第43話 岩の壁に届く
『相方は?』
『あれ、今日1人?』
『澪さんいないじゃん』
『けんかした?』
配信を始めて10秒で、挨拶より先に天野さんの話が並んだ。
俺のほうの挨拶は、まだ口の中だった。
今日は、ミノタウロスを倒してからちょうど1週間の土曜になる。第10層の、中層へ下りる階段の上の踊り場に、俺は1人で立っている。撮影用ドローンは先週砕けたので、映しているのは胸のカメラだけだ。
始めた時点の同時接続数は33,000。
いつもより多い理由は、流れてくるコメントを見れば分かる。
「今日は調査なので、1人です」
短く答えて、話を土に戻すことにした。
相方の話をいくら続けても、土は1粒も出てこない。
「平日も1人で、第16層を歩いてました。今日見たいのは、第17層の岩の壁で」
『は? 第16層を1人?』
『中層の後半をソロは初めて見た』
『うちは4人でもオーガ避ける』
書き方からすると、中層に潜っている冒険者らしい。
外から見ると、平日の俺はそういうことになるのか。
『その深さを、相方なしで?』
「壁の話、まだ1行もしてないんですけど」
話を土に戻すたびに、コメントが天野さんの話へ連れ戻していく。
階段の上から2段目では、小石の姿のハズレが黙っている。こいつは、俺が外したときに回数を数えるほかは口をきかない。今は何の助けにもならない。
◇
下りる途中、第16層の角の手前で、《気配察知》が初めて働いた。
首筋がぞわっとして、角の向こうに大きいのが2ついると肌で分かる。足音はまだ聞こえない。
すぐそばの脇道へ入って、壁に背中をつけた。
少しして、重い足音が2つ角を曲がってくる。オーガの2体連れだ。先に気づいていなければ、通路の真ん中で鉢合わせていた。
足音は脇道の前を通りすぎて、遠ざかっていった。
息を吐いたのは、足音がすっかり消えてからだ。
『え、なんで先に隠れたの』
『兄、今の見えてた?』
「金曜に、スキルptを3使って《気配察知》を覚えました」
覚える前に、平日の第16層でオーガに先に気づけた回数を数えておいた。5回のうち0回だ。
覚えたあとは、1回のうち1回になった。
1回で喜ぶのは早いが、足音を聞いてから慌てていた平日よりは、ずっといい。
◇
第17層の通路は天井が高く、両側が岩の壁になっている。俺は片側の壁の前にしゃがみ、向かいの壁には背中を向けていた。
こっちの壁は、白っぽい岩と黒っぽい岩が横に重なった地層だ。しまの境目に、細い割れ目が走っている。
平日から俺が調べているのは、この割れ目の中身だ。
割れ目に指を当て、詰まった土を《土魔法》で少しだけ動かす。動いた土は粉になって、割れ目に沿って一筋流れていく。
平日の3日で、200本あまりの割れ目に土を流した。地味な数字だが、ノートに正の字で数えたので間違いない。
この1本を流し終えたところで、頭の中に声が響いた。
【《土魔法》がLv10になりました】
【《土魔法:土壌改良》を覚えました】
【《土魔法》が進化できます。進化の先は《大地魔法》です】
『10きた』
『上限! 進化だ』
『その前に土壌改良って何』
『畑の魔法じゃん』
「耕す畑が、ダンジョンにはないんですよね」
《土魔法》のLvには、スキルptを1ptも使っていない。魔法を使い続けた分だけで、ここまで上げてきた。
Lv10になったら、真っ先に試すと決めていたことがある。
金曜に第2層で作り直した6つのうち1つを腰の袋から出して床に置き、こっちの壁に手のひらを当てた。泥団子を、この岩の壁へ引き寄せる。
泥団子は床の上でぴくりとも動かなかった。
『動かん』
『10でもダメか』
火曜に第16層でノートに書いた行は『土魔法9。岩の壁は、まだ』だった。
10になっても、同じ行を書くことになる。上限まで上げてこれでは、笑うしかない。
泥団子を袋に戻して、ステータスを開いた。
《土魔法》 Lv10(進化できます)
名前に意識を向けると、1行が開く。
進化の候補:《大地魔法》
「進化すると、《大地魔法》のLv1からやり直しです」
《土魔法》がLv8になった日に、壁に付いていない岩なら引き寄せられるようになった。
だから俺は、Lvが上がるほど土として扱える物が増えるんだと思ってきた。
「Lvで増えてたなら、Lv1に戻った時点で、岩はもう来ないかもしれません」
『岩なくなったらどうすんの』
『泥団子だけの兄に戻る』
『でも進化は見たい』
職業の進化は、候補が出ても選ばなかった。何が変わるのか、測りようがなかったからだ。
今度は、失うかもしれない物がはっきりしている。岩が来なくなれば、平日に1人で中層を回る手が1つ減る。
だったら、進化の前と後で、同じ岩を同じ的へ引き寄せて比べればいい。
床に手をつき、土を集める《土操作》と、固める《硬化》を使った。こっちの壁の根元に、岩を引き寄せる的として、拳ほどの土の玉を固める。
通路の真ん中寄りの床に手ごろな岩を1つ置いて、土の玉へ引き寄せた。
岩は床をころころ転がってきて、壁の根元で止まった。
進化の前は、このくらいののんびりした来方だ。よく覚えておく。
ノートには、《土魔法》のLvを書く欄に、何年も6が縦に並んでいる。
10のままなら、あの列がまた始まる。
「……Lvがまた止まるのは、嫌なんで」
《大地魔法》の名前に意識を向ける。
進化するかを聞く表示が出て、はいを選んだ。
【スキル、《土魔法》が、《大地魔法》に進化しました】
声はそれきりだった。
今度は新しい魔法の知らせもない。
スキル:《大地魔法》 Lv1/《引力》 Lv4/《MP自動回復》 Lv1/《投擲》 Lv1/《気配察知》 Lv1
「《土操作》」
足元の土を集めてみる。
手応えはさっきと何も変わらない。
『何も変わってない』
『名前だけ強くなった』
『大地(Lv1)』
『進化とは』
「名前だけ大きくなりましたね」
ここまでは笑っていられた。
いちばん確かめたかったことが、まだ残っている。
壁の根元から、さっきの岩を拾って元の場所に置き直した。さっきと同じ土の玉へ引き寄せる。
来ないか、来ても弱い。たぶん、そのどっちかになる。
岩が床を離れた。
さっきの転がり方じゃない。浮いたまま、一直線に壁へ飛んでいく。
岩は壁にぶつかったところで、粉々に砕けた。
『は?』
『え、今の岩?』
『速すぎ』
『兄、今なにした』
白い当たり跡は、土の玉のすぐ横の、むき出しの岩肌に残っていた。
壁に手を当てても、ひんやりした岩の手触りしかない。
「……壁ごとだ。壁が丸ごと、岩を引き寄せてる」
自分の声がやけに明るい。予測が外れたんだから、仕方ない。
《引力》の説明文を開いて、3行目を読み直した。
《引力》 Lv4
土と認められる範囲は、《土魔法》の段階に応じて広がる。
「段階って、Lvの数字のことじゃなかったんです。Lv8で増えた分は、Lv1に戻っても減ってない。進化で、もう1つ広がった」
向かいの壁の根元に、膝の高さの岩が転がっている。重すぎて、いつもは体のまわりを回らせられない大きさだ。
俺は土の玉から数歩横へずれて、床に手をつき直した。あの岩と土の玉のあいだに、自分を置かないためだ。
『それいく?』
『でかいでかい』
同じ土の玉へ、膝の高さの岩を引き寄せる。
岩が床を離れた。
通路を横切るあいだに、ぐんぐん速くなる。
壁にぶつかった岩が真っ二つに割れた。
青白い苔の光の中で、破片が床へ散っていく。
それより先に、俺は自分の手のひらを見ていた。
『岩いけた』
『でかいのも飛んだ』
『割れたんだけど!?』
『何も変わってない言うたの誰』
『俺だわ』
『大地魔法、本物だった』
『同接39,000いってる』
立ち上がろうとして、膝が少し笑った。
「……壁が1枚、使えるようになっただけです」
『だけ?』
『だけじゃないんよ』
また首筋がぞわっとした。
通路の奥から、大きいのが2つ来る。遅れて、重い足音が耳に届いた。オーガの2体連れだ。
俺はこっちの壁の前にいる。オーガが来るのは、俺と向かいの壁のあいだの通路だ。
向かいの壁は、しまが通路に沿ってまっすぐ通っていて、割れ目が見えない。
見た目どおり1枚の岩なら、あの壁へも岩を引き寄せられる。
膝の震えはまだ止まっていない。
それでも、いつもの一言が喉まで来ていた。
「あの壁で、試す……」
角の向こうで、オーガの足音が2つ近づいてくる。




