第30話 ドラゴン
王宮の通路を慎重に進む。
頼れるのは過去の記憶だけだった。これまで掃除で歩いた場所や、メイドや騎士たちとした何気ない会話を思い出しながら、必死で道順を記憶の底から引っぱり出す。
牢があった建物は裏門とは真逆の位置にあり、しかも通路には崩れたがれきがあちこちに散らばっていた。足元を確かめながら遠回りを強いられ、思うように前に進めない。
以前掃除で通ったことのある、使用人用の狭い裏通路を進む。
だが通路の先には大きながれきがいくつも転がっていて、行く手を完全に塞いでいた。これでは先に進めそうにない。
仕方がない。引き返そう。
踵を返しながら、考えがまとまらないまま思案する。
どうしよう。ここ以外の道なんて知らない。それに、もしかしたらまだこの辺りに残っている人がいて、あまりうろうろしていると見つかってしまうかも……
そう思った、そのとき。
ドカァン!!
空気を引き裂くような衝撃音とともに、空から何かがものすごい勢いで降ってきた。それは私の目の前に叩きつけられ、足元の地面が大きく揺れる。
反射的に閉じていた瞼を、恐る恐る開ける。
そこに立っていたのは、私の身長の二倍ほどはあろうかという、巨大なドラゴンだった。ドラゴンはこちらを見下ろしていて、見上げた私と目が合った。
私は言葉を失う。
逃げなきゃ、でもどうやって。
恐怖で目が離せなかった。
「やっと見つけたぜ。おまえが転移者だな?」
……ど、ドラゴンが、しゃべった。
ああ、私はこのままドラゴンに食べられて死んじゃうんだ……
そう覚悟を決めて、ぎゅっと目を閉じる。けれど、ドラゴンがそこから動く気配はなかった。
「何を考えてんのか知らねーけど、さっさとここから逃げるぞ。ついてこい」
ドラゴンはそう言って私に背を向けて、さっさと歩きだした。
……え、味方……なの?
私は一瞬迷ったが、すぐにドラゴンの後を追いかけた。他にできることもないし、とりあえずはおとなしくドラゴンについていくしかないだろう。
そうしてしばらく進むと、さっきがれきで通れなかった通路まで戻ってきた。
「ここ、さっきも来たんですけど、通れなくて——」
ガシャン。
私が言い終わる前に、ドラゴンがしっぽで、私の背丈ほどあるがれきを払いのける。軽い動作だったはずなのに、がれきは大きく弧を描いて彼方に飛んでいった。
気づけば目の前から障害物は消え、そこには何事もなかったかのように、元の通路が広がっていた。
私は何も言えず、その場で固まるしかなかった。
「これでいいだろ。さっさと行くぞ」
ドラゴンは本当に何でもないことのように言い、先に進んでいった。
私ははっとして足を動かし、小走りでその後を追う。
そのままついていくと、あれだけ遠回りした裏門に、あっさりとたどり着いていた。
これで、やっとこの王宮から出られる。
「ここからは一人で行け。人ごみに紛れて行けば王都から出られるだろ」
ドラゴンはそう言いながら、今にも飛び立つと言わんばかりに、翼をばたばたと動かしていた。
私はドラゴンに向き直り、深く頭を下げた。
「あ、ありがとうございます。本当に、ありがとうございました。助かりました」
「じゃあな」
ドラゴンはそれだけ言い残し、大きく翼を広げてどこかへ飛び去っていった。
……私も行こう。
私は裏門をくぐり、人のいる方へと歩き出した。
街に出るのは初めてだったけれど、この大混乱の中では、みんな同じ方向に逃げている。人の流れについていけば、王都を出られることはすぐにわかった。
そうして人波に素直に流されてしばらく進むと、王都の端だろう、大きなレンガ造りの門が見えてきた。普段は関所なのだろうが、今は衛兵の姿もなく、開け放たれている。ただの門と化していた。
その先に続く街道へと、今も絶え間なく人々が流れ出している。
さて、ここからどうしようか。
少し考えた末、私は偶然視界に入った、今にも街道へ出ようとしていた荷馬車の荷台に転がり込んだ。幌がかけてあるから、御者にもしばらくは気づかれないだろう。
このままおとなしく荷物に紛れて、適当なところまで運んでもらおう。
今までの私なら考えられない行動力だと、自分でも思う。
(私、変わったなぁ……)
数少ない、この世界に来てよかったと思えることだ。
今までよりほんの少しだけ、自分のことが好きになれた気がした。




