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20/53

帰ったら振動がした

 翌朝、クロヴィスとの最終確認は一刻で終わった。


「条件の詳細は、エドラス卿の方で書面にして送ります。ヴァンダール卿のお手元に届くのは十日後か二週間後かと」


「分かりました」


「手順書の件は、来月中に叩き台をいただければとのことで。ガレット殿宛に届け先をお伝えしてよいですか」


「お願いします」




 クロヴィスが手元の書類を一枚取り出した。


「ゴードン殿宛の書状ですが、先ほど出立準備の者に渡しました。到着は三日後の見込みです」


「ありがとうございます」


 マリスが横で「本当に全部先に動いてるんですね」と小声で言った。


「それが仕事ですので」とクロヴィスが静かに返した。




 確認事項は以上だった。


 ガレットが日程を口頭でまとめた。


「本日の午後に荷を整えます。明朝に出立。ラングフォードには四日後の夕方着の見込みです」


「分かりました」


「礼装は今日中に畳みます。荷物はこちらで」


「お願いします」


 マリスが「私も手伝います」と言って、ガレットと並んで廊下へ出た。




 部屋に一人になった。


 窓から王都の朝が見える。石畳に光が当たって、もう人の流れが始まっていた。


 (帰る、というのはどういう気持ちだろうな)


 (来る前は、王都は面倒な場所だと思っていた。実際にそうだった)


 (でも来て、思ったよりあっさり終わった)


 (そういうものかもしれない)


 スキルで足元の地下を確認した。


 重さは、今朝もある。振動は、ない。


 (ラングフォードには、どんな顔で戻ればいいんだろう)


 (まあ、ゴードンが畑にいるはずだ)


 (それだけで、十分な気がする)




 翌朝、出立した。


 クロヴィスが門まで来て見送った。


「ご滞在中、ありがとうございました。手順書の件、お待ちしております」


「はい。お世話になりました」


「この領地が回復したのは方法だけではない、と申しましたが」とクロヴィスが言った。「王都でも同じことが分かりました」


「そうですか」


 (何が分かったのかは聞かなかった)


 (聞いても面倒な答えが返ってきそうだったので)




 馬車が動き出した。


 石畳の音が続いて、街の外れに出た。


 マリスが窓の外を見ながら言った。


「王都、また来ることになりますかね」


「手順書の件で、初回の現地指導があります。ただ、王都を経由するかどうかは分かりません」


「直接その領地に行くんですか」


「多分そうなります」


 マリスが「それはそれで大変ですね」と言った。


「まあ、一回だけです」


「一回でいいんですか」


「あとは手順書を送れば動かせます。俺がずっと行く必要はないです」


 マリスが「……そういうシステムにしたんですね」と言った。


「そうしないと俺がずっとラングフォードを空けることになるので」


「ラングフォードのためですか」


「面倒くさいからです。が、同じことですね」


 マリスが笑った。王都で初めて聞いた、力の抜けた笑い方だった。




 道中、四日が過ぎた。


 一日目は王都周辺の石畳が続いて、窓から見える土が薄かった。


 「魔素が少ない」とスキルで感じた。改善前のラングフォードに近い感触だ。この辺りも、どこかが詰まっているかもしれない。


 二日目から土が変わり始めた。少しだけ濃くなった。


 三日目の朝、ガレットが御者台から中に顔を出した。


「本日夕方に、中継の宿場に入ります。明日の昼過ぎにラングフォードへ戻れる見込みです」


「分かりました」


「ご到着の書状はゴードン殿に届いているかと思います」


「そうですね」


 ガレットが顔を引っ込めた。




 四日目の昼を過ぎたころ、窓の外の景色が変わった。


 丘が見えた。


 見慣れた稜線だ。


 (ここまで来ると、スキルの感触が違う)


 (自分の領地に入ったときの感触——魔素の数値が頭に浮かぶ。ここはうちの土地だ、という感覚)


 マリスが「あ」と言った。


「なんですか」


「丘が見えます。ラングフォードに近い形の丘です」


「そうですね」


「……帰ってきた感じがします」


 (俺もそう思った。が、言わなかった)




 ラングフォードに着いたのは夕方前だった。


 館の前に馬車が入った。


 ガレットが先に降りて、荷物の確認を始めた。マリスが伸びをした。俺は馬車から出て、少し空気を吸った。


 (王都の空気とは違う)


 (この感触は何だろうな。石畳でなくて、土の上に立っている感じ?)


 スキルが動いた。


 (ラングフォードの魔素が、手元に来た感じがする。全体の状態が——まあ変わっていない。悪くない)




 館の玄関に荷物を入れ始めた頃、人影が来た。


 ゴードンだった。


 いつもの格好のままで、手に土がついている。畑から直接来たのか、それとも出迎えのつもりで時間を合わせたのか、どちらか分からない顔をしていた。


「戻ったか」


「はい。戻りました」


 (それだけだった)


 (ゴードンはこういう人だ)


「畑は」


「悪くない。先週から雨がよかった。支線の流れも問題ない」


「ヨムが水路を見ていましたか」


「ちゃんと見ている」


「それは良かったです」




 ゴードンが少し間を置いた。


「書状が来ていた。五領地に展開することになったとか」


「まあ、そういう話が決まりました」


「忙しくなるな」


「初回だけ一領地現地に行って、あとは手順書で回す段取りです」


「そうか」ゴードンが短く頷いた。「なら大丈夫だ」


 (何が大丈夫なのか、は聞かなかった)


 (でもゴードンが「大丈夫だ」と言う時は、たいてい本当に大丈夫だという経験上の判断がある)




 ゴードンが帰っていった。


 振り返らなかった。いつものことだ。




 翌日の朝、館の周りを一巡りした。


 ヨムが幹線水路の流れを確認しているのが見えた。手順書が届く前から自分でやっている。


 マリスが横に来た。


「市場、変わっていましたよ」


「どう変わりましたか」


「出店が一軒増えていました。陶器を売っているところです。あと、昼前でも人がいました。前は人が少なかったですよね」


「そうですね」


「少しずつ、変わっていますね」


「まあ」




 俺は立ち止まって、市場の方を少し見た。


 (人が増えた、ということは)


 (市場に出すものがある人が増えた、ということだ)


 (収穫が安定して、余裕が出てきた——そういうことだろうな)


 (まあ、良かったです)


 (と、思うが、声には出さなかった)




 帰還から二日目の午前中だった。


「ドランク王、来ました!!」


 マリスが廊下を走ってきた。


 (来た)


 (今月も、か)


 (まあ、来ると思っていた。ラングフォードに戻ったら来る、という流れだとは分かっていた)


 「今月は何回目ですか」と俺は聞いた。


「五回目です!!」


「そうですか」


「領主様、もう少しリアクションしてください!!」


「今用意します」


 俺は廊下に出た。




 応接室に通した。


 ドランク王が来た時の茶の用意は、マリスがもう動いていた。習慣になっている。


 ドランク王が席に着いた。


 五十代近い体格のある男だ。旅装。いつもの格好。「また来た」という感じが、こちらにも「また来た」という感じを呼ぶ。


「戻ったか」


「先日戻りました」


「王都の用事は終わったのか」


「まとまりました」


 ドランク王が少し頷いた。


「茶は出るか」


「今用意しています」




 マリスが茶を運んできた。


「今月も茶だけですか」


 マリスが盆を置きながら言った。(声が出た。これは毎月のことになっている)


「今月はついでがある」


 ドランク王が静かに答えた。




 (ついで?)


 (初めての言い方だ)


 マリスが「ついで、ですか」と目を丸くした。


「王都での話を聞いた」


 ドランク王が茶を一口飲んでから言った。


「ヴァンダール式の土地改良を、テルミス国内の五領地に展開することになったと」


「……どこでその話を」


「シュタール国にも耳がある」


 (そうか)


 (早い)




「シュタール国にも、土地が枯れている村がある。三か村の話をしたのは覚えているか」


「覚えています」


「その後、もう少し範囲が広がった。五か村になった」


 (増えている)


 (シュタール国北部の土地が、まだ枯れ続けている)


「テルミス国が五領地に展開するなら——シュタール国にも同じことをしてもらえるか、という話がしたかった」




 (来た)


 (来るとは思っていなかったが、来たとしても不思議ではない話だ)


 俺は少し整理した。


「条件が同じなら、できます。ただ、テルミス国側との段取りがありますので、そちらに話を通してからになります」


「それはこちらでやる」


「シュタール国から、テルミス王政院に対して話を持っていくということですか」


「それくらいの話なら問題ない。我々の外交経路でやれる」


 ドランク王が静かに言った。威圧感があるわけではないが、「やれる」という言い方の密度がある。




 マリスが俺を見た。


 (「どうするんですか」という目だ)


 (俺もそう思っているが)


「……条件の話は、書状でいただけますか。段取りが決まったら、ガレットを通します」


「それでいい」




 茶を飲みながら、少し間があった。


 (これがドランク王との会話の構造だ)


 (用件を言って、返答を聞いて、そのまま茶を飲む)


 (シュタール国の王様というより、商談に来た人の感触がある)


「副官が正直でよろしい」


 ドランク王が茶の二杯目を飲みながら言った。


 マリスが「……今月もそれですか」と言った。


「毎月同じ答えをするから、毎月同じことを言う」


「毎月来るから毎月言われるんです」


 (この掛け合いも、もう習慣だ)




 少し間があった。


 ドランク王が茶を置いて、俺を見た。


「ヴァンダール卿」


「はい」


「……毎月来ていいか」




 (来てる)


 (もう五回来てる)


 (「毎月来ていいか」と聞く前に毎月来ている)


 (断れない。断れたことが一度もない)


 (断ったとして——シュタール国の北部の村の話がある。土地が枯れている。五か村になった。それを放置する方が面倒になる)


 (来る方が、まだ話が早い)




「……どうぞ」


 俺は言った。




 ドランク王が少し頷いた。


 マリスが「領主様ぁ!!」と言った。声が少しかすれた。


「なんですか」


「断らないんですか!!」


「断れないです」


「なぜ!!」


「来てもらった方が話が早いので」


 マリスが「……それが今月のまとめですか」と言った。力のない声だった。




 ドランク王が席を立った。


「では来月も茶を頼む」


「用意します」


「シュタール国からの書状は、月末に届く。目を通しておいてくれ」


「はい」


「ヴァンダール式の展開が決まれば、現地の案内は我々でやる。卿の手間は減るはずだ」


「それは助かります」




 帰り際、マリスが少し追いかけた。


「陛下」


 ドランク王が振り返った。


「毎月来て、そのうちラングフォードが王都の出張所みたいになりませんか」


「……なるほど」


「なるほど、じゃないです!!」


「副官が正直でよろしい」


「ありがとうございます!!」マリスが叫んだ。「でもそれ毎月言われてます!!」




 ドランク王が去った。


 応接室に、静かが戻った。




 マリスが盆を持って戻ってきた。


「……五回目でしたね」


「そうですね」


「これからも毎月来るんですか」


「来るんじゃないですか」


「どうして止められないんですか」


「止める必要がないので」


 マリスが少し首を傾けた。


「止める必要がないって、どういうことですか」


「来てもらった方が情報が入りやすいです。シュタール国の話もそうですし、ヴァンダール式の展開も、シュタール国側とつないでもらえれば手間が減ります。断ると、その経路が消えます」


「……なるほど?」


「なんとなく、そう判断してます」




 マリスが「なんとなく、でそれを判断しているのが領主様なんですよね」と言った。


 (そうなんですかね、と思ったが、返答に困ったので「まあ」とだけ言った)




 夕食を終えた。


 ガレットが手順書の段取りについて少し話した。


「叩き台は若様に作っていただいて、私が整理する形でよいですか」


「そうしましょう。来週中に一度まとめます」


「承知いたしました。エドラス卿からの書状が届いた後に内容を照らし合わせる形で進めます」


「分かりました」


「ドランク王からの書状が届いた時は、シュタール国との段取りを別途確認が必要です」


「そうですね」


「今月中に届くとおっしゃっていましたので、準備だけしておきます」




 ガレットが一枚の紙を取り出した。


「手順書の骨格として、先ほど思いつきを書いてきました。叩き台の叩き台です」


「早いですね」


「若様が作るのに、待っている方が遅くなりますので」


 (まあそれはそうだ)


 俺は受け取って、一通り読んだ。


 (よくまとまっている。ガレットは本当にこういうのが速い)


「これでいいです。ここに現地判断の基準を足せばだいたい完成します」


「……では明後日に改めて持ってまいります」


「お願いします」




 ガレットが部屋を出た。


 俺は机の上に紙を置いて、窓の外を少し見た。


 夜のラングフォードだ。王都のような明かりの連なりはない。星が見える。


 (王都にいた間、星を見た記憶がない)


 (石畳と人の流れと、礼装と——まあ、そういう場所だった)


 (こっちの方がいい)




 スキルを確認した。


 ラングフォードの魔素。地下の状態。


 (重さは、今夜もある。引きが——)




 来た。




 感じたことのない種類のものだった。


 重さではない。


 重さはずっとある。水脈の下に何かが詰まっている感触、あの「引き」はずっとあった。


 振動だった。


 小さい。でも確かにある。


 規則的ではない。一度来て、少し間があって、また来た。


 (これは——)




 俺は窓の外から目を逸らして、もう一度スキルを集中させた。


 (重さは今まで通りある。その奥で——動いている)


 (振動だ)


 (王都にいた間は、重さだけだった。振動はなかった。あちらにいた間の夜も、戻る前夜も、確認した。「振動は、ない」と確認した)


 (今夜は、ある)




 (初めてだ)


 (初めての振動だ)




 手が、少し止まった。


 (面倒くさい、と思った。が、それより先に「これは何だ」という感覚があった)


 (地下に何かがある。それが動き始めた。あるいは、何かが起きている)


 (記録しないといけない。明日ガレットに話す)




 ノックがあった。


「若様」


 ガレットだった。


「どうぞ」


 扉が開いた。


「先ほどお渡しするのを忘れておりました——」


 ガレットが手に書類を持って入ってきた。が、部屋に入った瞬間、俺の顔を見て少し止まった。


「……何かございましたか」


「地下で振動がしました」




 ガレットが動かなかった。


 一秒か二秒、静かにそこに立っていた。


「……いつの話ですか」


「今です。さっき」


「初めてですか」


「初めてです。重さはずっとありました。振動は今夜が初めてです」




 ガレットが手の書類をゆっくり机の上に置いた。


 窓の外を一度見た。


 それから俺に向き直った。


「若様」


「はい」


「……地下の地図を持っておいた方がいいかもしれません」




「地図、というのは」


「父から受け取っていたものがございます。以前お話しした台帳の件とは別に、地形の記録が——古い図面です」


 (古い図面)


 (ガレットの父が持っていたもの)


「どのくらい古いですか」


「……正確には分かりかねます。父が「これは表には出さないように」と言っておりましたので」




 沈黙があった。


 (「表には出さないように」)


 (ガレットの父が、持っていた。台帳とは別に、地下の地形の図面がある)


 (そして今夜、振動があった)




「……明日、見せてもらえますか」


「はい」


 ガレットが静かに答えた。


「お時間を取っていただければ、持参いたします」


「分かりました」




 ガレットが部屋を出ていった。


 俺は椅子に座ったまま、少し止まっていた。


 (振動があった)


 (ガレットが地図を持っている)


 (二つのことが、同じ夜に起きた)




 もう一度、スキルで地下を確認した。


 重さは、ある。


 振動は——もう来ない。止まっている。


 ただ、あったことは確かだ。




 (まあ)


 (明日、地図を見て考える)


 (面倒くさいことが、また増えた気がする)


 (でも、放置する方がもっと面倒になる。それはもう、経験上分かっている)




 俺は机の引き出しから紙を一枚取り出して、今夜の振動について書き留めた。


 日付。時刻。強さ(小さい)。回数(二回)。継続時間(数秒×二回)。


 記録する。


 それだけだ。


 (明日になれば、もう少し分かる)


 窓の外に、星が続いていた。



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