先に止める
ランデルが帰った翌朝、目が覚めてからしばらく天井を見ていた。
(整理しよう)
テルミス大国が「共同管理権」を要求してきた。正式な書状はテルミス王国政務院を経由して届く。それまでに半月か一月。
(その間に、核を止める)
これだけだ。
朝食のあと、先生を呼んだ。
先生は書類を持って来た。昨日の通路の記録と、天井の模様の解読メモが重ねられている。
「昨日の経路の件ですが」
「はい」
「絞り込めました」
俺は一口茶を飲んだ。
「どこですか」
「中間区画の奥に、もうひとつ下り通路があります。昨日の記録で、天井の模様の続きが区画の奥の壁に向かっている——ここが次の入口のはずです」
「確認済みですか」
「記録上は。現地で確認する必要があります」
「行けますか」
「今日か明日には」
マリスが廊下から顔を出した。
「聞こえました。行くんですか」
「行きます」
「テルミス大国の使者が昨日来たばかりですよ」
「だから行きます」
マリスが「え」と言った。
「昨日来たからこそ、早く動く必要があります」
「……それって、大国の使者への対応としては」
「先手を取る方が楽です」
(ランデルは「今月中に大枠の合意を」と言った)
(急いでいる、ということは——こちらが動く前に手を打ちたいということだ)
(つまり、こちらが先に動けば話が変わる)
先生が「一つ確認していいですか」と言った。
「どうぞ」
「ライルさんが急いでいるのは——核を止めることで、遺跡の「価値」を変えたいから、ということですか」
「そうです」
先生が少し黙った。眼鏡の奥の目が、何かを計算している感じだった。
「大国が欲しいのは「動いている遺跡」ですか」
「おそらく。稼働中の魔素吸収陣があるから意味がある、という判断だと思います」
「止まった遺跡なら」
「価値が変わります」
先生がうなずいた。
「……理解しました。そういうことなら——早い方がいいですね」
「先生もそう思いますか」
「七百年待っていた遺跡が、もう少し待つことになりますが——」
先生が少し笑った。研究者の顔じゃなく、ただの人の顔だった。
「急ぐ理由があるなら、急いだ方がいい」
ガレットが静かに言った。
「……若様。一点よろしいですか」
「はい」
「核を止めた場合、テルミス大国の要求はどうなりますか」
「根拠が変わります。「稼働中の古代装置の管理権」という要求は、装置が止まれば成立しにくくなります」
「断れる、ということですか」
「断れる、というより——向こうの要求の前提が崩れます。共同管理の対象が「動いていない古代の遺構」になれば、急ぐ理由が向こうにはなくなる。交渉の立場が変わります」
マリスが「それって」と言った。
「先に止めてしまえば、向こうの要求が意味をなさなくなる、ということですか」
「すべてではないですが、少なくとも「今すぐ合意が必要」という根拠は崩れます」
「それだけでいいんですか」
「今は、それで十分です。正式な書状が来てからの話は、来てから考えます」
「……面倒くさいこと後回しにしてますよね」
「面倒くさいことを全部今考えるのは、もっと面倒くさいです」
(これでいい、と思っている)
(テルミス大国が要求してきた根拠は「稼働中の遺跡の管理が一領地には重すぎる」という理屈だ。でも核を止めれば、遺跡は「かつて動いていたもの」になる)
(そうなれば——遺跡の学術的な価値は残る。でも「今すぐ接収しなければならない理由」は薄くなる)
(面倒くさい。でも放置するともっと面倒になる。これはそういう話だ)
先生が書類を畳んだ。
「今日の午後に、もう一度記録を確認させてください。明日の朝、中間区画の奥の壁を現地で確認します」
「分かりました」
「入口が確認できたら、そのまま下り通路に入れます。核への経路——二日あれば、たどり着けると思います」
「二日ですか」
「もしかしたら一日かもしれません。通路が複雑でなければ」
マリスが「先生、「もしかしたら」っていうのが不安なんですけど」と言った。
「不確かな部分は正直に言った方がいいと思いまして」
「それはそうなんですけど……」
「三日かかるかもしれませんし、半日かもしれません」
「幅が広いですよ!!」
先生が「すみません」と言った。全然すみなそうな顔じゃなかった。
(先生は「やってみます」と言った)
(先生が「やってみます」と言う時は、やる気があるということだ。そういう人だと分かってきた)
(時間の見立てはあてにならないが、方向性はあてになる)
「ガレット、記録の準備をお願いします。探索の同行者は四人——俺と先生とマリスとガレット、でいいですか」
「……承知いたしました。灯りは昨日より一本多く用意いたします」
「ありがとうございます」
「……若様」
「はい」
「先生の言う「二日か一日か」ですが——食料と水も多めに持参した方がよいかと存じます」
「そうしてください」
先生が「あの、ガレットさん」と言った。
「何でしょう」
「書いておきたい記録があるんですが——用紙をもう少しいただけますか」
「何枚ほど」
「できれば、二十枚ほど」
「……承知いたしました」
マリスが「先生、遺跡の中でも書くんですか」と聞いた。
「当然です。記録しながら進んだ方が、後から分析できます」
「……先生、体力はありますか」
「問題ありません。机仕事が多いですが、歩けます」
「それだけ確認できれば十分です」
(先生が遺跡に入りながら記録を取る)
(それは見ていて分かっていた。先生は歩きながらでも書く。壁の前で三分立ち止まっても、書く。止めると「あ、すみません」と言って書き続ける)
(面倒くさいが、そういう人が必要な局面だ)
午後、俺はスキルを向けた。
核の方向——真下。変わらない。
(中間区画の奥。先生の記録では、天井の模様がそちらに続いている。もうひとつ下り通路がある)
(感知できる範囲では、まだ核には遠い。でも——少し近い気がする。昨日より)
(気がするだけかもしれない)
夕方、ガレットが執務室に来た。
「明日の準備は整いました。灯りは四本。食料は二日分。水は予備も含めて人数分」
「ありがとうございます」
「……若様」
「はい」
「テルミス大国の件ですが——ドランク陛下への連絡はいかがいたしますか」
(ガレットがそこを確認してきた)
「書状を出してください。核への経路が確認でき次第、動くと。詳細はまだ決まっていないので、「近いうちに動きがある」という連絡で十分です」
「承知いたしました。書状の内容は」
「「遺跡の件について、近日中に進展が見込まれます。詳細は確認でき次第お知らせします」——それで伝わります」
「……御意に」
(ドランク王には伝えておいた方がいい)
(あの人は「核が見つかったら知らせてくれ」と言っていた。シュタール国の遺構も同じ設計なら、こちらの動きが向こうにも影響する可能性がある)
(連絡するのは当然だ)
マリスが廊下から顔を出した。
「先生がまだ書いてます」
「そうですか」
「何か言った方がいいですか」
「明日に備えて寝てもらえるとありがたいですが——先生に言いますか」
「……私が言うんですか」
「マリスが行きやすいと思いまして」
「いや行きやすくはないですよ!!」
(マリスに頼んだ)
(ガレットが先生の作業部屋の前を通りかかれば、自然に声をかけるだろうとも思ったが——それを待つより、マリスに頼んだ方が早い)
しばらくして、廊下でマリスの足音がして、止まった。
「言ってきました」
「どうでしたか」
「「あと三十分で切り上げます」って言ってました」
「三十分で切り上げるかどうかは」
「……ガレットさんに見張ってもらうことにしました」
「ありがとうございます」
「なんで私が先生の就寝時間を管理してるんですか」
「明日の探索のためです」
「……まあ、そうですけど」
夜、スキルを向けた。
核の方向——真下。変わらない。
(明日、中間区画の奥の壁を確認する。入口があれば、そのまま下に入る)
(核を止める。それで遺跡の価値が変わる)
(テルミス大国が「急いでいる」と言った。急いでいる理由は、こちらが先に動くことを警戒しているからだ。向こうがそれを警戒しているなら——先に動くのが正解だ)
(面倒くさい)
(でも放置するともっと面倒になる)
(これはもう、分かっている)
廊下でガレットの足音がして、止まった。
「……先生は休まれました」
「ありがとうございます」
「明日に備えて、若様もお休みになられた方がよいかと存じます」
「もう少ししたら」
「……その「もう少し」が延びることが多いです」
(ガレットが珍しく直接言ってきた)
「分かりました。では今日はこれで」
「……御意に」
足音が遠くなった。
(先生が経路を絞り込んだ。ガレットが準備を整えた。マリスが先生を早めに切り上げさせた)
(みんなが動いている)
(俺は——まあ、方向を決めただけだ)
(でもそれでいい。やれる範囲でやる)
明日、動く。
それだけで十分だ。




