来た上に別の問題が同時進行
「領主様、知らない人間が村をうろついているようです」
ガレットがそう言ったのは、昼飯の途中だった。
俺はスプーンを止めた。
「知らない人間、というのは」
「ゴードンが昨日から気にしていた人物です。旅装ではありますが——畑や水路をよく見ているそうで」
「旅人にしては熱心、ということですか」
「はい」
ガレットが静かに続けた。
「今朝、マリスが確認に行きました。すでに村を離れた後だったようですが——ゴードンの話では、二日で複数の場所を回っていたようです」
俺は昼飯に戻った。
「旅人ではないですかね」
「旅人が幹線水路の分岐点で立ち止まって記録をつけるかどうか、というのはございます」
(それは確かに旅人っぽくない)
「……何者かと思いますか」
「それを、若様にお伝えしようと思いまして」
マリスが戻ってきたのは昼過ぎだった。
顔が少し険しい。
「領主様、ゴードンさんにもう少し詳しく聞いてきました」
「どうでした」
「二人連れです。旅装だけど荷物が少ない。地図みたいなものを持っていたと」
「地図」
「ゴードンさんが少し離れたところから見ていたので詳しくは分からないんですが——畑だけじゃなくて、湧き水のあたりも確認していたそうで」
俺はちょっと引っかかった。
「湧き水まで」
「はい」
(それは観光ではない)
「ガレット」
「はい」
「心当たりはありますか」
ガレットが少し間を置いた。
「……実は、昨日の夕方に別の経路で情報が入っておりまして」
「昨日の夕方に」
「はい。テルミス王国内の別領から、行商人を通じて聞いた話ですが——テルミス大国の方から、ヴァンダール領に関心を持っている方々がいると」
俺はスプーンを置いた。
「テルミス大国」
「はい。急速に回復した理由を本国に報告したい、と考えている方々が、この辺りを調べに来た可能性がございます」
俺は天井を見た。
(増えた)
マリスが「え」と言った。
「テルミス大国って——あの、うちの国より大きい、大陸でも上位の」
「そうです」
「そこが、ヴァンダール領を調べに?」
「来たとしたら、そういう話になります」
「領主様ぁ……」
「なんですか」
「深刻に考えてください」
「考えてますよ」
「考えてる顔じゃないです!!」
俺は考えている顔をした。
マリスが「顔だけ作っても!!」と言った。
午後、ガレットが改めて状況を整理してきた。
「現時点で分かっていること、という形でよろしいですか」
「どうぞ」
ガレットが静かに話した。
偵察者らしき人物は昨日の午前中に村を離れた。二日間で、ラングフォードの幹線水路・畑の分布・湧き水のある場所を確認したと見られる。すでに領地外に出た可能性が高い。
「接触はできなかった、ということですか」
「残念ながら」
「報告はいつ上がるんでしょうね」
「早ければ数日で、テルミス大国の王都に届くかと」
マリスが「それまずくないですか」と言った。
「まずいとは」
「何が報告されるか分からないじゃないですか!」
「何を見ていたか分かっているので、そこから大体は推測できますが」
「推測で大丈夫なんですか!!」
俺は少し考えた。
(大丈夫かどうかより、どうするかを考える方が早い)
「まあ、来てしまったものは来ているので」
「そういう問題じゃ!!」
翌朝。
赤地に金の鷹の旗が、坂の向こうから近づいてくるのが見えた。
(来た)
(しかも今日か)
「若様、ドランク陛下のお越しです」
「分かりました」
ガレットが静かに横に立った。
マリスが窓から外を確認して、こちらに振り返った。
「……来ましたね」
「来ましたね」
「四回目ですよ」
「そうですね」
「昨日の件があるのに」
「そうですね」
マリスが何か言いたそうな顔をしたが、飲み込んだ。
(成長している)
外に出た。
ドランク王が馬から降りた。旅装。こちらを見て、一拍置いた。
「……また来た」
「ようこそいらっしゃいました」
「四度目だ」
「はい」
「顔色が悪いな、卿」
「そうですか」
「何かあったか」
俺は少し考えた。
「少し」
ドランク王がわずかに目を細めた。
「茶を飲みながら聞こうか」
(……この人はいつでも茶が基準なのか)
「どうぞ」
応接室に通した。
いつもの席。ガレットが茶を出した。ドランク王が一口飲んだ。少し目の力が抜けた。
「……変わらん」
「はい」
「良いことだ」
俺も飲んだ。
しばらく黙っていた。
ドランク王が茶器を指で軽く押さえた。
「それで——何があった」
「あ、こちらから言うんですね」
「聞かなければ言わないだろう」
「……まあ、そうですね」
俺は少し考えた。
「昨日と今日で話すと、少し長くなりますが」
「構わない」
話した。
ゴードンからの報告。二人連れの旅装。幹線水路と湧き水を確認していたこと。テルミス大国から調査に来た可能性があること。
ドランク王は黙って聞いた。
話し終えると、一拍置いた。
「……そうか」
「そうか、というのは」
「先客がいたようだな、ということだ」
俺は止まった。
「先客、という言い方ですか」
「そう聞こえたか」
「聞こえました」
ドランク王が茶を一口飲んだ。
「テルミス大国は、急速に回復したヴァンダール領を以前から気にしていた」
「以前から、というのは」
「昨年の収穫の頃から、だな」
マリスが後ろで「……え」と漏らした。
「陛下」
俺はちょっとだけ考えてから聞いた。
「それ、ご存じだったんですか」
ドランク王が少し止まった。
「……知っていた」
「昨日の件を、ではなくて」
「テルミス大国が関心を持っていること、を」
「はい」
ドランク王が俺を見た。
「茶のついでで話してよいか」
俺は一拍置いた。
「よくないですね」
ドランク王が三秒止まった。
「……そうか」
四秒目に、話した。
「テルミス大国は、このあたりの辺境に古くから関心を持っている」
「古くから」
「理由は複数ある。山脈の資源。水源。交易路として使える地形——そういうものだ」
「はい」
「ヴァンダール領が急速に回復したのは、その意味で注目に値する。前任の領主が死んで五年、誰も手をつけられなかった土地が動いた、ということだからな」
「……なるほど」
「調査に来たとすれば——どのような方法で回復させたかを本国に報告したいのだろう」
俺は頷いた。
(つまり、方法が知りたいと)
「方法は、水路の詰まりを取っただけですが」
「それだけでここまで動いたなら、土地そのものに何かあると考えるだろう」
「……まあ、何かありますが」
「何かある」
「あります。まだ分かっていないですが」
ドランク王が静かに頷いた。
「だから調べに来た、ということだな」
「……そういうことですか」
マリスが「あの」と手を上げた。
「なんですか」
「陛下がご存じだったなら——もう少し早く教えてもらえれば……」
「昨月の時点では来訪が確実ではなかった」
「そうですけど!」
「今月、実際に来たようなので、話した」
「来た後に話しても!!」
ドランク王がわずかに眉を上げた。
「……よく言う副官だな」
「先月もそれ言われました!!」
俺は茶を飲んだ。
(マリスが言ってくれるから俺が言わなくていい。助かっている)
「陛下」
「なんだ」
「テルミス大国側の話ですか、これ」
「どういう意味だ」
「うちの話として受け取ればいいのか、テルミス大国とシュタール国の話として受け取ればいいのか」
ドランク王が少し考えた。
「両方だな」
「……両方」
「テルミス大国がヴァンダール領を調べる理由と、うちが関心を持つ理由は、重なっている部分がある」
「どんな部分ですか」
「山脈の地下だ」
俺は止まった。
(それか)
「先月お話しした、シュタール国北部の土地の件も——テルミス大国は知っているかもしれない」
「……知っている可能性があると」
「あくまで可能性だが。あの辺りは地形的に繋がっている。どこかで何かが動けば、複数の国に影響が出る」
ガレットが静かに言った。
「若様」
「なんですか」
「少し複雑になってまいりました」
ドランク王が茶を一口飲みながら、わずかに目を動かした。
マリスが「少し……?」という顔をした。
俺は天井を見た。
ドランク王が来た。テルミス大国の偵察者も来た。シュタール国の土地の話がある。地下の黒ずんだ何かの話もある。
(全部が同時に動いている)
(面倒くさい)
(でも今更止まらない)
「陛下」
俺は聞いた。
「テルミス大国は、具体的に何をしようとしていると思いますか」
「まず情報収集だろうな。調査の後に、正式な接触が来るかもしれない」
「接触とは」
「使者、あるいは招待状、といった形で」
俺は「招待状」という言葉をしばらく見た。
「……招待状というのは、つまり」
「来てもらいたいということだ」
「どこに」
「テルミス大国の王都に」
マリスが「領主様ぁ」と言った。
「なんですか」
「召喚状みたいな話になってきましたよ」
「まあ、まだそうなると決まったわけじゃないですが」
「決まってなくてもそういう流れじゃないですか!!」
俺は茶を飲んだ。
(流れは確かにそっち向きだな)
(面倒くさい)
「卿」
ドランク王が静かに言った。
「なんですか」
「焦る必要はない」
「焦ってないです」
「そうは見えないが」
「焦ってはないですが、面倒だとは思っています」
ドランク王がわずかに口の端を動かした。
「それは正直でよい」
「テルミス大国の招待が来たとして——それに応じるかどうかは、その時に考えます」
「そうしろ」
「陛下はどうするんですか」
「俺か」
「うちとテルミス大国が接触するなら、シュタール国はどう動きますか」
ドランク王が少し止まった。
「……いい質問だな」
「いい質問じゃなくて、教えてほしいんですが」
「茶のついでで答えてよいか」
マリスが「また!!」と言った。
ドランク王が話したのは、シュタール国としての立場だった。
テルミス大国とヴァンダール領が近くなりすぎると、シュタール国としては少し気になる。ヴァンダール領はシュタール国と国境を接しているし、地下の話が本当に繋がっているなら、テルミス大国がその情報を独占するのは都合が悪い。
「つまり」俺は言った。「うちが大国と繋がるなら、陛下も同席したいということですか」
「……そういう言い方もできる」
「同席は難しいですが」
「そうだろうな。だから先に茶を飲みに来ている」
マリスが「あーっ!!」と声を上げた。
「茶を飲みに来てるんじゃなくて牽制しに来てるんですか!!」
「茶も飲みたかった」
「茶のついでに牽制!! でかい話になってますよ!!」
ドランク王が俺を見た。
「……よく言う副官だ」
「そうですね」
「毎回こうなのか」
「毎回こうです」
夕方になった。
ドランク王が帰る支度をした。
外に出た。護衛が馬を引いてきた。
「世話になった」
「いえ」
「茶が良かった。毎回良い」
「ありがとうございます」
「テルミス大国の件は——何か動きがあれば、こちらにも知らせてくれ」
「教えられる範囲で」
「それで構わない」
ドランク王が馬に乗った。
手綱を持ち、こちらを見た。
「……また来る」
「来月もですか」
「来月も」
マリスが小さく「来ますよね」と言った。
「陛下」
マリスが呼び止めた。
ドランク王が止まった。
「……なんだ」
「来月には——テルミス大国から何か来るかもしれないですよね」
「かもしれない」
「その前後にまた茶のついでで重大情報を持ってくるつもりですか」
ドランク王が三秒止まった。
「……状況による」
「状況によって!!」
「副官が正直でよろしい」
「先々月からずっとそれ言われてますよ!!」
ドランク王がわずかに笑った。
「来月また会おう、ヴァンダール卿」
「はい」
馬が動き出した。
赤地に金の鷹の旗が、夕暮れの中を遠ざかっていった。
三人で見送った。
マリスがため息をついた。
「……面倒なことになってきましたね」
「なってきましたね」
「テルミス大国が来て、陛下も来て、地下の話もあって」
「そうですね」
「領主様ぁ……」
「なんですか」
「もう少し困ってください」
「困ってますよ」
「困ってる顔じゃないです」
「してますよ、内心では」
マリスが「内心では!!」と言った。
ガレットが静かに俺を見た。
「若様」
「なんですか」
「テルミス大国から接触が来るとすれば——早ければ来月中かと」
「そうですか」
「ヴァンダール領の調査報告が上がって、動くとすれば、その程度の時間かと見ております」
俺は少し考えた。
「準備とか、できることはありますか」
「……今のところは情報を整理することが先かと。台帳の調査と、シュタール国農務官への問い合わせ状も合わせて進めましょうか」
「お願いします」
「地下の件も、並行して進めます」
「助かります」
夜、一人で書状を広げた。
先月ドランク王が持ってきた、シュタール国農務官の記録。三か村の収量推移。
それとは別に、今日ガレットがまとめてくれた今回の偵察者の情報。
(シュタール国から情報が来て、テルミス大国から人が来た)
(で、ドランク王も来た)
全部が同時に動いている。
領地が動き出した結果として、周囲が騒ぎ始めた。それは分かっていた。分かってはいたが、これほど一気に来るとは思っていなかった。
(まあ、ひとつずつ潰すか)
そう思って、スキルで領地の状態を確認した。
魔素は安定している。畑も水路も問題ない。ゴードンが明日の作業を段取り通りに進める予定になっている。
地下の方を確認した。
黒ずんだ何かの「引き」が、今日もある。昨日と変わらない感触だ。
ただ——少しだけ気になった。
いつもと同じ感触のはずなのに、何か引っかかる。
(……何だ)
もう少し確認しようとしたら、ガレットがドアを叩いた。
「若様、今日の分の整理が終わりました。確認いただけますか」
「はい、今行きます」
俺は書状を折りたたんで立ち上がった。
ガレットが持ってきた書類の中に、一枚だけ別の紙が混じっていた。
「これは」
「今夕、テルミス大国の王都方面からの行商人が立ち寄りまして——傍に寄った者がこちらに届けるよう頼まれた、と」
俺は紙を見た。
封蝋がある。
見たことのない紋章だった。
「……開けても大丈夫ですか」
「中身によります」
「中身を確認しないと分からないですよね」
「はい」
マリスが「領主様、それ」と言った。
「なんですか」
「テルミス大国からじゃないですかそれ」
「そうかもしれないですね」
「そうかもしれないって——!! さっきドランク王が言ってたじゃないですか招待状とか召喚状とか!!」
「来るとしたら早いですね」
「早すぎです!! まだ偵察者が帰って一日も経ってないですよ!?」
ガレットが静かに言った。
「事前に準備していた、という可能性はございます」
マリスが「……え」と止まった。
俺も止まった。
(事前に準備していた)
(つまり、偵察者が来る前から——ある程度決まっていた?)
「ガレット」
「はい」
「開けてみます」
「はい」
俺は封蝋を割った。
紙を広げた。
几帳面な文字で、短く書いてあった。
——「ヴァンダール辺境伯へ。テルミス王国より打診したき事項がございます。詳細は別途使者をもって」
俺はしばらく紙を見た。
(来た)
(思ったより早かった)
「若様」
「なんですか」
「いかがでしょう」
「…………面倒が増えました」
ガレットが静かに頷いた。
「左様にございます」
「まあ、来週考えます」
「承知いたしました」
マリスが「来週!? 今すぐ考えてください!!」と言った。
俺は紙を折りたたんだ。
(使者が来るまでに、少し整理しておくか)
(それが面倒くさい。でも使者が来てから慌てる方がもっと面倒だ)
窓の外、ラングフォードの夜は静かだった。
ゴードンが自分で段取りした明日の畑。ヨムが先週から試している新しい区画。市場で増えてきた往来の人。
全部が、ちゃんと動いている。
(放っておいてほしいんだが)
(まあ、そうもいかないのか)
テルミス大国の使者が来る。ドランク王は来月また来る。シュタール国の土地の話はまだ続いている。地下の何かはまだ分かっていない。
問題が並んでいる。
(ひとつずつでいい。急がない)
俺は紙をガレットに預けた。
「保管しておいてください」
「はい」
「台帳の方、引き続きよろしくお願いします」
「進めております。もう少しお時間をください」
「急かすつもりはないです」
「ありがとうございます」
ガレットが部屋を出た。
マリスが後に続きながら、入口で振り返った。
「領主様」
「なんですか」
「……大丈夫ですか」
「何がですか」
「全部が同時に動いてますよね」
「そうですね」
「一人で抱えようとしないでください」
俺は少し考えた。
「ガレットに頼んでますし、マリスにも頼みます」
「……頼ってくれれば、いくらでもやります」
「ありがとうございます」
マリスが少し照れた顔をして、部屋を出た。
一人になった。
スキルで領地の状態を確認した。
魔素は安定。水路は正常。地下の引きは——今日も、ある。
(全部がいっぺんに来た)
(でも、うちの地面は動いていない)
まあ、なんとかなるか。
そう思って、俺は灯りを消した。




