第7話 傾く
腹ばいのまま、一枚岩の根元へ顔を寄せていった。
穴を出てすぐの床は狭く、胸から上を出すと、脚は穴の中に残る。
鼻の先に、根元の割れ目がある。さっき砂を噴いた所だ。
近すぎて、目の焦点が合わない。
右手を、出口の脇にある大岩の下へ差し込んでいく。岩の腹と床のあいだに土を詰めて固めたのは、崩落を固めたときの俺の仕事だ。
手首の半分まで入ったところで、床が揺れた。
目の前の割れ目から、砂が噴いた。
顔にまともにかかって、口の中がじゃりっと鳴る。
よけようにも、脚は穴の中で、右手は岩の下だ。
ぎしり、と頭の上で一枚岩がきしむ。
まずい、と思うより先に、体が固まった。
動くな。岩も、俺も。
揺れが収まっていく。
一枚岩はそれ以上きしまなかった。
今のはただの揺れだ。俺はまだ何もしていない。
指を奥へ進めると、ざらりとした土に触れた。
手首まで、土の中だ。
ここの土なら、一枚岩を引き寄せても、土のほうが岩へ飛んでいくことはない。
この大岩の上には屋根の岩が渡り、その上に崩落が積み重なっている。重みが全部、手の下の土にのしかかっていて、土は動きようがない。
さっきひびが入った出口の壁の土は、崩落の端で、上に何も乗っていなかった。
一枚岩から腕1本の所で、重みが全部乗っている土は、ここしかない。
代わりに、上が見えなくなった。
目の前は岩肌だけで、見上げても縁は見えない。家の外壁に鼻をくっつけて寝そべっているようなものだ。
どこまで傾いたかは、音で聞き分けるしかない。
横の床の上には、陽菜のドローンが浮いている。
「陽菜! 上が開いたら、怪我人から登って越えろ。止まるなよ」
返事まで、一拍あった。
「……ちょっと待って」
声が急に尖った。
「兄ちゃん、それ岩の真下じゃん。なんでそんなとこで寝てんの」
ドローンの映像を見たらしい。
「俺は最後だ」
答えになっていないのは、自分でも分かっている。
陽菜は言い返してこなかった。
「……分かった。順番はあたしが決める」
陽菜が向こうの仲間のほうへ向き直ったのが、声で分かった。
「盾役が先。前衛は先に上がって上から引いて、後衛とあたしで下から押す。あたしは最後」
「了解!」
「はい!」
俺が口を挟むところなんて、1つもない。
奥で低い音が鳴り、腹の下の土が震えた。音と音のあいだは、さっきより、また短い。次の揺れはすぐだ。
頭はもうずっと重く、力の残りは少ない。一枚岩を強く引き寄せられるのは1回きりだ。
腕は土に差し込んだままにする。この土が一枚岩のほうへ持っていかれかけたら、手のひらで真っ先に分かる。
一枚岩の上の縁が崩落にもたれかかれば、ぶつかる音が真上で鳴るはずだ。その音を聞いたら、引き寄せるのを止める。
ここは、火魔法Aの火野が無理だと言って引き返した崩落の、その裏側だ。
来た。
腹の下から、揺れが突き上げてくる。
右手の下の土を目がけて、一枚岩を引き寄せた。
ばきん。
目の前で、根元が割れた。
岩肌が上からこっちへかぶさりはじめる。
動いた。
でも、遅い。揺れが収まれば、岩も一緒に止まる。
引き寄せる力をもう少し強めた。
傾きがいきなり速くなった。
同時に、頭の重さが一気に増して、こめかみを両側から締めつけてくる。
強すぎる。
力を止めようとして、右手の指を土に食い込ませた。
止まらない。
岩肌が降りてくる。ライトの輪の中で、ざらついた表面が見る間に大きくなる。
頭の締めつけだけが、じわじわときつくなっていく。残りの力が、底からくみ出されていく。
まだ鳴らない。
思っていたより、ずっと深い。
岩が、頭の上に来る。
まだ。
どん。
真上で、崩落全体が鳴った。
崩落の面と天井から、砂がざあっと降ってきた。
ヘルメットと背中を叩いて、出口にどんどん積もっていく。
顔を伏せた。腕は抜かない。
持て。
右手の下の土は動かない。
崩落は、崩れなかった。
岩を止めたのは、俺の力じゃない。
崩落にぶつかって、止まっただけだ。
「開いた!」
岩の向こうから、陽菜の声が飛んできた。
「兄ちゃん、上、開いた! 通れる!」
どこがどう開いたのか、何も分からない。報告が粗いにも、ほどがある。
頭の締めつけはもう増えていない。一枚岩が止まっているのを確かめてから、大岩の下から腕を抜いた。
首をねじって、上を見る。
さっきまで目の前に立っていた岩肌が、斜めに倒れかかったまま、低い屋根のように頭の上をふさいでいた。
あと少し深かったら、という先は考えないことにした。
出口は砂で半分埋まっている。土魔法で、砂を脇へ寄せればいい。
「《土操作》」
何も起きない。
砂ひと粒、動かなかった。
こめかみの奥で、鈍い痛みが脈を打ちはじめる。肩から先の腕が重い。
尽きた。
両手を砂に突っ込み、前へかき出す。かいた先から、上の砂が崩れて戻ってくる。
土魔法使いが、手で掘っている。
左のほうから、光が差し込んだ。
ライトが1つ、揺れている。
首を伸ばして見上げると、傾いた一枚岩の上の縁から、陽菜が身を乗り出していた。縁と崩落のあいだに残った隙間越しに、こっちを見下ろしている。
崩落からこっち、声しか聞いていなかった顔だ。
前髪に砂が積もり、頬に土の筋が1本ついている。
「……兄ちゃん」
「おう」
ほかに、何も出てこなかった。
首から下を砂に埋めて、妹を見上げている。我ながら、もぐらみたいな格好だ。
「顔、土だらけ」
「そっちもだ」
「あたしのは、ちょっとだけだし」
這い出せる幅まで砂をかき出し、肩をねじって出口から抜けた。
土魔法で足場を作る力は、もう残っていない。
根元のこちら側には、砂の山ができていた。降ってきた砂と、俺がかき出した砂だ。膝ほどある。
さっき頭に降った砂が、今度は足場になる。
「盾役から行くよ! せーの!」
岩の向こうで、陽菜の号令が飛んだ。
靴が岩肌を擦る音と、押し殺したうめき声。向こうの面を、押し上げ合って登っているらしい。
「もうちょい! そこ、足かけて!」
「上、取った!」
傾いた岩の縁の上に、前衛のライトが出た。前衛は縁にまたがり、奥へ両腕を伸ばす。
「引いて! 脚、ぶつけないで!」
盾役の肩が縁の上に引き上げられてくる。
前衛がそのベルトをつかみ、崩落の裏の岩を伝って、少しずつこっちへ下ろしてきた。
「兄ちゃん、下ろすよ!」
「来い」
砂の山に乗り、両腕を上へ伸ばす。
ライトの輪の中に、盾役の脚が下りてきた。
「右脚、折れてます!」
抱きとめた瞬間、腕ごと下へ持っていかれた。
膝がずぶりと砂に沈む。人ひとりの重さを腕だけで受けるのは、これが初めてだった。
折れた脚を浮かせたまま、そっと床へ下ろす。
盾役は歯を食いしばったまま、ライトの中で親指を立ててみせた。
「……ナイスキャッチです、お兄さん」
親指を立てる元気があるなら、上等だ。
後衛が降り、前衛が続く。
最後に陽菜が縁を越えた。崩落の岩を二つ三つ伝い、最後の段を飛んで、砂の山の脇にほとんど音もなく着地する。
ダンジョンの中では、あっちが先輩だ。
ライトを振って数える。盾役、前衛、後衛、陽菜。
4人。
奥で、音がした。
今までのどれとも違う。
一枚岩の向こうから、こっちへ近づいてくる。
「奥、来てる!」
俺が出てきた穴の入り口を見る。
俺ひとりが抜けた幅しかない。脚を浮かせた人を引っぱって通すには、狭すぎる。
「全員で掘って! 手で!」
陽菜が真っ先に膝をついた。
5人で、穴の入り口の砂に手を突っ込む。盾役まで、座ったまま両手で砂を後ろへ送っていた。
天井から小石が落ちてきて、ヘルメットを叩く。
さっきの音が、また近い。
まだ狭い。
かく。かき出す。指の皮が擦れて、爪の間まで砂が詰まる。
入り口が肩の幅まで開いた。
「入って! 前衛が先で引いて、後衛は後ろで脚持って!」
誰も聞き返さない。
前衛が頭から穴に入り、盾役のベルトをつかんで引きずり込む。後衛が折れた脚を支えながら続いた。
穴に消えていく靴の裏を数える。3人。
陽菜が穴の前で振り返る。
「兄ちゃん」
「行け。最後は俺だ」
陽菜は口を開きかけて、閉じた。それから穴に消えた。
頭から、穴に入る。
四つん這いで、肘を前へ出す。
ライトの輪の中に、陽菜の靴の裏がある。離れるな、と自分の肘に言い聞かせる。
背後で、天井が落ちた。
さっきまで陽菜たちがいた側だ。轟音が穴の中まで追いかけてきて、腹の底を叩く。
すぐに風が来た。
砂ぼこりを含んだ風が穴を吹き抜けて、背中を押す。襟の中に砂が詰まり、目も開けていられない。それでも肘と膝だけは前へ出す。
肘の下の土は崩れない。
頭上にある屋根の岩からも、砂ひと粒落ちてこない。
力は空でも、固めた土は固めたままだ。
手前の通路へ、這い出た。
苔ごと壁が崩れた通路は暗く、明かりは俺たちのライトだけだ。
座りこんだまま、ライトを振る。
盾役、前衛、後衛、陽菜。それと、俺。
「全員、いるな」
「いるって。さっきから何回数えてんの」
3回目だった。
穴から、小さな羽音が追いついてきた。
陽菜のドローンが抜け出し、陽菜の頭の少し上で止まる。
お前も、抜けてきたか。
ポケットのスマホが続けて震えた。
1回や2回では止まらない。
通知を開くと、陽菜の配信が動いていた。
画面の中では、穴から這い出た5人がドローンのライトに照らされている。
真ん中で座りこんでいるのは、頭から土をかぶった作業着の男だ。
……俺だな、これ。
『映った!』
『全員いる』
『よかった、ほんとによかった』
『盾の人、脚大丈夫?』
『兄ちゃんまた映ってる』
コメントは読むより速く流れていく。
『待って、あの崩落の穴から出てきたの?』
『この作業着の人、入口で火野パーティの雷堂に「土Fは入口で待機」って笑われてた人じゃね?』




