核の手前
傾斜を下りきったところで、足が平らな床を踏んだ。
(着いた——いや、まだだ)
灯りを前に向けた。通路が続いている。ただ、さっきまでと雰囲気が違った。天井が高い。幅も広い。息が、少し楽になる。
「ライルさん、スキルの感触は」
「引きが——かなり強いです。真下から、ほぼ真正面に近い方向になってきました」
先生が帳面に何かを書いた。
「同じ高さに近づいているということです。核は真下ではなく——この通路の先にある、ということかもしれません」
「水平になってきた、ということですか」
「そうです」
(やっと近い。やっと)
(でも「かもしれません」は先生の癖だ。確定ではない)
マリスが「天井が高くなりましたね」と言った。声が遠くに響いた。
「広くなった」
「はい!! 開放感があります!!」
「……声が響きます」
ガレットが静かに注意した。マリスが「すみません」と縮んだ。
(でもまあ、さっきまでの圧迫感よりはずっとましだ)
通路を進んだ。
十歩、二十歩。石の感触が変わる。床の色が、これまでよりも少し明るい。
「床の石の種類が変わっています」
先生が足元を灯りで照らした。
「色が違う。これは——中央部に使われる素材です。設計の重心に近い場所で使う石は、外縁部とは違う産地のものを使う習慣がありました」
「習慣、というのは」
「古代の遺跡に共通した傾向です。正確な意図は分かっていませんが——おそらく、核に近い場所を「区別する」ためだったのではないかと」
ドランク王が「書庫の文書に似たような記述があった」と言った。
「「中心の石は外から来る」——それだけの一文だったが」
「それです」
先生がドランク王を振り返った。
「「外から来る」というのは産地が遠いということです。運搬コストをかけてでも素材を変えていた。核の区画が「特別な場所」であることを、見ている人間に伝えようとしていたのかもしれません」
(七百年前の人が——床の石で「ここは特別だ」と言っていたのか)
(それをここで俺たちが読んでいる)
(なんというか、手間のかかる話だ)
三十歩ほど進んだところで、先生が止まった。
「……ちょっと待ってください」
全員が足を止めた。
「何ですか」
先生が天井に灯りを向けた。
天井に——刻まれた模様がある。通路の壁に出てきたのと同じ放射状の線だが、密度が違った。何十本、いや百本近くの線が、一点から放射している。細かい。天井一面に広がっている。
「……これは」
先生が帳面を出した。何かを書こうとして——止まった。
書いていない。
(先生が書かない。珍しい)
「先生?」
「少し待ってください。見ています」
(見ています、か)
(書く代わりに見ている)
五歩分ほどの長さ、その天井一面に模様が広がっていた。
しばらく静かだった。
ドランク王が壁に手を当てた。ガレットが帳面に図面を写している。マリスが俺の横に来て小声で言った。
「先生、何か気になることがあったんですかね」
「分からないです」
「書いてないの、初めて見ました」
「そうですね」
「……先生が書いてないのはちょっと怖いですね」
(分かる。先生がいつも通りでないと、何が起きているのか判断しにくい)
「イルデ先生」
ドランク王が声をかけた。
「この模様——書庫の写本に、似たものがありますか」
先生が少し間を置いた。
「あります。ただ——似ているどころではなかった、ということが今分かりました」
「どういうことですか」
「写本に描かれていた模様は、これの「要約」でした。情報量が違います。実物を見たことがある人間が、後世に伝えるために要点だけを描いたものが写本に残った——そういうことだと思います」
ドランク王が「つまり」と言った。
「書庫の資料は、これを知っている人間が作った写しだ、ということか」
「はい。それが七百年前か、それより後かは分かりませんが——少なくとも現地を知っていた人物がいた、ということです」
ガレットが「……父の台帳にも」と静かに言った。
「父が「知っている人間がいる」と書いていた記述が、この文脈で意味を持つかもしれません」
「ガレットさんのお父上が、ですか」
「はい。詳細は分かりませんでしたが——今の話と重なるかもしれません」
(ガレットが話した。珍しい)
(ガレットが自分から情報を出すのは、よほど確信があるか、よほど必要だと判断した時だ)
「分かりました」
先生が帳面を取り出して、ようやく書き始めた。
「これは後で詳細に照合します。今は先に進めましょう」
「書かなくていいですか」
「……覚えています」
「先生が「覚えています」と言うの、初めて聞きました」
マリスが小声で言った。先生が「言われてみれば」と答えた。
「では、書きます」
「書けるんですね!!」
「もちろん。ただ——全部描くと今夜中に終わらないので、要点だけにします」
先生が三分で要点を書いた。
(三分で要点、か。先生が「要点だけ」と言う時は本当に要点だけになっているのが分かっている。信頼できる)
「進みます」
先生が帳面を閉じて前を向いた。
通路の先——奥に、また何かある。灯りが届く範囲の向こうに、壁の色が変わっている場所があった。
「ライルさん」
「引きが——もう真正面です。下じゃない。水平に、この先にある」
「核が同じ高さにあるということです。あとは前に進むだけです」
(あとは前に進むだけ、か)
(先生がそういう言い方をした)
進んだ。
十歩。
灯りが届くようになってきた。通路の先に——大きな壁が見える。行き止まりではない。壁の中央に、何かある。
「先生、前の壁に——」
「見えています」
先生が足を速めた。
俺も速めた。
壁の前に立った。
高さは二メートル以上。幅もある。そして——中央に、彫り込みがあった。
彫り込みの形は四角ではなく、六角形。縁に複数の線が走っている。内側は少し窪んでいた。
「これは」
「扉ではありません」
先生が即座に言った。
「仕掛けです。この形は——起動型の術式盤です」
「術式盤、ですか」
「古代の遺跡に残る機構のひとつです。押せば開くような単純なものではなく——手順を踏む必要がある構造です」
マリスが「手順、ですか」と言った。
「……何をする手順ですか」
「そこが問題です」
先生が帳面を開いた。素早くページをめくる。
「こういうやつは——」
先生が話し始めた。
術式盤の構造から始まり、タルシア様式の特徴へ進み、マルフ王国建国期の設計思想に至り、そこから起動条件の類型が三種あるという説明に移った。一類型ごとに条件が異なり、さらにその変形型が存在するという。
ドランク王が静かに聞いている。ガレットが書いている。マリスが「うん」「うん」と頷きながら徐々に目が遠くなってきた。
俺は三分ほど聞いた。
「要するに?」
先生が止まった。
「……要するに?」
「どうすれば開きますか」
「あ——」
先生が一拍置いた。
「魔素を込めた石か、あるいは直接魔素を流し込むことで起動します。ただし、複数の点に同時に——」
「複数というのは、何箇所ですか」
「……三箇所です。この六角形の縁の上・左・右の三点を同時に押さえる必要があります」
「手が一つでは無理ですか」
「無理です。三人で同時に押さえる必要があります」
マリスが「三人で同時に!!」と言った。
「……全員いる意味が出てきましたね」
「そうですね」
(全員いる意味、か)
(そういう言い方を先生はしない。マリスが言った)
(全員いなければ開かない仕掛けだ、ということを、マリスが一番早く把握した)
「魔素を流し込む、というのは」
ドランク王が先生に聞いた。
「魔素保有者が手で直接触れることで流せます。ここにいる全員が魔素を持っています。ただ——流す量が重要で、少なすぎると反応しません」
「どれくらい必要ですか」
「体感で——意識して「押し出す」程度で十分なはずです。無理に出す必要はありません」
ガレットが「若様は」と言った。
「スキルで感知しながら同時に流すことは可能ですか」
「やってみます」
「それで行きましょう」
(ガレットが段取りをまとめた)
(ガレットが「それで行きましょう」と言ったのも珍しい。よほど決めた方がいいと思ったのだろう)
三人が壁の前に立った。
俺が上。マリスが左。ドランク王が右。
「同時に押さえます。「三つ」の合図で」
先生がそう言って帳面を持ったままの手で待機した。
「準備ができたら言ってください」
「はい」
「……はい」
「準備できました」
三者三様の答えが返ってきた。
「では——ひとつ」
先生が数えた。
「ふたつ」
俺はスキルを壁の中に向けた。
引き——強い。向こうに、核がある。はっきりと感じる。
「みっつ」
手を当てた。
壁が、震えた。
かすかに。でも確かに。
六角形の縁が——うっすらと光った。石の内側から、赤みがかった光。
「……反応しています」
先生が静かに言った。
「押さえ続けてください。もう少し」
光が強くなった。線に沿って広がる。六角形の輪郭が、はっきりと光る。
「……ライルさん、スキルで何か変化はありますか」
「引きが——ものすごく強くなっています」
言いながら、スキルを向けた。
向こうに——何かある。ただの「引き」だけじゃない。構造が変わった感触。開いている。向こうが、開いている。
「開きそうです」
「はい、あと少し——」
壁が、ゆっくりと動いた。
音はあまりしなかった。石が石の上を滑るような、低い音。中央の六角形の部分が内側に沈み——その周囲の壁が、左右に割れた。
割れた先に、空間があった。
全員が止まった。
灯りを向けた。
向こうは——広い。通路ではなく、部屋だ。高い天井。石の柱が左右に並んでいる。床には模様。
壁一面に何かが刻まれている。
そして——奥に。
奥の中央に、構造物があった。
「……」
先生が声を出さなかった。
ドランク王が静かに言った。
「これが、核か」
「違います」
先生が首を振った。
「これは——核の手前の間です。前室というより、前々室とでもいうべき場所です」
「前々室、ですか」
「はい。資料には——こういう構造の記述はありませんでした。予想していなかった」
(予想していなかった)
(先生が予想していなかったことがある)
(ということは——核は、もっと奥にある)
「先生」
俺は言った。
「核まで、まだあります」
「はい。スキルで感じますか」
「向こうの壁の奥——もう一枚、まだ向こうにあります」
先生がゆっくりと頷いた。
「分かりました。では、この間を記録してから——もう一段、進みましょう」
マリスが「まだあるんですか!!」と言った。声が天井に響いた。
「……静かに」
「す、すみません。でも——まだあるんですね」
「はい。でも——近いです。確実に」
(先生が「確実に」と言った)
(先生が「確実に」を使うのは珍しい。数回しか聞いたことがない)
(つまり、本当に近い)
ガレットが「若様」と静かに言った。
「時刻は——正午をかなり過ぎています。三刻は超えているかと」
「食料と水は」
「今夜分まであります。ただ、体力は——」
「行けます」
マリスが先に言った。
「私は行けます。ガレットさんは」
「……問題ありません」
「陛下は」
ドランク王が「来たからには」と言った。
「最後まで行く」
先生が帳面を開いた。
「では——記録します。十分ほどいただければ」
(また十分か)
(いや、仕方ない。先生が記録しなければ帰ってから何も分からない)
(俺はスキルを向けながら待った)
核——引きが強い。でも今は壁の向こう。この間を抜けた先にある。
テルミス大国のことを、少し考えた。
(向こうは「共同管理」を要求している。事実上の接収だ。面倒くさい話だが——核を止めてしまえば「管理する価値」が変わる。それだけだ)
(急ぐ必要はある。急ぎすぎる必要もない。ただ——今日のうちに核まで着けるなら、着いた方がいい)
(先生の記録が終わったら進む。それだけだ)
「ライルさん」
先生が顔を上げた。
「奥の壁に——また仕掛けがあるかもしれません。術式盤と同じ構造か、違う構造かは現地に行かないと分かりませんが」
「どちらが多いですか」
「同じ構造の方が多いです。設計者が同じなら、同じパターンを使うはずです」
「では、また三人で押さえますか」
「おそらく」
「分かりました。三人で押さえる担当を決めておいた方がいいですか」
先生が「そうですね」と言った。
「ライルさんが上、マリスさんが左、ドランク陛下が右——先ほどと同じで問題ないと思います」
「では、そのままで」
「はい」
(ドランク王が黙って聞いている)
(王様を「押さえ担当」として組み込んで、それをドランク王が受けている)
(不思議なチームだ)
(でも——動いている)
「記録終わりました」
先生が帳面を閉じた。
「七分でした。前回より早いですね」
「……覚えているので」
マリスが「先生が「覚えているので」……!!」と小声で言った。ガレットが「静かに」と言った。
全員が立ち上がった。
俺は灯りを持ち直した。
奥の壁——中央に、また何かある。距離があってまだ細部は見えないが、形が分かる。
「行きます」
先生が「はい」と言った。
ガレットが「御意に」と言った。
マリスが「覚悟します!!」と言いかけて、声を抑えた。「……覚悟します」と言い直した。
ドランク王が静かについてきた。
一歩、二歩。
引きが、ますます強くなる。
(近い)
(もう、すぐそこだ)
(核の、手前に来た——)
(あと一枚だけ。あと一枚だけ向こうに、核がある)




