止めるより変える
朝、先生に声をかけられた。
「ライルさん」
まだ暗い。窓の外が白み始めたくらいの時刻だった。
(……朝になった)
(先生が来た、ということは——答えが出たということか)
「どうぞ」
先生が扉を開けた。ドランク王も後ろにいた。
(二人で来た)
(王様が夜通し付き合っていた、ということだ)
「失礼します」
先生が部屋に入った。帳面を三冊持っている。いつもは一冊だ。
「座ってください」
「はい」
先生とドランク王が椅子に座った。ガレットがいつの間にか後ろに立っていた。
(ガレットもいる。全員揃った、というわけか)
(この時刻に)
「聞かせてください」
俺は言った。
「止め方が分かりましたか」
先生が少し間を置いた。
「止め方は——分かりませんでした」
(……そうか)
「ただ」
先生が帳面を開いた。
「「変え方」は、分かりました」
(変え方)
「どういうことですか」
「核を「止める」ことは——現状の資料と私の知識では不可能です。起動している術式を完全に停止させる手法が、どの文書にも記述されていませんでした」
「…………」
「ですが——ドランク陛下の書庫資料の中に、別の方法が書かれていました」
ドランク王が静かに言った。
「「方向を変える」、だ」
(方向を変える)
「もう少し詳しく教えてもらえますか」
先生が帳面の一ページを開いた。
「核が現在行っていることを説明します。核は地上の魔素を「吸収」しているのではなく——地上から地下へ魔素を「流している」のです」
「流している、というのは」
「方向があります。核に彫り込まれた術式が——魔素を特定の方向へ引き込むように設計されています。ヴァンダール領の地表から、核へ向けて」
(……なるほど)
(「引き」として俺が感じていたのは、その方向性だ)
「その方向を——変えられる、ということですか」
「はい」
先生がページをめくった。
「術式の中心点があります。核の表面の螺旋状の線が収束する一点——そこが、方向を決めている「軸」です。この軸の向きを変えれば、魔素の流れる方向が変わります」
「変えたら、どうなりますか」
「地上から地下へ流れていた魔素が——地下から地上へ、还流します。何百年分かは一気には戻りませんが……土壌が回復し始めます」
俺は少し考えた。
(止める、ではなく変える)
(方向を変えれば、土壌が回復する)
(吸収ではなく——還流になる)
「その中心点を変えるには、どうすればいいですか」
「物理的に」
先生が静かに言った。
「核の表面の、収束する一点に当たる石を——別の方角へ向けて動かす必要があります」
「石を動かす」
「はい。術式は石に刻まれています。石の向きが変われば、術式の向く方向も変わります」
マリスが扉のそばから声を出した。
「え」
(マリスもいたのか)
「え——石って、あの核の石ですか」
「はい」
「手で動かすんですか」
「はい」
「……あの、でかいやつを」
「中心点は——核の全体ではなく、収束する一点の石です。それだけです。それだけですが——人の手で動かす必要があります。魔素では動きません」
(魔素では動かない)
(あれだけの構造物なのに——物理作業でないといけない、か)
「どれくらいの大きさの石ですか」
「この——」
先生が帳面に絵を描いた。両手を広げた程度の四角い石だった。
「この程度の大きさの石が、核の中心点に当たる位置に埋め込まれています。位置さえ正確に分かれば——何人かで動かせる重さのはずです」
「何人くらい必要ですか」
「三人か、四人か——ただ、正確な位置が分からないと動かしても意味がありません。術式の収束点を外してしまえば、何も変わりません」
先生が俺を見た。
「ライルさんのスキルで——正確な位置を感知できますか」
(あ)
「できます」
答えていた。
(核の引きは感じ続けていた。中心点があるとしたら——それも感じられる)
(感じられる。たぶん)
「スキルで感知して——正確な位置を指せますか」
「やってみます」
「「やってみます」で」
「できると思います」
「……それで十分です」
ドランク王が静かに言った。
「つまり——術式の解析と解法は今朝の時点で出た。あとは現地で確認し、石を動かすだけだ、ということか」
「はい」
「ライルが位置を指して、私たちが動かす」
「陛下にも動いていただくことになります」
「構わない」
ドランク王がテーブルに肘をついた。「来たからには、最後まで付き合う」
マリスが「え——私も動かす方ですか」と言った。
「全員でやります」
「全員!!」
「マリスさん」
「あ、すみません——全員、ですね」
(全員、か)
(術式盤の時も三人で押さえた。今度は石を動かす)
(全員いる意味が——また出てきた)
「俺、立ってるだけでいい?」
確認のために聞いた。
先生が「はい」と答えた。
「ライルさんは——正確に指さすだけで」
(指さすだけ)
「……それでいい」
俺は言った。
(面倒くさいけど)
(これが最小コストだ)
(スキルを使って、場所を指す。それだけでいい)
マリスが「え、それだけですか!!」と言った。
「はい」
「ライルさんが指さして、私たちが動かして——それで七百年分の問題が解決するんですか!!」
「解決します」
「……なんか、すごいですね!!」
「……声が」
ガレットが静かに注意した。マリスが「すみません。すごいな……」と落とした。
(マリスが「すごい」と言った)
(俺がすごいかどうかは分からない。スキルがあるから、指さすだけでいい、というだけだ)
(それが最小コストだと思う。面倒くさいけど、これ以上縮められない)
「一点だけ確認させてください」
先生が帳面をめくった。
「石を動かすのに、どの方向へ向ければいいか——これを私が説明します。スキルで位置を感知しながら、先生の指示した方向に石が来るよう、確認しながら指示できますか」
「できます」
「正確に言うと——石を少し動かして、ライルさんにスキルで確認してもらい、また動かして確認——という繰り返しになります」
「時間はどれくらいかかりますか」
「……分かりません。一度も実際にやったことはないので」
「分かりました」
(正直でいい)
(「分かりません」と言える人は信用できる)
「ガレット」
「はい」
「テルミスの使者が来るまでに、終わらせたい」
「……明日の昼前かと思われます、使者の到着は」
「今日、行けますか」
「食料と水は——今日分は十分あります。ただ、早い方がよいかと」
(早い方がいい)
(急ぎすぎず、ただ今日中にやる)
「先生、準備は」
「できています」
先生が帳面三冊を持ち上げた。
「昨夜の分析を帳面にまとめました。収束点の位置と、石の動かし方の手順も書いてあります」
「ありがとうございます」
「……徹夜でやった甲斐がありました」
先生が少し目を細めた。
(先生が感情を出した)
(珍しい)
「ドランク陛下も——昨夜ありがとうございました」
俺はドランク王に言った。
「資料がなければ「変え方」には気づかなかったかもしれません」
「書庫に持っていても使えなかった。ここで使えた方がいい」
ドランク王が立ち上がった。「いつ出る」
「今すぐ行けますか」
「来たからには、と言った」
(王様がいいことを言った)
(……いや、本当のことを言っただけか)
「では、出ます」
準備が整うのに十分かからなかった。
灯りを持ち直して、全員で遺跡の入口に立った。
通路。傾斜。前々室。核の間——来た道を戻るだけだ。
(来た道は分かっている)
(あとは——核の前で、指さすだけだ)
(面倒くさい。でも、これが最小コストだ)
歩き始めようとした時、ガレットが「若様」と言った。
「はい」
「……一つ、ご報告があります」
俺はガレットを見た。ガレットの声のトーンが、いつもより少し低かった。
「今朝、早い時刻に早馬が届きました。テルミスの使者、ランデル殿からです」
「……日程が変わりましたか」
「はい。「本日中に参上する」と——日付が繰り上がっています」
(本日中)
全員が少し止まった。
先生が帳面を持ち直した。ドランク王が静かに俺を見た。マリスが「え」と言いかけて黙った。
(明後日が——今日になった)
(「近日中に参上する」から「本日中」に変わった)
(向こうも、こちらが動いていると察したか。それとも、ただ日程を前倒しにしてきただけか)
(どちらでもいい)
(どちらにしても——今日中にやるしかない)
「分かりました」
俺は言った。
「急ぎます。ただ、急ぎすぎない。先生——現地についたら、手順を教えてください」
「はい」
「ドランク陛下、資料を持ちますか」
「持ってきた」
「ガレット、地上での対応は」
「使者が到着した際は、若様が遺跡内で作業中であることをお伝えし——待機いただく形でよいかと」
「それでいいです」
「承知いたしました」
マリスが「待機……使者がですか」と小声で言った。
「はい」
「……使者を待たせながら核を変える、ということですね」
「そうなります」
「……なんか、すごい構図ですね」
「そうですね」
(すごい構図かどうかは分からない)
(ただ——やることをやって、終わってから出てくるだけだ)
(出てきたら、使者が待っている。その時に話せばいい)
(核を止めるのではなく変えた後では——使者の「共同管理権」の話の前提が、変わっている)
「行きます」
俺は灯りを持ち上げた。
通路が奥に続いている。
スキルを向けた。核の引きが——ある。遠いが、方向は分かる。
(ずっとそこにいた)
(七百年、ずっとそこにあった)
(今日、方向を変える)
「御意に」
ガレットが言った。
「はい」
先生が言った。
「まいります!!」
マリスが言った——声を落として、もう一度言った。「まいります」
ドランク王が静かについてきた。
一歩、踏み出した。
(面倒くさいけど)
(俺がやることは、立って、指さすだけだ)
(それだけでいい)




