第4話 壊さない
岩が、小さく鳴っていた。
目の前に積み上がった岩の継ぎ目から、砂がさらさらとこぼれ続けている。地面に置いた手のひらにもじんと震えが来る。崩落はまだ止まりきっていない。
火魔法Aの火野はついさっき、無理だと言って引き返した。ここに残ったのは土魔法Fの俺1人だ。
右の岩が鳴ると、遅れて天井近くの岩が返事をするように鳴る。どれか1つでも砕けば、全部が落ちてくる。
火野の判断は正しい。
「……壊さなくてもいいだろ」
俺は通れればそれでいい。
岩は1つも動かさない。人が這える道だけを、岩の間に作る。
ライトを左下へ向ける。
大岩2つの上に、平たい岩が1枚、屋根みたいに渡っていた。屋根の下には落ちてきた砂と土がぎっしり詰まっている。
道にするなら、あそこだ。
屋根の端に、卵ほどの小石が1つ挟まっている。
屋根の岩は両側の大岩にじかに乗っているように見えた。それなら小石や下の砂と土は、崩れたあとで入り込んだだけだろう、と俺は考えた。
支えていないものなら、抜いても何も動かない。
ただ、屋根の下を丸ごと掘るのは外れたときの代償が大きすぎる。小石1つなら、外れても戻せる。
なので、戻すための土を脇の床からひと山集めておく。
「試すか」
小石は、どの岩にも押されていない顔をしている。その脇の砂に指先を当てる。
「《土操作》」
小石の周りの砂がさらりとほどけ、小石がころりと足元へ転がり出た。
頭の上で、岩が鳴った。
屋根の岩がずっ、と指1本分だけ沈む。合わせ目から砂がひとかたまりで落ち、ライトの中が白くけぶった。
まずい。用意していた土を空いた穴へそのまま押し戻す。
「《硬化》」
押し込んだ土が固まると、岩の声はそこで黙った。
粉っぽい砂ぼこりが喉に張りつき、むせた。背中に汗が噴き出したのはそのあとだ。
「……読み違えた」
入り込んだだけに見えた小石が、実は屋根の端を受けていたのだ。小石を抜いて空いた隙間へ、屋根の岩がずれて沈んだ。
岩は、隙間があるから動く。
だったら、話は逆だ。
隙間をなくせば、岩は動けない。
俺に岩は動かせなくても、岩の間に土を詰めることならできる。
ただし、土は作れない。
しゃがみ込み、指を床の土に差し込む。
「《土操作》」
指の先から床の土がするすると這い出し、屋根の合わせ目へ吸い込まれていく。
「《硬化》」
詰めた土がきゅっと固まった。光らないし、音もほとんどしない。
土を詰めて固め、また詰めて固める。屋根の岩が左右の大岩に乗っている2か所を固めたら、次は屋根の岩とその上に積み重なった岩との合わせ目だ。腕を伸ばし、手の届くかぎり奥へ奥へと詰めていく。
鳴っては黙っていた岩の、黙る時間が長くなってきた。
「効いてる」
次の合わせ目を固めると、落ち続けていた砂の筋が細くなり、やがて途切れた。
最後に、屋根の下に詰まった砂と土を奥の端まで固める。
崩落が、鳴らなくなった。
振り返ると、俺の周りの床から土が消えていた。詰めるのに、足元の土をほとんど使い切ったのだ。灰色の岩盤が地図みたいにまだらに出ている。
《土魔法》を使い続けたせいで、こめかみの奥が鈍く重い。疲れてはいるが、魔法はまだ使える。
次にやることは、さっきしくじったのと同じ「抜く」だ。
屋根の下の固めた土に指をかける。
「《土操作》」
固めた土のうち、俺が這える幅だけを手前へ引き抜いた。
岩は、1つも動かなかった。
岩の重なりはそのままで、その足元にだけ、四つん這いの穴が奥へ通っている。
鳴らない。
砂の1粒も、落ちてこない。
奥の突き当たりに、薄い明かりがにじんでいる。
むき出しの床の縁に、靴の跡が半分だけ残っていた。火野が崩落に炎を放ったとき、立っていた場所だ。
その真正面に、さっきまでなかった穴が通っている。
「通れる」
抜いた土は手前の床へ戻した。四つん這いで穴に入る。
穴の中ほどで、ライトが真上の岩の腹に当たった。小石を抜いた側の端だけが、反対の端より指1本分低い。さっき沈んだ、屋根の岩だ。
肘を前に出すたびに、耳を澄ます。
岩は黙ったままだ。
うなじを伝うのは自分の汗だけだった。
それに、肘の下の固めた土も体重をかけてびくともしない。
「持つな、これ」
穴を抜け、膝をついたまま顔を上げた。
ライトで照らした範囲を、端から端まで岩肌が埋めている。
左右に振っても、継ぎ目が出てこない。
継ぎ目のない、大きな一枚岩だ。
見上げた先に拳ほどの隙間があり、光と声はそこから漏れていた。
崩落さえ抜ければすぐ妹たちがいると思っていたが、その手前にもう1枚、岩が立ちふさがっている。
腰を上げた拍子に、ヘルメットのつばが岩肌を打った。
ごつ、と鈍い音が跳ねる。
隙間の向こうの声がぴたりと止んだ。
代わりに、かすかな羽音が降りてくる。小さなドローンが隙間を抜け、目の高さで止まった。
ドローンのライトがまっすぐ顔に当たる。
「誰!?」
「俺」
名乗りとしてはたぶん最低点だ。
隙間の向こうが一拍黙った。
「……兄ちゃん!?」
陽菜のドローンは隙間へ引き返さなかった。目の前に浮いたまま、レンズでじっとこっちを見ている。
妹の前に出る格好じゃないな、これ。あわてて両手を作業着にこすりつけたら、胸まで土の線が伸びた。
ポケットの中で、スマホがぶるぶると震え続ける。
通知を開くと、陽菜の配信が再開していた。崩落で電波が途切れて止まった配信だ。隙間を出たドローンが電波を拾ったらしい。
画面の中で、土まみれの男がスマホをのぞき込んでいる。俺だ。
作業着もヘルメットも茶色い。背後の崩落には這って通れる穴が黒く開いている。
ひどい。
『誰だ』
『救助の人?』
『泥だらけだけど大丈夫か』
『今、兄ちゃんって言った』
『陽菜ちゃんがよく話す土Fの兄?』
土Fは、土魔法Fランクの略だ。陽菜は配信で、俺のことをそう話しているらしい。
そこから、流れの向きが変わった。
『後ろの穴なに』
『穴の奥って、ニュースの崩落だよな』
『待って、あの崩落を通ってきたの?』
『陽菜ちゃんの声した』
『生きてる!』
そこでスマホの中の配信が止まった。電波がつながっていたのは数秒だけだった。
陽菜たちが生きていることもこの穴のことも、今の数秒で外に出たはずだ。冒険者協会にも、俺が電話するよりたぶんずっと早く届く。
スマホをポケットに戻し、一枚岩に向き直る。
この一枚岩には、土を詰めるための隙間がない。隙間がないなら、動かないはずだ。
両手を当て、体重ごと押してみる。小石1つで沈んだ屋根の岩と違い、こっちは髪の毛1本分も動かない。
一枚岩の下をくぐれないかと、根元の土を払ってみた。でも、出てきたのは灰色の岩盤で、一枚岩はそこに根を下ろしたみたいに埋まっている。
上の隙間も広げられない。縁では岩どうしがじかに噛み合い、動かせる土が残っていないからだ。
さっき崩落の前で岩を見上げていた火野と、今の俺は同じ格好をしている。
「これは、無理だな」
「兄ちゃん、ねえ、どうやってそこまで来たの。後ろの穴って何。ねえってば」
隙間の向こうで、陽菜の声は止まらない。
どこから話せばいいのか分からない。俺はもう一度、一枚岩に手のひらをつけた。
そのとき、腹に来るような低い音が岩の向こうのさらに奥から響いてきた。
当てた手のひらに、岩の震えが伝わってくる。
天井から砂がぱらぱらと降り、足元の砂も揺れた。
隙間の向こうで、陽菜の声が一瞬途切れた。




