遠慮します(面倒くさいから)
「本日の午後、エドラス卿との別会合を受けることになっています」
ガレットがそう言ったのは、翌朝の朝食の席だった。
俺はスープを一口飲んで、「そうですか」と答えた。
「昨日のうちにクロヴィス殿と日程を調整いたしました。午後の二刻頃に、政務院の別棟にある応接室とのことです」
「昨日の会合とは別の場所ですか」
「はい。コスト卿らは同席しないと聞いております」
(つまり、より小さい場だ)
マリスが「エドラス卿って、昨日廊下に立ってた方ですよね」と言った。
「はい、そうです」
「肩の装飾が分厚い方」
「そうですね」
「……格がすごいですよね」
「まあ、王国政務院の上位の方ですから」
マリスが少し肩を縮めた。
「大丈夫ですか、領主様」
「何がですか」
「昨日より上の立場の方ですよ」
「まあ、今日も聞かれたことに答えるだけです」
マリスが「それが一番すごいんですよ」と言った。少し呆れたような声だった。
マリスが急に「あ」と言った。
「なんですか」
「礼装、ですよね。王都の会合ですし」
俺は自分の格好を見た。
昨日着た服だ。特段汚れていない。
「同じ服でいいですか」
「替えてください」
ガレットが即答した。
「……なぜですか」
「王都の礼儀として、会合が変わればお召し物も改めるのが基本でございます」
「昨日と今日で同じ格の場面に見えますが」
「見えていただいては困るのでございます」
(そういうものか)
(面倒だな、と思ったが、面倒と言っても服を着替えるだけなので言うほどのことでもないか)
「分かりました」
マリスが「よかった」と呟いた。
午後になった。
クロヴィスに案内されて、昨日とは別の廊下を歩いた。政務院の本棟から渡り廊下を一つ越えた先に、別棟がある。
「別棟の応接室は、より私的な会談に使われます」とクロヴィスが言った。
「私的、というのは」
「正式な会合ではなく、個別の意見交換の場として設定されることが多いです」
「昨日の続きではない、ということですか」
「位置づけとしてはそうかと存じます」
マリスが隣を歩きながら、少し声を落として俺に言った。
「昨日より、なんか重たいですね」
「そうですか」
「私的な場の方が本題が来る気がします」
「まあ」
「「まあ」ですか」
「来たら来たで、正直に答えます」
マリスが「それだけですか」と言った。それ以上は言わなかった。
応接室のドアを、クロヴィスがノックした。
「どうぞ」
声がした。クロヴィスが扉を開けた。
部屋は小さかった。
昨日の会合室の半分もない。テーブルが一つ、椅子が四つ。窓から午後の光が入っている。
エドラス・ヴォルトンが、正面の椅子に座っていた。
昨日と同じように、肩の装飾が厚い。が、制服の者は一人もいない。隣に書記らしき若い男がいるだけだった。
「来てくれたな、ヴァンダール卿」
「はい」
「座ってくれ」
俺はテーブルの向かいに座った。ガレットが少し後ろに控えた。マリスが俺の横に座った。
クロヴィスが「私はこちらで」と扉の脇に立った。
「昨日の会合は、少し堅かったかな」
エドラスが口を開いた。声の通り方が、昨日と同じだ。
「いえ、問題はなかったです」
「コストが張り切りすぎる。あれは生真面目なので」
「……そうですか」
「ヴァンダール卿は、あの場で大分質問を受けたようだが」
「はい、いくつか」
「全て正直に答えたか」
俺は少し考えた。
「答えられる範囲で」
エドラスが口の端を動かした。
「正直な返答をありがとう。そちらの方が私は話しやすい」
「一つ、直接お聞きしたい」
「どうぞ」
「ヴァンダール卿の方法——水路の詰まりを特定し、改善する手法だが。これを、他の領地でも使えると思うか」
俺は一拍置いた。
「スキルの問題があります」
「スキルの問題」
「はい。俺が詰まりの場所を特定できるのは、領主スキルがあるからです。土地の状態が数値で分かる。どこが詰まっているか、何が問題かを見つけることができます。ただ——」
「ただ」
「それは俺にしかできません。人に教えられる方法ではないです」
エドラスが少し考えた。
「スキルがない場合は、どうなる」
「水路の詰まりを特定できる別の手段があれば——理論上は同じことができます」
「別の手段というのは」
「たとえば水の流れの変化を追える者を配置するとか、地道に全部掘って確認するとか。スキルを使わない方法でも、詰まりを見つければ同じ結果は出せます」
エドラスが頷いた。ゆっくりした動作だった。
「条件はあるか」
「人と予算があれば」
「人と予算、か」エドラスが少し繰り返した。「なるほど」
マリスが俺の横で小さく息を吸っているのが分かった。
(何か感じているんだろうな)
(俺もなんとなく分かる。この会話の行き先が)
「ヴァンダール卿」
「はい」
「一つだけ、聞いておいていいか」
「どうぞ」
「この手法を、複数の領地に同時に展開した場合——規模の想定はできるか」
俺は少し止まった。
「俺がやる、ということですか」
「そうは言っていない」エドラスが静かに言った。「方法の話だ」
「……方法として言えば」
俺は少し頭の中を整理した。
「水路の詰まりを特定できる人員が確保できれば、あとは優先順位の判断と人手の配分です。複数領地を同時にやる場合は、共通の手順を作れば効率は上がります。ただ、土地によって詰まりの種類が違うので、現地を見た上での判断が必要です」
「なるほど」
「スキルがある者が一人いれば最速で回せます。いない場合は、地道にやるしかない。どちらにしても、人を動かせる体制が必要です」
エドラスが「うむ」と言った。
それから少し間があった。
「話してくれてありがとう。今日はこれで十分だ」
「はい」
「また改めて話す機会があるかもしれないが——その時はよろしく頼む」
「分かりました」
応接室を出た。
クロヴィスが扉を閉めて、廊下で俺たちと向き合った。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
マリスが「クロヴィス殿」と声をかけた。
「はい」
「エドラス卿の「また改めて」というのは、どういう意味ですか」
クロヴィスが少し考えた。
「私の立場からお答えできる範囲で申し上げますと——今日のお話は、恐らく報告に上がるかと存じます」
「どこに上がるんですか」
「……王国政務院の、上の方に」
マリスが「上の方、というのは」と続けようとしたが、クロヴィスが静かに首を振った。
「今日のところは、ここまでにさせてください。お伝えできることが出てきましたら、改めてご説明いたします」
マリスが「分かりました」と引いた。
用邸に向かって廊下を戻った。
渡り廊下を越えたところで、マリスが俺に声をかけた。
「領主様」
「なんですか」
「これ——王都に仕事で来たんじゃなくて、仕事を持ち帰ることになりませんか」
「まあ」
「まあ、じゃないですよ!!」
「断れないですね」
「また!!」
マリスが少し立ち止まった。俺も足を止めた。
「断れないんですか」
「エドラス卿の話の行き先が、王国政務院の更に上になるとしたら。うん、断れないと思います」
「……更に上って、それって」
「さあ。まだ確定したことは何もないです」
マリスが「さあって」と言った。頭を抱えるような声だった。
「領主様は怖くないんですか」
「今怖がっても仕方がないですから」
マリスが「……正論です」と力なく言った。
廊下を歩き続けた。
本棟の広い廊下に戻ったところで、前の方から声がかかった。
「ヴァンダール辺境伯、ですね」
立ち止まった。
声は、女性のものだった。
廊下の側面から、こちらへ向かってくる人物がいた。二十代の前半か。落ち着いた色合いの外套、髪が整っている。隣に侍女らしき者が一人。歩き方が自然に優雅だった。
(見たことのない顔だ。ただ、身につけているものが——昨日の会合の貴族たちよりも格が高い気がする)
「はい」
俺は答えた。
「わたくし、少しお話がしたくて」
丁寧な声だった。が、「少しお話が」という言い方に、どこか当然のように前置きがない感じがあった。
(これは「お願い」じゃなくて「予告」だな)
「どのようなご用件でしょうか」
「セリア・ドレーヴェンと申します」
ガレットが俺の後ろでわずかに動いた気がした。
「ヴァンダール卿の話は、王都でも聞いておりました。五年連続で不毛だった領地を一年足らずで回復させたと。すばらしい手腕だと思っております」
「ありがとうございます」
「優秀な方は、王都に来るべきだと思っています」
俺は少し待った。
「はい」
「ヴァンダール卿のような方が辺境にいるのは、少し惜しいと感じていて」
「はあ」
「わたくしの家は、王都での影響力もあります。よろしければ——ぜひわたくしのところへ、とお誘いしたいのですが」
マリスが俺の横でほとんど息をしていない。
(あとで確認したら、ちゃんと生きていた)
「ヴァンダール卿には、その力量に見合った場所があるべきかと。辺境の領主職に縛られているのは——少しもったいない気がしております」
丁寧な言い方だった。悪意も、特段ない。
ただ、「辺境の領主職に縛られている」という表現が、俺の耳にだけ素直に残った。
(縛られている、か)
(この人には、そう見えているんだな)
「……遠慮します」
俺は答えた。
セリアが少し止まった。
「理由を、うかがっても」
「領地が好きですから」
(本音を言えば、面倒くさいから、だが)
(それに、嘘でもない。ラングフォードは、今は好きな場所になっている気がする)
セリアが一瞬だけ、何かを整理するような顔をした。それから静かに表情を収めた。
「……そうですか。ご再考いただければ幸いです」
「はい」
セリアが小さく頭を下げた。侍女が続いた。そのまま廊下の先へ歩いていった。
足音が遠くなった。
マリスが静かに息を吐いた。
「……大丈夫ですか」
「はい」
「今の方、どういう方ですか」
ガレットが静かに言った。
「ドレーヴェン家の方かと存じます。王国内でも上位の貴族のご令嬢です」
「上位って」
「コスト卿より上。エドラス卿と近い立場、でございます」
マリスが「そんな方が廊下で」と言った。
「声をかけてこられる場合があります。王都では」
「あんなふうに」
「もっとあからさまな場合もございます」
マリスが「そうなんですか」と少し引いた。
ガレットがライルに向いた。
「若様」
「なんですか」
「……よろしかったかと存じます」
短い言葉だった。が、ガレットが「よかった」という評価を出したのは、珍しいことだった。
俺は少し考えた。
「そうですか」
「はい」
「断るのが正解ですか」
「正解かどうかは分かりかねます。ただ——今のヴァンダール領に若様が必要なことは、確かかと存じます」
(そういう言い方をするか)
(ガレットはたまに、こういう言い方をする)
「まあ」と俺は言った。「領地が好き、というのは嘘じゃなかったので」
ガレットが「……御意に」と言った。
用邸に戻った。
夕食を終えて、部屋に戻った。
窓を開けた。王都の夜が今日も続いている。石畳の音、人の気配、遠くで何かが笑っている声。三日目になっても、この街の夜は慣れない感じがある。
ガレットがドアをノックした。
「失礼いたします」
「どうぞ」
ガレットが静かに入ってきた。書類を一枚持っている。
「明日の予定を確認させてください。午前中は自由になっております。午後、クロヴィス殿から一点確認したいことがあるとのことで」
「はい」
「明後日には王都を発てる見込みです」
「分かりました」
ガレットが書類を手元に戻した。
去ろうとして、止まった。
「若様」
「なんですか」
「本日の判断は、正しいかと存じます。ただ——」
言いかけて、止まった。
「ただ?」
ガレットが少し間を置いた。
「エドラス卿の件は——王都でも、上位の意向かもしれません」
「上位の意向、というのは」
「……王国政務院の長か、あるいはさらに上の方のご意向が、エドラス卿を動かしている可能性がございます」
俺は少し考えた。
「さらに上、というのは」
「……国王陛下、という可能性がございます」
沈黙が少しあった。
(国王)
(テルミス王国の国王が、俺に話をしたいと思っている、かもしれない)
(それは確かに、断れないどころの話じゃないな)
「……面倒くさいな」
俺は言った。
「はい」
ガレットが、珍しく即答した。
「それは本当に、そうでございます」
ガレットが静かに部屋を出た。
俺は窓の外を見た。
王都の夜が続いている。明かりが点在して、遠くまで見える。あの向こうのどこかに王宮があって、誰かがおそらく何かを考えている。
(まあ)
(来たら来たで、考える)
スキルで足元の地下を一度だけ確認した。
重さは、今夜もある。振動は、ない。
(ラングフォードは今頃どうしているかな)
(ゴードンが畑を持っている。ヨムが水路を見ている)
(そっちは大丈夫だ。多分)
俺は窓を閉めた。
王都の夜音が、少しだけ遠くなった。




