第46話 中からの風
「……黒沢さん。います」
崩れた岩の向こうから、かすれた声が返ってきた。
第17層の奥の通路で、壁のくぼみの口が、天井から落ちた岩で埋まっている。俺はその前に這い寄って、天野さんを呼び続けていたところだった。
「目の前に岩があって、動けません。でも、どこも痛くないです」
岩と岩の隙間の1つから、砂が細い筋になって出てきた。どの筋も同じ向きに渦を巻いている。
天野さんのまわりで、いつも巻いている渦だ。空気も通っている。
『返事きた』
『生きてる』
『澪さん無事だって』
『心臓止まるかと思った』
悲鳴ばかりだったコメントが、やっと緩んだ。
ただ、天野さんはまだ岩の向こうにいる。
くぼみの口をふさいでいる岩の中で、いちばん大きいのが真ん中に居座っている。あれを引き寄せて抜けば、人の通れる穴が一気に開くはずだ。
気づくと、俺は《引力》で引き寄せようと、その岩に手のひらを当てていた。
手のひらを当てたまま、そこで止まった。
さっき俺は、しま模様が通った岩の壁で割れ目に土を流し、途中で止まったところで確かめるのをやめた。その壁へ泥団子を引き寄せて、この崩れを起こしたばかりだ。
この岩が上を支えていたら、急いで抜いたとたんに、上の岩は真下の天野さんへ落ちてくる。
崩れた岩の隙間と、その上の天井の割れ目に指を当てる。詰まった土を少しだけ動かすと、乾いた土が粉になって、割れ目の奥へ一筋こぼれていく。
今度は、粉が止まっても流すのをやめなかった。
粉は、さっきしまの壁で止まったのと同じ数センチの所で止まった。流し続けても、そこから先へは1粒も行かない。
「……俺の土じゃ、割れ目の奥まで届かない」
『何してんの』
『早く掘って』
『土いじってる場合か』
『澪さん閉じ込められてるんだぞ』
急かすコメントのほうが正しく聞こえるのは、俺にも分かる。
それでも、手は大きな岩へ戻さなかった。
奥から粉を押し出せる風なら、岩の向こうにある。
俺は岩の隙間に口を寄せた。
「天野さん。風を、吹いてください。中から、こっちの割れ目へ」
「はい」
天野さんの返事は、俺が言い終わるのとほとんど同時だった。
『澪さんの風』
『え、ここで風?』
『中から吹くのか』
割れ目に指を当てて、もう一度土を流す。
粉が数センチの所で止まりかけたとき、奥から風が吹き抜けてきた。止まっていた粉が押し戻されて、割れ目から俺の顔へ吹き出してくる。
隣の岩の割れ目からも、その上の割れ目からも、岩の間に積もっていた粉が風に乗って出てくる。いちばん大きな岩だけは、どこからも粉が出てこない。粉はその岩の縁を回って、こっちへ抜けてくる。
「縁からしか粉が出ないのは、割れ目のない一つの岩です。粉が吹き出してくる岩は、割れてます」
その大きな岩は上の端を天井の割れ目に食いこませ、割れ目がないから欠けもせずに、天井を下から支えていた。
この支えの岩には触らない。割れた岩から順に動かせばいい。
「足元の隙間に、風が抜けていきました」
中から、天野さんの声が風の通り道を教えてくれる。
「頭の上の隙間にも。……あ、背中のほうからも風が来ます。粉も、後ろから飛んできます」
外から見れば、天野さんの背中の後ろは、くぼみのいちばん奥の壁だ。
「背中?」
「後ろが暗くて。奥が、あるみたいです」
くぼみは、人1人が立てるだけの浅い穴のはずだった。浅いと思ったから、俺は天野さんをそこへ入れた。
「くぼみは、空洞の入口だったんだ。粉が止まったのは、俺の土がそこまでしか届かなかったからだ。その先は、空いてた」
言いながら、俺は割れ目から指を離した。
空洞は、しまの壁の裏まで続いていたんだろう。
しまの壁の表面は、奥とつながっていない薄い板だった。
泥団子を壁へ引き寄せると、壁の表面も同じ力で泥団子のほうへ引き寄せられる。表面の板は、それで壁から剥がれて泥団子のほうへ反り返った。
しま模様がまっすぐで、流した粉が止まる壁なら、割れ目のない一つの岩だから使える。先週、第10層の踊り場の壁が剥がれたあとに、俺が自分で作った決まりだ。その決まりで、俺は天野さんをこの中に閉じ込めた。
あの壁も、粉が止まった先は空いていたんだろう。
表の層が薄いと読んだ所は当たっていて、粉の止まった先を一つの岩と読んだ所が外れていた。俺はその決まりを1週間信じていた。
『何の話?』
『粉で何見てんの』
『あ、澪さんの風で中から粉を吹き出させてるのか』
『2人で壁の中見てる』
『外から兄、中から澪さん』
割れた岩は、崩れて、ほかの岩から離れている。土魔法が《大地魔法》に進化してからは、離れた岩なら手をついた所から動かせる。
床に手をつき、支えの岩からいちばん遠い1つを脇へずらして、床に置いた。
岩が1つ動くと、粉の通り道が変わる。そのたびに天野さんが吹き直し、俺は次に動かす岩を見分け直した。
「今度は、風がまっすぐ抜けました。さっきより軽いです」
天野さんの風は、毎回同じ所へ同じ強さで来る。おかげで、粉の流れを前の1回と比べられる。
「今の、見ました? 粉が左に曲がったでしょう。あれは割れ目が斜めに入ってる印で、このしまの重なり方だと、下の層が先に割れてて……」
「あの、それ今ですか」
中から、天野さんの声が飛んできた。
『閉じ込められてる人に突っ込まれてる』
『澪さんが正しい』
『兄、手を動かせ』
俺は口を閉じて、次の岩に手を戻した。
『てか壁崩したの土Fだろ』
『相方巻き込んどいて地層の話かよ』
『今それ言うな』
『黙って見てろって』
手は速めなかった。
3つ目の岩を床に置いたとき、《気配察知》で首筋がぞわっとした。
土ぼこりの向こうから、重い足音が2つ近づいてくる。さっき崩れる音に驚いて奥へ逃げていった、オーガの2体連れだ。岩を床に置くたびに響く音を聞きつけて、戻ってきたらしい。
背中には、天野さんが閉じ込められた岩の山がある。オーガは左の、通路の奥から来る。俺がよければ、オーガは岩の山までまっすぐだ。
俺のMPはもう少なくて、腰の袋の泥団子は5つしかない。
いつもの守り方で泥団子を体の周りに回らせて敵をはじこうにも、泥団子は軽いので、棍棒の一振りで横へ払われてしまう。
この場から動かずに、オーガを近づけない手が要る。
すぐ横の支えの岩へ引き寄せれば、泥団子をオーガへ通せる。俺は手を伸ばしかけ、岩に触れる前に止めた。
「この岩も、さっきの壁の表面みたいに、泥団子のほうへ引かれる」
支えの岩が少しでも動けば、天井ごと天野さんの上に落ちてくる。
足元には、崩れた岩の欠片がいくらでも散らばっていた。
割れた床の欠片が《大地魔法》でこっちへ寄ってくるのは、先週オーガを倒した通路で見た。
「欠片のままだと、1つずつで軽い。固めれば、1つの重い塊になる」
《大地魔法》で、欠片と壁際の乾いた土を手元へ集めた。その乾いた土を手の中で握って芯にし、芯へ《引力》で欠片を引き寄せて、隙間がなくなるまで押し固める。
欠片を固めた、両手で包むほどの石の団子が手の中にできた。持ち上げると、泥団子の4倍は重い。
同じ大きさのものをあと2つ作った。
3つ目を固め終えたとき、残っていたMPのほとんどが消えていた。
これなら棍棒に払われない。そのかわり、もう作り直せない。
『でかくね』
『岩まとめた?』
『泥団子の何倍あんのそれ』
崩れた岩の山を背にして立ち、石の団子を3つ、体の周りに回らせる。
《引力》は、回している俺の体のほうも石の団子へ引く。泥団子と違ってこの重さでは、1周目で体ごと引っぱられかけ、靴が床の上を滑った。
壁際の乾いた土を足元へ寄せ、足首まで包んで固めた。
石の団子は、俺の腰より低い所をぐるりと巡っていく。
土ぼこりの中から、オーガが2体出てくる。
先頭のオーガが棍棒を低く構える。俺の頭ではなく、足を払うつもりの構えだ。
棍棒が、すねの高さを横なぎに来る。
回ってきた石の団子が、棍棒をはじいた。
続く1つが、オーガのすねを打った。
先頭のオーガがうなり声を上げ、片足を浮かせて後ずさる。
後ろのもう1体が、先頭の脇から棍棒を突き出してきた。石の団子が真正面から棍棒を受け、その重さで、俺の体ごと横へ押される。
足首を包んだ土に、ひびが入った。土で固めていなかったら、俺は石の団子と一緒に床を転がっていた。
石の団子は止まらずに巡り、2体目の棍棒を横へはじき返した。続く1つが、そのすねも打った。
2体は、それ以上は前へ出てこなかった。近づけば、すねを打たれる。オーガも2回で覚えたらしい。
すねを抱えた先頭を連れて、2体は土ぼこりの向こうへ下がっていく。
『はじいた!』
『棍棒はじいたぞ』
『すね行った』
『オーガ下がってく』
『崩れた岩の欠片で弾作ったのか』
『一歩も動いてないのに追い返した』
足音が聞こえなくなってから、《引力》を止めた。
石の団子は、止めたとたんに欠片と土にほどけて床に散った。
もう一度固めるだけのMPは、どこにも残っていない。
支えの岩の脇に、割れた岩が1つだけ残っている。これをずらせば、肩の通る隙間ができる。
床に手をつき、最後の岩を動かす。
半分ずらしたところで、MPが尽きた。
あと半分なのに、指1本ぶんも動かせない。
岩がずり戻ってくる。開きかけた隙間が、目の前で細くなっていく。
「あの、私、風で押し……」
岩の向こうの声は、さっきよりかすれていた。閉じ込められてから、天野さんは俺に言われるまま何度も吹いている。
これ以上、天野さんに力を使わせたくなかった。
「そのまま出てください」
俺は右手を隙間に差し入れて、岩の縁を下から支えた。岩の重さが、まるごと手の甲に乗る。
『手!』
『兄やめろ』
『澪さん早く』
『頼む頼む』
隙間の奥で、青緑の上着が動いた。
先に砂の渦が這い出してきて、そのあとから天野さんが、俺の右腕の下をくぐってくる。
天野さんの頭が出て、続いて肩が隙間を抜けた。
岩が少しずつ沈んで、手の甲が岩と床の間で押しつぶされていく。
天野さんの足が隙間を抜けるまで、手は抜かなかった。
天野さんが通路に立った。
『出た!』
『澪さん出た』
『立ってる』
『無事だ』
『うおおおお』
同時接続数は74,000人だった。
「黒沢さん、手!」
天野さんの声で、自分の右手がまだ岩の下にあると思い出した。
右手を引き抜く。岩が、元の所へどすんと落ちた。
手の甲が見る間に腫れていく。爪が2枚割れて、指が曲がらない。
「大丈夫です。折れてはないので」
ポケットのスマホが、さっきからずっと震えていた。
左手で取り出す。妹の陽菜から、兄ちゃん、とだけ書いたメッセージが14通並んでいた。
冗談も絵文字も1つもない。
陽菜の15通目には、天野さんは無事? とだけあった。
天野さんは、上着の粉を払っていた。青緑の上着が粉で白くなって、左の手首の布まで白い。
天野さんは俺の右手を見て、それから俺の顔を見た。
「あの。閉じ込められてからしか、私の風、使いませんでしたね」
天野さんは、怒った声でも礼を言う声でもなく、ただそう言った。
すぐに返せる答えを、俺は持っていなかった。




