条件によっては
翌朝、クロヴィスが来たのは朝食の途中だった。
「少しよろしいでしょうか」
扉を開けたクロヴィスの顔が、いつもより少し整っていた。
(何か決まったな、という顔だ)
「本日の午後、ご挨拶の場が設けられました」
「挨拶の場、というのは」
「……王宮にて、とのことです」
マリスがカップを持ったまま固まった。
「王宮、ですか」
「はい」クロヴィスが少し頷いた。「国王陛下が、ヴァンダール卿とお会いになりたいとのことで」
沈黙があった。
マリスが俺を見た。ガレットが静かにこちらを見た。
「……分かりました」
俺は答えた。
「本当に分かりましたか」
マリスが小声で言った。
「まあ、そうです」
「なぜそんなに落ち着いているんですか」
「落ち着いてないと困るから」
マリスが「……正論です」と言った。少し力のない声だった。
クロヴィスが続けた。
「お時間は午後の三刻ほど、場所は王宮内の謁見室ではなく、私的な応接の間とのことです。同行者は一名まで、とのことでしたが」
「ガレット、いいですか」
「はい。お供いたします」
「……マリスは」
「控えの間で待っております」マリスが少し顔を上げた。「行ってきてください。ちゃんと戻ってきてください」
「戻ります」
「戻ってくる前提で行くのが当たり前なんですよ!! そこに安心しないでください!!」
クロヴィスが少し表情を動かした。
クロヴィスが部屋を出た後、ガレットが口を開いた。
「昨夜の件のお答えかと思われます」
「そうですね」
「エドラス卿から国王陛下へ話が上がった、という流れかと」
「まあ、そうでしょうね」
「若様、本日は」
「分かってます」
「……答えられる範囲で」
「いつもそうしてます」
ガレットが「……御意に」と言った。珍しく、それ以上は続けなかった。
礼装を着た。
ガレットに袖の合わせを直された。マリスが「ちゃんとしてますよ」と言った。自分でも確認した。昨日とは別の礼装だったが、着心地はどちらも同じくらい窮屈だった。
「この服、いつになったら慣れますか」
「一生慣れないと思います」
ガレットが迷わず答えた。
「……そうですか」
「礼装を着慣れることと、礼装を不快に思うことは別の話でございます」
「どういう意味ですか」
「慣れた上でも不快なものは不快です。ただし、不快に見せないことは習得できます」
「高度ですね」
「王都の礼儀とはそういうものでございます」
用邸を出た。
クロヴィスの先導で、馬車が王宮の方角へ向かった。
窓の外に王都の通りが続く。石畳、人の流れ、出店の声。昨日の道と少し違う角度で走っているが、人の多さは変わらない。
(王宮に入るのは初めてだ)
(まあ、聞かれたことに答えるだけの話だが)
(相手が国王でも、やることは同じだ)
馬車が止まった。
クロヴィスが先に降りて、俺とガレットに手短かに言った。
「こちらからお入りください。案内の者がいます」
外に出ると、石造りの門があった。
規模はそれほど大きくない。王宮の正門ではなく、側面から入る形だった。
(私的な応接の間、とはこういうことか)
案内の者が二人いた。どちらも無言で頭を下げた。それに続いて廊下へ入った。
廊下が静かだった。
政務院の廊下とは違う静けさだった。人が少ない。足音が響く。壁の石が、政務院の棟より厚い気がした。
マリスがいないと廊下が静かだな、と思った。
(あれは存在感がある)
案内の者が扉の前で止まった。
扉をノックした。
「お連れしました」
「入れ」
声がした。
扉が開いた。
部屋は思ったより小さかった。
テーブルが一つ、椅子がいくつか。窓が二つ。奥の壁に何かの織物が飾られている。政務院の応接室よりも調度品が少なく、その分だけ落ち着いた印象があった。
テーブルの奥に、一人の男が座っていた。
五十代前半か。髪は濃い灰色、体格がある。礼装を着ているが背筋が崩れていない。坐ったままだがそれでも場を占めている、という感じがあった。
傍に控えの者が一人。それ以外に誰もいない。
(これが国王陛下か)
(エドラス卿と同じ、というか——それより更に上の人間の顔をしている)
「ヴァンダール卿か」
男が口を開いた。声が低い。
「はい。ライル・ヴァンダールです。お招きいただきありがとうございます」
礼をした。ガレットが後ろで揃えた。
「座れ」
俺は指された椅子に座った。
「テルミス・ヴィルフレッドだ」
男が名乗った。
(国王が自分で名乗るのか)
(まあ、「私的な応接」と言っていたしそういうものか)
「ヴァンダール卿の話は、エドラスから聞いている」
「はい」
「土の詰まりを取っただけだ、と言ったそうだな」
「はい、主にはそれです」
ヴィルフレッドが少し表情を動かした。
「主に、か」
「他にも農民が優秀でしたし、タイミングもよかったです」
「謙遜か」
「いえ、事実です」
ヴィルフレッドがもう一度、少し表情を動かした。
「率直な方だな」
「聞かれたことに正直に答えるのが楽なので」
「楽、か」ヴィルフレッドが少し繰り返した。「それで動く人間というのは、意外と少ない」
「そうですか」
「大抵は、有利に見せようとする。あるいは委縮する。ヴァンダール卿はどちらでもない」
(そんなこと言われても)
(格好つけるのは面倒くさいし、委縮するのは疲れる。どっちも嫌なだけだ)
「普通にしていた方が楽なので」
ヴィルフレッドが「なるほど」と言った。短い言葉だった。
少し間があった。
窓から午後の光が入っている。静かな部屋だった。外の音がほとんど聞こえない。
ヴィルフレッドが本題に入った。
「ヴァンダール卿の手法——水路の詰まりを取り、魔素を回復させる方法だが」
「はい」
「これを他の領地でも展開できないか、と思っている」
俺は少し止まった。
(来た)
(来るとは思っていたが)
(一つの領地で試してうまくいったから、他にも広げようとしている。まあ、王としては当然の発想だ)
(問題は——俺がそれに関わることになる、かどうかだ)
(面倒くさい)
(が……)
「他の領地、というのは」
「現在、我が国の辺境に水路の詰まりを抱えている領地がいくつかある。規模は様々だが、土地が回復しきっていないところがある」
「なるほど」
「ヴァンダール卿の手法を学んで、各地で展開できればと考えている。直接指導をいただけるか、あるいは手順として確立できるものがあれば、それを渡していただけるかと」
俺はしばらく考えた。
(五つの領地に個別で行く。それは確かに面倒くさい)
(移動だけで何ヶ月かかるんだ。そのたびに礼装を着て会合して説明して——いや、考えるのも面倒くさい)
(だが)
(一括でやればどうだ)
(人と手順書を送り込んで、共通の方法でやらせる。俺が毎回行かなくていい形にすれば、最短で終わらせられる)
(なるほど、一括でやれば最短か)
「条件によっては」
俺は答えた。
「条件」ヴィルフレッドが静かに繰り返した。「聞かせてもらえるか」
「はい」
俺は少し整理した。
「俺が各地を回る形は難しいです。移動の時間と、ラングフォードを空ける期間の問題があります」
「そうだな」
「ただ、手順として確立したものを作れるなら話は変わります。俺が直接関わらなくても動かせる形にできれば、効率が上がります」
「手順書、ということか」
「それだけでは足りないですが」
「足りない部分というのは」
「水路の詰まりを特定する方法の問題です」
俺はエドラスに話した内容を、改めて整理した。
「俺はスキルで詰まりの場所が見えます。それが一番速い。ただ——スキルを持っていない人間でも、時間をかければ同じことはできます」
「時間をかければ、か」
「全部の水路を地道に掘って確認する。水の流れの変化を見る。そういう方法です。遅いですが、同じ結果は出せます」
「なるほど」
「なので、各領地に二十人ほどの人員と、作業のための費用があれば——手順に沿って展開できます」
ヴィルフレッドが少し考えた。
傍に控えていた者が、音を立てずに書き留めている。
「二十人、というのは」
「一領地あたりです。水路の規模によって増減しますが、最初の段階では二十人あれば動かせます。農民と現場を知っている者が混在していれば尚いいですが、外から送り込む人員でも手順が明確であれば対応できます」
「費用は」
「水路の修繕資材と人件費で、銀貨にして二千枚から三千枚の間を想定します。規模次第で変わります」
ヴィルフレッドが「銀貨三千枚」と静かに繰り返した。
「一領地あたりで、ということか」
「はい。あと、最初だけは誰かが現地を見た方がいいかもしれません。手順を作っても、土地の状態が全部同じではないので、現地での判断が必要な場合があります」
「ヴァンダール卿が行くか」
「初回に一領地だけ現地を見ます。そこで手順を固めて、あとは同じ形で回せるようにする段取りなら」
(それが最短だ)
(一つを見れば手順が固まる。あとは同じことを繰り返させればいい)
(俺が毎回行く必要はない)
「五領地を考えているが——一度見れば残り四つは動かせると」
「人員が手順を理解していれば。最初の一領地で共通の課題が分かれば、残りには同じ手順書で回せます」
「手順書は誰が作るか」
「俺が叩き台を作って、ガレットに整理してもらえれば実用的なものができると思います」
後ろでガレットが少し息を止めた気がした。
「……承知いたします」
一拍置いてから、静かな声で答えた。
ヴィルフレッドが少し黙った。
何かを考えているのか、整理しているのか、それとも別のことを考えているのか——表情は変わらなかった。
「ヴァンダール卿は、断らなかったな」
「条件が合えば断る理由がないですから」
「面倒くさいとは思わなかったか」
俺は少し考えた。
「思いました」
「だが受けた」
「一括でやれば最短で終わるので」
ヴィルフレッドが少し口の端を動かした。
笑った、というより、何かを確認したような動き方だった。
「正直な方だな」
「さっきも言いましたが、正直な方が楽なので」
「そうだな」ヴィルフレッドが頷いた。「では、その条件で受けてもらえるか、ということだが——少し確認させてくれ」
ライルは首肯した。
「予算は、王国として手配する。人員は現状の各領地の者を使う形になるが、ヴァンダール卿に作業の指示系統を取り仕切ってもらうことは可能か」
「指示は出せます。ただ、俺が直接監督するのは初回の一領地だけにしてほしいです。残りは手順を渡した上で現地の人間が動く形にしないと、俺がずっと王都と各地を行き来することになります」
「なるほど」
「それをやると、ラングフォードが空きすぎます」
「領地のことが気になるか」
「はい」
ヴィルフレッドが少し黙った。
(怒るかな、と少し思った)
(国王に向かって「領地が気になるから帰りたい」に近いことを言ったわけだから)
(でも嘘をついても仕方がない)
「ヴァンダール卿」
「一つ、聞いていいか」
「どうぞ」
「ヴァンダール領が、そんなにいいか」
俺は少し考えた。
(好きか、と聞かれると——なんと言えばいいんだろう)
(領地が好きです、とセリア・ドレーヴェンに言ったのは、嘘でもなかった)
(ゴードンが畑にいる。ヨムが水路を見ている。市場が少しずつ賑やかになっている)
(そういうところだ、ラングフォードは)
「……まあ、好きなので」
俺は答えた。
「面倒くさいのに、か」
「面倒くさいのと、好きなのは別の話なので」
ヴィルフレッドが少し黙った。
それから静かに言った。
「そうだな」
短い言葉だった。が、何かを納得したような言い方だった。
「分かった。その条件でまとめる方向で話を進めよう。詳細はエドラスと詰めさせてくれ」
「はい」
「手順書の叩き台は、ヴァンダール卿が戻ってから作れるか」
「ラングフォードに戻ってからでよければ」
「構わない。急ぎではない。来月中くらいか」
「それくらいあれば大丈夫です」
「では、頼む」
ヴィルフレッドが少し席を立つ気配を見せた。
(終わりか、と思った)
(あれ、思ったよりあっさり終わった)
(面倒くさいとは思ったけど、話はまとまった。まとまってしまえばそれで十分だ)
「一つ、ヴァンダール卿に聞いておこう」
「どうぞ」
「エドラスから聞いていた通りの人物だったな」
「そうですか」
「率直で、損得で動かない。それで結果を出している、と」
「面倒くさいので最短でやるだけです」
「そのやり方で、五年詰みだった領地が動いた」
「まあ、そうです」
「面倒くさいのと、正しいのは、別の話だというわけか」
俺は少し考えた。
(そういう言い方をされたのは初めてかもしれない)
「……どちらかというと、面倒くさくない方が正しいことが多い、という感じです」
「なるほど」ヴィルフレッドが短く笑った。本当に短く、声にならない程度のものだった。「では、次はエドラスを通してもらう。ガレット殿も、ご苦労だった」
「はい、ありがとうございます」
ガレットが後ろで礼をした。
部屋を出た。
案内の者が廊下を先導した。
来た道を戻って、馬車の前まで来た。
ガレットが静かに口を開いた。
「若様」
「なんですか」
「手順書の件、承知いたしました」
「急かしてすみません」
「……いえ。私の仕事でございます」
言い方が、少しいつもと違った。
「なんですか」
「いえ、何も」
「何かありますか」
ガレットが少し間を置いた。
「……若様は、王都の方が楽しそうではないか、とたまに思います」
「え」
「国王陛下と話す機会があって、条件を出して、展開の構想を話す。若様には合っているように見えます」
俺は少し止まった。
(合っている、か)
(まあ、嫌いではなかったが)
(でもどちらが好きかと言えば)
「ラングフォードの方がいいです」
「……そうですか」
「王都は人が多いですし、礼装が窮屈ですし、飯は美味いですが石畳が固いですし」
「……なるほど」
「あと、ゴードンが今頃畑を見ています。そっちが気になります」
ガレットが「……御意に」と言った。
(珍しく、少し嬉しそうな声だった気がした)
(気のせいかもしれないが)
用邸に戻った。
マリスが控えの間で立ったまま待っていた。
俺たちの顔を見て、「お帰りなさい!!」と言った。
「ただいまです」
「大丈夫でしたか!!」
「はい」
「何かありましたか!!」
「まあ、いくつか」
「いくつか、でまとめないでください!! 詳しく教えてください!!」
「夕食のときに話します」
「今じゃないんですか!!」
「今は疲れました」
マリスが「疲れるくらい大変だったんじゃないですか!!」と言った。
まあ大変ではなかったが、説明が面倒なので疲れたことにした。
夕食の後、ガレットが明日の予定を伝えに来た。
「明日の午前中にクロヴィス殿との最終確認がございます。午後に出立の準備を整えて、明後日の朝に王都を発てます」
「分かりました」
「ラングフォードには四日後の夕方に着く見込みです」
「ゴードンに伝わりますか」
「クロヴィス殿経由で書状を出せます。出立前に」
「お願いします」
「承知いたしました」
ガレットが書類を手元に戻した。
「若様」
「なんですか」
「本日も、よろしかったかと存じます」
珍しく二日連続で言った。
(この人が「よかった」と言うのは本当に珍しいことだ)
「そうですか」
「はい。条件の出し方も、一括展開の提案も——向こうが想定していた以上の回答だったと思います」
「面倒くさかっただけですが」
「それでよろしいのです」
ガレットが部屋を出た。
俺は椅子に座ったまま、窓の外を見た。
王都の夜が、今日も続いている。
明後日には、ここを出る。
四日後にラングフォードに帰る。
ゴードンが畑にいる。ヨムが水路を確認している。市場が少しずつ賑やかになっている。
手順書を作らないといけない。エドラスとの詰めもある。五領地の展開も、いつかは誰かを一度連れて行かなければならない。
面倒くさいことは、まあ、増えた。
(でも最短でやれれば終わる)
(終わればラングフォードに戻れる)
(そういう話だ)
スキルで足元の地下を確認した。
重さは、今夜もある。振動は、ない。
(そっちはそっちで、いずれまた考えることになるんだろうが)
(今夜はいい)
(明後日、帰る)
俺は窓を閉めた。
王都の夜音が、少し遠くなった。




