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壁が崩れた

「壁が崩れました」


 ゴードンが言った。いつもと同じ声の調子で。報告するだけ、という顔で。


 俺はペンを置いた。


 (……なんか聞いた気がする今)


「崩れた、というのは」


「支線三番の掘削中に。壁面が一枚、内側に落ちました」


「怪我は」


「誰もいない。ヨムが先に気づいて止めた」




 執務室の外から、廊下を歩いてくる足音がした。少し速い。マリスだった。


「聞きましたか!! 支線三番が——」


「今聞いた」


「大丈夫だったんですか!!」


「怪我人なし」とゴードンが言った。マリスが一度だけ大きく息を吐いた。




 ゴードンから状況を聞いていった。


 今月に入って始めた支線三番の詰まり解消作業——手順書に沿って進めていた。詰まりの直前、泥と小石で固まっていた箇所を開けようとしたところ、内壁の土が一枚ごと落ちた。崩れた、というより剥がれた感じだったとゴードンは言った。


「剥がれた?」


「向こう側から押されたような崩れ方でした」


「向こう側から」


「はい」


 ゴードンが短く頷く。それだけ言った。それ以上は言わなかった。




 (向こう側から、か)


 俺は少し考えた。


 支線三番の場所はスキルで把握している。幹線からの分岐で、東側の低地に向かって延びている支線だ。ガレットの図面で確認した位置とも合っている。


 (向こう側、というのは——地下の、更に奥ということになる)


「今、現場はどういう状態ですか」


「壁が落ちた穴がある。ヨムが近くで見ている。崩れ止まっているが、また崩れるかもしれないので今は中に入れていない」


「分かりました」




 ガレットが俺の机の横に立っていた。いつの間にか来ていた。


「若様」


「はい」


「スキルで確認できますか」


「やってみます」




 椅子に座ったまま、目を閉じた。


 スキルを地下に向けた。


 いつも感じる土壌の感触。水脈の流れ。魔素の濃度。幹線のすぐ下を走る横水脈。支線の細い流れ。


 支線三番の位置を探った。


 (……あった)


 詰まりかけていた箇所の感触が変わっていた。土の密度が——途中で途切れている。そこから先、地下の空間が……。




 俺は少しスキルを引いて、広く感知した。


 (ん?)


 (これ……)


 支線三番の壁が崩れた先——その奥に、何かある。


 土ではない。岩盤でもない。空洞だ。


 空気だった。




 (空洞が……ある)


 (広い)


 土の密度を辿っていたスキルが、ある一点から突然、何も掴めなくなった。感知の端が霞む、というより——そこだけ、指が空を切る感じだった。土がない。岩がない。何もない。こういう感触は、初めてだった。


 感知できる範囲の端まで——その「空洞」が続いている。どこまで続いているのかが分からないくらい、広い。俺のスキルがカバーできる範囲の外まで伸びている可能性があった。


 (これは……)


 (でかいな)




 目を開けた。


 ゴードンとマリスが待っていた。ガレットも。


「空洞があります」


 俺は言った。


「壁の向こう側に。広い」


「どれくらい広いんですか」


 マリスが聞いた。


「感知できる範囲の外まで続いているかもしれない。正確には分からないです」


 マリスが「え」と言って固まった。




「空洞、というのは——自然の地形ですか」


 ガレットが静かに聞いた。


「分からないです。自然の洞穴なのか、人が掘ったものなのか——スキルで感知できるのは空間があるということだけです」


「……なるほど」


 ガレットが短く言った。


 (ガレットが「なるほど」と言う時は、何かが合致した顔をする)


 (今がそうだった)




「形は分かりますか?」


 ガレットがもう一度聞いた。


「……少し待ってください」


 俺はもう一度スキルを向けた。


 空洞の輪郭を探った。壁が崩れた箇所から、奥へ。感知できる端まで。


 (細長い)


 (直線に近い)


 (自然の空洞なら、こういう形にはならない)


 止まった。


 (細長い。直線。繋がっている)


 (では——これを作った人間は、どこへ向かいたかったのか)




 目を開けた。


「細長いです。直線に近い感じがします」


「……直線」


 ガレットが呟いた。一拍置いて、「若様」と言った。


「はい」


「図面に——もう一度確認したいことがございます」


「今持ってきますか」


「いえ、後で構いません。今は現場を先に確認していただいた方がよいかと存じます」


「そうですね」




 ゴードンに続いて、俺は外に出た。ガレットとマリスもついてきた。


 支線三番の掘削現場は、館から歩いて十五分ほどの場所にある。水路に沿って東へ向かう道の途中だ。


 (今朝は曇っていた)


 秋の空気が冷たかった。地面が少し湿っていた。昨夜の夜露か。




 現場に着くと、ヨムが入口の脇に立っていた。顔つきが普段より緊張している。


「若様、来られましたか」


「どうなってる」


「崩れたところ、見てください」


 ヨムが案内した。




 掘削の入口から少し奥に入った場所——支線の壁に、横四尺よんしゃくほどの穴が開いていた。


 土が内側へ落ちた跡があった。確かに「剥がれた」感じだった。外から力をかけて崩したのではなく、内壁が向こう側に引き込まれるように落ちていた。


 穴の縁から中を見ると——暗かった。


 ただ、暗いだけではなかった。




 空気が流れてきた。


 ほんのわずかだが、穴の奥から空気が来ていた。少し冷たかった。土の湿った匂いとは違う、乾いた何かが混じっていた。地上の空気とも、水路の空気とも違う——どこか遠い場所から来ている感じがした。


 (風?)


 (地下に風が吹いているのか?)


 マリスが俺の横で穴を覗き込んだ。少ししてから言った。


「……空気、来てますよね」


「来てます」


「地下に空気が流れているってことは」


「広い空間がある、ということです」




 ガレットが穴の縁に近づいた。中を見た。


 (ガレットは何かを考えている顔だ)


 (この顔は、知っている。何か知っていて、でも今すぐは言わない時の顔だ)


「ガレット、何か気づいたことがあれば」


「……後ほど。まず現場の確認を」


「分かりました」




 俺はもう一度スキルを向けた。今度は穴のすぐ前から、より集中して。


 空洞の内部——土の匂いがするとしたら、こういう感触だろうという空気の密度。岩盤が壁をなしている。


 (石造りだ)


 (……石造り?)


 (自然の洞穴に、石で造られた壁がある?)




「石があります」


 俺は言った。


「空洞の内壁に。積まれている感じがします」


 マリスが「え」と言った。


「石が積まれているってことは」


「誰かが作ったということです」


「それ——大丈夫なんですか??」


 (大丈夫かどうかはまだ分からない)


「まだ分からないです」




「若様」


 ゴードンが言った。


「作業を止めていいですか。崩れた壁の周囲、まだ安定していない可能性がある」


「止めてください。今日は人を近づけないようにしてください」


「分かりました」


 ゴードンが頷いた。それだけ言って、ヨムの方へ歩いた。二言三言話した。ヨムが頷いた。




 (正しい判断だ。崩れた直後は周囲も不安定な可能性がある)


 (安全を確認するまで人を入れるべきではない)


 (問題は、この空洞が何なのかということだ)




 マリスが俺の横に来た。


「あの……これ、どういうことなんですか?」


「どういうことか、まだ分からないです」


「でも誰かが作った空間が地下にあるって——」


「それは確かです」


「それ大丈夫なんですか!! 領地の地下に誰かが作った空間がずっとあったってことじゃないですか!!」




 (マリスが正しいことを言っている)


「そうです。ずっとあった可能性が高いです」


「なんでそんなに落ち着いてるんですか!!」


「慌てても何も変わらないので」


 マリスが両手で顔を覆った。「はあ……」と言った。




 館に戻った。


 ガレットが図面を取り出した。机の上に広げた。この前と同じように。




「若様、支線三番の位置はここでございますね」


「そうです」


「図面で——この方角に、印があります」


 ガレットが図面の一点を指した。


 「★」だった。


 (また、★だ)




「この★の位置と——今日崩れた壁の向こうが」


「重なっています」俺は言った。「スキルで感知した空洞の先が、その方向に向かっています」


「……そうでございましたか」


 ガレットがゆっくりと図面から目を離した。


 (何かを確認した顔だ)


(この顔を、俺は何度か見ている)




「ガレット、この図面を書いた人は——この空洞のことを知っていたんですか」


 ガレットが少し間を置いた。


「……分かりかねます。ただ」


「ただ?」


「「★」は——図面には三箇所あります」


 俺は図面を見た。確かに、今見ていた★の他に、二箇所、別の場所にも記号があった。


「これも同じですか」


「おそらく。ただ、この二箇所については——まだスキルで確認していただいていない」




 俺は図面の三つの★を見た。


 (三箇所)


 (今日崩れた壁の向こうに続く空洞が一つ目)


 (残り二箇所の★は——どこに繋がっているのか)




「ガレット、これは——一つの大きな空洞が広がっているということでしょうか」


「……私には分かりかねます。ただ」


「ただ?」


「図面を書いた人が三箇所に★を付けたということは——三箇所が別々の何かではなく、繋がっている可能性があると、私は思っています」




 (繋がっている)


 (細長い、直線に近い空洞が——三箇所の★を経由して続いている?)


 (それはもう「地下の空洞」というより——)


 (通路だ)




「……これは面倒なやつだ」


 俺は言った。


 マリスが「今更ですか!!」と叫んだ。


「いや、今更だと思います。ただ今日初めて確信した」


「確信してどうするんですか!!」


「まず確認します。今日のところは、それだけです」




 ガレットが静かに言った。


「若様、一つお聞きしてもよいですか」


「どうぞ」


「今日スキルで感知した空洞の——奥の方に、何か他に気になるものはございましたか」




 俺は少し考えた。


 空洞の感触を思い出した。広い。岩盤の壁。細長い。石が積まれている。そして——。


「空気が流れていました。奥から」


「はい、それは現場でも」


「それと——」




 俺は少し止まった。


 スキルで感知した時の感触を、もう一度確かめた。


 (空洞の奥の方に——何かあった気がする)


 (重さ、ではない。引きでもない。もっと別の何かが——)


「空洞の先に、光のようなものがある気がします」


 マリスが「え」と言った。


「光? 地下に?」


「正確には分からないです。スキルで感知できるのは形状と密度が中心なので。でも——奥の方に、何か違う感触があります。温度か魔素の濃度か。光と表現するのが一番近い何かが」




 ガレットが図面を静かに見た。


 「★」の記号を見た。


 「注意」と書かれた文字の近くに、もう一つ別の注記があった。今まであまり気にしていなかった小さな字。


「若様、ここに書いてあるのですが——読めますか」


 俺は図面を覗き込んだ。


 かすれた文字だった。小さい。でも、何とか読めた。




「……「内より、いまだ灯る」」


 ガレットが静かに繰り返した。


「「内より、いまだ灯る」」




 その一行だけが、★の近くに書かれていた。


 誰が書いたのか。いつ書いたのか。灯る、というのが何を指すのか。


 (「内より、いまだ灯る」)


 (灯っている、ということは——今もそれが続いているということだ)


 (今も、というのは——何百年も、ということか)


 図面の紙は古かった。文字はかすれていた。誰かがずっと昔にここに書いた。それでも「いまだ」と書いた。


 (それとも、誰かが今もそこにいる?)


 (地下に、まだ)


 (地下に、今もまだ何かが灯り続けている)




「……これ、前から書いてありましたか」


「はい。ただ、若様が図面を確認された際は★と「注意」の文字を先に見ていただいておりましたので、こちらはご確認が後になるかと思い」


「なるほど」


 俺は図面をもう一度見た。


 (なるほど。ガレットはここに気づいていた)


 (でも急がなくていいと思っていた。俺が自分で気づくまで待っていた)




 マリスが横から図面を覗き込んだ。


「「内より、いまだ灯る」……って何が灯ってるんですか!!」


「分からないです。今日のところは」


「今日のところは分からない、って——だいぶ大変なことが起きてませんか!!」


「起きています」


「その自覚はあるんですね!!」


「あります。ただ、分からないことが多すぎる段階では動けません。まず確認します」




 ガレットが言った。


「若様、確認は——いつ頃をお考えですか」


「明日、もう一度現場を確認します。崩れた壁の周囲が安定しているか確認してから、スキルで更に詳しく感知します。壁の向こうに人が入れる状態かどうかも」


「承知いたしました」


「それと——ゴードンとヨムには、今日の話を外に出さないよう伝えてください」


「既に申し付けてございます」




 (ガレットは既に動いていた)


 (ここ最近、ガレットが先回りしている場面が増えている気がする)


 (いや、ずっとそうだったのか)




「一つ聞いていいですか」


 俺はガレットに言った。


「はい」


「この図面を書いた人が——地下にこういうものがあると知っていて、★と「注意」と「内より、いまだ灯る」と書いた。その人は、この地下のものが何かを知っていたと思いますか」


 ガレットが少し間を置いた。


「……知っていたのではないかと。私はそう思っています」


「あなたの父上は何か言っていましたか」


「何も。ただ——「表には出さないように」と言いました。知られることを望まなかった、ということは確かです」




 (知っていた。そして知られることを避けた)


 (なのに図面には「注意」と「灯る」と書き残した)


 (何かを残したかった、ということでもある)




「……なるほど」


 俺は言った。それ以上は考えるのをやめた。


 (今日の段階では、ここまでだ)


 (明日、もう少し分かるだろう)




 夕食の前に、机に戻った。


 手順書の続きがあった。本来は今日終わらせるつもりだったが、支線三番の件で半日動いた。


 (面倒くさいことが増えた)


 俺はペンを取った。


 (ただ、放置したらもっと面倒になる。それは今回も同じだ)


 手順書を再開した。窓の外の空が、橙色から紺へと変わっていった。




 夜になって、スキルで地下を確認した。


 支線三番の崩れた壁の向こう——空洞。


 空気の流れが、まだある。


 奥の方に、あの感触がある。


 光、と表現した何かが——まだそこにある。




 (明日、もう少し確認する)


 (今日のところは、ここまでだ)


 手元に、図面の写しを一枚作ってしまっておいた。引き出しの中に、元の図面と並べた。


 「★」が三箇所。「注意」の文字。「内より、いまだ灯る」という一行。


 (地下に、何かある)


 (それは確かなことになった)




 ラングフォードの夜は静かだった。


 どこかで、空気が流れていた。



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