雑談と重大情報
また来た。
赤地に金の鷹の旗が、館の前の道を近づいてくる。
(今月も来たのか。来るとは言っていたが)
ガレットが俺の横に立った。
手ぶら。覚書の束もなく、ただ立っている。
先月も手ぶらだった。先々月は分厚い覚書があった。
三回目ともなると、もはや「いつものやつが来た」という感触しかない。
「若様、お茶の準備はできております」
「ありがとうございます」
ガレットが静かに頷いた。
マリスが窓から外を見ていた。
「……来ましたね」
「来ましたね」
「三回目ですよ」
「そうですね」
「毎月来るって、本当に毎月来るんですね」
「言ってましたから」
マリスが何か言いたそうな顔をしたが、飲み込んだ。
成長している。
外に出た。
ドランク王が鞍から降りた。旅装のまま。こちらを見た。
「……また来た」
「ようこそいらっしゃいました」
「三度目だ」
「はい」
「慣れたか」
俺は少し考えた。
「慣れました」
ドランク王が一拍置いた。
「……そうか」
何か言いたそうな顔をしたが、館の方に歩き出した。
応接室に通した。
いつもの席。いつもの位置。ガレットが茶を出した。迷いが一切なかった。
ドランク王が茶を受け取った。一口飲んだ。
少し目の力が抜けた。
「……変わらんな」
「毎月同じ湧き水を使っておりますので」
「そうか」
俺も飲んだ。
しばらく黙っていた。
先月より静かな空気だった。白状するものがない分、緊張感が薄い。
「秋の収穫が終わった」とドランク王が言った。
「はい。うちは順調でした」
「そうか。——うちもまあまあだった」
「そうですか」
「まあまあ、だ」
ドランク王が茶器を指先で軽く押さえた。
「全部の村が良かったわけではない」
「……そうですか」
「まあ、どこもそういうものだ」
「そうですね」
ドランク王がもう一口飲んだ。
俺も飲んだ。
外で鳥が鳴いていた。
「先月の湧き水の話——少し進んだか」
「台帳をガレットが調べてくれています。まだ時間がかかるそうです」
「急ぐ必要はない」
「はい」
「あの水は特別だが、すぐどうにかなる話でもないからな」
「そうですね」
ドランク王がしばらく沈黙した。
俺は二口目を飲んだ。
ガレットが後ろで静かに立っている。マリスも直立している。
先月より全員が落ち着いている。三回目の効果というのはこういうものか。
「ところで」
ドランク王が何気なく言った。
「なんですか」
「うちの国で、少し気になることがある」
「はあ」
「シュタール国の、北の方の村だ」
「北の方、ですか」
「土地が枯れ始めている」
俺は一瞬止まった。
「……枯れている、というのは」
「作物が育たなくなってきた村がある」ドランク王は茶を飲みながら言った。「去年から少しずつ、今年は目に見えて収量が落ちている」
俺は頷いた。
「何年くらいですか」
「二年ほどだな。去年の段階では一村だったが、今年は周辺の二村にも同様の状態が出てきた」
(……ちょっと待て)
「水路は問題ないですか」
「詰まりは確認していない」
「土の状態は」
「農民に聞いても、理由が分からんと言う。何も変えていないのに、急に育たなくなったと」
俺は少し考えた。
「魔素は測りましたか」
「測れる者がいれば、とっくに測っている」
ドランク王が静かに言った。
それはそうだ。
(これ、かなりまずい話では)
俺は茶器を卓に置いた。
「急に育たなくなった、というのが気になります」
「そうだろう」
「うちは凶作が五年続きましたが、もともと水路が詰まっていたのが原因でした。でもそちらは水路は問題ない」
「ない」
「じゃあ土そのものに何かが起きている可能性があります」
「……そうだ。それを心配している」
ドランク王が俺を見た。
「ヴァンダール卿は、土の状態をスキルで把握できる」
「はい」
「うちの村の土が、何故枯れているか——分かるか」
俺は止まった。
「見に行かなければ分からないですが」
「行けるか」
「……行けるかどうかは、ちょっと今すぐには答えられないですが」
ドランク王が一拍置いた。
「……そうか」
「まあ、もう少し情報をいただければ」
「情報は持ってきた」
俺は少し引っかかった。
「持ってきた、というのは——」
「書状だ」ドランク王が外套から折りたたんだ紙を取り出した。「村の状況と、過去二年の記録を農務官がまとめた。読んでみてくれ」
後ろでマリスが動いた。
「……あの」
「マリス」
「は、はい。すみません」
マリスがこらえた。
しばらく。
こらえられなかった。
「それ、外交案件じゃないですか!!」
ドランク王が少し視線を動かした。
「……副官か」
「はい! あの、でも、その情報は——茶を飲みながら雑談で出すものでは!!」
「雑談で出しては駄目か」
「駄目というか……! 普通はもっと正式な場で! 書状を持参して! 使者を通して!」
「書状は持参した」
「そうですけど!!」
マリスが頭を両手で押さえた。
ドランク王が俺を見た。
「……よく驚く副官だな」
「いつもこうです」
「賑やかでよい」
「慣れました」
「陛下」
俺は書状を受け取った。広げてみる。
農務官の手書きで、村名・面積・作物の種類・収量の推移が几帳面に記録されている。
二年前から収量が落ち始めて、今年は平年比で半分以下。
(半分か……)
「周辺の村の土は問題ないのですか」
「隣の村との境目で急に変わっている。境界の外は普通の土だ」
「境界で変わる、ということは——土の中で何かが起きていますね」
「そう見ている」
「……水が変わっているか、土そのものが変わっているか」
「俺には分からん。だから卿に聞いている」
ドランク王が静かに言った。
俺は書状から顔を上げた。
「茶を飲みながら出す話ではないですね、これ」
ドランク王が少し止まった。
「……茶も飲みたかった」
マリスが「あーっ!」という声を上げた。
「茶を飲みたかった、じゃないですよ!! 重大情報です!! 三か村の土地が枯れているんですよ!!」
「分かっている」
「分かっているなら最初から!」
「最初から話せば、卿は構えるだろう」
ドランク王が俺を見た。
「雑談の方が素直に答える。そう思った」
俺は一拍置いた。
「……まあ、そうかもしれないですが」
「正式な場では、外交として処理しなければならなくなる。それは面倒だろう」
「……確かに面倒ですね」
「だからこうして茶を飲みながら話している」
俺は少し考えた。
「……なるほど。茶を飲みながら話すと外交にならない、と」
「なるかならないかは後で考えればいい」
(これ、完全に計算されていたのでは)
マリスが後ろで「それはそれで!!」という顔をしていたが、声には出さなかった。
ガレットが静かに言った。
「若様」
「なんですか」
「書状の村の場所ですが——シュタール国の北部でございますね」
「はい」
「シュタール国の北部は、地形的に……」ガレットが少し考えた。「ヴァンダール領の南の山脈と連続する地域でございます」
俺は止まった。
「……同じ山脈系の土地、ということですか」
「はい。水脈の流れが似ている可能性がございます」
ドランク王が頷いた。
「家令のいう通りだ。俺もそれが気になった」
「……つまり」俺は少し考えた。「水脈か地下の構造が、こちらと繋がっている可能性がある」
「あるかもしれない」
「地下の構造が同じなら——原因も似たようなものかもしれないですね」
「ヴァンダール卿の方法が、使えるかどうか」
ドランク王が静かに言った。
俺は頷いた。
「……それを確かめるには、現地を見る必要があります。でも」
「でも」
「うちの凶作の原因は水路の詰まりでした。そちらの村の水路は詰まっていない」
「そうだ」
「同じ方法が使えるかどうかは、まだ分からないです」
ドランク王が茶を一口飲んだ。
「分かった」
「はい」
「無理に使えとは言わない。ただ——知っておいてもらいたかった」
俺は少し引っかかった。
「知っておいてもらいたかった、というのは」
「隣に同じ問題が起きているかもしれない、ということだ」
ドランク王が俺を見た。
「ヴァンダール領は五年で回復した。それがどういう仕組みかは、まだ卿自身も完全には分かっていないだろう」
「……そうですね」
「うちの村が枯れた原因が、ここの五年前と同じものなら——放置すれば広がる可能性がある」
俺は止まった。
「……広がる」
「あくまで可能性の話だ」ドランク王が静かに言った。「ただ、境界で急に変わっているという点が気になる。自然に枯れるなら、もっと緩やかに広がるはずだ」
(確かに。境界で急に変わるというのは——水脈か、地下の何かが関係していないと説明しにくい)
俺はちょっとだけ考えた。
本当にちょっとだけ。
「……面倒な話ですね」
「そうだろうな」
「でも放置する方が面倒になりそうです」
ドランク王が少し目を細めた。
「……そうだ」
マリスが「領主様」と小声で言った。
「なんですか」
「あの、これって——かなり大事な話ですよね」
「そうですね」
「外交案件というか、国が動くような」
「かもしれないですね」
「領主様ぁ……もう少し深刻になってください……」
「確かに面倒な案件だ」俺は言った。「でも茶は出せます」
マリスが「そこ!?」という顔をした。
ドランク王がわずかに口の端を動かした。
しばらく三人で書状を見た。
村の名前、面積、収量の推移。ガレットが静かに傍に来て、山脈の位置関係について補足した。
枯れているのは三か村。境界の外は正常。急激に収量が落ちている。
「ガレット」
「はい」
「父の台帳——地下の水脈について何か書いてあるものがあれば、急いで調べてもらえますか」
「……承知いたしました」
俺はドランク王を見た。
「急いで何かできるかは分からないですが、一度情報を整理してみます」
「それで構わない」
「シュタール側の農務官に追加で聞けることはありますか」
「書状に連絡先を記してある。直接問い合わせてくれて構わない」
「……正式な外交になりませんか」
「農務官への問い合わせは非公式扱いにできる」
「なるほど」
マリスが後ろで「なるほどじゃないですよ!」という顔をしていた。
まあ、そうなのだが。
夕方になった。
ドランク王が帰る支度をした。
外に出た。護衛が馬を引いてきた。
「世話になった」
「いえ」
「茶が良かった」
「ありがとうございます」
「書状の件は——急かすつもりはない」
「ありがとうございます。でも、少し気になったので調べます」
ドランク王が少し止まった。
「……そうか」
「気になるんで」
「気になるなら——それでいい」
ドランク王が馬に乗った。
手綱を持ち、もう一度こちらを見た。
「……また来る」
マリスが息を飲んだ。
「来月も茶は出るか」
「出ます」
「そうか」
ドランク王が馬を向けようとした。
「陛下」
マリスが呼び止めた。
今月も我慢できなかった。
ドランク王が止まった。
「……なんだ」
「来月は——雑談の形で重大情報を持ってくるのですか」
ドランク王が少し止まった。
三秒。
「……茶のついでだ」
「茶のついでで外交案件を!!」
「副官が正直でよろしい」
「先月もそれ言われました!!」
ドランク王がわずかに笑った。
「来月また会おう、ヴァンダール卿」
「はい」
馬が動き出した。
赤地に金の鷹の旗が、夕暮れの中を遠ざかっていった。
しばらく三人で見送った。
マリスがため息をついた。
「……また来ますね」
「来るでしょう」
「来月も重大情報を茶のついでで持ってきますよ絶対」
「そうかもしれないですね」
「覚悟しておいてください領主様」
「まあ」
マリスがもう一度ため息をついた。
ガレットが静かに言った。
「若様」
「なんですか」
「台帳の件、急いで参ります」
「お願いします。山脈と水脈が関係しているなら——地下の何かと繋がっている可能性があります」
ガレットが頷いた。
「地下の黒ずんだ何か、との関係も視野に入れた方がよいかと」
「……そうですね」
俺は少し考えた。
シュタール国の三か村。ヴァンダール領と連続する山脈系。境界で急に変わる土地の状態。
(放置すれば広がるかもしれない、とドランク王は言っていた)
(うちも五年かけてじわじわ枯れた——でもあれは水路の詰まりが原因だった)
(シュタール国の村は水路が詰まっていない。なら——何が原因だ)
俺は夕暮れの空を見た。
ゴードンが畑の端を歩いていた。来年の種配分を自分で計画して動いている農民の背中。
うちはなんとかなった。なんとかなったから今これがある。
「……面倒くさいな」
小さく言った。
マリスが聞こえた。
「ですよね!! でも面倒くさいとか言ってる場合じゃないですよね!!」
「そうですね」
「分かってるじゃないですか!!」
「まあ、やれる範囲でやります」
マリスが「やれる範囲でやります、じゃないですよ」という顔をしたが、何も言わなかった。
言ったところで変わらないと分かってきたのかもしれない。
成長している。
夜、書状をもう一度広げた。
農務官の几帳面な字で記録されている、三か村の二年分のデータ。
スキルで土地の状態は分かる。でもここは俺の領地ではない。スキルが届くかどうかも分からない。
現地に行かないと分からないことが多すぎる。
(……でも)
境界で急に変わる、というのは引っかかる。
自然に枯れるなら、もっとなだらかに変化するはずだ。何か——仕組みがある。
地下の何かが関係しているなら。
うちの地下に感じる、あの黒ずんだ「引き」と——
(関係があるのか、どうか)
俺は書状を折りたたんだ。
今すぐ答えは出ない。ガレットの台帳待ちだ。
来月、ドランク王がまた来る。
(また来るのか。もう定例みたいになってるな)
次はどんな「茶のついで」を持ってくるのか。
——まあ、茶は出せる。




