第41話 言わない
「……兄ちゃん、これ、何のおせんべい?」
陽菜は俺が渡した袋を目の高さに持ち上げた。中で、砕けた撮影用ドローンの欠片がからからと鳴る。
ミノタウロスを倒した翌日の、日曜の朝だ。朝食の支度より先に、これだけは返すと決めていた。
「ドローン。陽菜に譲ってもらったやつ」
「知ってる。昨日、配信で割れるとこ見てたし」
陽菜は羽根の欠片を1枚つまんで、窓の光にかざした。
ひびの入ったプラスチックが白っぽく透けている。
「ごめん。譲ってもらって2か月で、これだ」
「ふーん」
陽菜は欠片を指先でくるくる回した。
「兄ちゃんの頭の代わりに割れたんでしょ。じゃあ安いじゃん。頭のほうは、替えの部品売ってないし」
それで話は終わりだった。
台所へ向かう俺の左の足首を、陽菜がちらりと見た。まだ少しかばって歩いている足だ。
陽菜はすぐに目を戻して、何も言わない。
陽菜は袋の口を縛って、黙って自分の部屋へ持っていった。
捨てる、とは言わなかった。
卵を焼いていると、戻ってきた陽菜が、スマホを台所へ突き出してくる。
「はい。昨日のやつ、もう切り抜かれてる」
題は〔土Fなのに異常に強い人 澪さんと2人でミノタウロス〕。
「土F」は、土魔法Fだったころからの俺のあだ名だ。
「……Cになっても、頭は土Fなのか」
「だから言ったじゃん。もう名前なんだって」
陽菜が開いた掲示板の「引力」は俺のスキルで、「土F兄」は俺だ。
土F兄の引力検証を見守るスレ part52
418:名無しの冒険者
澪さんのまわりで泥団子が曲がって
土F兄がおのの下に自分から入ってって投げた
なんで後衛がいちばん前にいるんだよ
泥団子は俺の飛ばす砂の弾で、後衛は魔法使いの俺だ。
423:名無しの冒険者
>>418
後衛2人でミノ倒すなよ
澪さん、もう完全に土Fの相方枠で草
「Cおめでと、土F」
「それ、褒めてるのか」
「褒めてる褒めてる」
陽菜が笑う横で、俺は423の最後の行から目を離せずにいた。
「土F」と笑われるのには慣れている。笑われるのが俺なら、別にいい。
天野さんが、俺のせいで「土Fの相方」と笑われているのは、初めて見た。
……これは困る。
皿を並べ終えてから、ステータス画面を開いた。
昨日、天の声がいくつも鳴っていた気はする。あいつが崩れたあとは、何も頭に入らなかった。
Lv:20
職業:魔法使い(進化できます)
職業の行に意識を向ける。
進化の候補:土魔導士
……土だ。
選べば職業が変わって、この先の伸び方も変わる。選ぶまでは、候補は消えずに残る。
「なになに、何て出てんの」
陽菜が身を乗り出して、俺が見ている宙をのぞきこんだ。ステータス画面は本人にしか見えない。分かっていて、のぞいている。
「職業の進化。候補が、土魔導士」
陽菜は一拍おいて、吹き出した。
「職業まで土じゃん。で、なるの?」
候補の名前に意識を向けかけて、やめた。
「……まだ、決めない。何が変わるか、測りようがないだろ」
俺は画面を閉じた。
「出た。兄ちゃんのそれ」
陽菜は笑って、トーストをかじった。
「でも、土は取れないね。土F、一生」
「取れなくて、いいけど」
「ねえ、その相方、お昼に連れてきなよ。あたし、ちゃんと会ったことないし」
相方と聞いて、さっきの423の行が頭をよぎった。
天野さんへのメッセージを、昨日の切り抜き、まで打って消した。何と続けても、「土Fの相方」の書き込みを本人に見せることになる。
誘う文だけを打ち直す。
昼、うちに来ませんか。陽菜が会いたいそうです、と送る。
返事は30秒で来た。行きます、の一言だ。
来る前に居間を片付けようとして、棚の前で手が止まった。
どの瓶にも、どかせない理由がある。
「……1本も動いてないじゃん」
陽菜の呆れた声が背中に刺さった。
◇
昼の少し前に、天野さんが来た。
いつもの青緑の上着だ。玄関で見ると、ダンジョンで見るより小柄に見える。
「はじめまして、天野です。……あの、陽菜さんですよね。配信、見てます」
「わ、こっちも見てる見てる」
陽菜が先輩らしい顔を作るより先に、天野さんはもう居間の奥を見ていた。
棚だ。
「……これ、全部、土ですか」
「全部、土です」
「兄ちゃんに瓶の話させると長いから、気をつけてね」
天野さんは棚の前まで行って、端で足を止めた。
上層の湿った茶色の瓶がずらりと並び、その列の端に、乾いた色の瓶が2本だけある。
昨日まで1本だった端が、2本になった。
「この2本だけ、色が違いますね」
「第11層と、昨日の第17層です」
「上層はこんなにあるのに、中層は2本だけなんですか」
「中層のは仕事の分で、研究所に納めます。ここに置くのは、自分の瓶に詰めた分だけなので」
天野さんは第17層の瓶をしばらく黙って見ていた。
昨日の広間の、壁際の土だ。
昼は焼きそばだ。
フライパンから直接食べようとしたら、陽菜に「座って。お客さんいるんだから」と椅子を引かれた。
皿が半分ほど空いたころ、天野さんが箸を置いた。
「次は、第20層の中間ボスですね」
「はい」
「……私が前に、一度退いた所です」
前のパーティで、風が仲間の一撃を逸らした所だ。天野さんは俺の顔を見てから続けた。
「今の2人じゃ、まだ届きません。中層の後半で、しばらく力をつけてからです」
中層を案内してくれたときと同じ、言い切る先輩の声だった。
第20層の中間ボスはBで、昨日のあいつより1つ上だ。Cになったばかりの俺には、まだ遠い。
研究所の調査なら、昨日から第25層まで入れる。入っていいのと、勝てるのは別だ。
「第20層なら、あたしが――」
陽菜が言いかけた。
陽菜は第20層の中間ボスを倒したことがある。
陽菜は口を開けたまま、続きを言わずに止まった。
それから焼きそばをひと口すすって、けらけら笑い出した。
「天野さん、聞いて。この前ね、あたしが中層の後半に一緒にって言いかけたら、兄ちゃん、言い終わる前に『いい』って。棚に、瓶を1本置いた日。言い終わる前だよ?」
「……言いそうです」
「でしょ」
陽菜は麦茶をひと口飲んで、声を少しだけ平らにした。ダンジョンの話をするときの声だ。
天野さんが背筋を伸ばした。
「じゃ、先輩から2つね。兄ちゃん、やばいときほど黙るの。黙って止まったら、止まる理由があるから、待ってあげて」
「はい」
「もう1個。外すと、すっごいうれしそうな顔するから。あれ、落ち込んでないの。心配しなくていいよ」
「それは、知ってます」
天野さんが真顔で答えて、陽菜がまた吹き出した。
本人の前で、取扱説明書を読み上げないでほしい。
陽菜は立ち上がって、鞄を肩にかけた。
「あたし、盾の子のリハビリ付き合ってくる。夕方まで」
盾の子は、崩落で脚を折ったパーティの盾役だ。
玄関まで見送りに出ると、陽菜は靴を履きながら声を落とした。
「兄ちゃん、2人になっても瓶の話は禁止ね。……リハビリ、ほんとは3時からだけど」
……わざとか。2人にする気だ。
陽菜は振り向かずに、もう1つ言った。
「あたしは断られたけど。天野さんは、最後まで聞いてもらえたんだからね」
ドアが閉まった。
振り返ると、天野さんが居間の戸口で、閉まったドアを見ていた。俺のほうも、返す言葉が見つからない。
食器を洗ってから、方眼ノートを開いた。
白いページを探してめくる途中で、『天野さん 風魔法C』と見出しを書いたページが開いた。
見出しの下に、第13層で俺の弾が天野さんのそばで曲がった日の行がある。『風で、遠くまで運べる?』
その下に、ミノタウロスの録画を見返して書いた『同じ所に立てば、同じだけ流れるはず』が続く。
風で弾を運ぶほうは、まだ何も確かめていない。
俺はそのままページをめくり、新しいページの1行目に『第20層 中間ボス』と書いた。
顔を上げると、天野さんが俺のめくったページの端を指で押さえて、『運べる?』の行を見ていた。
「あの、黒沢さん」
天野さんがノートから目を上げた。
責める顔ではなかった。思ったことをそのまま言うときの、いつもの顔だ。
「配信の人たちとは、次はこう試すって話、しますよね」
「私とは、どこに立つかの話しかしないのに」
なぜ私とは、と聞かれている。
あの行のことを、俺はまだ一言も話していない。
答えようとして、口を開ける。
何も、出てこなかった。
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知識で先回りして元の職場を見返す話がお好きなら、同じ作者名のページから『俺のスマホのAIだけ、ダンジョンの答えを全部知っている〜クビにされた配信の裏方、元職場が狙うボスを先に倒してバズる〜』も読めます。




