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土から直す

 翌朝、ガレットが四人の農民を連れてきた。


 全員で俺を見ている。


 (…………思ったより多い)




「若様、こちらの皆さんは今も残っておられる農民の方々です。水路の状況に詳しい者を選びました」


 ガレットが一人ずつ紹介しようとしたので、俺は軽く手を上げた。


「ありがとうございます。えーと——今日はとりあえず幹線の詰まりを確認したいんですが、スコップと突き棒、人数分ありますか」


 農民のひとり——六十近い小柄な男が、遠慮がちに手を挙げた。


「自前で持ってきやした。でも……若様、ほんとに水路を直すんですか」


「はい」


「一本だけでも?」


「まず幹線を一本。どこが詰まってるかはだいたい分かってるので、案内します」


 男たちが顔を見合わせた。


 (なんだろうそのリアクション。不満かな。でも聞くのも面倒くさいな)


「では参りましょう」


 ガレットが先に立って歩き始めた。




 水路沿いを東へ歩いた。


 朝の空気はまだ冷たい。春とはいっても北の辺境はひと味違うらしく、草に露がびっしりついている。農民たちは黙って歩いた。俺もとくに喋らなかった。


 (スキルで見ると……ここから二十メートル先に最初の詰まりがある)


 足を止めた。


「ここ」


「え」


 六十近い男——名前はゴードンと言った——が、水路を覗き込んだ。


「……ほんとだ。底が詰まってる」


「他の三人は、この先の場所に先に行っておいてもらえますか。分岐点の右側に大きな詰まりがあります。たぶん二番目に重要なところです」


「は。はい、若様」


 農民が三人、先へ歩いていった。ゴードンが残って水路を見ている。


「突き棒、貸してもらえますか」


「あ、自分でやられるんで?」


「少しだけ確認したいので」


 俺は突き棒を受け取って、泥に差し込んだ。固い。昨日確認したとおり、五年分の枯れ葉と泥が圧縮されて塊になっている。突き棒をぐりぐりと回すと、表面だけ崩れた。


「うん、ここは人力で掘り出せますね」


「……それは分かるんですが」


 ゴードンが腕を組んだ。


「若様、少し聞いていいですか」


「どうぞ」


「なんでこんな——基本的なことを、誰もしなかったんでしょう」


 俺は突き棒を水路の端に立てかけた。


「俺に聞かれても分かりません」


「そりゃそうですが。でも五年ですよ。水路の詰まりくらい、一番最初に疑うもんじゃないですか」


「それは、ガレットに聞いた方がいいと思います」


 ガレットがすっと前に出た。


「……土壌が枯れ始めたとき、水路の詰まりより先に、土壌そのものに問題があると判断してしまったのです。土壌改良薬を取り寄せ、農業系のスキルを持つ者を雇い——そちらに注力するうちに、水路のことは後回しになっておりました」


「後回しに……五年も?」


「……はい」


 ゴードンは深くため息をついた。


 俺は何も言わなかった。


 (言えることが特にない。俺も昨日来るまで知らなかったし)


「まあ——とにかく、今日から直していきましょう。ゴードンさん、ここから掘り出してもらえますか」


「分かりやした」


 ゴードンがスコップを手に取った。




 水路沿いを移動しながら、俺はスキルで詰まりの位置を案内し続けた。


 農民たちが掘り、俺が次の場所を確認する。無駄のない作業だった。


 (なんかこれ、前世で言うとルーティング業務じゃないか。俺がナビで、みんなが現場担当)


 ガレットが俺の隣を歩いている。基本的に黙っていた。


 分岐点の手前で一度立ち止まったとき、ガレットがふと口を開いた。


「若様、この水路の構造は、昔とはかなり変わっているはずです。元々の流れを知る者が今は——」


「スキルで見ると現状の流れは分かります。元の設計は分からないですけど、今どこから水が来てどこへ行くかは把握できるので、まあ問題ないかと」


「……そうですか」


 ガレットが少し黙った。


「若様——昔の水路は、もっと……整然としておりました。誰かが設計した、という感じで。それが五年の間に土砂で形が変わってしまって」


「五年より前から詰まり始めた箇所もあります。スキルで見ると泥の層の厚さがまちまちで、古いところで十年以上前から積もってる感じの場所も」


「……そうなのですか」


「何か、昔ここに水路を整備した人とか、記録はありますか」


「古い台帳に少し——ただ、詳しくは……」


 ガレットが一瞬、口ごもった。


 俺はそっちに目を向けた。ガレットは視線を前の水路に向けたまま、表情は変わっていない。でも、一拍だけ間があいた。


「……古い記録の多くは、先代の不審火で失われております」


「あ、そうなんですか」


「はい。四十年ほど前の話ですが——水路の設計図も、その際に」


 (……まあ、今は関係ないか)


「分かりました。とりあえず現状で動かせるところを直していけば十分です」


「……御意に」




 午前中に三箇所を開通させた。


 三箇所目の詰まりが崩れたとき、農民の一人——二十代後半の、ヨムという名の男——が思わず声を上げた。


「水が来た」


 細い流れだった。最初はほとんど染み出るような勢いだったのが、詰まりが解消されるにつれて、少しずつ太くなっていく。泥の濁りを連れながら、水が水路を流れ始めた。


「……流れてる」


 ゴードンが突き棒を持ったまま、動かなかった。


 ヨムが俺を見た。


「若様、これで魔素が……?」


「たぶん上がると思いますが、数日は様子見ですね。スキルで確認してみます」


 意識を集中すると、数値が浮かんできた。土壌魔素12%——まだ変化はない。当然だ。一箇所流れたくらいでは、すぐには変わらない。


「今日はまだ動いてません。でも流れが続けば、徐々に変わってくるはずです」


「どのくらいで?」


「分かりません。スキルで状態は見えますが、どのくらいの期間で変化するかは経験がないので」


 ヨムがまじめな顔で聞いてくる。俺はできるだけ正直に答えた。


「ただ、今まで止まっていたものが動き始めたのは確かです。効果がないより、ある可能性の方が高い」


「……そうですね」


 ゴードンが息を吐いた。


「なんか、あっけないな」


「へえ」


「いや——五年間、誰も試さなかったことが、スコップ一本でできるってのが——」


 俺は水路を見た。水が流れている。ゆっくりと、でも確かに動いている。


 (この感覚はなんだろう。まあ、達成感とかではないな。ただ、動いたな、という感じ)


「作業中に昼になりそうですけど、飯の手配はできてますか」


「あ、はい。館から持ってこさせております」


 ガレットが答えた。


「じゃあ続きは午後に」


「承知しました」




 昼食を水路沿いでとった。


 パンと、豆を煮た汁物。シンプルだったが、外で食べると悪くない。農民たちは少し距離を置いて座っていたが、ヨムだけが俺の近くに腰を下ろした。


「若様は、スキルで全部見えるんですか」


「全部じゃないですが、詰まりの位置と土壌の状態くらいは」


「便利ですね」


「情報が出るだけなので。どうすればいいかは自分で考えないといけない」


「でも、どこを直せばいいか分かるのは大きい」


「まあ、そうですね」


 ヨムがパンをちぎりながら、ぼそっと言った。


「自分、この領地で生まれたんです。十年くらい前はもうちょっとマシで——子供のころは水路に水も流れてたんですよ」


「そうなんですね」


「だからその、嬉しいです」


 俺はどう返せばいいか一瞬迷って、「そうですか」と言った。


 (感謝されると困る。別に嬉しいとか言われても……まあ、喜んでもらえるなら悪くはない)


「昨日、俺が提案するまで誰も水路を試していなかった、って聞いたんですが——他に気づいていた人はいなかったんですか」


「う——ん」


 ヨムが天を仰いだ。


「水路が詰まってるのは分かってたんですよ。でも、人手が足りなくて。それに、農業スキルの人が来て土壌に直接働きかけた方が早いって言うもんで」


「農業スキルで土壌をいじっても、魔素が流れてこないと意味がないんじゃないですか」


「……言われてみれば、そうですね」


「だから水路が先、ということで今やってます」


「はい」


 ヨムがうなずいて、汁物を一口飲んだ。


「若様、変わってますね」


「そうですか」


「なんか、すごく淡々としてる」


「面倒なので」


「……面倒?」


「はしゃいだりするの、面倒くさいので」


 ヨムが少し笑った。そうか、と思った。笑えるくらいの余裕がまだあるなら、この領地は完全には死んでいない。




 午後も続けた。


 四箇所、五箇所と詰まりを解消していく。農民たちの動きも慣れてきて、俺が場所を指定するとスムーズに掘り始めるようになった。


 (こういうの、前世で言うとチームの立ち上がりだな。最初はぎこちなくても、ルーティンが固まってくると動きが変わる)


 夕方近く、幹線の一番大きな詰まり——長さにして四メートル近く泥が固まっていた場所——を、全員がかりで崩した。


 ぼこ、と鈍い音がして、泥の塊が崩れた。


 次の瞬間、水が勢いよく流れ込んできた。


 さっきまでとは比べものにならない量だった。澄んだ……とは言えない、まだ濁りを帯びた水だったが、確かに流れている。勢いがある。


「おお……!」


 ゴードンが後ずさりした。足元まで水が来たからだ。


 ヨムが声を上げた。


「来た! 幹線通った!」


 農民たちが歓声を上げた。


 ゴードンは動かなかった。歓声にも加わらず、ただ水が流れていくのを見ていた。目が赤い。泣いているわけではなさそうだが、こらえているのかもしれない。


 ガレットは俺の少し後ろに立っていた。表情は変えていない。ただ、いつもより早く目を逸らした気がした。


 俺はスキルを確認した。


 ——土壌魔素12%。


 まだ動いていない。でも流れは変わった。


 (一日目はこんなものか。明日以降に期待しよう)


「今日はここまでにしましょう」


「若様、もう少し——」


「日が落ちると危ないですし、水路の詰まりは逃げないので。続きは明日以降で」


 ヨムが「はい」と素直に答えた。




 帰り道で、ガレットが隣を歩いた。


「今日だけでかなり進みましたね」


「スキルがあると効率がいいです。どこに行けばいいか分かるので」


「明日も同じ人数で?」


「幹線二本目に入りたいんですが、もう少し人手があると早い。誰か追加で頼めますか」


「……探してみます」


 ガレットが少し間を置いた。


「若様。今日の作業で、幹線の詰まりは何箇所解消されましたか」


「七箇所。幹線一本目がほぼ通りました」


「……一日で七箇所」


「スキルで場所が分かるので。あとは掘るだけでしたね」


「それは——少し、驚きました」


 俺はガレットを見た。


「驚いてましたか。表情変わってなかったので気づきませんでした」


「……変わらないようにしております」


 (なるほど、意図的か。プロだな)


「ガレット、さっき水路の設計の話をしてましたよね。昔の台帳がなくなったって」


「はい」


「なんか——気になることとかありますか。水路を直すにあたって」


 ガレットがゆっくりと歩みを続けた。


「……特には」


 「特には」と言いながら一拍置いたのが気になったが、追いかけるのも面倒なので流した。


 (聞きたいことがあれば向こうから言ってくるだろう。言わないならそれはそれで)




 館に戻って、スキルで今日の状況を確認した。


 土壌魔素12%——午前と変わらない。ただ、水の流れの感覚が変わっていた。幹線一本目を通じて、水が動いている。止まっていたものが動いている感覚は、はっきりある。


 (明日、明後日と続ければ数値が動くかもしれない。あるいはもっとかかるかも)


 スキルで先を確認した。


 ——この水路の先、また詰まってる。幹線二本目の入口あたり。規模は今日より少し小さいが、やはり固く詰まっている。


 (明日の最初の仕事はここだな)


 意識を手前に戻そうとして、ふと気づいた。


 流れ始めた水の先。


 そこに何かある。


 スキルで見えるのは輪郭だけだった。水路の底——正確には、水路の底より少し下、地面に接する部分に、黒ずんだ何かが引っかかっている。


 形は、よく分からない。石か、岩か。ただの汚れなのかもしれない。


 でも、石や岩にしては——なんというか、水の流れに溶け込んでいる感じがしない。


 (……気のせいかな)


 もう一度確認しようとして、数値がぼやけた。遠すぎて詳細が見えない。


 今日はここまでか、と思った。


 窓の外、水路の方向を見た。暗くなった空の下で、水が流れている音が、かすかに聞こえる気がした。


 ——流れ始めた水の先に、何か黒ずんだものが見えた。



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