ガレットの言葉
昼飯を食べた。
今日は鶏の煮込みだった。ガレットが「昨日から仕込んでおきました」と言っていた。台所の人が作ったものだが、仕込みの指示はガレットが出している。
うまかった。
(……なんで今日に限ってうまいんだ)
(いや、いつもうまいんだが)
食べ終わって、椅子に少し沈んだ。外の音が遠かった。
マリスは午後の作業に入っていた。農地の記録の整理だと言っていた。「ドランク王が来るたびに記録が増えるので」とも言っていた。
(……そういう積み重ねがあるのか)
廊下から足音がした。遠くからゆっくり近づいてくる、馴染みのある歩き方だった。
「若様」
ガレットが入口に立っていた。
「……来ましたか」
「お時間をいただけますか」
「はい」
ガレットが中に入った。扉を静かに閉めた。
(……ガレットが扉を閉めるのは珍しい)
いつもは開けたままにしている。廊下に誰かいる時でも。
「どうぞ、座ってください」
「ありがとうございます」
ガレットが椅子を引いた。背筋が真っ直ぐなまま座った。いつもと同じ座り方だった。
だが、少し間があった。
ガレットが間を置くのは珍しかった。
(……何の話をするつもりなんだ)
スキルを確認した。全域で動いていた。北の丘はさっきより少し上がっていた。
「若様」
「はい」
「今日お話しすることは——長いことお伝えするタイミングを探しておりました」
「そうですか」
「はい。ドランク陛下がお帰りになって、各国の方々もいなくなって。ようやく、今日が適切かと」
(……ずっと考えていたのか)
「聞きます」
ガレットが少し視線を下げた。卓の上の、何もない場所を見ていた。
「——若様が着任されてから、二年が経ちました」
「そうですね」
「最初の春に、土壌の調査をされた。水路を見て回られた。農地の配置を変えると言い出した」
「面倒くさかったので最短でやっただけです」
「はい」
ガレットは頷いた。でも続きを止めなかった。
「大国の使者が来た。シュタール国王が来た。遺跡が目を覚ました。それでも若様は「面倒くさい」とおっしゃりながら、全部片付けた」
「なんとかなりました」
「——はい」
ガレットの声が少し低くなった。気づかないほどのわずかな変化だった。でも分かった。
「先代領主様は——若様のお父上は、若い頃から、この領地のことを憂えておられました」
「……そうですか」
「代々引き継がれていた封印の仕事も、農地が痩せていくのも、一人で抱えておられた。誰にも全部は言えなかった」
(——知っている。ガレットが以前話してくれた)
俺は何も言わなかった。
ガレットも少し止まった。
「父君は台帳の最後のページに——「あとは頼む」と残されました」
「見ました」
「はい」
「——あの一行は、若様に向けて書かれたものです。ですが、私は長い間、本当にそれで良かったのか、と思っておりました」
「というと」
「若様に、お父上が残した全てを背負わせてしまったのではないかと」
「……俺は特に重いとは思っていません」
「存じております」
ガレットが静かに言った。
「——若様は、そういう方です」
(……そういう方、というのはどういう方なのか)
聞こうとして、やめた。
なんとなく、今は聞かない方がいい気がした。
窓の外で、風が草を揺らした。葉の音がした。
「若様」
「はい」
「——父君が、あなたを選んで良かった」
静かだった。
「——と、言いたかったと思います」
ガレットが補った。
「言いたかったと、思います」の部分が、少しゆっくりだった。
俺は返事をしなかった。
すぐには、できなかった。
(……そうか)
窓の外の光が明るかった。午後の、真っ直ぐな光だった。
(親父。ガレットがそう言ってる)
(お前が言えなかった分を、ガレットが言ってくれている)
そういうことか、と思った。
「——まあ」
俺は口を開いた。
「……そうでしたか」
自分の声が、いつもより少し静かだった。
ガレットが頷いた。それだけだった。
「——なんとかなったし」
俺は続けた。
「何をやっても、結局なんとかなったので」
「はい」
「最初はどうにもならないかと思ったものが多かったですが」
「……そうでしたね」
ガレットの声が、今度は普段と同じ声に戻っていた。
(……ガレットは感情を出さない。でも少し、声が変わっていた)
(それだけ、長く、思っていたのかもしれない)
二人でしばらく黙った。
悪い黙り方ではなかった。
外の光が、ゆっくり西に傾き始めていた。
「——若様」
「はい」
「長いことお伝えできずにおりました。申し訳ありませんでした」
「いいです」
「……いいのですか」
「ガレットが言うべきタイミングで言ってくれたと思います。俺は今日聞いて良かった」
ガレットが少し止まった。
「——ありがとうございます」
「いえ」
(……今日でなければ、しっくり来なかった気もする)
(全部終わった後に聞くから、ちょうどいいんだろうな)
「若様、一点だけ確認をさせてください」
(……戻ってきた。これはいつものガレットの声だ)
「何ですか」
「来月のドランク陛下の候補日を三点確認しました。明日の午前中にご覧いただければ、書面を整えます」
「……分かりました」
「それから、モリッツ殿からシュタール農業担当者の書状が来週中に届く予定です。農地の担当と俺が窓口になりますが、若様に一点確認があります」
「後で来てください」
「承知しました」
ガレットが立ち上がった。椅子を元の位置に戻した。
「——若様」
「はい」
ガレットが振り返った。
「今日は、聞いていただきありがとうございました」
「……こちらこそ、言ってくれてありがとうございます」
ガレットが深く頭を下げた。それから扉を開けて、静かに出ていった。
廊下の足音が遠くなっていった。
俺は椅子の背に少し沈んだ。
(……親父)
(ガレットが代わりに言ってくれた)
スキルを確認した。全域で、今日も上がっていた。北の丘がまた少し動いていた。
(領地は動いてる)
窓の外が静かだった。出立の騒ぎは昼前に終わって、もう誰もいない庭だった。
(——なんとかなったし)
それ以上、何も考えなかった。
まあ、いい午後だった。




