国王、来訪
国王の最初の一言が「茶は出るか」だったことを、俺はしばらく噛み砕いていた。
隣国の国王が辺境に来て、最初に聞くことが茶だった。
(なんで来たの、この人)
館の中に通した。
ドランク王が廊下を歩く。後ろに護衛が二人、ガレットが斜め後ろ、マリスが更にその後ろ——という並びで、俺が先頭になった。
(案内したことがない部屋に案内するのが地味に緊張する)
応接室の扉を開けた。
「どうぞ」
ドランク王が中を見渡した。
辺境の館の応接室なので、特にすごいものはない。暖炉と、机と、椅子が四脚。窓の外に畑が見える。
ドランク王は何も言わなかった。
席についた。俺も向かいに座った。
ガレットがお茶を持ってきた。
茶器は館で一番まともなものを出した——とガレットが昨日言っていた。うちで作った大麦を使った麦茶に近いもので、秋の収穫後に領民が作ってくれたものだ。
ドランク王が茶を受け取った。
一口飲んだ。
止まった。
「……この茶は」
「うちの領地の湧き水で淹れています。大麦もうちで収穫したものです」
「……そうか」
ドランク王がまた一口飲んだ。
何か言いたそうな顔をしていたが、言わなかった。
(何がそんなに気になるんだ)
マリスが後ろで直立不動だった。
しばらく黙って茶を飲んでいた。
俺も飲んだ。ガレットが壁際に立っている。
ドランク王が茶器を置いた。
「ヴァンダール卿」
「はい」
「本題に入る」
「どうぞ」
「ここが黒字になった理由を聞きたい」
俺は少し考えた。
「どういう話を聞きたいですか」
「なぜ五年連続凶作だったこの土地が、一年で立て直せたのか。それだけだ」
「分かりました」
「……分かった、と言って」
「話せます。短いですが」
ドランク王が少し目を細めた。
「聞こう」
「土の詰まりを取っただけです」
ドランク王が止まった。
二秒。三秒。
「……それだけか」
「それだけです。水路が詰まっていたので、詰まりを全部外しました。幹線が三本と、支線が七十八本」
「八十一か所」
「はい」
「……一年で」
「着任してすぐに始めたので、播種までには間に合いました」
ドランク王がもう一度止まった。
今度は四秒くらいだった。
「……それだけで黒字になったのか」
「水路が詰まると魔素が流れないので、土が死にます。逆に言えば、通せば土が戻ります。そこに種を入れれば作物が育ちます」
「……」
ドランク王が静かに俺を見た。
(否定はしないが、信じてもいない顔だ)
「数値はどう取ったのだ」
「領主スキルです。土地の魔素濃度と、水路の詰まり位置が把握できます」
「領主スキルがあったとして——それを使える者は他にもいる。なぜここだけ回った」
「詰まりの位置が分かれば、外すだけですから」
「……それが、できなかったのだ。他の者には」
俺は少し止まった。
「そうですか」
「そうだ。分かったとしても、優先順位の付け方が問題になる。予算も人手も足りない中で、どこから手をつけるかを間違えれば意味がない」
「……そこは、スキルの数値を見ながら魔素が一番動く幹線から順番に」
「優先順位の判断基準はどうした」
「どこを開けると一番魔素が上がるか、です。上がった方から順番にやれば最小のコストで最大の効果が出ます」
ドランク王がまた黙った。
今度は長かった。
マリスが後ろで息を止めているのが分かった。
ドランク王が口を開いた。
「……それだけで、か」
「それだけです」
「信じられんが」
「数値の記録があります。スキルで取った魔素の推移です。ガレット、書類を」
「はい」
ガレットが書類を一枚ずつ卓上に置いた。
着任時の魔素12%から始まり、水路を一本開通させるたびに数値が上がっていく記録。幹線三本が全通した時点で32%。両村の水路が繋がった後で44%。秋の収穫前に58%。
ドランク王が書類を取った。
一枚、また一枚と見ていく。
「……この上昇速度は」
「水路が通ると、翌朝から魔素が動き始めます。詰まりが多いほど、取った後の反動も大きかったです」
「反動」
「塞がれていたものが一気に流れ出すので」
ドランク王が書類を机に戻した。
「……数値は分かった。ただ」
「はい」
「実際に見たい。畑と水路を」
「構いません」
「……今日、見られるか」
「今からでもいいですよ」
マリスが後ろで「え」という声を漏らした。
(今から案内するのは面倒くさいが、聞きに来ただけより見た方が納得は早い)
「では、ご案内します」
外に出た。
秋の空気は冷えていた。ドランク王が外に出ると、護衛が二人後ろについた。ガレットもついてくる。マリスが早足で隣に並んだ。
「領主様——」
「なんですか」
「この、案内って、準備とか」
「してないです」
「え、でも——」
「実際の畑を見せた方が説明より早いです」
マリスが「……そういうことですか」という顔をした。
俺は水路の方に向かって歩いた。
幹線の一本目が田んぼの端を流れている。
ドランク王が立ち止まって、水路を見た。
黙って見ていた。
「……水が流れている」
「はい。全通しています。この幹線がうちで最初に詰まりを取った場所です」
「石か、泥か」
「両方です。うちは主に泥でした。隣のダルサ村は石でしたが」
「両方あったのか」
「はい。隣村とは水路が元々一体で繋がっていたので、両方通さないと効果が薄かったです」
ドランク王が水路に視線を落とした。
水が流れている。秋の空気の中で、水音だけがある。
「……五年前は、流れていなかったのか」
「ガレットに確認したところ、五年以上詰まり続けていたようです」
「五年」
「はい」
ドランク王が少しだけ目を細めた。
(怒っているわけではない。何かを考えている顔だ)
畑の方に移動した。
収穫が終わった後の畑は茶色だったが、土の色が違った。五年前の記録と比べると——ガレット曰く、土の状態が全然違うと言った。
ドランク王が畑に入った。
土を少し踏んで、止まった。
「……土が柔らかい」
「魔素が戻ると土質が改善されます。今年は農民が来年の播種区画をもう少し広げようとしていて」
「農民が自発的に」
「はい。ゴードンという古参の農民が——」
遠くにゴードンが見えた。丁度畑の端の方で作業していた。
「あの人です」
ドランク王が目を向けた。
ゴードンがこちらに気づいた。立ち止まった。
隣国の国王と目が合って——ゴードンが深く頭を下げた。
ドランク王がそれを見て、小さく頷いた。
「……農民が動いている」
「はい。来年は区画を一割ほど広げる予定です」
「自発的に」
「まあ、収穫が出れば動きたくなりますよ」
ドランク王が俺を見た。
「……卿は、それが自然だと思っているのか」
「思っています。収穫があれば動く。当然じゃないですか」
「……」
ドランク王がまた黙った。
今度は返事がなかった。
水路に戻って、支線の一本を歩いた。
「この支線が詰まっていたとき、ここの区画は収穫がほぼゼロでした。通した後の翌年が、今年の実績です」
「一本の支線で」
「一本の支線で区画一帯の魔素が変わります。繋がっているので」
「……全体が一体になっている、ということか」
「そうです。だから幹線から順番にやらないといけなかった。支線だけ通しても、幹線が詰まっていれば意味がないので」
ドランク王が歩きながら少し考えているようだった。
「……他の領地で同じことをしたら、同じ結果が出るか」
「水路が詰まっている領地なら、同じ原理で動くと思います。ただ、詰まりの位置や種類は場所によって違いますから、スキルで確認しながらやらないといけないです」
「領主スキルが必要か」
「位置が分かれば効率が上がります。分からない場合は全部掘ってみるしかないですが、それは手間です」
「……手間」
「はい。だから俺はスキルを使いました。面倒くさかったので」
ドランク王がまた止まった。
三秒の沈黙。
「……面倒だったから、最短を選んだ、と言うことか」
「そうです」
ドランク王が小さく何か言った。
聞き取れなかったが、苦笑に近い声だった。
マリスが後ろで「え、今笑いました……?」という顔をしていた。
館に戻って、また応接室に入った。
ガレットが補充した茶が用意されていた。
ドランク王が座った。茶を一口飲んだ。
少し目の力が抜けた。
「……分かった」
「何がですか」
「なぜここが黒字になったかが、だ」
「理解していただけましたか」
「……詰まりを取った、という事実は。ただ」
「ただ?」
「それが『それだけだ』と言い切れるのは——卿だから、という気もする」
俺は少し止まった。
「どういう意味ですか」
「詰まりの位置を把握する。優先順位をつける。最小コストで動かす。それを一人でやり切れるかどうかは、スキルがあるかどうかだけの問題ではないだろう」
「……まあ」
「それを『面倒だったので最短でやっただけ』と言えるのが——お前の強みだとは思わんか」
俺は少し考えた。
(強みと言われても……普通じゃないのか、これ)
「……そう言われても、実感がないです」
「だろうな」
ドランク王が茶を飲んだ。
「そういう者が強いのだ」
何か返した方がいいのか迷ったが、何も出てこなかった。
「……ありがとうございます」
「礼を言うことでもない」
(じゃあ何を言えばいいんだ)
夕方になった。
ドランク王が帰る支度を始めた。護衛が馬の用意をする。ガレットが見送りの準備を整える。マリスがそわそわしながら館の玄関に立っている。
俺は外に出て、ドランク王を見送る位置に立った。
馬が引き出されてきた。
ドランク王が外套を羽織りながら、こちらを見た。
「世話になった」
「いえ、お茶しか出せませんでしたが」
「……十分だ」
ドランク王が馬に乗った。
護衛が並んだ。
出発、という気配になった。
ドランク王が手綱を持ったまま、もう一度こちらを見た。
少し間があった。
「……また来る」
「はあ」
「次は——あの茶を、また飲めるか」
俺は少し止まった。
「作れるかどうかはガレットに確認してみますが、うちの湧き水と大麦を使えば同じものが出ます」
「……そうか」
ドランク王が少しだけ目を細めた。
笑っているのか、何を考えているのか、判断しにくい顔だった。
「では——また」
「はい、お気をつけて」
馬が動き出した。
赤地に金の鷹の旗が、夕暮れの中を遠ざかっていった。
しばらく三人で見送った。
マリスが息をついた。
「……終わりましたね」
「そうですね」
「お疲れ様でした、領主様」
「ガレットが一番疲れたと思いますが」
ガレットが「若様のお気遣いはありがたいのですが」と静かに言った。
「ガレット」
「は」
「あの茶、また同じものが作れますか」
「……はい。湧き水はございますし、大麦の在庫も」
「次来たときに出してください」
「承知いたしました」
「いつ来るか分かりませんが」
「……また来るのでしょうか」
「来るって言ってましたよ」
ガレットが一拍置いた。
「……そうでしたね」
「まあ、来るんじゃないですか」
(面倒くさいが、断れないし)
マリスがまた「え」という顔をしていた。
「領主様、国王がまた来るんですか?」
「来るって言ってましたから」
「な——なんでですか! 視察は今日で終わりじゃ!?」
「視察は今日で終わったと思いますが、茶を飲みに来るって言ってたので」
「え」
「あの茶を飲めるか、って聞いてましたよね」
「……言ってましたけど! でも、国王が! 隣国の国王が! 茶のために!?」
「……まあ、そうですね」
マリスが「……なんなんですか、それ」という顔をした。
俺もよく分からなかった。
(国王が茶のために来る。理由はよく分からないが、事実はそうみたいだ)
まあ、また来たら来たで考えればいい。
夕暮れの中、ゴードンが畑の向こうで仕事を続けていた。




