土の詰まりを取っただけです
「地下のことを、ガレットに話しました」とライルが言ったのは、朝食の皿がまだテーブルに残っているうちのことだった。
ガレットが静かにこちらを向いた。
マリスが顔を上げた。
「何かあったんですか」
「昨日の夜、スキルで確認したことを伝えておいた方がいいと思って」
「昨日の夜に、ですか」
「はい。用邸の地下に、重いものがあります」
マリスがパンを持ったまま固まった。
「重いものって」
「ラングフォードの地下で感じていたのに、近い感触です。ただ、あっちよりも範囲が広い気がする」
「王都の地下にも、ですか」
「はい」
マリスが「……え」と言った。
それだけ言って、しばらく黙った。
ガレットが静かに口を開いた。
「昨夜は振動はございましたか」
「なかったです。重さだけです」
「……ラングフォードと同じ傾向ですね」
「そうです。位置からして、ラングフォードとここが何かで繋がっている可能性はあると思います」
「山脈の地下水脈、ということでしょうか」
「そこまでは分からないです。感知できる範囲の話ですから」
ガレットが少し間を置いた。
「若様」
「なんですか」
「今日の会合で、地形の話が出た場合は——慎重にお答えください」
「分かってます」
(分かってる。どこまで知っているか分からない相手に、全部喋るのは得策じゃない)
クロヴィスが迎えに来たのは、それから少し後だった。
「お支度はよろしいでしょうか」
「はい」
「では参りましょう。会合は二刻後の開始です。早めに入れるよう手配してあります」
「ガレットと一緒でいいですか」
「はい、もちろんです。副官殿もご一緒に」
マリスが「はい!」と答えた。少し元気が戻っていた。
王国政務院の建物は、用邸から歩いて十分ほどのところにあった。
近づくほど、人が増えた。
外套に金の縁取りを入れた者。分厚い書類を抱えた者。小走りで廊下を移動している者。誰もが目的地に向かって動いていた。
マリスが少し足を速めながら言った。
「人が多いですね」
「政務院ですからね」
「ラングフォードの市場の何倍ですか」
「市場と比べるものじゃないですが、まあ何倍もいますね」
「廊下がうちの市場より広いです」
「そうですね」
(この人は比べるものの基準が常にラングフォードなんだな)
クロヴィスが案内した先が、広い廊下の奥にある木の扉だった。
会合室と書いた案内板はなかった。ただ、扉の前に制服の者が二人立っている。
「こちらです」
「……広そうですね」
マリスが扉を見ながら言った。
「中に入ればわかります」
クロヴィスが扉を開けた。
長いテーブルがあった。
縦に伸びたテーブルの両側に、すでに何人かが座っていた。貴族らしき装束の者が三人。その奥に、書類を並べている者が二人。もう一人、書記らしき人間が端に座って羽根筆を持っていた。
マリスが「うわ」と小声で言った。
俺は部屋の奥まで見渡した。
(予想より人が少ない。まあ、これくらいの方が話が早い)
「ヴァンダール辺境伯閣下、本日はお越しいただきありがとうございます」
テーブルの中央に座った男が立ち上がった。五十代か。髪に白いものが混じっている。声が響く。
「フェルナン・コストと申します。王国政務院にて内政を担当しております」
「ライル・ヴァンダールです。よろしくお願いします」
「ご家令とご副官もどうぞ、こちらへ」
ガレットが静かに頷いた。マリスが少し緊張した顔で後ろに続いた。
席に着いた。
テーブルの向こう側にいる三人が、それぞれ名前を告げた。王国内政局の担当者、農政の上席者、それと——
「自然哲学の研究をしております、ルノー・ヴァランと申します」
最後に名乗った男が少し頭を下げた。四十代前半、眼鏡をかけている。書類の量が他の者より多い。
(専門家、か。クロヴィスが言っていた「専門家が同席する可能性がある」というのはこの人か)
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。実は、ヴァンダール領の記録には以前から関心がありまして」
「そうですか」
「はあ。魔素の変化の推移が、私の研究の観点から非常に興味深くて」
(ここで話を広げると長くなりそうだ)
「後ほど詳しく聞かせてもらえますか」
「ぜひ」
コストが改まった声で言った。
「では、始めさせていただきます。本日は、ヴァンダール辺境伯のご領地における土地回復の経緯について、詳しくお伺いできればと思っております」
「はい」
「まず最初に——ヴァンダール領において、これほど急速な土地回復が実現した経緯を教えていただきたい。端的に申し上げますと、何を行ったのか、ということです」
俺は少し考えた。
「土の詰まりを取っただけです」
沈黙が走った。
コストが口を半開きにして止まった。農政上席者は視線を書類の端に落とし、もう一度ライルを見た。それがどういう判断なのかを確かめているような顔だった。ルノーだけが、静かに前のめりになった。
(みんな同じ顔をしている、と思ったが、ルノーは少し違った)
コストが続けた。
「……もう少し、詳しくお聞かせいただけますか」
「水路が詰まっていました。それを取りました。魔素が流れるようになって、土壌が回復しました」
「水路の詰まりを解消された、ということでしょうか」
「はい」
「それだけで、五年連続凶作の土地が一年足らずで回復したと」
「まあ、詰まりを取っただけでは足りなくて、支線まで全部繋げる必要がありましたが。全通させてからです、数値が動いたのは」
「……全通させた、というのは」
「幹線三本と、優先支線を全部です。ネットワーク全体が繋がった時点で、感知範囲が広がって、数値も安定して上がり始めました」
コストが隣の農政上席者と視線を交わした。
農政上席者がおずおずと言った。
「水路の管理は、多くの領地で行っておりますが——ここまでの変化は、我々も聞いたことがなく……」
「そうですか」
「ヴァンダール辺境伯は、水路の詰まりを特定するのに、どのような方法を」
「スキルで見えますから」
「スキルで」
「はい。どこが詰まっているか、どれくらいの深さか、だいたい分かります。なので優先順位をつけて作業しました」
「……なるほど」
(みんな「なるほど」と言っているけど、なるほどとは思っていない顔だな)
マリスが俺の横でじっとしていた。
ガレットが俺の少し後ろに控えている。
コストが気を取り直したように言った。
「記録をお持ちとのことで——拝見できますか」
「はい、持ってきました」
俺はガレットに目をやった。
ガレットが静かに書類を出した。二つに折りたたんだ紙が数枚。魔素推移の記録、水路作業の記録、収穫の数値。
コストが受け取って、隣に渡した。三人で手元を覗き込んだ。
「これは……」
農政上席者が声を上げた。
「魔素が十二パーセントから五十八パーセントに、一年以内で」
「はい」
「十二パーセントというのは、作物が育たない水準で」
「そうです。着任当初はそうでした」
「それが五十八パーセントまで上がったのは、水路の開通だけによるものなんですか」
「主な原因はそれです。土壌が回復してから収穫が増えて、人が戻ってきたのもあります」
「人が戻ってきた」
「住民が出ていっていたので。土地が戻ったら何人か戻ってきました」
コストがゆっくりと紙を置いた。
「……大変申し上げにくいのですが」
「はい」
「我々の把握している一般的な土地回復の手法では、このような速度は想定されていないのですが」
「そうですか」
「スキルによる特定が、やはり鍵なのでしょうか」
「詰まりの場所を探す時間が省けたのは大きいです。あとは、優先順位の判断でしょうか」
「優先順位、というのは」
「全部を同時にやろうとすると人手が足りません。効果が大きい箇所から順番にやりました」
ルノーが口を開いた。
それまで書類を見ながら黙っていた。
「少し、お聞きしてもいいですか」
「どうぞ」
「魔素推移の記録を拝見しますと——水路の開通が進むにつれて、数値の上昇速度が加速していますね」
「はい」
「これは単純な積み重ねではなく、何かネットワーク的な効果があったと思われます。全通した時点で感知範囲が広がったとおっしゃいましたが」
「そうです」
「その感知範囲の広がりは、スキルの側が変化したのか、それとも土地の側が変化したのか——辺境伯はどう判断されましたか」
俺は少し止まった。
(この人、話が早い。なおかつ的確だ)
「正確なことは分からないです。ただ、全通する前は局所的な感知でした。繋がった後で広域になったので、土地の側が変化したという方が自然に思えます」
「なるほど。水路が全体で機能し始めたことで、土地が一つのネットワークとして振る舞い始めた、ということですか」
「そう言ったら分かりやすいかもしれないですね」
ルノーが一度頷いた。また書類に目を落とした。
マリスが俺の袖を少し引いた。
視線で「大丈夫ですか」と言っている。
俺は小さく頷いた。
ルノーが顔を上げた。
「もう一点、よろしいですか」
「どうぞ」
「この地域の地形的な特性についてお聞きしたいのですが——ヴァンダール領は山脈に接していますね」
「はい」
「その山脈から流れ込む水脈の状態を、辺境伯はスキルで把握されているでしょうか」
俺は少し間を置いた。
「大まかには」
「山脈の地下の構造について、何か特徴的なことは感知されましたか。土の層の変化とか、水の流れ方の特異性など」
(ここだ)
(地下の水脈の話に入ってきた)
「詳しくは分からないです」
「詳しくは、というのは」
「スキルで感知できる範囲があります。地上から一定の深さまでです。山脈の深部の構造は、俺の感知では届かない範囲です」
「……そうですか」
ルノーがもう一度書類を見た。
「水脈の出口が、ラングフォードの湧き水になっているという理解でよろしいですか」
「湧き水がどこから来ているかは、地下の水が関係していると思います。ただ、どこから来ているかまでは追えていないです」
「その湧き水の魔素濃度は、周辺の土壌より高いとのことですが」
「はい」
「その理由についてはどうお考えですか」
「分からないです」
ルノーが「そうですか」と言った。
静かな言い方だった。
それ以上は聞かなかった。
(追い込んでこないのは、本人も確証がないからか。それとも、今日はここまでにするという判断か)
コストが改めて口を開いた。
「地下の水脈についても、ぜひお伺いしたいと思っておりまして。特に、湧き水の詳細や、水脈の来歴について」
「詳しくは分からないです」
「そうですか」
「スキルで感知できることに限界がありますので。おそらく専門家の方が詳しいと思います」
ルノーが少し苦笑した。
「私も現地を見ていないので、辺境伯の感知に頼る部分が大きいのですが」
「そうでしょうね。現地を見てもらえれば、分かることも増えるかもしれないですね」
コストが「ほう」という顔をした。
「現地へのご訪問をご提案いただけると」
「来てもらえるなら来てください。俺が案内できる範囲は案内しますから」
マリスがまたわずかに反応した。横から見えた。
(後で何か言われそうだ)
会合が一区切りになった。
休憩を挟む、とコストが言った。
クロヴィスが俺たちを廊下の端に連れ出した。
「お飲みものをご用意します。少しお待ちください」
「ありがとうございます」
クロヴィスが離れた。
マリスが小声で言った。
「大丈夫ですか」
「何がですか」
「さらっと答えてましたが」
「さらっとしか言えないですから」
「……地下の水脈のとこ、聞かれましたよね」
「はい」
「「詳しくは分からない」で終わらせましたけど」
「分からないです、実際には」
「全部は分からないけど、何かは知ってますよね」
俺は少し考えた。
「まあ」
「まあ、なんですか」
「今は全部喋る場面じゃないと思ってます」
マリスが「……そうですか」と言った。
少し間があった。
「それを判断できるのがすごいですよ、領主様は」
「いや、何となくですが」
「何となくで政務院の会合でうまくやれる人いないですよ」
ガレットが静かに横に来た。
「若様」
「なんですか」
「水脈の件、向こうは相当気にしているようです」
「そうですね」
「ルノー殿の質問の順序を見ていますと——地形、水脈、湧き水、と段階的に絞ってきています。土壌改良の話は最初から本筋ではない、という印象も受けました」
「俺もそう思いました」
「はい。おそらく今日はこの後も、また何らかの形で聞いてくるかと」
「まあ、さらっと答え続けます」
「……それがよろしいかと存じます」
ガレットが静かに言った。珍しく短い言葉で、それだけで終わった。
休憩が終わった。
再びテーブルに着いた。
コストが切り出した。
「先ほどの続きですが——湧き水の件について、現地を見たいというご提案をいただきました。実はその点について王国政務院内でも関心がありまして」
「はい」
「ヴァンダール領の地形と、この地域全体の農地回復の可能性について、今後も継続的に情報交換ができればと考えております。今日はその入口として伺えれば、と」
「なるほど」
「また別の機会に、改めてご相談させてください」
「はい」
(「今日は入口」か。ということはまだ続きがある、ということだ)
ルノーが最後にもう一度口を開いた。
「一点だけ追加で。辺境伯は、ご領地の地下で何か異常を感知したことはありますか。水流の変化とか、地盤の変化など」
俺は一拍置いた。
「異常、というのは」
「土壌の魔素変化以外の何か、という意味です。スキルが反応する変化があれば」
「まあ、いろいろ感知はしますが——異常というほどのことは特には」
「そうですか」
ルノーが頷いた。
今度は本当にそれで止まった。
(「異常」と言わなかったのは正解だったか)
(でも向こうは「地下に何かある」と知っているか、知っていないか、どちらだろう)
(ルノーの質問の仕方から見ると——知っているけど確認したかった、という可能性がある)
会合が終わった。
コストが改めて「ありがとうございました」と言った。書類の整理が始まり、皆が席を立った。
クロヴィスが出口へと案内した。
廊下に出た。
マリスが「お疲れ様でした」と言った。
「ありがとうございます」
「大変でしたね」
「そうでもないですが」
「そうでもないんですか」
「質問に答えるだけですから」
「さらっとすごいこと言ってますよそれ」
廊下の突き当たりに向かいかけたところで、クロヴィスが足を止めた。
少し先で、別の人間が立っていた。
制服の者が二人控えている。真ん中の男は五十代後半か。肩の装飾が他の者より厚い。
「クロヴィス殿」
男が口を開いた。声がよく通る。
「エドラス様」クロヴィスがやや頭を下げた。「ご用でしょうか」
「いや、大したことではないが」
男がこちらを見た。
俺を見ている。
「ヴァンダール辺境伯、かな」
「はい」
「エドラス・ヴォルトンと申す。王国政務院で財務を担当しております」
丁寧な言い方だった。が、立ち方が少し違う。
(この人、コストより上の人だ)
「ライル・ヴァンダールです」
「今日の会合、お疲れであったな。クロヴィスから話は聞いておる」
「はい」
「ひとつだけ聞いていいか」
「どうぞ」
「ヴァンダール領の回復——本当に水路の詰まりを取っただけかね」
俺は少し考えた。
「はい、主にはそれです」
「主に、か」エドラスが少し口の端を動かした。「優秀な方だ」
「いえ」
「謙遜しなくていい。私が聞いているのはそういうことではなく——ヴァンダール卿に、ぜひ一度ご挨拶をしたかった。明日か明後日、改めてお時間をいただけるか」
俺は少し間を置いた。
「お話の内容は」
「詳しくは会って話したい。今日の会合と少し別の話になるが——悪い話ではない」
(また来た)
(面倒なことが、また来た)
(「悪い話ではない」と向こうが言う話が、今まで一度も面倒じゃなかったことがないんだが)
「分かりました。クロヴィス殿と調整いたします」
「うむ。では、また」
エドラスが通り過ぎた。
制服の者が後ろに続いた。
クロヴィスが静かに言った。
「……エドラス・ヴォルトン卿は、王国政務院でも上位の方です」
「そうですか」
「今日の会合の主催者であるコスト卿の、上の立場にあたります」
「はい」
「お時間をとりたいとのことでしたが——いかがでしょう」
「断れますか」
クロヴィスがわずかに止まった。
「……状況をお伝えしてから判断するのがよろしいかと」
俺は少し空を見た。
(やっぱり断れない、ということだ)
「まあ、また来ますか」
マリスが「また!!」と言った。ただし廊下の端で、かなり小声で。
用邸に戻った。
夕食の前に少し時間ができた。
俺は部屋に戻って、椅子に座った。
記録帳を開いた。
「第一回会合。土壌改良の経緯、魔素推移を説明。専門家ルノーから地形・水脈について質問あり。地下の異常は答えず。エドラス・ヴォルトン卿から明日か明後日の別会合の打診あり」
それだけ書いた。
スキルで足元の地下を確認した。重さは、今夜もある。振動は、今のところない。
(明日か明後日に、また面倒なことが来る)
(まあ、来たら来たで考える)
(「詰まりを取っただけ」という答えで貴族たちが困惑していたのは分かった)
(でも俺にとってはそれ以上でも以下でもない話なんだよな)
(向こうが何を知りたいかと、向こうが何を知っているかは、別の話だ)




