全部つながってた
「明日もダルサ村ですか」
マリスが夕食後の片付けをしながら聞いた。
「はい。幹線があと三本残ってます」
「三本——支線も含めたら何日かかりますか」
「幹線だけなら二日。支線は並行してやれば三日目に終わると思います」
「……毎日往復、徒歩で」
「馬を使う方が疲れます」
マリスが少し間を置いた。
「それ、本気で言ってますか」
「歩きながらスキルを流せるので。馬だと速すぎて確認できない部分がある」
「……なるほど」
(なるほど、と言いつつ納得していない顔だ)
「マリスさんは馬でもいいですよ。ゴードンさんとヨムを連れていくので」
「行きます、歩きで」
「そうですか」
ガレットが書類を揃えながら口を開いた。
「若様、一点確認してよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「ダルサ村の作業を優先する根拠、もう一度確認させていただきたいのですが」
「ラングフォードとダルサ村の水路は元々一体の網として設計されていた。ダルサ村の詰まりが残ったままだと、うちの水路の圧力も最大化されない。全部通じた方が全体の魔素循環の効率が上がります」
ガレットが少し考えた。
「……御意に」
「あと、石の件もあるので。ダルサ村の残りの詰まりを全部確認したい」
「石、ですか」
「詰まりの種類が分かれば、いつ誰が置いたか推測できる可能性がある。全箇所確認しないと判断できないので」
ガレットが静かに書類を揃え直した。
「……分かりました」
翌日もダルサ村へ向かった。
道が早くも慣れた感じがする。三日で馴染むとは、人間の適応力はおかしい。
スキルを流しながら歩く。
道沿いの水路——昨日通した幹線一本目の流れが薄く感知できた。細いが、流れている。一晩水が通った分だ。
「若様、今日の魔素は」
ヨムが後ろから聞いてきた。
「ラングフォードが32%、ダルサ村はスキルが届かないのでここまで来ないと分からないですが」
「32%か。上がってますね」
「幹線が全部通じてからまだ日数が浅いので。これからまだ上がると思います」
ゴードンが無言でうなずいた。
マリスが俺の隣に並んだ。
「領主様、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「石の件——ガレット様から何か話はありましたか。昨夜」
俺はゴードンを見た。ゴードンが視線を前に戻した。あえて聞かないという態度だった。
「昨夜は特に何も」
「そうですか」
「ガレットは『父から聞いた覚えがある』とは言いましたが、詳細は覚えていないらしい。今は急かしても出てきません」
マリスが少し考えた。
「……領主様は、急かさないんですね。いつも」
「急かす方が面倒くさい。向こうから言いたくなった時の方が、情報の質がいいので」
「情報の質」
「確認してから話す人は、急かすと未確認のまま出してくる。それが後で問題になる方が面倒です」
マリスがまた少し考えた。
「……それは、合理的ですね」
「まあ」
(ガレットのことは気になっているが、急いでも仕方ない。石の話は、全箇所確認し終えてから改めて整理すればいい)
ダルサ村に着くと、昨日より人が出ていた。
グリムが出迎えた。昨日より少しだけ表情が明るい気がした。
「若様、本日もありがとうございます」
「幹線を二本、今日中に通します。支線は明日以降です」
「二本も——」
「場所は分かっているので。ゴードンさんたちが掘れば問題ないです」
グリムが何か言いかけて、止めた。礼を言うタイミングを探しているような顔だった。
「グリム村長、一つ確認させてください」
「はい」
「石の詰まりについて——五年前より前に、水路に何か工事が入ったような話はありますか」
グリムが首を振った。
「いいえ。私が知る限りでは——五年前に急に詰まったのが最初です。それまでは普通に流れていたはずで」
「急に、ということは事前に兆候はなかった」
「ないです。ある秋から急に水が来なくなって——詰まりを取ろうとしたんですが、人手もなくて、そのままになって」
「分かりました」
(五年前の秋。急に詰まった。ラングフォードが枯れ始めたのも同じ頃だ。でもうちは泥で、こっちは石——)
(同時期に別の原因で詰まった? それとも片方が意図的で、もう片方は結果として連動した?)
答えは出なかった。が、今日の作業が終われば材料が増える。
幹線二本目から取り掛かった。
詰まりの場所はスキルで分かっている。ゴードンとヨムが掘る。マリスが土を運ぶ。ダルサ村の住民が数人手伝いに来た。昨日より増えている。
詰まりを崩すたびに、石が出てきた。
二本目——石。
三本目——石。
全部同じだった。大きさもほぼ揃っている。こぶし大、丸みがある。水路の幅に合わせて積み重なるように置かれている。
「若様」
ゴードンが石を手に持ちながら言った。
「これ、川から取った石ですよ。丸みがあるから」
「川石、ですか」
「近くに川があれば——あるいは遠くから運んで来たのか」
「どっちだと思いますか」
ゴードンが石を裏返した。
「分からないですが——こんな量をわざわざ運んで来たとすれば、かなりの手間です。誰かが相当本気でやった、ってことになる」
(本気で、水路を止めにきた、ということか)
俺は石の配置をもう一度スキルで確認した。
水の流れを計算した上での配置だ。ランダムではない。どこをどう詰めれば水が止まるか、分かっている人間が積んだ形になっている。
(……誰が、なんのために)
その問いには今日も答えが出なかった。
昼過ぎに幹線三本目に着いた。
ここが最後の幹線だった。
ゴードンとヨムが掘り始める。マリスとダルサ村の住民が手伝う。
石が出てきた。
俺はその石を手に取って、しばらく見た。
丸い。重い。色は灰色と茶色が混じっている。川石だとするとゴードンが正しい。水流で磨かれた石だ。
誰かがこれを運んで来て、積み重ねた。
ラングフォードとダルサ村の水路網を止めるために。
(なんのために——というより、誰が得をするのかを考えた方がいい。前世のサラリーマン思考でいくと、こういう場合はベネフィットを見る。誰がこれで得をしたのか)
(うちの水路は泥で詰まっていた。自然発生の可能性が高い。ダルサ村は石で、これは意図的だ。でも同時期に詰まっている——)
(もしかして、石で詰めてダルサ村の水を止めたことで、ラングフォードへの流れも自然と変わって、こっちが詰まりやすい状態になった?)
(水路が全体一体の網なら、一箇所の流れが変わると全体に影響する。川石を使ってうまく詰めれば、自然に他の部分にも負担がかかる——)
(……思ったより厄介な話になってきた)
「若様、石が出ました」
ヨムが呼んだ。
「はい。取り除いてください」
(今は考えても答えは出ない。ガレットが何かを知っているかもしれない。焦らず待つ)
幹線三本目の詰まりを崩した。
水が流れ込んだ。
昨日より量が多かった。幹線が全部通じた分、流れる力が強くなっている。
ダルサ村の住民が何人か、水路の縁に立っていた。
昨日より多い。十人以上いる。
誰も声を出さなかった。
流れる水を見ていた。
子どもが一人、水路に手を伸ばした。母親が引き留めようとしたが、止めなかった。子どもの指が水に触れた。
「つめたい」
子どもが言った。
大人たちが笑った。五年ぶりの水の感触を、一番素直に言葉にしたのが子どもだった。
「マリスさん」
「はい」
「明日、支線を片付けます。上流から三箇所、下流側に四箇所。ゴードンさん、今日のうちに場所を確認しておいてもらえますか」
「分かりやした」
(幹線が全部通じた。あとは支線だ。一日あれば終わる)
三日目。
ダルサ村の支線を片付けた。
七箇所。一日でゴードンとヨムが全部掘り終えた。ダルサ村の住民も十人以上が手伝いに出た。昨日の今日で、こちらが何も言わなくても集まってくる。
(スキルで詰まりの位置が全部分かっているから、どこを掘るか指定するだけでいい。人手が増えれば単純に早く終わる)
(自分の村の水路だから当然か。でも昨日まではいなかった人たちが来ている。変化が見えてきたから動けるようになった——前世のプロジェクトの後半と同じだ)
支線の最後の詰まりを崩したのは夕方前だった。
石が出てきた。幹線ほど量はなかったが、同じ川石だった。
俺はスキルを流した。
ダルサ村の水路——全部通じた。
細い支線の末端まで、水が届いている。
(……全部通じた)
数値を確認した。
ダルサ村の魔素——スキルが届いた。現地にいる今だけ感知できる。
14%。
(今はまだ低い。でもこれから動く。一晩水が流れれば、明日には変わっているはずだ)
「若様」
ゴードンが俺の隣に立った。
「はい」
「全部終わりましたね」
「はい。ダルサ村は今日で全部です。あとはラングフォードの細かい支線の追加分が少しありますが、それは来週でいいです」
ゴードンが少し間を置いた。
「……石、全箇所に入ってました」
「はい」
「幹線の四箇所、支線の七箇所。全部同じ石が」
「そうです」
ゴードンが水路の方を見た。
「誰かが十一箇所に、わざわざ石を積んだ、ということですか」
「可能性が高いです」
「……なんのために」
「分からないです。まだ」
ゴードンが静かにうなずいた。それ以上聞かなかった。
ヨムが俺に近づいた。
「若様、ラングフォードはどうなんですか。うちの水路は石じゃなかったんですよね」
「はい。ラングフォードは泥でした。自然に詰まった可能性が高い」
「なんで違うんですか」
「……水路が全体一体の網だとしたら、ダルサ村の石で水の流れが変わって、ラングフォード側に負担がかかりやすくなった可能性があります。石で一方を止めれば、もう一方は自然に詰まりが積もっていく——意図的に一箇所を詰めるだけで、網全体を干すことができる」
ヨムが黙った。
「……それって」
「まだ推測です。確かめようがないので」
「でも、もし本当にそうだとしたら」
「うん。面倒くさいことになります」
(ただ、今は確認できない。ガレットが何かを知っているとしても、急かして出てくる話ではない。石の件はいったん置いておく)
グリムが俺のところに来た。
顔が変わっていた。昨日、一昨日とは違う。何かに押しつぶされていたものが、少し軽くなったような顔だった。
「若様——ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
「礼は早かったかもしれないですよ。数値が動き始めるまで少し時間がかかります」
「それでも——水が流れているだけで」
グリムが水路の方を見た。
「五年間、ずっとここの空気が重たかった。毎年作物が取れなくて、人が出ていくのを止められなくて——水路に水が流れているのを見ると、違う場所みたいで」
「魔素が上がってくれば、春の播種に間に合います。ラングフォードと同じように変わると思います」
「本当に」
「数値を見ていますから」
グリムが深く頭を下げた。
俺は水路を見た。
細い流れが支線の末端まで届いている。昨日まで止まっていた水が、今は全部通じている。
(……ついでだったはずだが、思ったより規模になったな)
帰り道。
俺はスキルを広げた。
歩きながら、意識を引き伸ばす。
ラングフォードの水路——全部通じている。
ダルサ村の水路——全部通じている。
そして。
繋がっている。
ラングフォードとダルサ村の間にある、細い補助的な流れ。幹線ではなく、設計図のない部分。でもスキルには確かに見えている。
全部通じたことで、その流れが動き始めていた。
ラングフォードとダルサ村を結ぶ水路の末端——その部分が、今日初めて水を通している。
(……あ)
感覚が変わった。
ラングフォードの水路とダルサ村の水路が、別々のものとして見えていたのが——一つのものとして見えた。
分岐して、合流して、広がって、また集まる。全体が一つの流れだった。
村ごとに独立していると思っていたのが、そうじゃなかった。ラングフォードとダルサ村は、最初から一つの水路網だった。
(……全部つながってた)
足が止まりそうになった。止まらなかったが、一歩遅くなった。
「若様、どうしましたか」
マリスが振り返った。
「いえ、なんでもないです」
「数値が変わりましたか」
(水路がラングフォード領と物理的に繋がった——自領に接続された水路網は、延長されてスキルの感知対象に入るということか)
「……スキルの感知範囲が広がりました。今まで別々に見えていたラングフォードとダルサ村の水路が、全部つながってやっと全体として見えた感じです」
「全体として、って」
「ダルサ村の水路が通じた瞬間に——多分、この地域の水路が元々一体のものとして設計されていたという証拠が出ました。スキルで全体が一つの網として見えています」
マリスが口を開いた。
「……え、それって」
「両村合わせて、一つの水路ネットワークです」
「……そんなこと、あるんですか」
「ガレットが『元々一体の網として設計されていた』と言っていたので。スキルで確認できた形です」
マリスが何かを言いかけた。
俺はスキルを流し続けた。
全体が見えている。ラングフォード側とダルサ村側、合わせて百箇所近い水路が、全部つながっている。
その全体の中で、魔素が動いていた。
ラングフォード——32%、上昇中。
ダルサ村——14%から、動き始めている。
(……上がる。これは上がる)
館に戻った夜、スキルで確認した。
ラングフォードの魔素——38%。
(今日だけで6%上がった)
ダルサ村の方は現地を離れたので精密には見えないが、全体として流れが太くなった感覚がある。
(全部つながったことで、循環が変わった。一体の網として動き始めた分、片方だけの時より効率が上がっているのかもしれない)
窓の外は静かだった。
春の夜の空気は少し湿っていた。土が水を含み始めたときの匂いがした。
ガレットが入ってきた。
「若様、本日の作業が完了とのこと——」
「はい。ダルサ村の全水路が開通しました。現時点で魔素はラングフォードが38%、ダルサ村は推測ですが数日で20%を超えると思います」
ガレットが止まった。
「……38%、でございますか」
「はい。今日一日で上がりました。全体が一体として動き始めたので、効率が変わったのかと」
ガレットが少しの間、何も言わなかった。
書類を持ったままの手が、わずかに止まっていた。
「……若様は」
「はい」
「……いえ」
ガレットが視線を書類に戻した。
「本日の作業、大儀でございました。明日は休まれる方がよろしいかと」
「明日は休みます。ラングフォードの残り支線は来週にします」
「……御意に」
ガレットが下がった。
(言いかけて止めた。「若様は何者だ」とでも言いたかったのだろうか。あの人が言葉を止めるのは珍しい)
(まあ、急かす必要はない)
三日後の朝。
スキルで確認すると、ラングフォードの魔素が41%になっていた。
(40%を超えた)
春の播種が近い。ゴードンに聞いた話では、今年の播種の準備が始まっているという。40%を超えれば作物の成長ラインには余裕がある。
(去年まで12%だったのが41%か。感覚が追いついてこない)
庭に出た。
春の空気だった。朝のうちは少し肌寒いが、日が上がれば温かくなる。その境目が今で、光が斜めに差し込んでくる時間帯だった。
水路の音がしていた。
ラングフォードの水路——幹線から支線まで全部通じている。流れている。五年間止まっていたものが、今は普通に動いている。
遠くに畑が見えた。
去年蒔いた越冬種の芽が、着任直後の頃より少し伸びていた。
(あの芽、大きくなってるな)
マリスが朝の書類を持って来た。
「領主様、ダルサ村の様子ですがクルツからの報告が——」
「どうぞ」
「昨日、ダルサ村で住民が集まって、水路の通水を見ていたと。二十人以上が集まったそうです」
「そうですか」
「村長のグリムが——泣いていたそうで」
俺は畑の方を見た。
「魔素が上がってくれば、今年の播種に間に合います」
「はい」
「ダルサ村も今年は作れる。それだけです」
マリスが少しの間、俺を見ていた。
「……それだけ、ですね」
「え」
「いえ。それだけで十分、ということです。多分」
(マリスは時々よく分からないことを言う。でも否定ではないのだろう)
ゴードンが畑から戻ってきた。
「若様、土の状態、変わってきてます」
「どう変わりましたか」
「固さが変わった。少し軟らかくなってます。水が届いてる証拠です。今年は種が入りやすくなる」
「それはよかった」
「よかった、じゃないですよ若様」
ゴードンが、珍しく声に力を込めて言った。
「五年間、この畑で種が根付いたことがなかったんです。今年初めて期待できるんです」
「……そうですね」
「……ええ」
ゴードンが畑の方を見た。
その横顔が、前とは違った。石が詰まっていると分かった時の、あの重たい顔ではなかった。
(期待、か)
(俺には今まで、あまりなかった感覚だ。でも今年の秋はどうなるか、実際に気になっている。これが期待というやつか)
夕方になった頃、ガレットが書状を持って来た。
「若様、王都より書状が届きました」
「どうぞ」
受け取って開いた。
テルミス王国内政局からの書状だった。
——本領地の状況確認のため、王国監察官を派遣する予定です。到着は来週中を予定。
「……監察官」
「はい。内政局の方から、ご領地の視察が入るかと」
(監察官が来る)
(……面倒くさ)
「分かりました。来週中、と書いてあるので。受け入れ準備をお願いします」
「御意に。ただ若様、監察官というのは」
「分かってます。税収と土壌の状態を確認しに来ます。詰み領地認定の最終確認か、あるいは引き上げの判断材料集めかどちらかでしょう」
「……おそらく」
「まあ、来てもらえばいいです。数値は見せられます」
ガレットが少し間を置いた。
「……若様は心配ではないのですか」
「心配することが特にないので」
「先方は、おそらく——詰み領地を最終確認しに来るという認識かと」
「来てみれば分かります」
(何が詰んでいるのか)
(五年前の状況ならそうだったかもしれないが、今は水路が通じて魔素が上がっている。播種が始まって、今年の秋には収穫が見込める。数字を見せればいい。それだけの話だ)
(……面倒くさいな。監察官って対応が必要なやつでしょう)
「ガレット、監察官への対応、どのくらい準備が要りますか」
「視察の案内、財務書類の整理、それからご領地の現状説明——三点ほどかと」
「書類はガレットに任せます。案内はマリスさんに。俺は数値の説明だけすればいいですか」
「……それで何とかなるかはご当人の方針次第ですが」
「まあ、なんとかなるでしょう」
ガレットが何か言いたそうな顔をした。
が、止めた。
「……御意に」
(面倒くさいことは来週考えよう。今日はもう終わりでいい)
書状を机に置いた。
窓の外に、夕方の光が斜めに差し込んでいた。
春の空気が、今日も温かかった。




