配も。ただ、若様の礼装を——」
「引っ張り出してあります」
「……シワは伸ばしましたか」
「……まだです」
「若様」
「やります」
「ありがとうございます」
マリスがまだ「十日で……!」と言っていた。
(落ち着けばいいのに)
十日は、あっという間に過ぎた。
ガレットが着々と準備を進めた。マリスが手伝いながら何度も「本当にこれで大丈夫ですか」と言い続けた。俺は書類を片付けながら礼装のシワを伸ばして、スキルを流して、来年の区画拡張の計画を立てた。
(国王が来ても、仕事は減らない)
減らないのは分かっていたので、淡々とやった。
来る日の朝、ガレットが廊下で「若様、そろそろ」と言った。
「分かりました」
俺は礼装の前を閉じた。シワはある程度伸びていた。
「……大丈夫ですか」
「何が」
「シュタール国王ドランク陛下をお迎えするにあたり、心構えは」
「まあ、来たら普通に話せばいいですか」
ガレットが一拍置いた。
「……若様」
「なんですか」
「普通に、というのが若様の場合——その——」
「ガレット」
「は」
「大丈夫です」
「……御意に」
廊下を歩いた。外に出ると、マリスが門のところで立っていた。正装だった。顔が固い。
「……緊張してますか」
「してます」
「そうですか」
「領主様は緊張しないんですか」
「しないです。何をすれば怒られるか分からないから考えるのを先送りにしました」
マリスが「……それが緊張しないということですか」という顔をした。
(たぶんそういうことだと思う)
遠くに馬蹄の音が聞こえた。
ラングフォードの道に、馬が見えた。
先頭に、一騎。
旗がある。シュタール王国の旗——赤地に金の鷹。
後ろに四、五騎。随行だろう。
ガレットが静かに言った。
「……いらっしゃいました」
「そうですね」
「礼装、よろしいですか」
「はい」
「背筋を——」
「伸ばしてます」
「ありがとうございます」
馬が近づいた。
先頭の一騎が止まった。
鞍から降りた人間を見た。
四十代くらいだった。背が高かった。ゆっくりした動きで、それでいて整った動きだった。旅装だったが、纏まり方が違う。
目が、こちらに向いた。
落ち着いた目だった。じっとこちらを見てから——少し、意外そうな顔をした。
「……ヴァンダール卿か」
「はい。ライル・ヴァンダールです。ようこそいらっしゃいました」
男が、少し止まった。
(若い、とでも思っているんだろうか。よく言われる)
「……ドランクだ。シュタールの」
「はい、存じております」
「……そうか」
また少し止まった。
マリスが後ろで硬直しているのが気配で分かった。ガレットは静かに控えている。
ドランク王が、ゆっくりこちらを見渡してから、また俺を見た。
「視察に来た」
「お聞きしております」
「話が聞きたい」
「はい」
「——その前に」
ドランク王が少し声を落とした。
「茶は、出るか」
俺は止まった。
(えっ)
「……はい。お出しします」
「そうか」
ドランク王が、少しだけ目の力を抜いた。
国王が辺境に来て最初に言うことが「茶は出るか」だった。
(なんで来たの、この人)
俺は振り向いて、ガレットに言った。
「お茶の準備をしてください」
「……承知いたしました」
ガレットの声が、いつもより一音だけ高かった気がした。
まあ、気のせいかもしれない。




