第7話 抱擁の理由
しばらくその場で泣き続ける私を、王子はただ黙って、見つめ続けていた。
……恥ずかしい。悔しい。
こんな人の前で――姫様を傷つけた人の前でなんて、絶対泣きたくなかったのに。
気持ちとは裏腹に、涙は容赦なくこぼれ落ちて来て……。
こんな顔見られたくなかったから、顔を覆うなり、後ろを向くなりしたかったんだけど。
それをしたら、王子に弱みを見せることになる気がして、出来なかった。
「君は……いつもそんな風に泣くの?」
「――っ、違います! 泣いたりなんか……私は、人前で泣いたりなんか――!」
「そうか。では……人前で泣くのは、これが初めてなんだね?」
「そ――」
『そうです』と言おうとした瞬間、王子は私の腕を引いて、自分の胸元に顔を埋めさせた。
一瞬、頭が真っ白になる。
後ろから抱き締められた時も、びっくりして、恥ずかしくて、すぐに離れてほしくて、メチャクチャに暴れてやろうかと思ったけど。
真正面から抱き締められた時の衝撃は、すぐにどうこうしてやろうと思えるほどの余裕を、私に与えてくれなかった。
王子の胸板の厚みや、抱き締めている腕の力強さ。
女性とは違う体の感触や、男性的な――でも、嫌悪感を感じさせない――どこか安心感すら覚える香り。
規則的に響く鼓動。
触覚、嗅覚、聴覚を刺激する情報が、一度にわっと押し寄せて来て……。
驚いたのももちろんだけど、何よりも意外だったのは、抱き締められても、少しも『嫌だ』という感覚が、自分の中に芽生えなかったことだ。
それどころか、王子のたくましい腕に包まれているうちに、妙な安心感なんかも生まれて来てしまい……。
そこでようやく、私はハッと我に返った。
「な――っ、何するんですか!? 離してくださいっ!……離してってばっ!」
慌てて、王子の体を引き離しに掛かる。
「まあ、落ち着いて。泣き顔なんて、他人には見せたくないんだろう? こうしていれば、君の顔は見えないと思ってしたことなんだが……余計なお世話だったかな? あのまま、君の可愛い泣き顔を、眺めていて欲しかった?」
「――っ!」
な……何言ってるの、この人?
何が『可愛い泣き顔』よ!?
……よくもそんな、恥ずかしいセリフを……!
「私はどちらでも構わないけれどね。こうして、君を胸に抱いているのも。君の可愛い泣き顔を、見続けているのも。……さあ、どうする? 君はどちらがいいのかな?」
「そんなの、どっちも嫌に決まってるじゃない!」
間髪をいれずに叫ぶ。
すると王子は、
「……そうか。残念だな。君がどちらを選んでも、私にとっては、美味しい話だったのに」
またワケのわからないことを言って、私を混乱させた。
ホントに何なの、この人? 私をからかって、遊んでるの?
……ああ、もう……。
王子の第一印象が、どんどん変貌を遂げてっちゃってるんですけど……。
つかみ所のない王子の言動に、私は完全に呑まれてしまっていた。
思いっきり拒絶したいのに、私の体は、王子のたくましい腕の中にすっぽりと収まってしまっていて、ろくに動くことも出来ない。
うぅ……どーしよう。
ずっとこのままなんて耐えられない!
……けど、離れたら離れたで、涙でぐしゃぐしゃになっちゃってる顔を、見られちゃうことになるし……。
ああもうっ!
ホントに、どっちか選ばなきゃダメなの?
どーにかして、どっちからも逃れる方法はないの?
目が回りそうなほど、ぐるぐると考えを巡らせてると。
ふいに、頭上でくすりと笑い声がした。
「まったく。君は本当に可愛いね。……仕方ない。この辺りで勘弁してあげようかな。君の涙を最初に見たのは私だ――という栄誉を、与えてもらえたわけだからね。今はそれだけで良しとしようか」
……は? 栄誉?
…………何それ?
ますます混乱する私を胸から離し、体を逆方向に向けさせると、王子は私の肩に手を置き、優しく押し出すようにして、窓辺まで移動させた。
「――はい。これで元通りだ。ここでなら泣けるんだろう? 君が泣き止むまで、こうしていてあげるから……思う存分泣けばいい」
「な……泣けばいい、って……」
突拍子もない誰かさんのせいで、涙なんかとっくに止まっちゃってるっつーの!
「もう泣いてません!――ってか、これからだって泣きません!……さ、さっきのはたまたま……。あなたがあんまり、姫様に酷い仕打ちするから、つい――」
「……酷い仕打ち、か……」
……あれ? 黙っちゃった。
ちょっと、言い過ぎた……かな……?
私が後悔し始めた頃、王子の大きなため息の音が聞こえて――。
「それにしても、君は優しいね。先ほど君は、リアとは会ったことがないと言っていたが――それでも、その会ったこともない人のために、泣いてあげることが出来るのだから」
「そ――っ、そんなんじゃありません!……確かに、会ったことはないけど……でも姫様は――リナリアさんは――っ!」
「……リアは? 君の何?」
「――っ!……それ、は……」
………言えない。
姫様と私は……きっと……だと、思うけど……。
でもまだ、何の確証も得られてないことだし……。
私が勝手に、そう思ってるってだけのこと、だし……。
「今はまだ……言えません。でも……でもいつか、ちゃんとお話出来る時が来ると思います。だから……その時まで、待ってもらえませんか?」
なんとなくそんな気がする――ってだけで、みんなに納得してもらえるほどの説明、出来るワケないもん。
ちゃんと証拠をつかむまで――確証が持てるまでは、気安く口にしちゃいけない気がする。
……まあ、その証拠ってヤツが見つかる保証なんて、どこにもないんだけど……。
「わかった。君がいい加減なことを言うとも思えないしね。――待つよ」
「王子……。ありがとうございます」
この人のことだから、また何か言い出すんじゃないかって、ちょっと心配だったんだけど。
意外にも、すんなりと受け入れてもらえて、私はホッと息をついた。




