誰が作ったのか
二日後の朝、ゴードンが入口まで案内してくれた。
支線三番の崩れた壁は、入口部分だけ板と杭で補強されていた。横幅は大人が一人通れる程度。高さは少し屈めば十分だった。
「石の状態を確認した。崩れた箇所の周囲は安定している。ただし、奥に進む前に一度スキルで感知してくれ。何かあれば引き返す」
「分かりました」
「灯りは三本。予備でもう二本持っていく。いい加減に進むな」
「はい」
ゴードンが俺の顔をじっと見た。
「……何かある顔をしてるな」
「そうですか」
「考えてる顔だ。どうせ中が気になっていたんだろう」
(まあ、二日間ずっと考えていたのは否定できない)
「少し気になっていました」
「まあいい。行くぞ」
入口の前に、四人が並んだ。
俺・ガレット・マリス・ゴードン。ゴードンが先頭で灯りを持った。俺が次。ガレットとマリスがその後ろ。
「準備いいですか」
マリスが聞いた。
「できてます」
「心の準備は?」
「してません」
「じゃあなんでそんなに落ち着いてるんですか」
「中に入れば分かることを、入る前に考えても意味がないので」
マリスが「……そういう合理的な考え方、今日だけは真似したいです」と呟いた。
ゴードンが板の補強をくぐった。
次に俺が入った。
一歩踏み込んだ瞬間、空気が変わった。
外の秋の冷気とは違う——もっと深い、乾いた冷たさ。土の湿った匂いではなく、石の乾いた匂い。何百年も外の空気と交わっていなかったような、静かな冷えだった。
(……あ、意外と広い)
灯りが通路を照らした。
スキルで感知していた「細長い通路」という印象そのままだと思ったが、違った。
実際に目で見ると、高さがある。
頭上に、余裕があった。屈んで入ったのに、中は背筋を伸ばしても天井に届かない。幅も、スキルで感知した感触より広い。大人が二人並んで歩けるくらいの幅があった。
(へえ。感知していたより大きい)
「……広いですね」
マリスが後ろで言った。
「そうです」
「え、最初から広かったんですか?」
「はい」
「スキルで分かってなかったんですか」
「感知できていた範囲では分かっていたんですが、実際に見ると感触より大きかったです」
「どうして落ち着いてるんですか!!」
(落ち着いてる場合じゃない、ということだろうか。でも落ち着いているのは事実だ)
ゴードンが無言で灯りを前に向けた。
通路はまっすぐだった。先が見えない。灯りの届く範囲は二十歩ほど。その先に闇が続いていた。
ガレットが石の壁に手を当てた。
「……きれいな積み方をしていますね」
「そうです」
「石と石の間の目地が——ほとんど見えない」
俺も壁を見た。
石の積み方が、丁寧だった。隙間がほぼない。一つ一つの石が、正確な角度で切り出されている。大きさが揃っている。面が平らだ。これだけ均一に石を加工するのは、今でも相当な技術が必要なはずだ。
(これ、現代の石工で作れるか?)
(たぶん難しい。少なくとも、ラングフォードの近辺でこのレベルの加工ができる職人は聞いたことがない)
「ガレット、今のラングフォードでこの積み方ができる人はいますか」
「……私の知る限り、難しいかと思います。王都の石工であれば近いものができるかもしれませんが——この均一さは」
「やっぱりそうですか」
「若様もそう思われましたか」
「はい。現代より技術が高い可能性があります」
ガレットが静かに頷いた。何か考えている顔だった。
俺たちは通路を奥へ進んだ。
十歩、二十歩、三十歩。通路はまっすぐに続いた。左右は均一な石の壁。床も石が敷かれていた。床の石も同じくらい丁寧な加工で、歩くと靴の音がきれいに響いた。
(設計が丁寧だ)
(ただの通路ではなく、長く使うことを想定して作られた気がする)
マリスが声を低くして言った。
「……ここ、どんどん大きくなってませんか?」
「最初から大きかったです」
「え、そうでしたっけ。最初は小さかった気がするんですが——」
「入口が小さかったので、そう感じたかもしれないです」
「あ、確かに入る時は屈みましたね……。でも、なんか。さっきより広い気がします」
「気のせいだと思います」
「どうして落ち着いてるんですか!!」
ゴードンが「静かに」と一言言った。マリスが「すみません」と小声になった。
四十歩ほど進んだところで、ゴードンが立ち止まった。
「一度止まって感知してくれ」
「はい」
俺はその場でスキルを向けた。
通路の輪郭。壁の状態。天井。石の密度。崩れている部分がないか。安定している。どこも問題ない。
奥の感触。魔素の流れ。まだ続いている。一定の速度で、奥へ、奥へ。
「崩れている場所はないです。続けて進めます」
「分かった」
進み続けた。
通路の途中に、一か所だけ壁面に何かが刻まれていた。
ゴードンが灯りを近づけた。
文字だった。
縦に二行。小さい。でも、はっきりした文字だった——現代の文字と少し違う。「内より、いまだ灯る」と同じ字体だ。
「読めますか」
俺はガレットを見た。ガレットが少し近づいて、じっと見た。
「……「往く者、戻る者——いずれも、ここを経て」」
「何かの標識ですか」
「道の案内板、のようなものかもしれません」
(往く者と戻る者、か)
(何かを運ぶために使われた通路ということだろうか。往復することを前提にした作りだ)
「標識があるということは」
マリスが言った。
「ここを定期的に通る人がいた、ということですよね」
「おそらく」
「定期的に通る人がいて、それだけの規模の組織があった——ということですよね」
「そうなります」
「それって、個人では無理じゃないですか?」
(そう。それが一番気になっていた)
通路の規模。石積みの精度。碑文の二か所。
個人が作れるものではない。少なくとも、一つの家族や小さな集まりでは無理だ。これだけの規模を作るには、組織が必要だ。職人が必要だ。計画が必要だ。資材の調達が必要だ。
(これを作った者は、それだけの力を持っていた)
「ガレット、古い文献に、この通路についての記述はありますか」
「……私の知る限り、ございません。父の代の台帳にも、この通路についての記述はなかった——いえ、台帳の一部は不審火で失われておりますので」
「あの不審火で、か」
「はい。四十年ほど前です。ただ、残った台帳を見る限り、この通路の存在は記されていなかったかと」
「最初から、なかったのか。それとも誰かが消したのか」
ガレットが少し黙った。
「……分かりかねます」
さらに進んだ。
六十歩を過ぎたあたりで、通路が少し広くなった。天井が高くなった。壁の石の積み方も変わり、より大きな石が使われている。装飾に近いような模様が、壁の上部に刻まれている。
「なんですかこれ」
マリスがゴードンの灯りの光の中で上を見上げた。
「模様、ですかね」
「模様というか、何かを表しているような気もします。この形は」
俺もそれを見た。
壁の上部に連続して刻まれている模様は、波のような形と星のような形が交互に並んでいた。意味があるのか、ただの装飾なのか、俺には判断できなかった。
(これを読める人間が必要だ)
スキルで奥をさらに感知した。
まだ遠い。
魔素の流れが強くなっている。奥に近づいているからだろうか。でも、「核」がある場所まではまだ距離がある。感知できるのは、方向と、遠さだけだ。
(広い)
(スキルで感知できている範囲でも、かなりの距離がある。その先はまだ見えない)
「スキルで感知できる範囲で、奥まであとどれくらいですか」
マリスが聞いた。
「スキルの感知範囲だと——この倍以上は先だと思います。でも、その先は感知できていない」
「この倍以上!!」
「はい」
「今歩いてきた距離の倍以上、まだある?」
「少なくとも感知できる範囲では。その先は分からないです」
「それってかなりまずい規模じゃないですか?!」
(まずいかどうかはまだ分からないが、規模が大きいのは間違いない)
「規模が大きいのは確かです」
「「規模が大きい」って言い方もどうなんですか!! この通路を掘って、石を積んで、この距離を——誰が、どうやって!!」
「それが今日一番の謎です」
「一番の謎って、領主様もそう思ってたんですか」
「はい」
「どうして顔が同じなんですか!!」
ゴードンが立ち止まった。
「今日はここまでにしましょう」
全員がゴードンを見た。
「入口から相当進んだ。今日初めて入った。構造の確認と感知で十分だ。次に来る時は、もっと準備してから」
俺は頷いた。
「そうですね。今日は状態の確認まで、で正しいと思います」
「帰りましょう」
引き返した。
来た道を戻りながら、俺は頭の中を整理していた。
分かったこと。石積みの精度が現代の石工では難しいレベル。碑文の字体が現代とわずかに異なる古い字体。通路の規模が個人や小さな組織では作れないスケール。壁の模様と標識は、読める人間がいれば何かが分かる。そしてスキルで感知した限り、魔素吸収陣の「核」まではまだ相当な距離がある。
(一回目にしては、情報が多かった)
(ただ、分かったことより分からないことの方が多い)
入口まで戻ると、ゴードンが板の補強の状態を確認した。
「問題ない。もう一度入る時も、この補強で持つ」
「ありがとうございます」
「何か感知で気になることはあったか」
「一つ。奥まで、まだかなりの距離があります。今日感知できた範囲の倍以上——それ以上かもしれない」
ゴードンが少し顔を上げた。
「……広いな」
「はい」
「まあ、分かった。次に入る時は灯りを増やす」
そして振り返らずに工事の確認に戻った。いつも通りだった。
館に戻って、執務室に全員で入った。
マリスが椅子に座ってすぐ言った。
「……整理させてください」
「どうぞ」
「あの通路、現代の石工には作れないような技術で作られている。字体が今と違う。規模が個人では無理。とんでもなく古い建造物ですよね」
「おそらく」
「古代、ということになりますか」
「可能性はあります」
「古代って、どのくらい古いんですか」
俺はガレットを見た。
「世界史の年表の範囲では——五百年以上前の可能性があります」
ガレットが静かに言った。
「高度な文明が栄えたのが今から五百年ほど前、という記録があります。その時代の建造物が地下に残っているとすれば——字体の違いも、石積みの技術も説明がつきます」
「五百年以上前!!」
「可能性の話です」
「可能性でも五百年以上前!! じゃあ「誰が作ったか」って、今の誰にも分からないじゃないですか!!」
「そうなります」
(そこが問題なんだ)
分からないことが多すぎる。通路の全体の規模。壁の模様の意味。碑文の「往く者、戻る者」の意味。魔素吸収陣の「核」がどこにあって、どんな形をしているのか。止め方があるのか。止めていいのか。
これを一人で、あるいはこの場の四人で解決するのは無理だ。
(専門家が必要だ)
ガレットが少し間を置いてから言った。
「若様、一つ提案してもよいですか」
「どうぞ」
「古代の記録に詳しい者を呼ぶことを——考えてはいただけませんか」
「古代魔法の専門家ですか」
「ええ。碑文の字体・石積みの様式・魔法陣の構造——これらについて、知識を持つ者です。王都の学術院に、古代文明を専門に研究している者がおります」
「その人を呼べますか」
「書状を出せば来てもらえる可能性はあります。ただ——」
ガレットが少し止まった。
「呼んだ以上は……内情を知られることになります」
(それは分かっている)
俺は考えた。
地下に古代の遺跡がある、ということが外部に知られる。土壌枯れの真因が古代の魔法陣だ、ということが知られる。この情報を持った人間が増える。管理が難しくなることを意味する。
ただ。
(管理できない規模の問題に、一人で立ち向かっても意味がない)
(分からないことを分からないままにした結果、何か取り返しのつかないことが起きる方がまずい)
(それに、いずれこの遺跡は誰かの目に触れる。完全に隠しておくことは不可能だ)
(……面倒くさい)
「呼びましょう」
俺は言った。
「……え」
マリスが声を上げた。
「今決めたんですか!!」
「はい」
「も、もう少し考えないんですか!! デメリットとかリスクとか——」
「考えました」
「考えた時間が一秒もないですよね!!」
「三秒くらいは考えました」
「みじかい!!!!」
(三秒で出た結論が間違っているとは思えない。考えが長くなっても答えは変わらない気がした)
ガレットが静かな顔で言った。
「……決断が早いですね、若様」
「迷う要素が見当たりませんでした」
「そうですか」
「専門家なしでこの規模を解決しようとする方が、コストが高い。呼んで内情を知られる方がまだ安い」
「……なるほど」
「ガレット、書状が書けますか」
「はい。王都の古代文明研究院——ルノー・ヴァラン先生と面識がございます。ただ、あの方は学術院にいることが多く、書状が届くまで時間がかかるかもしれません」
「急ぎで出しましょう。でも先生が決めることなので、急かしてはいけない」
マリスがまだ口を開けたまま俺を見ていた。
「……ガレットさん、さらっと「内情を知られる」って言いましたよね」
「はい」
「それって、大丈夫なんですか」
「大丈夫かどうかは、呼ぶ前に判断できません。ただ、古代文明の研究者は——守秘については慣れています。学術的な発見を軽々しく広める方ではない」
「でも、知られちゃったらもう取り消せないじゃないですか!!」
「マリス」
俺は言った。
「取り消せないことは、どんな選択にもあります。呼ばない方が取り返しのつかないことになる可能性の方が高い」
「……それはそうかもしれないですけど」
「呼びましょう。決めたので」
「早い!!」
ガレットが立ち上がった。
「では、今日のうちに書状の下書きを準備します。内容の確認を明朝、お願いしてもよいですか」
「はい。お願いします」
「先生が来るまでに、通路のより詳しい状態確認と、手元にある図面の整理もしておきます」
「ありがとうございます」
ガレットが部屋を出た後、マリスが椅子に深く座り直した。
「……なんか、今日すごく色々ありましたね」
「そうですね」
「通路の中に入って、石がすごくて、字が古くて、規模が大きくて、専門家呼ぶことになって」
「はい」
「それを領主様は全部「なるほど」とか「そうですね」とか「呼びましょう」とかで処理してるわけですよね」
「処理できる問題はしました」
「今日のどれが処理できない問題だったんですか」
俺は少し考えた。
「誰が作ったか、ですかね」
「それだけですか」
「今日の話だと、それが一番分からないまま帰ってきました。他は、専門家が来れば分かるかもしれない。でも専門家でも分からないかもしれない」
「なんで?」
「五百年以上前のことを、今の誰かが全部知っている可能性は低いです。文献が残っていれば手がかりはある。でも全部は分からない」
「……じゃあ、永遠に分からないかもしれないってことですか」
「可能性としては、あります」
マリスが窓の外を見た。
夕方の空が赤くなり始めていた。
「それって、なんか怖いですね」
「そうですか」
「誰が作ったか分からないものが地下にある、って。それが何百年も動いてる、って。名前も残っていない誰かが、何かのために作った——」
「……そうですね」
(それは、俺も少し引っかかっていた)
(通路の中で感じたこと。設計が丁寧だ、と思った。長く使うつもりで作った、と思った。誰かが「これを作ろう」と計画して、職人を集めて、資材を運んで、年月をかけて作った。その誰かの名前が、今は誰も知らない)
「まあ、専門家が来れば少しは分かるかもしれないです」
「そう思いますか」
「そう思いたいです」
マリスが「領主様にしては珍しい言い方ですね」と言った。
「そうですか」
「「思いたい」って言うの、あまりないですよね」
「分からないことが多い時は、そうなります」
マリスが少し笑った。
「まあ。今日すごく色々ありましたけど——結論が出て、早く動けたのはよかったと思います」
「そうですか」
「動かないより動く方がいいですよね。領主様はいつもそうで、まあ、それでここまで来たわけですし」
(マリスが珍しくまとめた)
夜、書状の下書きを見た。
ガレットが書いた文章は、丁寧で、でも必要なことだけが書いてあった。「地下に古代の構造物が発見された。碑文の解読と魔法陣の調査に、先生の知見をお借りしたい」という内容。個人的な手紙の形になっていた。
「この内容でいいですか」
「はい。十分です。一点だけ——「急いでいただく必要はありません」という文言を入れてもらえますか」
「入れます。ただ——急いでいただきたい場合はどうしますか」
「分からないことが多すぎるので、来ていただくのは早い方がいいですが、急かすとろくなことがないです」
「……御意に」
書状を確認して引き出しに入れた。
机の前に座ったまま、スキルを向けた。
通路はある。石の壁。奥の魔素の流れ。変わっていない。
(今日、実際に中を見た)
(感知していたより広かった。感知より大きかった。見て初めて分かることがあった)
(奥まで行けば、もっと分かる。でも今日分かったのは、「分からないことの規模」だった)
「内より、いまだ灯る」。
(そういえば、あの灯りは)
通路の入口近くに刻まれていた碑文を、今日は目で見た。スキルで感知していたものより、現物の文字は古かった。字体が微妙に異なる。一画一画が、今の文字と違う形をしている。
誰が書いたのか。
灯り続けているということの意味が、まだ分からない。
何百年も前に、誰かがここに書いた。「内から灯りが続いている」と。そしてそれは今も正しい。灯りは続いている。
(消えないのか。消せないのか。消さなかったのか)
(それが分からない限り、封印の意味も分からない)
書状は明日出発する。
専門家が来るまで、まだ時間がかかる。
(それまでに、できることをやっておくか)
(图面の整理。壁の模様の記録。碑文の書き写し。感知できた範囲のスキルデータの整理)
(それくらいなら、面倒くさくない)
ラングフォードの夜は静かだった。
地下では、今夜も灯りが続いていた。
(誰が作ったのか。まだ分からない)




