協力関係
翌朝、図面室の扉が開いていた。
廊下から覗くと、マリスが机の前に立っていた。手帳を開いて、何かを読んでいる。
(今日も早い)
俺が入ると、マリスが顔を上げた。
「ライルさん、おはようございます」
「……おはようございます」
「今日は各国との調整を本格的に始めます。昨日の夜、ガレットさんから連絡が来て——」
「ちょっと待って」
(起き抜けにそのテンポは速すぎる)
「椅子に座ってもいいですか」
「どうぞ」
俺は椅子を引いた。マリスは立ったままだった。
「続けてください」
「はい。昨日の夜、ガレットさんから連絡が来て。各国の役割について最終確認をしたいとのことです。今朝中に整理して、昼前に各担当へ伝える予定で動いています」
「昨日の夜に」
「はい」
(ガレットも夜遅くまで動いている)
(位置確認図も今夜中に作ると言っていた。本当に作ったんだろう)
「ガレットはもう起きてますか」
「とっくに」
マリスが当たり前のように答えた。
(そうか)
(この屋敷の朝は俺が一番遅い気がしてきた)
しばらくして、ガレットが紙を一枚持って入ってきた。昨夜まとめたのだろう、紙には各国の名前と役割が整然と書いてある。
「若様、おはようございます。昨日の確認を踏まえて、役割の整理をまとめました」
「見せてもらえますか」
「はい」
紙を受け取った。
シュタール王国——ドランク王が現地で魔素解析の補助を担当。書庫資料の持ち込みと、遺跡内での術式判断のサポート。
テルミス王国——古代遺跡の調査データを提供。過去の調査記録と地形図を提出。
エンデ侯爵家——物資と人手。必要が生じたら随時対応。
内政局——記録の共有と書面管理。
「……これで全部ですか」
「はい。各担当への連絡は今朝マリス殿から行う予定です」
マリスが手帳を開いた。
「テルミス王国への連絡は、先方の窓口がリベリ先生経由になるので、まずリベリ先生に声をかけます。ドランク陛下へは朝食後に確認の時間をもらっています。エンデ家はカステル卿に直接。内政局はガレットさんからクイン殿へ」
「……全部、もう動いてるんですか」
「昨日の夜に段取りを決めました」
(昨日の夜に)
(俺が寝ている間に)
「俺は何をすればいいですか」
マリスが手帳から顔を上げた。
「認証のときだけ来てください」
(……認証のとき、だけ)
「……それだけ?」
「それだけです」
マリスが事務的に答えた。迷いがない。
(それだけ、か)
「調整とかは」
「私がやります」
「テルミス王国への——」
「私がやります」
「ドランク陛下の書庫資料の確認——」
「今朝ドランク陛下と話します」
(全部マリスがやる)
「……俺の仕事、本当に認証だけですか」
「はい」
「確認するんですが——認証って、遺跡の中で一回スキルを使う、あれですよね」
「そうです」
「それ以外は」
「のんびりしてていいですよ」
マリスがそう言いながら、手帳を閉じた。
そして走り去っていった。
(……行った)
(今「のんびりしてていい」と言いながら走って出ていった)
ガレットが扉の近くに立っていた。
「ガレット」
「はい」
「マリスはいつからあんなに仕切れるようになったんですか」
「……最初から、ではないかと存じます」
「いつから」
「少しずつ、かと」
(そういう答え方をするか)
「まあ、いいですが」
ガレットが静かに言った。
「若様、今日のマリス殿の動きは相当な量です。昨夜の段取りを見ておりましたが——各国への連絡順、内容の調整、確認事項の洗い出し……非常によく整理されておりました」
「そうですか」
「はい。一点だけ、お伝えしておきます」
「何ですか」
「昨日、マリス殿は各担当へ連絡する前に、一度全員の優先順位を考え直しておりました。「ドランク陛下が現地に入るならスキルの確認タイミングが大事」「リベリ先生経由にすると時間がかかる」——そういった点を一人で整理していたようです」
(一人で整理した)
(……そうか)
「ありがとうございます」
「いえ。若様はのんびりお過ごしを」
(ガレットにまで言われた)
昼前になって、マリスが戻ってきた。少し息が上がっていた。
「ライルさん、各担当への連絡が終わりました」
「全部ですか」
「全部です。リベリ先生からテルミス王国の調査データを今日中に整理してもらえることになりました。ドランク陛下は朝食後に書庫資料の最終確認をしてくださいます。カステル卿は人手の配置について今夜中に返答をくれます。内政局はガレットさんから」
「……速いですね」
「そうですか?」
「速いですよ」
(俺だったら半日かかっても終わらない)
(マリスは午前中に全部回ってきた)
「ドランク陛下は何か言っていましたか」
「「ライルは来なかったのか」とおっしゃっていました」
「……すみません」
「「まあ、マリスが来たなら同じだ」ともおっしゃっていました」
(ドランク王に「同じだ」と言われた)
(褒められているのか、俺の存在感が薄いのか、どっちだ)
マリスが手帳を開いた。
「午後は先生と遺跡の最終確認をする予定です。私も同席します。ライルさんはどうしますか」
「……一緒に行きます」
「分かりました。三時に図面室で」
(やっと予定ができた)
「それまでは」
「のんびりしてていいですよ」
マリスが今度は歩いて出ていった。
走ってはいなかったが、歩幅が広かった。
(また行った)
ガレットが扉の向こうから声をかけてきた。
「若様、お昼の準備ができております」
「……ありがとうございます」
俺は椅子から立った。
窓の外に昼前の光が差していた。
(俺、また立ってるだけじゃん)
(いや——正確には、座ってたか)
(……でも、まあいいか)
スキルを向けた。
土壌の魔素濃度が、今日も続いている。右の壁の向こうから、例の感触がある。昨日と変わらない。相変わらずそこにある。
(明後日になれば、俺の番が来る)
(認証。それだけ、と言っていたが——それだけが、今のところ俺にしかできないことだ)
(面倒くさ)
(まあ、なんとかなるか)
廊下から、マリスの足音が遠ざかっていった。
また速い。
(あの速さで動ける人間が俺の侍女なのは、どういう運命の采配なんだろう)
(……まあ、助かっているからいいか)
俺は廊下に出た。
昼の光の中を、ガレットの後ろについて食堂へ向かった。




