深部へ
朝、ゴードンが玄関口に立っていた。
出がけに顔を出したら、そこにいた。見送りなのか、確認なのか、どちらとも取れる立ち方だった。
「行くのか」
「はい」
「今日は何人だ」
「四人です」
「先生も来るのか」
「はい」
ゴードンが少し視線を上げた。
「本は持って行くのか」
「本人が決めることなので」
「……まあ、気をつけてくれ」
それだけ言って、ゴードンは畑の方へ戻った。
(礼を言うでもなく気遣うでもなく、それだけ言って去る——ゴードンはいつもそうだ)
イルデ先生は、本三冊を防水の布に包んで背負ってきた。
(やっぱり持ってきた)
マリスが俺の袖をそっと引いた。
「……止めますか」
「止めません」
「本が傷みますよ」
「先生の本なので、先生が決めることです」
「でも——」
「マリス、自分の荷物の確認はできてますか」
「……はい」
「それでいいです」
(先生が自分の本の心配をするかどうかは、先生に任せよう。俺が管理するものではない)
四人が揃った。
ライル、イルデ先生、ガレット、マリス。
入口の前で、先生が通路を見た。昨日と変わらない板と杭の補強。横幅は大人一人分。
「昨日の夜、ガレットさんからいただいた図面を確認しました」
「はい」
「描かれている範囲だけで言うと、通路は少なくとも三つの区画に分かれている可能性があります。それぞれに役割が違う——採掘のための通路と、術式の維持のための通路と、核に繋がる通路」
「図面にそこまで分かりますか」
「いえ、あくまで仮説です。ただ、マルフ王国の遺構は区画設計が明確なことが多いので——実際に入ってみないと分かりません」
(仮説を持ってから来てくれた。それは助かる)
灯りが三本。ガレットが一本、マリスが一本、俺が持った。先生は両手を空けた。
「調べたい時に手が止まってしまうといけないので」
「では前は俺が行きます」
「お願いします」
(先生が一番後ろになりそうな気配があったので先に言っておいた)
マリスが先生の隣に回った。
「私が横にいます。暗い時や足元が悪い時は声をかけてください」
「ありがとう。でも大丈夫です——たぶん」
「「たぶん」がついてますよ」
「地面が見えない時は言います」
「先生……」
(マリスが既に心配モードに入っている)
入った。
通路の冷えた空気が、昨日と同じ角度で来た。石の乾いた匂い。何百年も閉じていた空間の、静かな冷気。
俺は前を進みながらスキルを向けた。
通路の輪郭。崩れている場所はない。床の石の状態。問題ない。奥——魔素の流れ。昨日より近い感触があった。
(今日は昨日より深く入る)
先生が歩きながら壁を見ていた。
昨日も見ていたが、今日は違う見方をしている。灯りを一か所に向けて、石と石の継ぎ目を指でなぞる。立ち止まって別の石を見る。また進む。
「先生、昨日も同じところを見ていましたが、今日は何が違いますか」
ガレットが静かに聞いた。
「目地の幅を測っています。昨日は大きさを見ていましたが、今日は均一性を——積み方の精度を、進みながら比較しています」
「何か分かりましたか」
「……入口から十歩くらいまでは、精度が少し落ちます。そこから先は一定です」
「入口が粗い?」
「補強や後の改修が入っている可能性があります。入口は後から手が加えられたかもしれない」
(なるほど)
(オリジナルの設計と、後で加えられた部分がある、ということか)
三十歩ほど進んだところで、先生が立ち止まった。
昨日も通った場所だ。壁の上部に、波紋と星の模様が交互に並んでいる。
「ここは昨日も見ました」
「そうですね。ただ——」
先生が布に包んだ荷物を少し前に出した。中から本を一冊取り出した。
「マリス、灯りをこちらに少し向けてもらえますか」
「はい!」
マリスが灯りを壁面に向けた。先生が本を開いた。素早くページをめくる。特定のページで止まった。
「……やっぱり」
「何ですか」
「この模様——波紋と星の交互配置——正確には「渦紋」と「六頂星紋」の交互配置です。昨日は波紋と言いましたが、確認したら渦紋でした。この組み合わせはマルフ様式の中でも最上位の標識で——」
「最上位とは?」
(マリスが聞いた。いい質問だ)
「「中枢への通路」を示す記号です」
先生がページを指さした。
「この本に収録されている翻訳文書によると——王都の地下構造物で発見された同じ記号の横に「核の方向へ」という記述があったとのことで」
「それはつまり」
「この通路は、核に繋がっています。今いるのは、核に向かう道の上です」
しばらく静かだった。
マリスが「……わー」と小声で言った。コメントではなく、感嘆の音に近かった。
(中枢への通路、か)
(昨日通った時、なんとなくそういう感触があった。これが「往く者、戻る者」の往く先なのかもしれない)
「ガレット」
「はい」
「図面に、この先の分岐はありましたか」
「……あります。七十歩ほど先で、通路が左右に分かれています」
「どちらが核の方向ですか」
「図面には記されていません。ただ——左が少し広いようです」
「先生、どちらだと思いますか」
先生が本を閉じた。
「核の方向は、この模様が続いている方です。進みながら確認します」
七十歩。
通路が分かれた。
左と右。左は幅が広い。右は今来た通路と同じ幅。
先生が壁を見た。左の分岐の壁、右の分岐の壁。しばらく比較した。
「右です」
「こっちですか? 左の方が広いですよね」
マリスが言った。
「幅は関係ありません。模様の連続性で見ます——渦紋が右の通路に続いています。左の広い方は補助通路です」
「補助通路とは」
「搬入・搬出に使った通路だと思います。モノを運ぶには広い方が便利ですから。術式の維持や核への経路は、装飾が続く方に設置されます」
(なるほど。設計の論理がある)
右の通路へ進んだ。
すぐに、空気が変わった。
変わったのは温度ではない——密度だ。空気が少し重くなった感触。魔素の濃さがわずかに上がった気がした。
(これは感知しなくても分かる変化だ)
「……空気が変わりましたね」
マリスがつぶやいた。
「はい。魔素の密度が上がっています」
「スキルで分かるんですか」
「スキルなくても分かります、たぶん。なんとなく重い感じがします」
「あ、たしかに——なんか、少し息がしづらい感じが」
「危険ではないです。ただ、濃い場所にいる感触です」
先生が歩きながら言った。
「これが「魔素吸収陣が稼働している」状態です。核に近づくほど、この感触が増します。引き付ける力が強くなる、という感覚が出るかもしれません」
「引き付けられる?」
「体には影響しません。感覚的なもので——魔素の流れる方向への、引力のような。スキルを持つ方は特に感じやすいかもしれません」
(あ、これか)
俺はスキルを向けていた。
方向が分かる、という感覚があった。以前から感じていた「奥への引き」——それがこの場所でははっきりした形になっている。真っ直ぐ前ではなく、わずかに右下。地の中を向いている。
「……引き付けられる感触、分かります」
「どちらですか」
「前とやや右下です」
「記録します。参考になります」
先生が懐から小さな紙束を取り出した。
歩きながら何かを書いている。
「書けますか、歩きながら」
「慣れています。発掘現場ではよくやります」
「……先生、どういう仕事をされているんですか」
マリスが聞いた。
「文献の翻訳と、現地調査です。基本は王都の書庫にいますが——書庫の本に書いてあることと現物が合わなかった時は、現地まで確認しに行きます」
「一人で?」
「だいたい一人です。他の人を連れて行くと、確認のペースが合わなくて」
(……なるほど)
(一人で馬車を運転してきた理由が分かった気がする)
百二十歩ほど進んだところで、通路が突然広くなった。
広くなった、というより——開いた。
部屋のような空間だった。
壁が後退して、天井が高くなった。灯りの光が届かない高さまで。横幅も、今まで歩いてきた通路の倍以上ある。床の石の敷き方が変わっている——通路の石より大判の石が、きれいな格子状に並んでいる。
「……なんですかここ」
マリスが灯りを上に向けた。
天井に模様があった。壁の渦紋と星紋より複雑な、複数の図形が組み合わさった模様。中心から放射状に広がっている。
「中間区画です」
先生が静かに言った。
「中間区画?」
「核への通路の途中に設けられた、一種の拠点です。維持作業の担当者が立ち寄って、状態を確認するための場所だと思われます」
「七百年前の担当者が、ここに来ていた?」
「そういうことになります」
ガレットが部屋の壁を見た。
「……棚のような彫り込みがあります」
先生が近寄った。
「はい。道具や記録を置くためのものだと思います。今は何もない——当然ですが」
「七百年前にここに置いてあったものが、今はない」
「はい」
「……それはなぜですか」
「分かりません。持ち出されたのか、朽ちたのか——または最初から何も置かなかったのか」
(棚がある、ということは、何かを置くつもりで設計した。でも今は空っぽだ)
(置いてあったものが、どこかへ行った)
先生が天井の模様を見上げていた。
灯りを高く上げた。マリスが先生の隣で同じ方向に灯りを向けた。
「この模様——」
先生が少し止まった。
「……これは初めて見ます」
「先生の本にも載っていませんか」
「図案集には似たものがいくつかあります。ただ——この配置の組み合わせは記録にない。変形版か、あるいは」
「あるいは?」
「この場所のために設計した特別な模様か」
(この場所専用)
(七百年前の誰かが、この場所のために図案を作った)
俺はその場でスキルをもう一度向けた。
部屋の構造。床下の石の厚み。壁の向こう。問題はない。ただ——
魔素の引き。
ここでは方向がより明確になった。右下ではなく、ほぼ真下。地面の下に何かがある。かなり深い場所に。
「核は、ここの下にあるかもしれない」
「深さは分かりますか」
「かなり深いです。感知できているのが何かある、という感触だけで——距離は読めていないです」
「それで十分です。位置の記録をします」
先生が紙に何かを書いた。部屋の形を描いている。天井の模様の輪郭。棚の位置。通路の入口の方向。素早く、でも細かく。
「先生、その記録は後で見せていただけますか」
「もちろんです。これは共有のためのものですから」
(研究者だ、とは思った。自分の記録を共有するという発想が自然に出てくる)
ガレットが静かに言った。
「……奥はまだ続いていますか」
俺は通路の奥を見た。部屋の反対側の壁に、出口がある。そこから通路がまた続いている。
「続いています」
「今日はどこまで行きますか」
(どこまで行けるか、という問題と、どこまで行くべきか、という問題がある)
体力の問題ではない。時間の問題でもない——まだ昼前だ。
問題は、先生の体力と、判断の精度だ。
(疲れている状態で核を見ても、正確な観察ができない)
(今日は「中間区画まで到達した」ことを成果にして、明日もう一度来る方が効率がいい)
「先生、今日はここまでにしましょう」
先生が顔を上げた。
「まだ行けます」
「行けるかどうかではなく、今日の目的は達成しました。中間区画の位置と構造を把握できた。核は真下にある可能性が高い。この情報を持ち帰って、明日の方針を決める方がいいと思います」
「……そうですね」
先生が少し間を置いた。
「言われると、そうです。入ることが目的になっていました」
「正直な方ですね」
「また言う」
「そうですか?」
「昨日も言いましたよね、それ」
(まあ、正直だから二回言った)
「マリス、灯りの残りはどうですか」
「まだ余裕あります。でも帰りの分を考えると、引き返した方がいいタイミングだと思います」
「じゃあ戻ります。先生、記録できましたか」
「あとは写真——いえ、手書きでもう少しかかります。一分だけ待っていただけますか」
「分かりました」
先生が紙に書き続けた。
マリスが俺の隣に来て、小声で言った。
「……良かったですね、ここまで来られて」
「そうですね」
「核が真下にある可能性が分かった、ってことは——来てみた甲斐がありましたね」
「はい」
「先生、役に立ってくれてますね」
「当たり前です。専門家なので」
「でも、昨日は「止め方が分からない」って言ってましたし、正直、来てくれてどうなるかなと思ってました」
「分からないから来てもらったので」
(止め方が分からないことは昨日から変わっていない。でも核の方向は分かった。一歩前に進んだ)
先生が本をしまった。
「できました。行きましょう」
四人で引き返した。
帰り道は、来た時より少し静かだった。
先生は壁を見ながら歩いていた。行きと同じように観察しているが、立ち止まらない。帰りは確認のための歩き方だった。
「先生、一つ聞いてもいいですか」
マリスが言った。
「はい」
「先生って、こういう仕事を長くしているんですか」
「二十年ほどですね」
「二十年! ずっと古代のものを調べているんですか」
「調べているというより——気になることを調べていたら、二十年経っていた、という感じです」
(……なるほど)
「気になることとは」
「七百年前に何があったか、です。記録に空白がある時代なので——その時代に何が起きたかが、ずっと気になっています」
「空白というのは?」
「記録が残っていない時代があります。今から六百五十年から七百年前にかけての五十年ほど——文献の数が急に減って、建造物も消えて、それ以前とそれ以後で別の文明のようになっています」
「その空白の時代に、この遺跡が作られた?」
「空白の時代の直前です。この遺跡は七百年前のものとしたら、空白が始まる少し前に建設されたことになります」
「それって——」
マリスが少し止まった。
「何かがあって、空白になった、ということですか?」
「……そう考えるのが自然です。でも何が起きたかは分からない。だから調べている」
(七百年前の空白)
(遺跡が作られた時代の直後に、記録が消える)
(「内より、いまだ灯る」——誰かが、その空白の前後に書いた)
通路を出た。
外の光が目に入った。秋の昼前。空が広い。
(通路の中にいると、外の広さが分かる)
マリスが大きく息を吸った。
「……空気、違いますね」
「そうですね」
「通路の中の空気、濃かったですね。魔素が多いんでしたっけ」
「吸収陣の影響です。核に近いほど濃くなると思います」
「明日また行くんですよね」
「はい」
「……今日より深く?」
「おそらく」
マリスが「覚悟します」と言った。大げさでも本音でもない、ちょうど中間くらいの声だった。
館に戻った。
先生が荷物を部屋に置きに行った。ガレットが昼食の準備を確認しに行った。
マリスと俺が執務室に入った。
「今日の成果をまとめると」
俺は言った。
「中間区画の場所と構造が分かった。核は真下の可能性が高い。通路は右の分岐が正しい方向。渦紋と六頂星紋の連続が目印」
「先生の記録も合わせれば、かなり分かりましたね」
「はい。あとは核そのものに近づく必要がありますが——今日の情報で明日の経路が組める。そこまで進んだことが今日の成果です」
「……順調ですね」
「まあ、やれることをやっているだけです」
「それが順調ということだと思いますけどね」
(順調かどうかは、まだ分からない)
(核を見つけても、止め方が分からない可能性はある)
(ただ、今日やれることはやった)
昼食にしようとした時、ガレットが戻ってきた。
いつもと違う歩き方ではなかった。でも、入ってくる時に一瞬だけ間があった。
「何かありましたか」
「……はい」
ガレットが机の前に立った。
「今朝、シュタール国の使者から書状が届いていました。確認が遅くなりましたが——」
「ドランク王ですか」
(まあ、そうだろうな)
「はい。今月のご来訪の予告です。明後日には到着するとのことで」
マリスが「来た!!」と言った。
叫んだわけではなく、むしろ確認するような声だった。「また来た」と「ついに来た」の間くらい。
「明後日」
「はい。それと——今回は通常のご来訪とは少し異なるかもしれないという趣旨のことが、書状に記されていました」
「通常と異なる?」
「「お伝えしたいことがある」という文言がございました。具体的な内容は到着後に、とのことです」
(ドランク王が「伝えたいことがある」と言って来る)
(来訪の予告に、わざわざそう書いてきた)
「何だと思いますか、ガレット」
「……推測しかできませんが」
ガレットが少し間を置いた。
「シュタール国も地下の問題を——遺跡の存在を、何らかの形で把握している可能性がございます」
「先生の名前を出していますか、書状に」
「いいえ。ただ——陛下は以前から地下の水脈について独自に調査されていた節があります。この領地の遺跡が表面に出てきた時期と、書状の文言が重なっているとすれば」
「分かりました」
(ドランク王)
(来るたびに何かを持ってくる人だ。茶の件、シュタール国の土地の件、牽制の件——今度は何を持ってくる)
(「伝えたいことがある」——予告をわざわざ書いてくるのは、突然では困ることだから、だろうか)
「明後日ですね」
「はい」
「探索は明日やります。先生に今日の情報を共有して、明日もう一段深く入る。その後、ドランク王が来る」
「……段取りとしては、そうなりますね」
「探索とドランク王来訪は別件で対応します。ただ——遺跡の話になった場合は、先生にも同席してもらった方がいいかもしれないですね」
「はい。その点は、先生のご意向を確認しておきます」
マリスがぼそっと言った。
「……ドランク王また来るんですか」
「来ます」
「なんか——探索やって、先生と調査して、ドランク王来て——忙しくなりますね」
「今よりは」
「今が忙しくないと思ってるんですか!?」
「比較的ですかね」
「……まあ、来るものは来ますね」
(来るものは来る。それはそうだ)
(ドランク王が「伝えたいことがある」と言って来るなら、来てもらって話を聞いた方が早い。断っても情報が来なくなるだけで問題は解決しない)
(面倒くさいが、放置する方がもっと面倒になる)
「ガレット、ドランク王の準備をお願いします」
「承知いたしました。茶の準備と客間の整備は本日中に」
「東翼は——先生がいるので、先生の部屋と被らない場所を」
「西翼を整備します」
「お願いします」
先生が昼食の前に執務室に顔を出した。
本を一冊持っていた。
「中間区画の天井の模様を調べていたんですが——少し気になることが出てきました」
「何ですか」
「あの模様は「地図」かもしれません」
(地図?)
「地図というのは」
「核の位置を示した図案です。放射状に広がっているのは方位で、中心から伸びている線が——それぞれの方向に何があるかを示している可能性があります。ただし読み方が分からないので確定できません」
「核の位置が天井に描いてある?」
「中間区画はそういう場所です。維持作業の人間が立ち寄って、状態を確認する——であれば、核の位置や状態を示す情報がここにあっても不思議ではないです」
「……先生、それは」
マリスが少し前のめりになった。
「つまり明日また行けば、天井の模様から核の位置が分かるかもしれないということですか」
「分かるかもしれない、です。読み方が合っていれば。読み方が外れていれば何も分からない」
「それでも。今日より手がかりが増えたということでは」
「……はい。そうです」
(先生は、部屋に戻ってからも本を開いていた)
(一晩置いて、また遺跡を見て、戻ってきてすぐに気になることを持ってきた)
(この人は本当にそういう人なんだな)
「昼食にしましょう。情報の続きは食後に」
「あ、そうですね。食べてから話した方が頭が動きます」
「先生、昨日の朝食も少なかったですよね」
マリスが言った。
「気になることがあると忘れます」
「先生……」
昼食の卓で、先生が本を持ってこようとしたのをマリスが止めた。
「食べている間は本を置いてください」
「でも——」
「食べてください先生」
(マリスがそういう役割を担ってくれている。助かる)
昼食を終えて、先生の記録と本を合わせて今日の情報を整理した。
中間区画の位置。天井の模様の意味の仮説。核の方向の感知。通路の分岐と正しい経路。
ガレットが図面に書き加えた。
「明日の経路は、中間区画を過ぎて——その先です」
「先生、中間区画の先はどうなっていると思いますか」
「推測ですが——もう一段、深くなります。通路が下り勾配になる可能性があります。核は地面より下にあると思われるので」
「足元が悪くなりますか」
「おそらく。灯りを増やした方がいいかもしれません」
「ゴードンに頼んでおきます」
(今日やれることはやった。明日へ続く手がかりも手に入れた)
(ドランク王の来訪が明後日だ)
(探索と来訪が続く。まあ、一つずつやるしかない)
夕方、ゴードンが報告に来た。
灯りの追加を頼むと「分かった、三本増やす」と言ってすぐ出て行った。
マリスが廊下で見送って「本当に、いつも短いですよね」と言った。
「ゴードンですから」
「でも、何も言わなくても対応してくれるのが分かっていますよね、ゴードンさん」
「はい」
「……頼りになりますね」
「ここのみんながそうです」
(ゴードン、ヨム、マリス、ガレット——それぞれがそれぞれの場所でやっている)
(俺一人では、今日だって通路には入れなかった。先生がいなければ渦紋の意味も分からなかった)
(まあ、それでいい)
夜、スキルを向けた。
通路はそこにあった。今日歩いた道筋が、感知の中で少しはっきりしている気がした。何度も意識を向けたせいだろうか。
中間区画の位置。その先。
引き——真下。核の方向。今日の昼より、わずかに近い感触があった。
(明日、もう一段深く入る)
(先生の仮説が当たっていれば、天井の模様が核の位置を教えてくれるかもしれない)
(そして明後日、ドランク王が来る。「伝えたいことがある」と言って)
(面倒くさい状況が続く)
(でも、一つずつやれることをやっている。それは変わらない)
外では風が出てきていた。
秋が深くなっている。遺跡の深部は、秋を知らないだろう。七百年、ずっとあの温度で、あの暗さで、あの静けさで——
「まあ、なんとかなるか」
声に出したつもりはなかった。
廊下でマリスの気配がした。通り過ぎながら、小声で「なんとかなりますよ、たぶん」と言っていった。
(聞こえていたか)
(まあ、それでいい)




