急に仲良くなるじゃん
夕方の図面室は、朝よりずっと人が多かった。
追加された椅子が六脚。テーブルの周りに全員が座ると、部屋の隅まで人が埋まった。ガレットが言っていた通り「既に手配している」椅子だ。
(本当に、手配が早い)
テーブルの上に図面が三枚広げられていた。遺跡の見取り図、台帳の写し、それからイルデ先生が今朝追加した走り書きの区画図。
先生が立ったままだった。この人はいつも立っている。座ると説明の精度が落ちると言ったことがあった気がする。
「では、準備の確認を始めます」
マリスが手帳を開いた。ガレットも手帳を開いた。二人がほぼ同時に開くのが、毎回少し面白い。
「まず、明後日の探索チームの最終確認から」
先生が図面を指した。
「ライル様・私・マリス殿・ドランク陛下。この四名で別の区画の前室まで向かいます。ガレット殿は地上で記録と連絡を担当。カステル卿は遺跡外で待機」
「了解です」
カステルが短く言った。エンデ卿のカステルは、毎回こういう答えが早い。
「クイン殿は今回同行しない、という確認でよいですか」
クインが手帳から顔を上げた。
「はい。人数と制限の話は理解しています。記録の共有だけお願いします」
「後でガレットから」
「承知しました」
(一周したら、全員「承知しました」だった)
(朝と態度が同じだ。違和感があるくらい整っている)
テルミス大国の使者のヴェルナーが、斜め向かいに座っていた。手帳を開いて何か書いている。
(この人は常に何か書いている。書かないと不安なんだろうか)
「ヴェルナー殿、記録の共有について昨日確認したいことがありましたね」
ヴェルナーが顔を上げた。
「はい。テルミス政務院への記録提供についてです。ガレット殿が記録を取られると伺いましたが、提供の形式について確認させていただけますか」
「形式は?」
「書面で、探索終了後の翌日以内に……」
「ガレット」
「はい。翌日以内の書面提供、承知いたしました」
ヴェルナーが少し眉を動かした。
「……それで構いません。ありがとうございます」
(「検討します」じゃなかった。進歩だ)
「他にご確認は」
「今のところは以上です」
先生が先へ進んだ。
「次に、各自の役割を確認します。書庫資料について陛下から」
ドランク王が腕を組んだまま、目だけ上げた。
「今朝、取り寄せの連絡を出した。明後日の朝に間に合う。「南の間」について記載のある文書三点、それから核周辺の地形について書かれた別文書一点を持ち込む」
「四点ですか。それで全部ですか」
「まだある。もう一点、今の区画と類似した遺構の記録がマルフ期の写本にある。それも持ってくる」
「五点ですね。ありがとうございます」
(毎回思うが、この王様の書庫は本当に何でも出てくる)
(シュタール国は遺跡に縁が深いんだろう。山の向こうまで同じ設計者の建物が続いているくらいだから)
「カステル卿からは」
カステルが手元の紙を見た。
「エンデ家の名義と資金について確認しました。今回の探索対応で必要になる場合は使ってください。追加の人手も必要なら連絡をもらえれば」
「ありがとうございます。今のところ人手の予定はないですが」
「分かりました。いつでも」
(カステルはいつも「いつでも」と言う)
(実際いつでも動けるのかどうかは確認したことがないが、言った通りに動いてくれる人だということは経験済みだ)
「クイン殿、内政局からは何かありますか」
クインが手帳をめくった。
「三点です。一つ目、探索結果の報告書は内政局形式で作成してください。様式はガレット殿に渡します。二つ目、若様の安全確保について——」
「二点目は確認しなくていいです」
「……は」
「俺の安全確保は俺の判断で行います。内政局の介入事項ではないので」
クインが手帳の上に指を止めた。
「……承知しました。三点目は、探索中の通信手段についてです。地上との連絡は何を使われますか」
「ガレットに任せてあります」
「ガレット殿、現状は」
ガレットが静かに言った。
「三十分ごとに連絡者が遺跡の入口まで下りて確認する形式です。緊急時はマリスから信号を上げる手順を組んでおります」
「……なるほど。記録します」
「よろしくお願いします」
(内政局は記録が好きだ)
(まあ、仕事がそういう仕事なんだろう。仕方ない)
一通りの確認が終わったところで、部屋が少し落ち着いた。
ドランク王が図面を引き寄せた。先生が隣から補足を入れている。カステルとクインが小声で何か話していた。
その時、ヴェルナーが手帳から顔を上げた。
「若様、一点よろしいですか」
「どうぞ」
「テルミス政務院として——今回の別の区画について、内容次第では国際的な対応が必要になる場合があります。その点の窓口として、政務院を含めた協議体の設置を——」
(また「協議体」が出た)
(この人はこういう話になると必ず「協議体」か「共同対応」という言葉を使う)
「ヴェルナー殿、中身が分かってから話しましょう」
「しかし、事前に体制を整えておく方が——」
「中身が分からない状態で体制だけ作っても意味がないです。まず入ってみて、何があるか確認してから」
「……分かりました」
(「検討します」が「分かりました」に変わっている。また進歩だ)
ドランク王が図面から目を上げた。
「ライル」
「はい」
「七百年間眠っていた区画だ。中に何があるか分からないのは当然だろう。体制は後でいい。ヴェルナーの言いたいことは分かるが、順序が逆だ」
ヴェルナーが少し顎を引いた。
「……おっしゃる通りです」
(ドランク王がヴェルナーを収めた)
(この王様は、うちに毎月来ていた時からそうだが、要所で言うことが正確だ)
先生が次の確認に移った。
「明後日の段取りを確認します。朝、まず中間区画に入ります。前回からの状態変化を確認してから先へ進む。核の間でライル様にスキルを確認してもらい、別の区画の感触の強さを把握します。その後、南側の通路へ」
「手順は以前と同じですね」
「はい。段階を踏む方針は変えません」
「マリス、荷物の確認は」
マリスが手帳をめくった。
「灯り四本・食料・水は昨日から同じです。今日追加したのが、先生の図面の写しと台帳の抜粋コピーです。それからドランク陛下の書庫資料を入れる袋も用意してあります」
「袋まで用意したんですか」
「当然じゃないですか。書類が傷んだら困りますし」
(マリスは準備の粒度が細かい)
(袋を用意するというのは思いつかなかった)
「ありがとうございます」
「任せてください!!」
(「!!」がいつも多い)
ガレットが手帳に書き込みながら言った。
「若様、一点追加でございます。明後日の朝、カステル卿の部隊が遺跡外に展開します。外側の警戒を担当いただく手順を確認しておきたいのですが」
「カステル卿、そこはどうされますか」
カステルが少し考えた。
「三人で交代します。三十分ごとに入口付近を確認する形で。ガレット殿の連絡ルートと被らないよう位置を分けます」
「ガレット、調整できますか」
「はい。今夜中に位置の確認図を作ります」
「今夜中に……」
「問題ありません」
(ガレットが「問題ありません」と言う時は本当に問題ない)
(この人の仕事の密度は毎回驚くが、慣れてしまった)
もう一度、部屋を見た。
図面を覗き込むドランク王と先生。手帳を整理するマリスとガレット。小声で話を続けるカステルとクイン。手帳に書き込むヴェルナー。
(……昨日まで「共同管理権をよこせ」と言っていた大国の人間が、今は「記録の共有をお願いします」に変わっている)
(態度が違いすぎる)
「……昨日と態度が違いすぎる」
思わず声に出てしまった。
マリスが手帳から顔を上げた。
「当然です!! 緊急事態ですから!!」
(そういうことか)
(緊急事態になったら態度が変わる。そういうものなんだろう)
「……緊急事態なんですか、今」
「七百年間眠っていた区画が目覚めているんですよ!? 緊急事態じゃないんですか!!」
「……まあ、そうですね」
ドランク王が図面から少し目を離して、こちらを見た。
「面白い展開だとは思うか?」
「陛下は楽しそうですね」
「楽しいぞ。七百年前の建物の続きが出てくるんだ。面白くないわけがない」
(この王様は毎回楽しそうだ)
(七百年前に思いを馳せて楽しんでいる。それはそれで正しい感覚だと思う。俺には少しその余裕がないが)
「ライル」
「はい」
「お前は楽しくないか」
(楽しい)
(かどうか)
「……まあ、面倒くさいですが」
「面倒でも面白いかどうかは別だろう」
「……そうですね。七百年前の話が出てくるのは、面白いかもしれないです」
ドランク王が小さく笑った。
「それでいい」
(この王様はこういう締め方が上手い)
ヴェルナーが手帳を閉じた。
「若様、今回の件で一つ確認させてください。別の区画の内容によっては、テルミス政務院としての対応が変わります。中身を確認した後、速やかに共有してもらえますか」
「ガレットが記録します。共有もガレットから」
「……承知しました。ガレット殿、よろしくお願いします」
「はい。速やかに」
(ヴェルナーが直接ガレットにお願いを言うようになった)
(昨日までは俺を通してばかりだったのに)
(これは、少し状況が動いている)
部屋の空気が、落ち着いていた。
みんなが手帳に書き込んで、図面を確認して、小声で話している。揉めていない。昨日まで「管理権」の話をしていた面々が、今は「袋はどこに入れるか」「位置の確認図は夜中に」という話をしている。
(……なんか、うまく行きそうじゃん)
「先生、他に確認しておくことは」
「一点だけです。明後日の朝、出発前に私が全員に遺跡内の安全確認を口頭で伝えます。五分ほどかかりますが」
「全員に伝えるんですか」
「中に入らない方も含めて、共有しておく方が安全です」
「分かりました。お願いします」
(先生はこういうところが丁寧だ)
(全員に伝えるのは効率が悪いように見えるが、何かあった時の対応が早くなる。合理的だ)
「では、今日の確認はここまでにします」
先生が図面を少し折りたたんだ。
マリスが手帳を閉じた。ガレットが椅子を引いた。各自が動き始めた。
ドランク王が立ち上がりながら言った。
「ライル、一つ聞いてもいいか」
「何ですか」
「認証が終わって、区画が開いた後——どうなると思う」
(どうなると思うか)
(正直、分からない)
「分かりません」
「そうか」
「先生も分からないと言っています。七百年間眠っていた理由が不明なので」
「それは知ってる。それを踏まえて——お前はどう思う」
(この王様は、たまにこういうことを聞く)
(答えを求めているんじゃなくて、どう考えているかを聞きたいんだろう)
「……なんか、大丈夫な気がします」
「根拠は」
「ないです」
ドランク王が少し目を細めた。
「……お前は面白いな」
「よく言われます」
「根拠のない直感を正直に言える奴は少ない」
「根拠がないのに根拠があるふりをする方が面倒くさいので」
(嘘は後の辻褄合わせが大変だ。だから言わない)
「なるほどな。まあ、俺も何かがある気はしている。七百年間守られていたものだ。ただ壊れているだけじゃないだろう」
「……そうかもしれないです」
ドランク王が図面を脇に置いた。
「明後日、頼むぞ」
「はい」
(この王様に「頼む」と言われるのは、なんか重い)
(毎月うちに頭を下げに来ていた王様だが、この「頼む」は違う感じがする)
(……まあ、やるしかないんだが)
人が少しずつ部屋を出て行った。
最後に先生とマリスと俺が残った。
「先生、明後日の準備で何か追加がありますか」
「今夜、もう一度刻文の最終確認をします。明日の朝に報告します」
「分かりました。夜遅くなりすぎないように」
「……善処します」
(先生の「善処します」は信用できないが、今回はガレットが見張るだろう)
「マリス」
「はい」
「荷物の最終確認は明日の夜にしましょう。何か追加が出るかもしれないので」
「了解です!! 先生の分も確認しておきます」
「……私の分は自分で」
「先生はいつも忘れますよね」
「……善処します」
「前回も善処してて水が足りなかったですからね」
(マリスは先生の管理もやっている)
(知らなかった)
「マリス、ありがとうございます」
「任せてください!!」
部屋が静かになった。
図面だけが残っていた。テーブルの上の三枚。
スキルを向けた。
土壌の魔素濃度が、今日も続いている。右の壁の向こうから、例の感触がある。朝と変わらない。
(明後日、認証する)
(七百年間眠っていた区画が、開く)
(その先に何があるかは分からない)
(でも)
(……なんか、なんとかなりそうじゃん)
「ガレット」
いつの間にか、ガレットが扉の近くにいた。
「はい」
「今夜の位置確認図、無理しないでください」
「若様、問題ありません」
「……まあ、なんとかなるか」
「はい。なんとかなります」
(ガレットが「なんとかなります」と言った)
(この人がそういうことを言うのは珍しい)
(……まあ、そうだな)
俺は立ち上がった。
図面室の扉を開けると、廊下に夕方の光が差していた。
(明後日まで、やれることをやる)
(面倒くさいが、後回しにするともっと面倒くさくなる)
(まあ、なんとかなるか)




