隣の村のことも
「あの——昨日お約束いただいた者です。クルツと申します」
男は昨日より少し早く来た。
朝食を終えたばかりだった。
俺はクルツを館の小部屋に通した。
ガレットが茶を出した。クルツは手をつけなかった。
「話を聞きます。ダルサ村の状況を」
「はい。あの——うちの村も、五年前から土が死んでまして」
「五年前から」
「はい。急に魔素が落ちて、それからずっと。作物がほとんど育たなくて——住民が半分近く出ていきました」
(半分か。うちより深刻だな)
「今現在、村に残っている人数は」
「四十人ほどです。百人いたのが」
「水路は」
「水路、ですか」
「村の水路の状態を教えてください。詰まりがあるかどうか」
クルツが少し首を傾げた。
「詰まりは……あると思います。管理できる人手がなくて。でもそれが原因かどうかは——」
「スキルで確認してみます。少し待ってください」
俺はスキルを流した。
ラングフォード領から北東に伸ばす。境界の手前まで届いた——そこから先が、白く靄がかかったようになった。管理外の土地には、感知が届かない。
(……そうだった。他の領地は見えない)
「……現地を見ないと分からないです。スキルは管理している土地しか感知できないので」
クルツが少し目を丸くした。
「そういうものなんですか」
「はい。詰まりがあるかどうかも、行かないと確認できません」
「それは——直せますか」
「直せます。ついでなので見に行きます」
ガレットが静かに眉を上げた。
「若様、本日の予定が——」
「支線の追加確認は後日にします。ダルサ村へ行く方が優先度が高い」
「……御意に」
クルツが頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に——」
「まだ何かできるかは現地を見てから。今日は確認だけかもしれません」
「それでも——それだけでも、本当に」
(感謝されると返し方が分からない)
「では午前中に出発します。マリスさんを呼んでください」
「ダルサ村!! 今日ですか!!」
マリスが朝一番の大声を出した。
(予想通りの反応だ)
「はい。隣村ですから半日あれば現地確認ができます」
「いや、それはそうですけど——領主様、昨日まで自領の水路をやっていたのに、今日は隣の村に」
「ついでです」
「ついで!!」
「水路は繋がってますから。隣も直す方が全体的に効率がいい」
「……なんでそんなに合理的なんですか」
「合理的じゃない理由がないので」
マリスが何か言いかけて、止めた。
「分かりました。では同行します」
「ゴードンさんとヨムにも声をかけてください。力仕事になる可能性がある」
「はい!」
(マリスが行動に切り替えるのは早いな。助かる)
一時間後、俺たちはダルサ村へ向かって歩いていた。
クルツが先頭を歩き、俺の隣にマリスがついた。
道はよく踏み固められている。ラングフォードとダルサ村を繋ぐ旧街道らしかった。
「領主様、馬は使わなくてよかったんですか」
「道が分からないので。歩いた方が確認しながら行ける」
「確認、というと」
「道沿いに水路が通っている部分もある。歩きながらスキルを流します」
マリスが少し黙った。
「……常にスキルを使ってるんですか」
「常にというわけじゃないです。意識を向けると見える感じです。今も薄く流してますが」
「それ、疲れませんか」
「慣れました」
(慣れたのかどうかはよく分からないが、特に不都合はない)
スキルを広げながら歩く。
道の両脇、地中の水路が断続的に見える。いくつかは流れている。いくつかは止まっている。
そこで、何かが引っかかった。
水路の全体像が、ぼんやりと見えてきた。
ラングフォードの水路とダルサ村の水路——つながっている部分がある。幹線ではなく、補助的な細い流れが、二つの村をまたいでいる。
(……あ。つながってるんだ)
「マリスさん」
「はい」
「ラングフォードとダルサ村の水路って、繋がってますか。旧台帳があれば分かるんですが」
「旧台帳は——四十年前の不審火で」
「ですね」
ガレットが後ろから口を開いた。
「……若様、記憶の限りでは、この地域の水路は元々一体として設計されていたと聞き及んでいます。村ごとに独立していたのではなく、全体が一つの網のように」
「へえ」
「ただ詳細な設計図は——台帳とともに」
「分かりました」
(全体が一つの網、か。だとするとダルサ村が詰まったままでいるのは、うちの水路にも影響してる可能性がある)
(面倒くさいな……でも、ついでついでで広がる気がする)
ダルサ村に着いたのは昼前だった。
村の入口で、年老いた男が待っていた。クルツが「村長のグリムです」と紹介した。
グリムは俺の顔を見て、少し戸惑ったような顔をした。
(若いと思われた。まあ、実際若いが)
「ヴァンダール領主です。水路を見に来ました」
「……本当に来ていただけるとは」
グリムの声が少し震えていた。
「見てから何ができるかは判断します」
「はい……はい、もちろんです。どうぞ」
村の中を歩いた。
廃屋が目立つ。
ラングフォードも着任時はひどかったが、ダルサ村はそれより更にひどかった。残っている家の半分近くが、修繕の手が入っていない。
畑は土が乾いて、ひび割れていた。
焦げたような臭いがした。水が来ていない土の臭いだ。雨が降っても浸みていかない、死んだ土の臭い。
静かだった。昼前なのに、農作業の音がしない。風の音だけがあった。
住民が何人か出てきて、こちらを見ていた。恐る恐る、という感じだった。子どもが少なかった。
マリスが俺の隣で小声で言った。
「……すごいですね」
「うちの着任直後と似てます。少し深刻かもしれない」
「五年間、この状態が」
「そうですね」
(ここも水路が通れば、うちと同じように数値が動くはずだ。動かない理由はない)
(面倒くさいが——放置する方がもっと面倒になる。それだけだ)
幹線の一本目を確認した。
クルツとゴードンが案内してくれた。
水路は泥で埋まっていた——と思って、近づいてみると。
「……ゴードンさん」
「はい」
「ここ、少し掘ってもらえますか。詰まりの少し手前」
「分かりやした」
ゴードンが地面を掘り始めた。ヨムが手伝う。
金属音がした。
スコップが何かに当たった音だ。泥を掘るときの、まとわりつくような音ではない。硬く弾くような音。
ゴードンが掘るのをやめた。手で周りの土を払い始める。
泥ではなかった。
石だった。
大きくはない。こぶし大の石が、水路の中に積み重なるように置かれていた。
俺はスキルで確認した。石の並び方、密度、向き。ランダムではない。一方向から来る水を効果的に止めるような配置になっていた。
誰も声を出さなかった。
(……これ、自然じゃない)
「ゴードンさん、他の詰まりも確認したいです。二箇所目へ案内してもらえますか」
「分かりやした」
マリスが詰まりを覗き込みながら、俺に言った。
「領主様——この詰まり方、不自然じゃないですか」
「……確かに。泥じゃなくて石が埋めてあります」
「石が……でも自然に石が水路の中に?」
「こぶし大の石が積み重なってるのは、自然発生では難しいですね」
ヨムが顔を上げた。
「若様、これって——誰かが」
「確認してみます」
(誰かが意図的に詰めた? そういうことになるが……)
(なぜ)
二箇所目、三箇所目と確認した。
どこも同じだった。
石だった。
泥が混じっているところもあるが、核になっているのは石の塊だった。大きさも揃っていた。
四箇所目。幹線の一番奥に位置する詰まり。
ゴードンとヨムが掘り出した。
同じ石が出てきた。
ガレットが傍らに立って、静かにそれを見ていた。
俺はガレットを見た。
ガレットの視線が石の上に落ちていた。
微妙に、何かを整理しているような顔だった。
「ガレット」
「……はい」
「心当たりはありますか」
一瞬、ガレットが間を置いた。
「……特には」
「そうですか」
俺はそれ以上聞かなかった。
(……でも何かを知っている顔だった。台帳の話の時と同じ間の置き方だ)
(まあ、今は聞いても出てこない。後でいい)
マリスがガレットを見て、また俺を見た。
何も言わなかった。
賢い判断だと思った。
クルツが俺の隣に来た。
「若様——石が入っていた、ということは」
「誰かが置いた可能性があります」
「誰かが、わざと——」
「断言はできないですが、自然に石が四箇所の幹線に同じように積み重なることは、普通はない」
クルツが言葉を失った。
村長のグリムが遠くで立っていた。
聞こえていたのかもしれない。
グリムの顔が白くなっていた。
「……いつ頃から、土壌が落ちましたか」
俺はグリムに向かって聞いた。
「五年前の秋です。急に——それまで普通だったのが、冬の前に一気に」
「急に」
「はい。水路が詰まったと思ったらそのまま——でも水路が詰まったのか、先に土がおかしくなったのか、よく分からなくて」
「水路が先だと思います」
「……そうですか」
(詰まったのが先で、土壌魔素が落ちたのが後。それが五年前の秋。誰かが石を詰めた、とすれば五年前より前ということになる)
(四十年前に台帳が焼けた。その後、いつ詰まったのか。うちの水路は自然の詰まりだったのか、それとも——)
(……面倒くさいことになってきた)
夕方近くになった。
俺はクルツとグリムを集めた。
「今日分かったことを話します」
二人が頷いた。
「幹線四箇所に詰まりがあります。石が入っていた。自然発生ではない可能性が高いです」
「……可能性、というのは」
「断言するには調査が足りないので。ただ、石が意図的に置かれたのだとしたら、それを誰がいつやったのかは別の話になります。今日は直せることに集中します」
「直せますか」
「直せます。ただ今日だけでは終わりません。明日以降も来ます」
クルツが深く頭を下げた。
「……本当に、ありがとうございます」
「直してから礼を言ってください。まだ終わっていないので」
「それでも——」
「分かりました」
(ありがとうって言われるのをどう受け取ればいいのかいつまでも分からないな)
ゴードンが俺に小声で言った。
「若様、今日はどこまでやりますか」
「日が落ちる前に幹線一本目だけでも通しておきたいです。時間があれば二本目も」
「分かりやした。手を動かします」
「お願いします」
幹線一本目の石を撤去した。
日が傾き始めた頃だった。
石を取り除いたとき、水が流れ込んだ。量は多くなかったが、確実に流れた。
村人が数人、水路を見ていた。
誰かが「水が……」と言った。小さな声だった。
マリスが俺の隣に並んだ。
「領主様、明日も来るんですか」
「はい。幹線があと三本。支線は後日」
「……自領の支線もまだあるのに」
「ついでです。全部繋がってるなら一緒にやった方が効率がいい」
マリスが少し息を吐いた。
「領主様は——ついで、って言葉が好きですね」
「好きというか。まあ、ついでですから」
「……そうですね。ついで、でここまで来てもらえるって——あの人たちは多分そう思ってないですよ」
俺は水路を見た。
石の詰まりが取れた場所から、細い水が流れている。
村人の一人がしゃがんで、流れる水に手をかざしていた。
「まあ」
「まあ?」
「なんとかなりそうなので。それだけです」
マリスが黙った。
(感情を言葉にするのが得意な人だと思っていたが、黙る時は黙るんだな)
帰り道、日が落ちかけていた。
ゴードンが俺に並んだ。
「若様、石の件——ガレット様の様子、見ましたか」
「見ました」
「あれ、何か知ってますよね」
「たぶん」
「聞かないんですか」
「今は聞いても出ない。時期があると思うので」
ゴードンが少し考えた。
「……そういうもんですか」
「追い詰めても出てこない情報は意味がない。向こうから言いたくなったときに聞けばいい」
「若様は——急かさないですね」
「急かす方が面倒くさいんで」
ゴードンが短く笑った。
珍しい。ゴードンが笑ったのを初めて見た気がした。
(笑うんだな)
館に戻ってから、ガレットが報告に来た。
「若様、本日のダルサ村の件ですが」
「はい」
「石の詰まりについて——私に記憶があるわけではないのですが」
「はい」
「……ただ、あの石の積まれ方は、どこかで聞いた覚えがあります。はっきりとは思い出せないのですが」
「どこで聞きましたか」
「父から——いえ、親代々のことですので、記憶が曖昧です。申し訳ございません」
「分かりました。思い出したら教えてください」
「……御意に」
ガレットが下がった。
(思い出せないのか、思い出したくないのか、どっちかは分からないが——まあ、急かしても仕方ない)
(でも石の件、自然発生じゃないのはほぼ確実だ)
(うちの水路はどうだろう。ダルサ村と同じ詰まり方をしているのか、それとも別なのか)
俺はスキルを流した。
ラングフォードの水路を確認する。通った幹線と支線——魔素が流れている。数値は30%を維持している。
詰まっていた部分の記憶を確認した。
掘り出したのは泥だった。石ではなかった。
(……うちは自然発生。ダルサ村は石。違う種類の詰まりが、なぜ同時期に)
(誰かが意図的に詰めたとすれば——なんのために)
答えは出なかった。
スキルを遠くへ伸ばす。
ラングフォードとダルサ村、その周辺——水路のネットワークが薄く見えた。つながっている。どこかで全体として動いていたはずの流れが、複数の箇所で止まっている。
(……ついでついでで広がってるな。これ)
(面倒くさいな……まあ、なんとかなるか)
夜は静かだった。




