暗くて狭い
朝、遺跡の入口の前に五人が揃った。
灯りが四本。食料は腰にぶら下げて。ドランク王が「茶は持てるか」と聞いたので「無理です」と答えた。
「……そうか」
ドランク王は少し残念そうな顔をしたが、すぐに切り替えた。さすがだと思う。
中間区画を抜けて、下り通路に入った。
昨日通った道だ。傾斜が始まる。天井が低い。人が一人通れる程度の幅。
(暗い。狭い。面倒くさい)
「今日はどこまで行けますか」
先生に聞いた。
「資料の照合では——直線でまだ二十メートルほどあります。ただ、昨夜の計算で一箇所だけ読み方が変わったので、実際に行ってみないと確かめられません」
「行ってみないと、というのは」
「昨日の通路の曲がり具合と資料の図案を重ねてみたら、もしかすると十五メートルかもしれないということです」
マリスが「幅が広いですね!!」と言った。壁に声が響いた。
「……静かにしてもらえますか、反響します」
ガレットが静かに言った。マリスが「すみません」と少し縮んだ。
(五メートルの差くらいどうでもいい、と思ったが黙っていた)
(核に向かっている。それだけでいい)
通路を進んだ。
先頭はライル、次に先生、ガレット、マリス、最後にドランク王。自然にそうなっていた。ドランク王が最後にいるのが少し不思議だったが、一番落ち着いていたのがドランク王だった。
「ライルさん、スキルの感触は」
「引きが昨日より強いです。真下、少し南——変わらないですが、今日の方がはっきりしています」
「近づいているということですね」
「そうだと思います」
先生が帳面に何かを書いた。歩きながら書いている。どうやっているのか毎回不思議だ。
十歩、二十歩。
天井が少し低くなった。俺はやや前傾みになって歩いた。
(……早く終わりたい)
(飯が食いたい。温かいやつ)
「ライルさん、頭が天井に当たりそうになってますが大丈夫ですか」
先生が後ろから声をかけてきた。
「大丈夫です」
「正直な方がいいですよ。この先もう少し天井が下がるかもしれないので」
「もう少し下がりますか」
「資料では——三、四歩ほど続いてから戻ります」
(そういうことは先に言ってほしい)
「分かりました」
マリスが「天井が低い区間があるって、昨日分かってたんですか」と言った。
「はい、記録にありました」
「なんで言わなかったんですか」
「言った方がよかったですか」
「言った方がよかったです!!」
先生が「すみません、次からは」と答えた。全然すみなそうな顔ではないと思うが、暗くて見えなかった。
天井の低い区間を抜けた。
少し広くなる。呼吸が楽になる。
(やっと)
「ライルさん、今の場所の天井の模様は見えましたか」
「見えなかったですね」
「そうですか。私は触って確認しました」
先生が手を見せた。少し石の粉がついていた。
「先生、暗い中で壁を触りながら歩けるんですか」
「洞窟調査の経験があるので」
「……なるほど」
ドランク王が「どんな洞窟だ」と静かに聞いた。
「水が入り込む洞窟と、乾いた石の洞窟は触感が違います。ここは乾いた石です。それ以上に古い——七百年分の乾燥があります」
「七百年分の乾燥、か」
「はい。触ると分かります」
ドランク王が少し間を置いた。
「……私も触っていいか」
「どうぞ」
ドランク王が壁に手を当てた。少しの間そのままだった。
「……確かに」
「分かりましたか」
「乾いている。それだけじゃない——何か、詰まっているような」
先生が「それです」と言った。
「密度が違う。普通の石とは積み方が違うから、こういう感触になります」
ドランク王がゆっくりと手を離した。
「……なるほど」
(俺は触ってみたいとは思わなかった)
(早く終わりたいという気持ちの方が大きかった)
さらに進んだ。
三十歩。四十歩。
魔素の引きが少しずつ強くなる。
(近い)
(このまま進めば——)
「止まってください」
先生が言った。
俺は足を止めた。
「どうしましたか」
「天井の模様が変わっています」
先生が灯りを上に向けた。
天井に、それまでとは違う模様が入っていた。渦の形ではなく——放射状に広がる線。中心から何本もの筋が外に向かって伸びている。
「これは」
「中枢域に近いことを示す文様です。昨夜の資料と照合すると——この先五〜七メートルで、空間が変わる可能性があります」
マリスが「空間が変わる、というのは」と小声で聞いた。
「通路が広くなるか、別の構造になるか。まだ分かりません」
「まだ分からないんですね」
「五〜七メートル進めば分かります」
「……行けばいいということですね」
「はい」
(先生はいつも正直だ)
(分からないことは分からないと言う。それで俺はやることが分かる)
五歩進んだところで、通路の壁が途切れた。
暗くて最初は分からなかったが、灯りを向けると——左側の壁がなかった。
代わりに、横に空間が広がっていた。
「……分岐ですか」
「違います」
先生が歩幅を広げて横に出た。灯りを持って、左の空間に向けた。
「これは——」
先生が少し止まった。
「何ですか」
「横通路ではありません。こちらは広間です。小さい——中間区画より一回り小さいですが——空間があります。壁に、台のような彫り込みがある」
「台、ですか」
「はい。石で作られた台です。等間隔に三つ。何かを置くためのものだと思います」
ガレットが「昨夜の資料に記述はありましたか」と聞いた。
「記述はありましたが——これほど保存状態がいいとは思っていませんでした。七百年前の構造がそのままです」
先生が帳面を取り出した。何かを書き始める。
(ここで止まるのか)
(面倒くさい……いや、先生が書くのは分かっていた)
「どれくらいかかりますか」
「十分ほどいただければ」
マリスが「十分!!」と言いかけて、声を抑えた。
「十分ほど……いただければ、ということですね」
「はい。記録しておかないと後から分析できません」
マリスが俺を見た。
「十分待ちますか」
「待ちます」
「……そうですよね」
ドランク王が石の台の一つに近づいた。
「これに触れてもいいか」
先生が書きながら「どうぞ」と答えた。
ドランク王が手を乗せた。
「……書庫の資料に、こういう台の記述があった」
「どんな記述でしたか」
先生が顔を上げた。
「供物台と書かれていた。古い写本だ——建国期より前の記録だったが、こういう形の台に魔素を込めた石を置いて、核の調整をしたとある」
先生の手が止まった。
「……核の調整、ですか」
「そう書かれていた。詳しい方法は分からなかったが」
「陛下、それは——どの文書ですか」
「複写を持参している。昨夜渡した束の中に」
先生が帳面を閉じた。
「……では、今夜もう一度確認させていただけますか」
「構わない」
「ありがとうございます。続けましょう」
(先生が帳面を閉じた)
(十分と言ったが、七分で切り上げた)
(ドランク王の一言で)
核の方向——引きが強い。
(近い。もっと近い)
「引きが強くなっています」
「進んでいますね」
先生が言った。進んでいます、は「だから引きが強い」という意味と、「さあ行こう」という意味の両方に聞こえた。先生はそういう言い方をする。
さらに進んだ。
六十歩。七十歩。
通路が少し右に曲がった。
曲がった先に——天井が上がっていた。
灯りを上に向けると、天井が高い。二メートルは超えている。さっきまでの圧迫感がなくなった。
「やっと広くなりましたね」
マリスが息を吐いた。
「この区間は余裕があります。構造上、核の手前は広くなる設計のはずです」
「核の手前、ですか」
「はい。おそらく——ここから先が、核の前室にあたります」
(前室)
(それがあるなら、核はその先だ)
「ライルさん、スキルで核の方向を確認してもらえますか。今の位置から」
「はい」
俺はスキルを細く伸ばした。
引き——強い。真下、少し南。ただ——
「……今日は方向が少し変わっています」
「どちらに」
「真下のまま、ですが——真南よりもう少し東よりです。ほんの少し」
先生が「なるほど」と言った。
「核を正面から捉える角度が変わったということかもしれません。つまり——こちらが核の真上に近い位置に入ってきたということです」
「近づいている、ということですか」
「直上、またはその手前です」
ガレットが「若様」と静かに言った。
「はい」
「ここまで来たということは——核はもうそれほど遠くない、ということかと存じます」
「そうですね」
「……今日、着きますか」
俺はスキルの感触を確かめた。
引き——強い。ただ、まだ下にある。壁一枚の感触ではない。
「今日か明日か——先生はどう思いますか」
「資料の図案では、この先にもう一段下り通路があります。そこを下りた先に——核がある可能性があります」
「もう一段、ですか」
「はい。それを含めると——今日の内に着けるかもしれません。もしかすると今日中に」
マリスが「「もしかすると」!!」と小声で言った。
「……先生の「もしかすると」は今日着く可能性があるということですね」
「そうです」
「分かりました」
(今日着けるかもしれない)
(そうしたら早く終わる)
(早く終われ)
前室と思われる空間に足を踏み入れた。
天井が高い。左右の壁が離れている。通路とは違う——確かに「手前」という感じがした。
壁に、また模様があった。
ただ——今度の模様は今まで見てきたものと、少し違う。
渦でも放射でもなく——何かが、収束していくような形。複数の線が一点に向かっている。
「先生、この模様は」
「……見てください」
先生が壁の一面を灯りで照らした。
模様の集まる先——一点を中心に、天井から床まで全面に広がっていた。細かい線が、網の目のようにびっしりと刻まれている。
「これは」
「核の設計図、だと思います」
先生が静かに言った。
「遺跡を作った人たちが——これを見ながら作業したのかもしれません。七百年前に」
(すごい、とは思わなかった)
(でも——七百年前に誰かがここにいたということは、分かった)
(その人たちも、この暗い通路を歩いたんだろうか)
(……そう思ったら、少し不思議な感じがした)
マリスが「あの、もう少し明るく照らせませんか」と言った。
「灯りはこれで全部です」
「……そうでしたね」
「目が慣れてくると少し見えるようになります」
「慣れましたけど——慣れても暗いですよ」
「それはそうです」
ドランク王が壁の前に立って、模様を見ていた。
しばらく動かなかった。
「……これが、核の地図か」
「そう解釈しています」
「書庫の写本に似た文様がある。全く同じではないが、系統が同じだ」
「昨夜の資料と照合したいです。今夜」
「帰ったらすぐ出す」
「ありがとうございます」
(ドランク王と先生の息が合ってきた)
(来てよかったと思う)
(俺が呼んだわけではないが——来てよかった)
「少し休みますか」
俺は全員に聞いた。
ガレットが「若様はいかがですか」と返した。
「俺は行けます」
「食料と水は足りています。体力は——マリスさんはいかがですか」
マリスが「大丈夫です!」と即答した。
「先生は」
「問題ありません。記録が追いついています」
「……ここで五分ほど水を取って、それから下りましょう」
水を一口飲んだ。
冷たい。遺跡の中の水は冷たい。それだけは悪くなかった。
スキルを向けた。
核——真下。かなり近い。引きが今日一番強い。
(もうすぐだ)
(あとひと踏ん張り)
(……いや、ひと踏ん張りしたくない。でもするしかない)
「先生」
「はい」
「核の手前に、下り通路があると言いましたね」
「はい。資料によれば、前室から核への通路は——ここではなく、奥の壁の一点から始まります。中間区画の入口と同じ構造の可能性があります」
「押せば開くやつですか」
「そうです。ただ——どこを押すかは、現地で確認する必要があります」
マリスが「また探さないといけないんですね」と言った。
「天井の模様が収束している点が——扉の位置を示しているはずです。おそらく正面の壁です」
「おそらく、ですね」
「……おそらく、です」
マリスが「さっきより幅が狭くなってますね!!」と言った。
先生が「すみません」と言った。やっぱり全然すみなさそうな顔ではないと思う。暗くて見えないが、声の感じでそう分かった。
(核の手前まで来た)
(もう一段下りた先に——核がある)
(面倒くさい、でも来た)
(あとは、明日か今日のうちに——)
「行きましょう」
俺は立ち上がって灯りを持ち直した。
「奥の壁を確認します」
「はい」
全員が立ち上がった。
先生が帳面を胸ポケットに押し込んだ。ドランク王が静かに腰を伸ばした。ガレットが灯りの火を確認した。マリスが「覚悟します」と小声で言った。
(俺の覚悟は「早く終わること」だ)
(言わなかったが)
前室の奥の壁に向かって歩いた。
灯りを向けると——壁の中央に、模様の線が一点に集まっていた。
(ここだ)
「先生」
「そこです」
先生が俺の横に来た。
「正確には——集まっている点の、少し上。一拳分ほど上を押してみてください」
「押しますか」
「……ライルさんが押した方がいいかもしれません。もし反応があれば、スキルで確認できます」
(そういうことか)
俺は壁に手を当てた。
集まっている点の、一拳分上——
押した。
石が、かすかに動いた。
スキルを向けた。
引き——真下。強い。向こうに、確かに何かがある。
「……開いています」
「感知できますか」
「向こうに——何かあります。核かどうかまでは分からないですが、構造が変わっています」
先生が「開きましたね」と言った。今度は研究者の顔だった。
「向こうに入れます」
マリスが「今日、行きますか」と聞いた。
俺は外の時間の感覚が分からなかった。
「ガレット、今何刻ですか」
「……正午を過ぎていると思います。二刻ほどかと」
「食料はあとどれくらいありますか」
「今日一日分は問題ございません」
(行けるか)
(引きは強い。向こうに何かある。今日このまま入れば——核に着くかもしれない)
(でも帰る体力も残さないといけない)
「先生、向こうに入った場合——今日中に核まで着けますか」
「……正直に言うと、分かりません」
「分からない、は」
「資料では、前室から核まで「近い」と書かれています。ただ「近い」の基準が——当時の人の歩みですか、それとも距離ですか」
「どちらとも取れる、ということですか」
「はい。すみません」
「いや、正直でいいです」
俺は少し考えた。
(入る。今日のうちに行けるところまで行く)
(それだけだ)
「入ります」
全員が俺を見た。
「今日、行けるところまで行きます。もし核まで着いたら、そのまま確認します。途中で体力や時間が厳しくなったら引き返します」
「判断はライルさんが」
「はい。スキルで感知しながら進みますので、何かあれば言います」
先生が「分かりました」と言った。
ガレットが「……御意に」と言った。
マリスが「分かりました、覚悟します!!」と言った。
ドランク王が「ついていく」と言った。
(全員が動く)
(俺が「行く」と言ったら、全員ついてくる)
(……まあ、それでいい)
石の向こうに、下り通路が続いていた。
灯りを向けると——傾斜がある。さっきまでの通路よりも急だ。
(急か)
(……面倒くさ)
「足元に気をつけてください。傾斜があります」
「どれくらいですか」
「先生の言う「洞窟のロープが必要な四十度」ではないですが——二十度はあるかもしれないです」
「分かりました。全員手がかりを使いながら進みましょう」
ガレットが「壁に手をあてながら進めます」と言った。
先生が「ロープは次に持ってきます」と言った。
マリスが「次もあるんですか!!」と言った。
(次があるとしたら、核を確認した後だ)
(でも今は——まず、下りる)
一歩、二歩。
傾斜を踏み確かめながら下りた。
引き——ますます強くなる。
(近い)
(もうすぐ着く)
(やっと——)




