王都から召喚状
使者というのは、思ったより早く来るものだった。
打診状が届いてから十日も経っていない。
ガレットが「到着しました」と言いに来たとき、俺は畑の端でゴードンと翌月の作業計画を確認している最中だった。
「若様、テルミス大国のご使者がお見えです」
「……今日でしたか」
「昨日、近隣の宿場町に宿を取ったと連絡が入っておりました」
「連絡が入っていたんですか」
「はい。今朝早く出立されたようで」
俺はゴードンを見た。
「続きは明日でもいいですか」
「ああ、そっちを先にしな。こっちは俺が段取り考えておく」
「ありがとうございます」
ゴードンが顎で館の方を示した。
「でかい話か」
「そうかもしれないですね」
「まあ、なるようになるだろ」
(なるようになれ、と言える感じの案件かどうかが問題だが)
俺はそれを飲み込んで、館へ戻った。
使者は大門の前で馬を降りて待っていた。
俺より少し年上に見える。三十代の半ばか。濃紺の外套に銀の縁取り。背筋が真っすぐで、立ち姿が整っている。
旅の疲れをまったく表に出していない。
(格のある人間を出してきた)
「ヴァンダール辺境伯でいらっしゃいますか」
声が落ち着いている。
「はい」
「テルミス大国王政院より参りました、クロヴィス・ベルタンと申します」
深くお辞儀をした。丁寧だ。それでいて、どこかに圧がある。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞ中へ」
「お時間をいただき、感謝申し上げます」
(すごく丁寧だ。すごく丁寧なのに、妙な圧がある)
応接室に通した。
マリスが茶の準備をしていた。少し手元が固い。
ガレットが定位置に立った。いつも通りだった。
クロヴィスが腰を下ろした。外套を丁寧に膝の上に置いた。
「改めて、ご挨拶申し上げます。今般、テルミス大国王政院の命を受けまして、ヴァンダール辺境伯閣下にお伝えしたき事項がございます」
「はい」
「まず、我が国がこの度ご連絡差し上げた経緯についてご説明いたします」
クロヴィスが静かに続けた。
声の速度が一定で、どこにも崩れがない。
ヴァンダール領の急速な回復について、テルミス大国王政院は昨年来から関心を寄せていた。土地の回復手法は、他の困窮領地においても応用できる可能性がある。また、この地域の地形的な特性についても調査を進めてきた。そのような背景から、改めて正式にご連絡させていただいた次第です。
「……はあ」
「閣下に、王都テルミスへお越しいただきたいと存じます」
俺は一拍置いた。
「王都に」
「はい。テルミス大国国王陛下、並びに王政院の方々と、直接お話しいただく機会を設けたいと思っております」
「……話す内容は」
「土地回復の手法についてのご教示をいただければと。それと、この地域の現状についても、ご意見を賜れますれば」
クロヴィスが静かに言った。
丁寧だ。本当に丁寧だ。
(でも、断れる気がしない)
マリスが茶を出した。
クロヴィスが「ありがとうございます」と言って一口飲んだ。
「……美味しい。これが噂の」
「ただの大麦茶です」
「いいえ。水が違います。この水は」
「まあ、湧き水ですので」
「その湧き水についても、詳しくお聞かせいただければと」
(それも聞きたいのか)
(聞きたいことが多い)
「王都に行く必要がありますか」
クロヴィスが少し微笑んだ。丁寧な微笑みだ。
「ご足労をお願いする立場で恐縮ですが——国王陛下が直接お話を伺いたいとのことで」
「断れますか」
クロヴィスが一拍置いた。
「……お気持ちは承知いたします」
「断れないですかね」
「……誠に恐縮ながら」
(そうですよね)
マリスが後ろで何かを言いたそうにしていた。
こらえている。
かなりこらえている。
クロヴィスがガレットの方を見た。
「ガレット・ハーン家令とお見受けします」
「はい」
「お噂はかねがね。御領地の回復に際して、辺境伯閣下を長年支えてこられたと」
「……過分なお言葉でございます」
「王都へお越しの際には、家令殿にもご同行いただければ心強く存じます」
ガレットが静かに頷いた。
「承知いたしました」
(ガレットが即答した。珍しい)
(もう行く前提で考えている)
「クロヴィス殿」
「はい」
「王都への移動は、どれくらいの期間を想定しておられますか」
「往復を含めまして、三週間から一ヶ月ほどを見ていただければと」
「……長い」
「ご不便をおかけします。ただ、王都での滞在期間はできる限り短くできるよう調整いたします。宿舎も王政院のご用邸をご用意します」
「いつ頃出立、ということになりますか」
「ご都合が合えば、来月初旬を希望します。ただし、閣下のご都合に合わせます」
俺は少し考えた。
「ガレット」
「はい」
「来月初旬に出立するとして、何か問題がありますか」
「現在の作業進捗を確認しましてから。少しお時間をいただければ」
「はい」
(この人は本当に、既に準備を考えていた)
マリスがついにこらえきれなくなった。
「あの!」
クロヴィスが振り向いた。
「副官のマリス・ローエンと申します。一つ確認させてください」
「どうぞ」
「王都へ行く、というのは——行くとは、まだ決まっていないですよね」
クロヴィスが少し微笑んだ。
「もちろん、辺境伯閣下のご意志を尊重いたします」
「では断ることもできると」
「……ご意向はお伺いいたします」
「できるかできないかで言えば」
「……誠に恐縮ながら」
マリスが「ですよね!!」と言った。
クロヴィスが穏やかに視線を俺に向けた。
俺は茶を飲んだ。
「一つ聞いていいですか」
「はい、もちろんです」
「調査に来られた方々が、うちの畑と水路と湧き水を確認されていましたね」
クロヴィスが少し止まった。
「……それは」
「今さら隠さなくていいです。そういう経緯があった上で、今日いらっしゃったんだと思っています」
「……左様でございます」
「調査の結果、何がわかりましたか」
クロヴィスが一拍置いた。
「土地の状態が急速に改善されていること。水路の通水状況が良好であること。湧き水の水質が特殊であること。——それらが報告されました」
「特殊、というのは」
「魔素の濃度が周辺より著しく高いと。調査者の感知スキルが反応したようで」
(やっぱり湧き水のことまで分かっていた)
「なるほど」
「その水を、閣下がどのように領地に活用されているか——詳しく伺いたいと、国王陛下がご希望しております」
マリスが「領主様」と小声で言った。
「なんですか」
「テルミス大国の王都ですよ? 国王陛下が直接お話を聞きたいとおっしゃっているんですよ?」
「そうですね」
「すごいことじゃないですか!!」
「すごいですね」
「なのに何でそんな顔で!!」
「どんな顔ですか」
「面倒くさそうな顔です!!」
俺は少し考えた。
「面倒くさいと思ってます」
「でも行かないといけないですよね!!」
「まあ、そうですね」
「なんで「まあ、そうですね」なんですか!!」
クロヴィスが静かに二人のやり取りを見ていた。
俺はクロヴィスを見た。
「この感じ、王都では大丈夫ですか」
クロヴィスが少し眉を動かした。
「……とても面白い方々だとは思っております」
ガレットが静かに言った。
「クロヴィス殿」
「はい」
「一点だけ確認させてください。今回の要請——土地回復の手法についてのご教示、とのことでしたが」
「はい」
「それと同時に、湧き水の件や、この地域の地形についてもご関心がある、ということでよろしいですか」
「……仰る通りです」
「先の調査との関連で、王政院としてはこの地域の地下資源——水脈や土壌の状態についても把握したいと、そういう背景がおありでしょうか」
クロヴィスが少し止まった。
「……さすがでございます」
「いいえ」ガレットが静かに続けた。「若様からお聞きした情報と、この度の要請の内容を合わせますと、そのように推測されましたので」
「……家令殿のおっしゃる通りです。正直に申し上げますと、王政院としては、この地域の特性を含めて把握しておきたいという意向がございます」
俺は頷いた。
(正直に言ってくれた方が話が早い)
「分かりました」
クロヴィスが少し驚いた顔をした。
「……ご理解いただけますか」
「行けばいいんでしょう」
「閣下」
「面倒くさいとは思っています。でも、行かなかった場合の方が面倒になりそうです」
「……それは」
「王都で聞かれることに答えれば、少なくとも「なぜ来ないのか」という問題は消えます」
「……仰る通りです」
「あと、うちがテルミス大国とどんな話をしているか、シュタール国も気にしているので——それは行った後に別途考えます」
クロヴィスが少し止まった。
「……シュタール国との関係も、ご存知で」
「ドランク王が来月も来るので、聞いてみます」
(面倒くさいがいくつか同時進行している。でも今更ひとつを放置する方がもっと面倒だ)
クロヴィスが静かに一礼した。
「……ご賢明なご判断と存じます」
話がまとまった。
来月初旬、出立。王都での滞在は二週間を目安。王政院の用邸に宿泊。クロヴィスが往路も同行する。
クロヴィスが書類を出した。行程の概要が几帳面に書いてある。
(よく準備されている)
(出立を断ることを、最初からほぼ想定していない準備の厚さだ)
「これは……行くと言う前に作ってましたね」
「……来月初旬をご希望と、先に申し上げましたので」
「うちが断った場合のページがないですね」
「……準備が至らず、申し訳ありません」
俺は書類を受け取った。
「まあ、行きますので」
「ありがとうございます」
マリスが後ろで「断ったらどうするつもりだったんですか!!」と言った。
クロヴィスが穏やかに「断られた場合のご連絡方法も考えておりました」と答えた。
夕方になった。
クロヴィスが立ち上がった。今夜は近隣の宿場に戻り、明日改めて確認事項があれば伺う、とのことだった。
「今夜泊まっていかれませんか」
「ご厚意はありがたいのですが、随行者もおりますので。明日の朝、改めてお伺いします」
「そうですか」
大門まで見送った。
クロヴィスが馬に乗る前に振り向いた。
「ヴァンダール辺境伯閣下」
「はい」
「一点だけ、個人的な感想を申し上げてよろしいですか」
「どうぞ」
「……この領地が回復したのは、方法だけが理由ではないと、来てみて感じました」
俺は少し考えた。
「どういう意味ですか」
「土地を見た農民が、安心して動いているように見えました。作業が整然としていた。それは方法を知っているだけでは出ないものです」
「……農民が優秀なんです」
「そうかもしれません」クロヴィスが静かに言った。「ただ、そう動かした方がいる、ということでもあります」
(ドランク王と言うことが似ている)
「明日、また伺います。失礼いたします」
クロヴィスが馬を向けた。
三人で見送った。
マリスがため息をついた。
「……王都ですよ。テルミス大国の王都」
「そうですね」
「召喚状じゃないですか、これ!!」
「打診状、じゃないですかね」
「中身は召喚状ですよね!! 行かないといけないんですよね!!」
「まあ、そうですね」
「まあ、じゃないですよ!! 国王陛下が直接お話を聞きたいとおっしゃっているんですよ!?」
「そうですね」
「領主様ぁ……」
「なんですか」
「もう少しびっくりしてください」
「びっくりしてますよ」
「してる顔じゃないです!!」
俺は少しびっくりした顔をした。
マリスが「無理してる顔です!!」と言った。
ガレットが静かに俺の横に立った。
「若様」
「なんですか」
「来月初旬の出立、領地の管理についてですが」
「はい」
「ゴードンに現場の判断を一部委任する形で進められるかと。畑の作業計画は既に月単位で回っております。水路の定期確認も手順が定着しています」
「ゴードンは大丈夫ですか」
「昨年から自分で段取りを考えて動いています。二週間から一ヶ月であれば、指示を出さなくても動けると判断しております」
「……さすが」
「ただし、突発的な問題が起きた際の連絡先と判断基準は、明日までに書面でまとめておきます」
「お願いします」
ガレットが少し間を置いた。
「若様、準備は——少し前から始めておりました」
「どれくらい前から」
「打診状が届いた翌日から」
俺はしばらく考えた。
「……来ることが分かっていたんですか」
「来る可能性が高いと判断しておりました。打診状が偵察者の帰還より前に準備されていた可能性がある、と申し上げましたので」
「そうですね」
「先に動いておく方が、若様のご負担が減ると思いまして」
(これが家令というものか)
(それとも、ガレットが有能すぎるのか)
「ありがとうございます」
「いいえ」ガレットが静かに言った。「これが私の仕事でございます」
マリスが「私も行きますよね」と言った。
「マリスはどうしますか」
「どうします、じゃないですよ! 副官ですよ私は! 行きますよね!?」
「行けますか」
「行きます!!」
「王都は大丈夫ですか」
「大丈夫じゃないかもしれないですが行きます!!」
俺は少し考えた。
「ガレットと俺だけだと、マリスみたいなことを言ってくれる人がいないですからね」
「それが理由ですか!!」
「頼りにしてます」
マリスが少し照れた。
「……まあ、役に立てるなら」
「はい」
「でも王都って何に気をつければいいんですか。礼儀とか」
「ガレットに聞いてください」
「若様に聞いてます!!」
「俺も分からないので、ガレットに聞きます」
「二人でガレットさんに聞くんですか!!」
ガレットが静かに「両名とも、明日から順番にご説明します」と言った。
夜になった。
ガレットとマリスが部屋を出た後、俺は一人で椅子に座った。
クロヴィスが残していった書類がある。行程表。宿の場所。王政院の担当者の名前。
(王都か)
(行ったことがない。というか、この体で行ったことがあるかどうかも分からない)
(面倒くさい)
まあ、決まってしまったことは仕方がない。ドランク王も、ガレットも、マリスも、それぞれが動いている。俺だけ「嫌です」と言い続けるわけにはいかなかった。
言えなかった、の方が正確かもしれないが。
スキルで領地の状態を確認した。
魔素は安定している。畑も水路も問題ない。
来月初旬まで、もうひとつかふたつの作業ができる。ゴードンと確認していた区画の件を先に片付けておいた方がいい。
(やれることをやっておく。それだけだ)
地下の方を確認した。
黒ずんだ何かの「引き」が、今日もある。
昨日と変わらない——と思ったところで、俺は止まった。
違う。
「引き」は同じだ。でも——その奥に、何かある。
俺はもう少し意識を集中した。
スキルの感覚を深く向ける。引きの方向、引きの強さ、その先——
(……振動、か)
小さな、ごく小さな振動だった。
いつもの引きの奥に、微かに震えている何かがある。
これまで感じたことがなかった。少なくとも、今まではこれはなかった。
(何だ)
(地下で、何かが動いている?)
俺はしばらくそのまま確認し続けた。
振動は続いている。規則的ではない。でも確かにある。
(引きが変化したのか——それとも、引きの先で何かが始まったのか)
どちらか、今の俺には判断できなかった。
(ガレットの台帳調査が終わっていれば、少し分かるかもしれない)
(でも今夜はもう遅い)
俺は確認をやめた。
(王都へ行く前に、もう一度確認しておく必要がある)
(もし振動が続いているなら、その頻度と変化を記録しておく方がいい)
地下の引きは続いている。振動は——まだある。
(面倒なことが、また増えた)
(でも放置する方がもっと面倒だ。それはもう分かっている)
俺は書類を折りたたんで、机の端に置いた。
明日、ゴードンに会いに行く。ガレットに振動の件を伝える。来月の出立前に、一度だけ集中してスキルで確認する時間を作る。
(順番に潰す。急がない)
(ただ——これは、急いだ方がいい案件かもしれない)
灯りを消す前に、もう一度だけ地下を感知した。
引き。
振動。
どちらも、ある。
(月に一回あるかないかだった感触が——今日で二回目になった気がする)
気がする、というだけだ。記録していなかった。
(明日から記録する)
そう決めて、灯りを消した。
ラングフォードの夜は静かだった。
地下だけが、少しだけ動いていた。




