第44話 向かいの壁で試す
角の向こうで、重い足音が2つ近づいてくる。
試す、と言いかけてやめ、俺は床に手をつき直した。
第17層の通路にいるのは、俺1人だ。さっき膝の高さの岩を壁へ引き寄せた1回でMPをごっそり使って、膝がまだ笑っている。
角を曲がって、オーガの2体連れが通路に出てきた。
背は俺の倍近くあり、丸太のような棍棒を提げている。2体が歩いてくるのは、壁の前にしゃがんだ俺と向かいの壁のあいだの通り道だ。
どっちへ逃げてもあいつらの目の前を横切るしかなく、背中を向けて走ったところで、オーガの長い脚からは逃げきれない。
土壁を積んで隠れるには、この通路は広すぎる。俺が積み終えるより先に、オーガは脇へ回ってくる。
床についた手から、土魔法を湿った土へ通していく。指先の感覚が床の土を伝って通路を渡り、向かいの壁の根元の岩に触れた。
これで、あの壁へ泥団子を引き寄せられる。
向かいの壁は、白と黒のしま模様が通路に沿ってまっすぐ通っていて、割れ目が見えない。一つの岩なら、泥団子は通路を横切ってあの壁まで飛び、途中にあるオーガの頭に当たる。
壁が奥で割れていたら、泥団子は床を転がるだけで、俺は棍棒の前に手ぶらで残る。
腰の袋から、砂を固めた弾の泥団子を1つ出して、右手に握った。
手で投げた泥団子を、向かいの壁へ引き寄せる。今の俺に残っている手はそれだけだ。
『逃げて』
『いや逃げ場なくない?』
『やる気だ』
『画面めっちゃ揺れてる』
画面が揺れるのは膝のせいで、怖いからじゃないと言っておきたい。言っても誰も信じないだろうから、別のことを言う。
「向かいの壁が一つの岩かどうか、今から分かります」
『実験すな』
『今それ言う?』
『オーガ来てるって』
先頭のオーガが鼻を鳴らして、こっちへ顔を向けた。においで気づかれたらしい。
さっきの岩も、壁へ引き寄せたら一直線に飛んだ。投げる向きが壁からずれていれば、泥団子は壁のほうへ曲がって飛ぶ。
先頭は床を揺らしながら、俺の手と向かいの壁のあいだへ、横から踏みこんでくる。提げた棍棒の先が床をこすって、がりがりと鳴るたびに、膝の震えがひとつ大きくなった。
投げていいのは、あいつの頭が俺の真正面に来たときだけだ。
あと一歩。
投げた。
指を離れた泥団子を、向かいの壁へ引き寄せる。
泥団子は灰色の筋になって、通路を横切った。
目で追えたのはそこまでだ。
先頭のオーガの頭ががくんと横へ振れて、向かいの壁で泥の砕ける音がした。
先頭が棍棒を取り落として、横倒しになる。
床に着いたところで光の粒になって消え、魔石が1つ転がった。
【レベルアップ。Lv20からLv21になりました】
『え』
『何が飛んだ?』
『見えなかった』
『一撃でオーガ消えた』
『泥団子の速さじゃない』
『今の投げただけだよな?』
Lvが上がったのは聞こえたが、気になるのはそこじゃない。
「泥団子のほうが、さっきの岩より速いです」
『そこ?』
『感想が研究者』
ノートに書きたい行がもう1つ増えた。
向かいの壁の表面には、泥団子の砕けた跡が丸く1つ残っているだけで、ひびは1本も走っていない。見込みどおり、割れ目のない一つの岩だった。
2体目のオーガは、先頭が消えた所で足を止めていた。
床の魔石と、向かいの壁の泥の跡を、首を振って見比べている。先頭がどうなったかを、こいつはちゃんと見ていたらしい。
2体目は通路の真ん中を避けて、俺が背にした壁沿いをのしのし寄ってきた。俺と向かいの壁のあいだには、一度も入ってこない。
2つ目の泥団子を、あいつの顔へ向けて投げた。
投げたのはあいつの顔でも、引き寄せたのは向かいの壁だ。泥団子はあいつの鼻先で曲がって、向かいの壁へ飛んでいった。壁で砕ける音だけが返ってくる。
3つ目は、あいつがもう少し近づいてから投げた。それでも鼻先で曲がって、向かいの壁へ消える。
棍棒が振り下ろされて、俺のすぐ脇の床が砕けた。
飛んだ破片が頬を打つ。半歩ずれていたら、砕けていたのは俺の足だった。
『うわああ』
『床割れた』
『当たってない!』
『兄!』
『さっきの一撃どうしたの』
4つ目を袋から出しかけて、やめた。今のまま投げても、向かいの壁の泥の跡が4つに増えるだけだ。
床を転がって、棍棒の届かない所まで離れた。
袋の泥団子は残り3つ。MPも、あと何回引き寄せられるか分からない。
俺が壁の前にいるかぎり、あいつは壁沿いを来ればいい。このまま待っていたら、泥団子が尽きるより先に俺が潰される。
俺は壁を離れて、通路の真ん中へ出た。今度は、さっきまで背にしていた壁へ引き寄せる。
床に散った岩の破片をまたいで、その壁のほうへ向き直った。
あいつと壁が、俺から見て一直線に並ぶ所まで横へずれた。
背中の側では、広い通路がただ開いている。下がっても、身を寄せる物は何もない。
俺に棍棒を届かせるには、あいつは壁の前からまっすぐ俺へ来るしかない。
右手に泥団子を1つ握って、動かずに待つ。
『なんで真ん中出るの』
『下がって』
『え、待つの?』
『無理無理無理』
『息止まった』
あいつが壁際を離れた。
床を踏む音が、まっすぐ俺へ近づいてくる。鼻を突くにおいが、足音より先に届いた。
足が勝手に後ろへ下がりたがる。足を動かせば、あいつと壁の並びがずれる。床の破片を踏んだ右足に、体重を戻した。
握った泥団子が、手のひらの汗で少しぬるついている。
あと3歩。
あと1歩。
棍棒が、あいつの肩の上まで振りかぶられた。
見上げた頭の向こうに、壁がある。
指を開く。
落ちかけた泥団子を、正面の壁へ引き寄せた。
泥団子は、俺の手元からまっすぐ飛んだ。
あいつの頭が後ろへ跳ねる。
頭の後ろの壁で泥が砕けた。
振りかぶったままの棍棒ごと、あいつは仰向けに倒れた。
床に届く前に、大きな体が光の粒になってほどける。
魔石が1つ、俺の靴の先まで転がってきた。
【レベルアップ。Lv21からLv22になりました】
『うおおおおお』
『倒したあああ』
『真ん中に立って、まっすぐ来させた』
『自分をエサにしたの?』
『棍棒の下で待ってた』
『ソロでオーガ2体』
『同接45,000きた』
『2体でLv2つ上がった』
膝から力が抜けて、床に膝をついた。
MPはほとんど残っていない。
「……俺の膝のほうが、オーガより先に倒れそうです」
『倒したの兄だから』
『中層後半のオーガを1人で2体だぞ』
『膝の心配してる場合か』
魔石を2つ拾って、残り2つになった泥団子を袋に戻した。
帰りに転ばないよう、土を寄せる《土操作》で足元をならした。寄ってきた土と一緒に、割れた床の欠片まで手元へ動いてくる。
進化してからは、割れて離れた欠片も動かせるらしい。
ノートを開いて、今日の行に『しまがまっすぐな壁なら、使える』と書いた。
『この状況でメモ』
『ブレないな』
壁に手をつきながら、来た道を戻った。
◇
第10層の、中層へ下りる階段の上の踊り場に着いたころには、足が棒のようだった。
階段の上から2段目には、小石が1つ載っている。
階段の脇にある岩の壁にも、しま模様が横にまっすぐ通っていて、割れ目が見えない。
朝ここに立ったときは、ただの壁にしか見えていなかった。中層へ下りるたびに、前を通ってきた壁だ。
見落としていた壁を、明日まで放っておけるわけがない。
「ここの壁も、割れ目のない一つの岩です」
『またやるの』
『兄、ご機嫌じゃん』
『さっき膝ついてた人』
床の小石を1つ、壁から2歩離して置いた。壁に手のひらを当てて、小石を壁へ引き寄せる。
小石は床を離れて、壁に当たった。帰り道で少し戻っていたMPが、小石1つでほとんど消えている。
当たった所から、壁の表面がぱらぱらと薄く剥がれて、足元に落ちた。
「……あれ」
『剥がれてて草』
『一つの岩とは』
『さっきの自信どこ行った』
階段の上から2段目で、小石が丸い体を出した。俺の予想の外れを数えている、ハズレだ。焦げ茶のヘルメットの下から、半分まぶたの下りた目がこっちを見る。
「外れ。34回目」
『ハズレきた』
『34回目』
『下でオーガ当てた分は?』
「お前、下の2体は見てないだろ」
ハズレは何も言わず、ヘルメットの縁を少し下げた。
「でも、なんで剥がれたんだろう。一つの岩なら、小石は当たって落ちるだけのはずなんですけど」
口に出した声が、自分でも分かるくらい弾んでいた。
『外れたのにうれしそう』
『オーガ倒したときより声高い』
剥がれた所の前にしゃがんで、しま模様の境目の細い割れ目に指を当てた。土を流せば、割れ目がどこまで続いているか分かる。
残りのMPで、割れ目に詰まった土を少しだけ動かす。乾いた土が粉になって、割れ目に沿って一筋こぼれていった。
粉は指先から数センチ進んで、そこで止まった。指先の手応えも、同じ所で途切れる。
「割れ目は浅いです。この奥は、一つの岩ですね」
『数センチで分かるもん?』
『兄が言うならそうなんだろ』
隣のしまの境目にも、指を当てる。
今度は、土が一粒も動かなかった。残っていたMPは、さっきの粉で尽きている。
指先に手応えが何もない。
『MP切れで土も出ない』
『見に行けないオチ』
これはもう笑うしかない。
ノートを開いて、さっきの行の下に書き足した。
書いたのは、『踊り場の壁 剥がれた。確かめる』の1行だ。
階段の上から2段目で、ハズレが小石に戻った。




