詰み領地へようこそ
「ここが詰み領地か」
馬車の窓から見える風景は、ひと言で言うと「さみしい」だった。
畑のはずの区画に、野草が茂っている。建物があるはずの場所に、廃屋が並んでいる。春の淡い日差しが差し込んでいるのに、煙突から煙が上がっていない。人の気配がほとんどない。
(……5年連続で凶作なら、まあそうか)
王都を出る前、廊下ですれ違った官僚がぼそりとつぶやいていた。「どうせもう終わってる領地でしょ」と。
怒りはなかった。たぶんそのとおりだったから。
馬車が止まった。
扉を開けると、白髪の老人が立っていた。
背筋がまっすぐで、黒服の上着にシワひとつない。表情は穏やかだが、目の奥がゆっくりとライルを値踏みしていた。
「お待ちしておりました、若様。家令のガレット・ハーンと申します」
「ライルです。よろしく」
「……若様と呼ばせていただきます」
「どうぞ」
ライルはふりかえって領都を見た。ラングフォード。かつては人が住んでいたらしい。
市場の屋台に人がいない。宿屋の窓に明かりがない。街道沿いに立ち並ぶ建物の半分は、戸が外れたまま放置されている。
「住民、だいぶ減りましたね」
「はい。五年前と比べますと三割程度に。逃げ出された方がほとんどで——」
「そう」
ガレットが一瞬、間を置いた。
「……若様は、この状況をご覧になって、いかがお思いでしょうか」
「面倒くさそうだな、と」
「…………」
「でも来てしまったので。まあ、少し見て回ってから考えます」
「承知いたしました」
(なんか期待してた感じがするな。でも特に心境はないんだが)
ガレットの案内で、街の中を歩いた。
廃屋が多い。外壁が崩れかけているものもあれば、草が扉の隙間から生えているものもある。ただ、完全に廃墟というわけでもなく、ところどころに洗濯物が干されていたり、煙が細く上がっている家もある。
「残っている方々は、どんな人が多いんですか」
「高齢の方と、家や土地を離れられない事情がある方が。若い農民の多くは、より豊かな領地へ——」
「そっか」
小さな広場を過ぎた。石畳が欠けている。かつて噴水でもあったのか、中央に干上がった水盤だけが残っていた。
「この領地、もともとは豊かだったんですか」
「はい。四十年ほど前までは、穀倉地帯として名が通っておりました。土壌の魔素が豊かで、小麦も大豆もよく育つと」
「それが五年前から急に」
「はい。どこからも原因が分からぬまま、年々落ちていきまして」
ライルは足元を見た。石畳の隙間から、草が伸びている。
「父は何年も手を尽くしたんですよね」
「……はい」
「それでも分からなかった」
「……はい」
「ガレットは、もう諦めていた感じですか」
ガレットは少し間を置いた。
「……諦めていた、とは少し違います。ただ——何をしても変わらない年月を過ごすうちに、何から手をつければよいか、分からなくなっていたかもしれません」
「なるほど」
(分からなくなったのか。それはまあ、仕方ないか)
街を抜けて畑の方向へ歩き始めた時、突然、頭の中に何かが浮かんだ。
数字だった。
土壌魔素12%、作物成長予測3%——そんな文字が、ぼんやりと意識の端に現れた。
ライルは足を止めた。
「……なんか頭の中に数字が浮かんでるんですが」
「それが領主スキルかと存じます」
「はあ」
「土地の状態を数値で感知するスキルです。ヴァンダール家に代々伝わるもので——先代もお持ちでした」
「この12%って低いんですか」
「……作物が育つ最低限が30%と言われております。通常の農地でしたら60〜70%かと」
「半分以下か」
(それは育たないわけだ。でも何でこんなに低くなったんだろう)
「原因は分かってます?」
「五年前から急に低下し始めたのですが……原因が判明せず、そのままになっておりまして」
「ふうん」
足元の土を見た。乾いて固く、枯れた草の根が黒ずんでいる。
(スキルで数字は分かるけど、どうすればいいかはまだ分からない。そこは自分で考えないといけないな)
水路のそばで立ち止まった。水が流れていない。底に枯れ葉と泥が積もって、完全に詰まっている。
ライルはしゃがんで、水路を覗き込んだ。泥と枯れ葉が圧縮されて固まっている。触ってみると、かなり硬い。ただ、突き棒かスコップがあれば掘り出せそうな固さだ。
「これ、詰まって何年くらいになりますか」
「場所にもよりますが、四、五年かと……」
「その間、ここは」
「放置に、なっておりました」
「人手がいれば直せそうですよね」
「……はい。ただ、農民も減っており、余裕が——」
「なるほど」
もう少し上流を見た。ここだけではなく、何十メートルも先の水路も同様に詰まっている。スキルを流してみると、この水路から続く幹線が三本あって、三本とも詰まっている。
「ちょっと聞いてもいいですか」
「はい」
「魔素って、水と一緒に流れるもんなんですか」
ガレットが少し目を細めた。
「……そう言われております。水が豊かな場所に魔素が集まりやすく——」
「じゃあ水路が詰まったら、魔素も流れない」
「……理屈としては、そうなります」
「詰まりを取れば上がるかも」
「……」
「スキルで詰まってる場所が全部分かります。83箇所ありました」
ガレットが、ゆっくりと息を吸った。
「……83箇所、すべてとなれば、かなりの日数が——」
「全部じゃなくて幹線だけ。水の流れる方向もスキルで見えるんで、どこを直せば全体に効くか把握できます」
「……若様は、今日はじめてスキルをお使いになったはず」
「そうですね」
「それで、もう把握されておいでですか」
「だいたいは」
ガレットはしばらく黙った。
「……若様、一点よろしいでしょうか」
「なんですか」
「この領地に五年間、何人もの者が手を尽くして参りました。土壌が回復しなかったのには、それなりの——」
「水路は直しましたか」
「……はい?」
「詰まりを取ることは、試しましたか」
「……それは、その——」
「してなかったんですね」
「………………していなかった、と言えば、していなかったかもしれません」
(発想自体なかっただけか。じゃあ試す価値はある)
その夜、館の書斎でガレットが台帳を並べた。
「財務の状況をご確認いただきたく——」
「まず土から直します」
「……は?」
「水路の詰まりを取る。魔素濃度を上げる。それをやらないと、財務の話をしても意味がないと思うんですが」
「しかし若様、財務の目途が立たないことには今後の方針が——」
「作物が育たないと税収もないですよね」
「……それは、そうなのですが——」
「だったら土から直す方が先です」
ガレットが台帳を持ったまま、止まった。
「……若様は、なぜそれが有効だとお思いなのですか」
「数字が低いから上げる。それだけです」
「……それだけ、でございますか」
「他に何か理由が必要ですか」
「若様——」
ガレットが息を吸った。
「先代は五年間、手を尽くされました。作物に直接働きかける農業スキルを持つ者を雇い、土壌改良薬を取り寄せ、祈祷師まで呼んだことがございます。しかし何一つ、効果が出なかった」
「スキルで見ると、水路が詰まっているから魔素が流れていないように見えます」
ガレットが止まった。
「……それは、仮説として——」
「仮説です。でも試してみないと分からない」
「…………」
「農業スキルを持つ者も、土壌改良薬も、祈祷師も——水路を直すことは、試しませんでしたか」
ガレットは答えるまでに、少し時間がかかった。
「……把握はしておりました。ただ、魔素は土壌の問題だと、ずっとそう考えていたもので」
「なるほど」
「…………」
「台帳は後でゆっくり教えてください。今日はじめて来て、まだ通貨の感覚もよく分かっていないので」
ガレットが、長い沈黙の後、立ち上がった。
「……御意に。明日から水路の確認を手配いたします」
「ありがとうございます」
「……若様」
「なんですか」
「先代が五年かけて解決できなかったことを、本当に——」
「分かりません。でも試してみないと分からない。違いましたか」
ガレットは視線を台帳に落とした。五年間、何人もの者が手を尽くした。それでも誰も気がつかなかった。老家令は数秒、そこに目を置いたまま動かなかった。
それからゆっくりと立ち上がり、一礼した。
「……いいえ。おっしゃるとおりかと存じます」
寝室に横になって、ライルはぼんやりと天井を見た。
スキルを流してみると、数値がまだ浮かんでくる。
土壌魔素12%。水路詰まり83箇所。
(一日10箇所直せば9日弱か。まあ、やれるだろ)
ただ、一つだけ気になることがあった。
地下の方向に意識を向けると、何かある感じがする。土壌の魔素が「吸われている」ような、かすかな感覚——流れが下へ下へと向かっているような。
(……水路の詰まりを直せば解消されるかな。まあ、やってみてから)
目を閉じると、数値がゆっくりと薄れていった。
(なんとかなるだろ)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第一話、ライルを書きながら「あ、このキャラ好きだな」と自分でも思いました。「面倒くさそうだけど来てしまったので」という感覚がそのまま動機になっている主人公、久しぶりに書いていて楽しかったです。
ガレットの「……御意に」、気に入っています。丁寧な口調の中に「まだ腑に落ちていないが認めざるを得ない」感情が詰まっているつもりです。飄々とした主人公を受け止める渋い老臣を書くのが好きで、彼が静かに驚いていく様子を今後も丁寧に描いていけたらと思っています。
「土から直す」——次回、本当に直るのかどうか。続きをお楽しみいただければ幸いです。
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